2020年6月28日日曜日

赤穂義士眠る泉岳寺へ

「私、今日、泉岳寺に行ってくる」。
夫と私、娘の3人で昼ご飯を食べていると、娘が急にそう宣言しました。息子は22日月曜日に分散登校から通常登校に切り替わり、クラスメート全員で給食を食べて帰ってきますので、先週は連日家族3人でのお昼ご飯でした。

「泉岳寺って、『赤穂浪士』のお墓があるところ?」
「そう」
「急にどうしたの?」
「歴史の時間に習って面白いなと思って、行ってみたくなったの。グーグルで検索したら、いろいろ分かったし」

 娘はとてもユニークな性格で、時折突拍子もないことを言い出します。娘の同級生のママたちが「娘が友達と原宿に行った」「男子と一緒で夜が遅くて心配」と心配ごとを言い合う中、「相変わらず、うちの娘は面白い」とほっとします。夫が言います。

「泉岳寺かぁ。懐かしいな。ダディが日本に来たとき、Iさんが連れて行ってくれた」。
Iさんは夫と私の共通の友人で、私たちが大学生のころ、同じ大学で院生として学んでいた人です。私の母と同い年で、50歳でアメリカの大学院に留学し、修士号を取得して帰国した、私たちが大好きな尊敬する友人です。

「Iさんが47ローニンについて説明してくれたなぁ」と懐かしがる夫。
「そうだったんだ。いいなぁ。東京に住んで結構長いけど、泉岳寺に行ったことない」と私。改めて数えると、私は19年も東京に住んでいます。

「ご主人さまのために、仇を討った武士たちのお墓ってどんな風なのか見てみたいの」と娘。
「一人で行くの?」
「うん」
「お友達は誘わないの?」
「だれも、お寺なんて興味ないよ。武士のお墓を見に行くなんて言ったら、はぁ?って反応だと思うよ」
「確かに。でも、家から結構遠いよ。電車は乗り換えなきゃならないと思う。ちょっと心配」
「大丈夫だよ」

 3人それぞれがiPhoneで行き方を調べると、自宅最寄り駅から、乗り換え1回で40分ほどで着くようです。夫は仕事があり、私は翌日提出の宿題に取り組んでいました。娘と一緒に行きたいなと思いましたが、宿題があるし…。

「今日、しっかり取り組めば、良い成績が取れるんだけど」と迷いました。が、50代の私が学校で良い成績を取ることより、成長していずれは家を離れるだろう娘と娘が15歳の1日を一緒に過ごすほうがずっと大切だと思いました。

 今日行かなければ、娘と一緒に泉岳寺に行く機会はもうやってこないかもしれません。明日には、娘は四十七士への興味を失うかもしれません。もしかしたら、母親と一緒に行動したがらなくなる日も近いかも。

「ママも一緒に行っていい?」
「もちろん。電車でおしゃべりできるね」

 こういう素朴な反応をしてくれて、嬉しいなぁとしみじみと思いました。昼ご飯と片付けを終えて、早速、娘と2人で家を出ました。コロナ禍で外出もままならなかったので、久しぶりの遠出です。私は電車の中で、歌舞伎座で何度も観た「仮名手本忠臣蔵」について娘に熱く語りました。

 江戸城松の廊下で、吉良上野介を切り付けざるを得なかった播磨赤穂藩の藩主・浅野内匠頭。その主君の無念を家老・大石内蔵助がひと言ひと言絞り出すように語ります。観客たちは皆、涙を流して、内蔵助の気持ちに共感します。泣きながら聞いた、大石内蔵助に扮する歌舞伎俳優・9代目松本幸四郎(現・2代目松本白鸚)のセリフが蘇ります。もちろん、正確には再現できませんが、現代語に訳して娘に伝えます。

 2年後に吉良邸に討ち入り、本懐を遂げた義士たちが幕府からの処分を待つ場面。ようやく切腹を命ぜられ、白装束をまとい、自分の番を静かに待つ義士たち。名前が呼ばれると、すくっと立ち上がり、一人また一人と舞台から消えていきます。

「吉良上野介の首は、赤穂浪士が泉岳寺の浅野内匠頭の墓前まで持っていったんだよ」
「ふーん、そうだったんだ」と娘。
「歌舞伎は面白いから今度連れていってあげる」
「ママ、私たぶん、全く分からないと思う。もう少し、日本語が上手になってから連れていってもらうね。チケット高いんでしょ? 今、連れていってもらっても、お金の無駄だよ」
こういう合理的なところは、現代っ子です。

 そんな話をしていると、あっという間に最寄り駅に着きました。お寺は電車の駅のすぐ近くの、とても分かりやすいところにありました。境内に入り、本堂をお参りしてから、墓地へ。

赤穂義士の墓前に線香を供える娘。後ろは大石内蔵助の墓
入り口でお線香を買って火をつけてもらい、浅野内匠頭と義士たちの墓前に供え、手を合わせました。一人一人の前で時間をかけ、丁寧にお参りする娘に聞いてみました。

「何て、お祈りしたの?」
「天国で、ご主人様とずっと一緒にいられますようにって祈ったの」
「そうか、そうだよね。それが四十七士の願いだよね」

 歴史上の人物の気持ちを想像し、祈りを捧げる娘を見守りながら、私は「娘がこの純粋な気持ちをこれからも持ち続けてくれますように」と祈りました。

 お墓を数えると48ありました。数え間違いかな?と思ってしおりを読んでみると、討ち入りを熱望したものの周囲の反対にあい、討ち入り前に切腹した義士・萱野三平の供養墓だそうです。

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