2020年7月26日日曜日

日テレ「スッキリ」で紹介されました

 7月16日、日本テレビの「スッキリ」という番組で、私と家族が紹介されました。14日から3日間の日程で始まった、がんと闘う女性の特集です。制作担当の女性がとても熱心に、私の気持ちに寄り添いながらも、多くの視聴者の方に訴えるように編集してくれたので、見てくれた友人・知人から「良かったよ!」とメールやラインが続々と届きました。

 テレビ番組制作会社のMさんから撮影の依頼があったのは4月でした。拙著「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」を読んだと言い、私のことを「スッキリ」で紹介したいと言います。私は活字の世界で生きてきた人間ですので、映像の世界は全く分からないため、取材を受けて良いか迷いました。が、がんを患う若い方々の励みになるようにという番組の狙い、約1時間話したMさんに好感が持てたこと、そして本のことを私のママ友達のご主人を通じて知ったという安心感もあり、引き受けることにしました。

 新型コロナウイルス感染の心配もありましたので、最初の打ち合わせは5月のゴールデンウイーク中にテレビ会議システム「ズーム」で行いました。Mさんは30代と若いのですが、プロデューサーの女性Sさんが私と同年代。Sさんと、若かったころ男性中心の職場で頑張り「仕事も家庭も」と将来に希望を持ったけれど、50代になった現在「思い描いた通りに行かないのが人生だと実感するよね」と大笑いし、盛り上がりました。

 撮影は私がオンライン講義を受けている場面、子どもたちと料理をする場面、夫単独のインタビュー、娘と私のインタビュー、私一人のインタビュー、子どもたちと公園で遊ぶ場面。3日間で撮影の準備の時間も合わせて15、6時間はかかりました。15分間のドキュメンタリーを作るのに、こんなに時間がかかるのだと、本当に驚きました。

 あの映像をすべて見て編集するのは、気の遠くなる作業だろうなと想像しました。私も若いころ、取材し過ぎて、ノート何冊分にもなり、記事の方向性が分からなくなったことがありました。そのとき、先輩から「取材は”決め打ち”で行ったほうが、効率が良い」と助言を受けました。

 その先輩の助言は時間が限られた中での取材・記事化という観点からは一理ありますが、私は今でも方向性を決めて取材をするのではなく、取材をして浮かび上がったものを記事にするほうがより真実に近いものになると考えています。Mさんは、「あの部分を使おう」とある程度目星をつけて映像を見直すのだろうと想像しますが、それでも15分間に収めるのは大変だろうなと考えます。

 さて、撮影を終え、Mさんとの電話やメールでの確認作業もひと段落ついた放送日1週間ほど前、突然札幌や大阪、仙台の友人たちから「予告見たよ!むっちゃん、テレビに出るの?」と次々と問い合わせがあり、仰天しました。Mさんに確認すると、短い予告が放映日前日まで出るとのこと。さっそく翌日番組を見て予告内容を確認しました。

番組で紹介された予告
予告では、初日は胃がんと闘い亡くなった若いお母さん、2日目は小児がんの子どもを育てるお母さん、3日目はがんを患いながら子どもを産んだ私が紹介されました。それまでは友人たちにも番組に出ることは知らせていなかったのですが、予告を見て「これだったら大丈夫だろう」と判断し、親しい友人と従妹にだけは知らせました。

 新聞記事もそうですが、取材者側は記事や映像がどういう作りになるのか、事前に取材を受けたくれた人にお見せすることはありません。それは新人時代に、先輩や上司から厳しく言われます。担当のMさんから全体の流れについては説明を受けましたが、最終的にどのように仕上がっているかは分かりませんでしたので、不安はありました。ですので、知らせる相手は、たとえ視聴者に誤解を招くような表現等があっても、私との関係性は揺らがないだろうという友人だけにし、知らせることにより逆に「見なければ」と負担をかけてしまう友人には伝えませんでした。いらぬ心配をかけてはいけませんので、母にも知らせませんでした。

 同時期に、息子の小学校の保護者会がありました。そこで何人ものお母さんに「予告見たよ!さっそく録画予約した」と声をかけられ、「スッキリ」の人気に驚くとともに、こういう形で見てもらうのが、おそらく一番良いのだろうなと思いました。
 
 さて、番組は夫と私と娘の3人で見ました。私の闘病時のたいへんだったことを思い出したのでしょうか、夫も娘も泣いていました。私はこの番組を見て、傷つく人がなるべくいないようにということを最も気にしてMさんにも伝えてありましたので、その視点で見ました。見終わったときはほっとしました。私は病気をしても子どもに恵まれましたが、望んでも恵まれない方はたくさんいます。そういう方々を傷つけるのは本意でありません。

 番組の後、私の新聞社時代の同期入社の女性で、比較的早くに会社を辞めた友人からフェイスブックにメッセージがありました。私の友人がフェイスブックで番組のことを紹介してくれ、それをその友人が読んで、番組を見てくれたという経緯でした。

「観たあと、しばらく動けなかった。ものすごいインパクトで。話したいこと、いっぱいあるわ」
 彼女はまさに今、健康に問題を抱えていました。本を出したことを知らせていなかったのですが、これをきっかけに本を贈らせてもらいました。

 私の新人時代の上司で、今も交流を続けている先輩からも心温まるメールをもらいました。
「テレビが伝えた病気と妊娠、悲しい出産、退職の決断、そして続いた新たな疾患、でも今は医療ジャーナリストとして記事を発信している。大学院でも学んでいる。それら全部を私は知っているつもりだったけれど、本当の苦痛は理解しきれていなかった」

 とんでもない。その先輩にはどれだけ励ましてもらったことか。

 3日間にわたる特集の最初の日は30代の女性でした。がんと闘う姿を世の中に発信し続け、あの世に旅立ちました。同じようにがんを患っても生き続けている私を見たご家族が悲しい思いをされたのではないかと心配ですが、もう、それは私にはどうにもできないことなのだと、と考えることにしました。

 その女性は双子の娘さんをこの世に残しました。が、私は双子の一人をこの世に迎え入れることが出来なかった。2日目に登場した女性は自身は母親として動ける健康状態にありますが、がんを患う子どもを支えるという自分ががんと闘うよりもずっと大変な日々を送っている。人の人生はどの角度から見るかで、見え方が変わってきます。

 番組制作者や記者が世の中に何かを伝えたいと考え、番組や記事を作り、発信する。それを視聴者や読者がどう受け止めるかは、もう、制作者の力の及ぶところではありません。伝える側が出来ることは、受け手にも様々な事情があるのだとということを忘れずに、番組を作り、記事を書くことだと思います。

 テレビに出るという初めての体験。その制作過程の大変さを知るとともに、テレビの力を再認識しました。放映が終わり、ほっとしたというのが今の心境です。
 

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