2020年7月5日日曜日

至福のひととき

 先日、4カ月ぶりにママ友達に会いました。3月初旬、新型コロナウイルス対策で学校が休校になってから初めてです。マスクを着用しての会話でしたが、とても楽しかった。感染の心配がない「ズームお茶会」も良いけれど、やはり、実際に会っておしゃべりするほうがずっと楽しい。

 さて、私が息子の友達のお母さんたちと話をするとき、よく聞くのが、「子どもとまだ、一緒に寝ている?」ということです。皆、「寝てるよ」と答えます。子どもが一人っ子や末っ子の場合は、夫と子供と3人でというのが大半。今回も聞いてみると、その友達は「家族4人で寝ているよ」と言います。部屋にベッドを並べて寝ているそうです。

 そんな話を聞くと、ほっとします。私も息子を真ん中にして、寝ています。息子がまだ4,5歳のころはいっとき、ベビー用のマットレスを敷いて一人で寝ていたこともありましたが、そのマットレスが小さくなってしまい、また、私のベッドに戻ってきました。今は夫か私が息子に絵本を読み聞かせ、そのまま寝てしまうということがほとんどです。

 でも、息子ももう小3。そろそろベッドを買ってあげなきゃと思います。が、一歩が踏み出せません。ベッドを買ってあげれば、息子は一人で寝るだろうし、一旦自立してしまえば、息子はもう私の元へは帰ってこないでしょう。そして、それが最も健全なことだと十分承知しているからです。だから、この幸せな時間をもう少し味わいたいと思い、親としてすべきことと親として願うことの間で、気持ちが揺れます。

 私は一日の中で、朝目覚めてからの数分間が一番好きです。実は毎朝、体調を含め将来にざわざわとした不安を感じて目覚めるのですが、目を開けると息子がすやすやと寝ていて、ほっとします。不安な気持ちがすっと消えていきます。ぎゅっと息子を抱き締めます。息子は窮屈そうに、すぐ私から離れていきます。

 目の前の、まだ幼さの残ったその柔らかな頬をなでます。夜が明けてカーテン越しに朝日が入ってくると、その薄明かりで息子の顔がよく見えます。「ああ、幸せだな。この幸せがずっと続きますように」と願います。数分間、息子の顔を見ながら幸せなときをかみしめます。

 本当はずっとそのまま息子の顔を見ていたいけど、やらなければならないことが山積みになっているので、起きてベッドを離れます。その数分間の至福のときがあるから、毎日頑張れます。

 時折、私より頭一つ分大きくなってしまった娘と寝ることがあります。そのときは息子が娘のベッドで、夫がソファで寝ます。いつも娘が「ママと寝ると、とてもよく寝られるの」と言ってくれます。朝、すっかり大きくなってしまった娘の寝顔を見ていると、切ない気持ちになります。娘が小さいころは私自身体調の悪い日が多く、娘と一緒に寝ることはほとんどできなかったからです。娘の頬をなで、娘の幸せを願います。

 息子の寝顔を見ると幸せを感じ、娘の寝顔を見ると切なさがこみ上げるー。子どもを育てていたときの自分はどう子どもと向き合っていたか、自分の心身の状態はどうだったか、で自分の気持ちの在り様もこのように違うのだと、と改めて感じる日々です。

 
 

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