2019年9月2日月曜日

母の引っ越し ②

 「首が痛い!一人ぼっちで辛い!」と電話口で弱々しく泣く母のところに駆け付けるため、取る物も取り敢えずタクシーに飛び乗った私は、午後7時30分に羽田空港に着きました。息子を水泳教室に送った直後に母に電話をし、電話口の母の様子から、「今日札幌に向かったほうが良い」と決断してから、約1時間半後でした。子どもたちを連れて帰省する予定だった前日の8月11日のことです。

 JALの国内線カウンターに向かい掲示板を見ると、新千歳空港行きの飛行機はちょうど私が着いた時間に出たばかり。次の便は午後8時半発です。幸運なことに空席がありました。お盆直前の週末で、空席がないのではとタクシーの中で心配していましたので、とりあえず、安堵しました。

 カウンターの女性スタッフに札幌に住む母親の調子が悪くて駆け付けることを説明すると、その女性は前方の座席を指定してくれました。12日夕方の便で子どもたちと一緒に札幌に行く予定で、その分の航空券を購入していましたので、自分の分をまず、キャンセル。中3と小2の子どもたちだけで飛行機に乗せ札幌に向かわせるかどうかは私だけでは決められませんので、夫に電話をしました。夫はちょうど、プールから出てきた息子を迎えて駐車場に向かうところでした。

「とりあえず、8時半の飛行機のチケットは取れたの」
「それは、良かった」
「明日はどうしたら良い? 子どもたちだけで飛行機に乗ってもらったら、私が新千歳空港に迎えに行くから」

娘は中3で、息子は小2です。夫に羽田空港まで送ってもらえば、2人でも飛行機に乗れるでしょう。航空会社には、子どもだけでの搭乗をサポートするシステムがあります。また、自分たちだけで飛行機に乗るという”冒険”に、はしゃぐ2人の様子が目に浮かびます。が、夫はこう切り出しました。

「うーん、やっぱり子どもたちだけでというのは、不安だな」
「大丈夫だと思うけど・・・」
「それに、今回はお母さんの体調も悪いし、子どもたちがいると逆に君は大変じゃないだろうか? お母さんの世話はしなければならないし、子どもたちはずっと家にいると飽きてしまうから、どこかに連れて行かなければならないだろう? 」
「確かに。公園やプール、温泉・・・いつも連れて行っているところに行きたい!と子どもたちはせがむかもしれない」
「今回は残念だけど、キャンセルしたほうが良いと思う。今週はお盆で会社の人も休んでいる人が多いし、僕も仕事の予定はそれほど入っていないから、休みを取れるよ。仕事は家でもできるし、会議は家から電話で参加すれば良いしね」
「うん、わかった。ありがとう。でも、子どもたち、札幌に行くのを楽しみにしていたから、残念がるだろうなあ」
「こういう事態だから、仕方ないよ」

 残念でしたが、子どもたちの飛行機もキャンセルすることにしました。チケットが取れたので、母にも電話をしました。

「お母さん、8時半の飛行機が取れたの。安心して」
「ありがとう」
「首はどう?」
「さっきより少し良くなった」
「それは良かった。家に着くのは夜12時を過ぎると思うから、寝ていてね」
「わかったよ。ありがとう、待っているよ」

 今回の東京引っ越しで、母はお盆休みに札幌に帰省する私と子どもたちが東京に帰る18日に一緒に東京に来て、1週間ほど滞在して入居予定の賃貸マンションを見てから一旦帰札し、私が再び9月に札幌に行って、ご近所などに一緒にご挨拶をして引っ越しの荷造りを手伝い、私と2人で実家から旅立ちたいという希望を持っていました。

 私は母の希望を叶えようと、母の往復航空券も購入していました。が、今回、私が札幌に行く予定の前日に母の元に駆け付けなければならなかったこと、母もその1日が待てなかったことで、東京に帰る私と一緒に飛行機に乗るだけで精一杯かもしれない、東京ー札幌往復は無理だろう、と予想しました。

 で、ご近所や近くの親戚へのご挨拶はおそらく、今回の滞在中になるだろうと予想し、いつもの手土産より奮発して「銀座千疋屋」のフルーツゼリーを購入しました。町内会の方々にもご挨拶をするかもしれませんので、予備のお土産として「ひよ子」もいくつか買いました。それらを持って保安検査場を通り、搭乗口へ。飛行機は予定時間より10分ほど遅れて、無事離陸したのでした。

 新千歳空港に着くと、いつも利用している札幌行きバスは最終便が出た後で、札幌行きのJR「快速エアポート」も最終便がもう少しで出発するというタイミングでした。私はここでも胸をなでおろし、JRに乗り込みました。母にも無事着いたことを連絡しました。母の声は、先ほど羽田空港で電話をしたときより元気です。このときです。私の心に?マークが灯ったのは。

 お母さん、さっきの死にそうな声はどうしちゃったの?

 母は言います。
「何時ごろに着きそう?」
「零時を過ぎると思うよ。もう遅いから寝ていてね」
「待っているよ」

 札幌駅から電車に乗り継ぎました。実家最寄り駅に着いてからも母に電話をしました。午前零時を過ぎていました。タクシーもいませんでしたので、スーツケースを引っ張り、重たい千疋屋のゼリーと「ひよ子」が入った袋を肩から下げて、とぼとぼ実家へ向かって歩きました。そうすると、母から電話が。

「あんた、遅いから心配で」
「タクシーが拾えないの。歩いて帰るからね」

 東京は猛暑ですが、札幌の夜は涼しい。Tシャツだけで歩いていると肌寒い。私は歩道でスーツケースを広げて、カーディガンを取り出して、着込みました。そうするとまた、母から電話が。

「どうしたの?」
「寒いから、カーディガンを着たの。スーツケースの中に入っていたから時間がかかって。もう少しで着くから」
「最近、ほら、夜中に襲われて殺されるようなニュースがあるでしょ。心配で・・・」
「大丈夫だよ。もう少しだから」

 母の”ひん死”の訴えを聞いて、何もかも投げ出し、取るものも取りあえず、東京から駆け付けた私。でも、当の母は、何度も電話を出来るほどの状態です。これはいったいどういうこと?

 私はこれまでいくつも大病を患い、何度も救急車のお世話になりましたので、それがどういう状態か身に浸みています。そんなときは周囲を気遣う余裕はありません。自分の体すら動かせない。あれよあれよという間に体調が悪化し、意識も混濁してくるのです。救急車で病院に運び込まれても、何とか自力で病院にたどり着いても、そのまま入院で、数日間はベッドから起き上がれない状態でした。

 母は、翌日私と子どもたちが札幌に行くことを十分承知で、その前日に「首が痛い。一人ぼっちで辛い!」と訴え、消え入りそうな声で、その辛さを私に訴えたのです。「じゃあ、今、札幌に行くからね」という私に対して、「大丈夫だよ。明日来るのを待っているから」とは言わなかった。だから、救急車を呼ぼうかという状態だったはず。電話口から聞こえたのは、今にも死にそうな声だった。

 母はいったいどんな状態なの? 私はとりあえず、実家への道を急ぎました。 

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