2020年7月13日月曜日

悲しいポジティブ

 新型コロナウイルス対策のため学校が閉鎖になり、一部再開したものの今だオンライン授業が続く大学院。現在、3課目を受講しており、すべてテレビ会議システム「Zoom」を使って行われています。この3課目のうちの1つ、生物統計学のプログラミングの授業には、全くついていっていません。

 講義は、受講生それぞれが統計ソフトを購入し、先生がパワーポイントで作ったレジュメを使って、ズームを通して指導するという方法で進みます。先生の画面ではその会計ソフトが次々と動くのですが、これが、自分で一人でやると、何をやっても動かない。

 あれこれ画面で支持をするのですが、全く動かない。動かないとそれから作業が進まない。時間ばかりが過ぎます。「先生、動かないんです!」と講義室で質問できたら、どんなに良いでしょう。

 仕方がないので、グーグルで検索します。ガイド(これも紙ではなくデジタル)を調べてみようとしますが、なんと2000ページ以上もあるので、どこから調べて良いのかもわかりません。目次を見てもチンプンカンプン。私の仕事は書く仕事です。取材ノートとワードが入ったパソコンと辞書さえあれば、少なくとも作業は進みます。でも、この統計ソフトはどうやっても分からないのです。

 いったい、何十時間を初歩的なことに費やしたでしょうか。もう一つの生物統計学の授業は、少なくとも分厚いテキストを何度も何度も読み返せば、何とか分かります。先日は努力の甲斐あり、中間テストでクラス最高点を取りました(費やした時間は私が一番多いという自負があります)。でも、このプログラミングの授業は違います。どうやっても、画面が動かないのです。

 うなりながら、そして、時に涙を浮かべながら、パソコンの前でキーボードをたたいていると、娘が言いました。

「ママって、悲しいポジティブだよね。生き方はポジティブなんだけど、悲しいの」

悲しいポジティブー。言い得て妙ではありませんか。私は、娘の言葉の感性の良さに感心しました。

「それ、どういう意味?」
「誰も、50代になって若くて頭の良い人たちと一緒に勉強しようなんて、考えないと思うし、辛いのは分かるからチャレンジしたいとも思わないと思う。それをチャレンジするママって悲しいポジティブだなって思うの」

「それってさ、いわゆる、イタいというやつ?」
「ううん、イタくはない。イタいというのは、たとえば若くないのに頑張って若く見せようとしているオバサンたちのことをいうでしょ。ママは違うんだよね。イタくはないの。何で、そこまで頑張るの?と周りが悲しく思ってしまうようなことをするってこと」

「うーん、そうかぁ。ママはこれでもやりたかったことをしているから、満足なんだけどね。大学院には前から行こうと考えていたし、準備もしていたけど、病気が重なって出来なかっただけだから」

「でもさ、それはさ、ママは病気で体が思うように動かなかった時間を取り戻そうとしているんでしょ。今、やりたいというより、過去にやりたかったけど、病気で出来なかったから、体調が良くなった今やろうということでしょ」

「そういえば、そうかもね。元気なうちにと気持ちが焦って、『人生やり残したリスト』を一つ一つ消している作業に近いかもしれない」

「それが悲しいんだよ、ママ。せっかく元気になったんだから、もっとリラックスして、楽しんだほうがいいよ」

 子は親の背中を見て育つといいます。私自身、一生懸命に生きれば子どもたちがそこから学んでくれるかもしれないと期待をしていました。が、実際は違うようです。年を重ねても頑張っている背中は、子どもの目にはもの悲しく映るものなのですね。

 そんな話を娘としていたときに、会社員時代、同僚たちとの飲み会で話題になったことを思い出しました。「普通のおばさんになりたい」と芸能界を引退した演歌歌手の話題です。その演歌歌手には以前のような声量はなく、しゃがれた声を絞り出すように歌っていました。その姿をテレビで見て悲しく感じたという感想を私が言ったときのことです。

 その中にいた一番年上の先輩記者はこう言いました。
「もうしゃがれた声しか出ない。でも、それでもファンの前で精一杯歌っている。その姿に、中年のおじさん・おばさんは共感するんだよ。誰も以前の美しい声なんて期待していないさ」

 当時、その演歌歌手の姿を見て「そこまでしなくても、引退したままで良かったのに。その方が引き際が綺麗だったのに」と思っていた私。今は、その演歌歌手の気持ちが、痛いほど分かります。そして、私が当時持った印象は、私の若さゆえのものだったということも。
娘が勉強する私のところに持ってきてくれたお茶と手作りのメレンゲとフルーツ。
「まま、勉強がんばって!応援しているぞ!大好き」というメッセージ付きでした

 娘の目には「悲しいポジティブ」に映ってしまった私。でも、娘も年を重ねて、私ぐらいの年齢になったときには、私の気持ちを分かってくれるのではないかと期待しています。いえ、娘なら、きっと分かってくれると思っています。
 

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