2024年1月27日土曜日

休憩列車

  先週の木金と娘の引っ越しを手伝い、土日に母と夫の誕生日パーティをし、充実していたけど疲れたとついこのブログで愚痴を言ってしまいました。実は疲れた原因はもう一つあり、ちょっと珍しい経験でしたので、お伝えしたいと思います。

 金曜日、21時半の京都駅発の新幹線で新横浜駅まで戻ったときのこと。途中、浜松駅駅~三河安城駅間で停電が発生した影響で、約1時間新幹線が止まりました。娘はぐっすりと寝ていましたが、私は「終電に間に合わないかも」と不安を感じながら、運転再開を待っていました。

 ようやく、走り出したものの、車内アナウンスで到着は深夜0時40分ぐらいになること、東京駅で「休憩列車」を用意しているとの案内がありました。初めは聞き取れず、何のことを言っているのか分かりませんでした。が、アナウンスが数回繰り返されたので、ようやく終電の時刻を過ぎているので、東京駅のホームに準備された列車で休むことが出来るのだと理解しました。

 飛行機ですと、空港内で配られた毛布などにくるまりながら休むみたいな感じですね。

 その列車で休むとすると、翌日の始発電車で自宅に帰宅することになります。でも、翌日は母の誕生日。プレゼントをまだ購入していなかったため、朝一番でデパートに行き、購入する予定を立てていました。そして、午後3時からの息子の塾の時間に間に合わせるために、早めに母と一緒にレストランで食事をし、その帰りに注文していたケーキを取りに行き、自宅でお祝いするという計画がすべてずれ込みます。それがずれ込むと翌日の夫の誕生日のために、母の誕生日祝いが終わった後に食事の仕込みやケーキ作りをするといった作業も遅れます。

 私たちが下りる予定だった新横浜駅は東京駅の手前の駅。新横浜駅で降りればタクシーで2,30分で家に着きますが、かなりの乗客が新横浜駅で下車すると予想され、後続の新幹線からも下車するので、タクシーをつかまえられるかも分かりません。夫は息子と一緒に寝ていますので、起こして「迎えに来て」と頼むのも申し訳なく…。

 娘が起きたので、「新幹線が終電の時間が過ぎた後に着くの。東京駅で休める列車を用意してくれるようなんだけど、どうする?」と聞いてみました。娘は目を輝かせ、「そんな珍しい体験出来ないから、それもいいじゃん」と言います。で、スマホでその列車に乗った人たちの体験談を読んでみると、グリーン席など良い席を素早く確保できる人もいれば、もたもたしていると座席もなく、ベンチで寝る人もいるとのこと。

 娘と私は大型スーツケースにボストンバッグ、それにいくつもの袋に荷物をぎっしり詰め込んで持っていましたので、素早く動くのは不可能。東京駅に行っても、ベンチで休むことになるかもしれないと考え、新横浜駅で降りることにしました。夫にメールで連絡しましたが、「タクシーに乗って帰ってきて。気を付けて」とあっさり。

 駅に降りても、大荷物ですので動きが遅く、タクシー乗り場にようやくたどり着いたときは長蛇の列。駅構内の乗り場からずっと続いている列の最後尾は外で、ぶるぶる震えながら、待ちました。あまりに寒いのと、いつタクシーに乗れるのか見通しが立たないため、娘が夫に「ダディ、迎えに来て!」と電話をしたのが午前1時半近くでした。

 夫は熟睡していたようでしたが、すぐ支度をして迎えに来てくれました。深夜でしたので車道に車も少なく、自宅からは約20分で新横浜駅に着きました。タクシー乗り場には沢山の人が待っており、申し訳ない気持ちになりながら、車に乗り込みました。娘を連れていましたので、無事に自宅に帰れて、安堵しました。

 新横浜駅に到着する5分ほど前まで、どうしようか随分迷いました。こういうときの判断はなかなか難しい。寒空の下、ずっとタクシーを待ち続ける事態も考えられましたが、結果的に夫が迎えに来てくれたので良かったです。娘が終始明るかったのが救いでした。

 

2024年1月25日木曜日

会いたい人に会いに行く ①大阪のあみちゃん

  昨年12月に胃がんの内視鏡出術をし、心に決めたことがあります。家族との時間をこれまで以上に大切にすること、友人たちとの縁を大切にすること、会いたくてもなかなか会えなかった人に、会いに行くこと。20年前に血液がんを患ってから、日々大切に生きてきたつもりですが、2つ目のがんの治療をし、元気なうちに会いたい人に会いに行こうと思ったのです。

 私には時折ランチやお茶をするママ友(皆すごい年下ですが、仲良くしてもらっています)、親友やかつての職場の同僚など、頻繁ではありませんが、年に1度ぐらいは会う友人がいます。そういう人たちとの時間はそれは楽しく、これからも連絡を取り合いながら、ご縁を大切にしていきたいと思っています。

 会えないのは、遠方に住んでいて、年賀状やたまにメールで連絡を取り合っている友人たち。「今年は会おうね」「温泉に行きたいね」と言いつつ、お互いに子育てや仕事が忙しくて、会えないうちに5年10年20年と経ってしまった。そういう友人たちに、会いに行こうと決めたのです。

 その一人目は、大阪に住むあみちゃん。新聞社に勤務していて、共通の友人を通じて知り合い、それ以来、親しくさせてもらっている人です。あみちゃんは一人っ子で、夫が年下の外国人、娘と同い年の長男君、そして、息子より一つ年上の次男君と年の離れた子供が2人いるという共通点があります。私より14歳も年下なのですが、とても、気が合うのです。

 あみちゃんご家族が東京から大阪に引っ越しをしたのは、かれこれ十数年も前のことです。その間、一度、家族で我が家に遊びに来てくれワイワイと楽しい時間を過ごしました。でも、私のほうから関西に行くことができませんでした。で、今回、娘の引っ越しの手伝いをするために茨木市に行くのに合わせて連絡をし、会うことになったのです。

 茨木市内のイタリアンレストランで久しぶりに会ったあみちゃんは相変わらず元気。以前より、お話の面白さに拍車がかかったのは、やはり、大阪に住んでいるからでしょうか? 今回は残念ながら息子君たちは学校が忙しく会えなかったのですが、旦那さんが来てくれ、娘と4人で、盛り上がりました。

 最後はお店の前で大きなハグをして、お別れしました。今度は大きくなった息子君たちにも会いたいなぁ。幼なじみの娘と長男君は照れながら静かにおしゃべりし、息子と次男君はゲームで盛り上がるんだろうなぁと想像しています。

 

2024年1月23日火曜日

くたくた

  2024年1月22日午前1時50分。くたくたに疲れているのに、目が覚めてしまいました。おそらく、これから寝ようと思っても、寝られないのが経験的にわかっているので、起きてこうしてパソコンに向かっています。

 こういうときは、執筆中の論文の続きを書けば良いのですが、今進めている書き直しには、多大なエネルギーを要するので、寝られない真夜中の作業には向きません。ですので、自分の考えたことを素直に文章にできる、このブログを書くことにしました。

 くたくたの原因は、この4日間の忙しさでした。まずは、娘の引っ越しの手伝い。続けて20日の母の誕生日、21日の夫の誕生日のお祝いでした。娘の負担を軽くし、母や夫に喜んでもらうよう、いろいろ準備を進めており、引っ越しは無事終わり、良い誕生日イベントになったと思います。が、やはり、4日連続は疲れました。午後9時ごろには布団に入りましたが、また、真夜中に目が覚めてしまいました。

 実は18日、娘の大学に行く前に京都市内にある漢方診療内科を受診しました。著書もある高齢の女性の先生で、育児のために退職そして子育てが終わる50代に復職して、80代でご自身のクリニックを開業するという人生経験が豊富な方です。この方に、私の心の内を話し、適切な漢方薬を処方してほしいと願っていました。

 30分ほどの診療時間で6つのテストをしましたが、私にはうつ病も神経症も、何も当てはまる心の病気はなく(私はこれらの疾患はないと自覚はしています)、また、貧血、めまい、のどの異物感、動悸などの更年期障害の症状もない。

 私が抱えている問題を聞いてもらいアドバイスがほしかったのですが、更年期障害に伴う症状を和らげる漢方薬と、のどの異物感や動機・めまいなどの症状を抑える薬を処方してもらい、診察時間は終わりました。いずれの症状もないので、薬は買いましたが、飲んでいません。

 私の問題は、自己形成期に遡った環境要因、その後のキャリア形成の闘病での中断、長期間の闘病や、社会復帰途中での経験など、様々な要因が絡み合っていると考えています。まぁ、「そんなもの、自分で解決しなさい」ということだとは分かっているのですが…。

  と、愚痴をこぼしてしまいました。今、午前3時です。眠くはありませんが、布団に戻って、横になります。

2024年1月20日土曜日

娘の大学へ

  18日(木)、19日(金)と2日間の日程で、関西の大学を退学する娘の手伝いに行ってきました。昨年9月に入学し、この大学での学生生活に満足していた娘ですが、アートを学びたいーと出願して合格をいただいたオーストラリアの大学に2月に入学します。

 クリスマスに帰省したときに、1月はどうしたら良いか、相談されていました。取得単位の移行はしないのでそのまま退学も出来ましたが、「立つ鳥跡を濁さず、だよ」と娘には最後まできちんと講義に出席し、課題を提出し、試験も受け、全力で取り組むようアドバイスしてました。娘も私のアドバイスをきちんと聞いてくれ、今学期最後の19日の講義もしっかり受講しました。

 娘は寮に住んでおり、多くの学生が卒業か近隣のアパートに引っ越しするなどで、18、19日に退寮していました。部屋の前の廊下には、スーツケースや段ボールが置かれ、ゴミ収集エリアには大量の物が捨てられていました。「まだ、使えそうなのになぁ」ともったいなく感じてしまったのは、やはり、年でしょうか。

 娘の部屋の前の廊下で作業をしていると、隣の部屋の学生の退寮手続きをしていた職員の女性が「お母さまですか?」と声を掛けてきました。「はい」と返事をすると、「ご家族は共用スペースまでになっています」と注意を受けました。「あっ、すみません!」と平謝り。でもその女性も笑っていましたので、きっと、見逃してくれたのでしょう。

 私は今回大型スーツケースと大きな袋などを持参し、娘も大型スーツケースやボストンバッグを持っていっていました。娘も私も捨てられない人間なので、それらにぎゅうぎゅう詰めしました。それでも、収まり切らず、段ボール箱2つを自宅に送りました。捨てられない娘が段ボール箱を取っておいてくれて、助かりました。たった5ヶ月間の滞在でしたが、結構な量の物でした。

 食事は18日の昼食は近くのモールのフードコート、夕食は近隣のイタリアンレストランで。19日の朝・昼食ともに食堂で食べました。食堂では栄養のバランスの取れたメニューをいくつも作っていて、娘とおしゃべりしながら、美味しく頂きました。キャンパスを歩いたり、食堂で食事をしたり、寮で娘の手伝いをしがら、改めて、この学校の良さを実感しました。残念ですが、たった1学期だけど、娘が楽しく学べたことに感謝。

大学の食堂でランチ

 娘がこの大学で学んだお陰で、家族でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行くことが出来ました。一緒に行った母はアトラクションを楽しんだ次の日に娘の大学にも寄り、キャンパス内を見学し、食堂で一緒にご飯を食べましたので、良い想い出になったと思います。また、私も入学式を含め娘の大学には3回来ましたので、娘との時間を楽しめました。

 すべての荷物を詰め終わり、寮の管理人さんに部屋のチェックをしてもらい、鍵を渡したのは午後4時半。娘はその後、お友達とクレープを食べに、モールに出掛けました。私はキャンパス内のレストランで、一人、スパークリングワインを飲みながら、娘を待ちました。娘が私たちの元を巣立ってもこうして一緒の時間を楽しむことが出来て、幸せだなぁと思った2日間でした。

 

娘がお友達と会っている間、私はキャンパス内のレストランでスパークリングワインを

キャンパスの夜の風景


2024年1月19日金曜日

きりたんぽ鍋

  関西の大学で寮生活を送る大学1年生の娘は、食事のほとんどを自炊しています。時折、美味しくできた料理の写真をメールに添付して送ってくれますし、フェイスタイム(ビデオ電話)で話すときは、共有キッチンで料理しながらーということが多い。

 そんな娘が先日、「今日はきりたんぽ鍋にしたの!」と料理中にフェイスタイムで電話をくれました。鍋のスープを買ってきて、鶏のモモ肉、ネギ、エノキ、豆腐、油揚げ、ラーメンを入れるといいます。

「ママ、モモ肉はどうするの?」

「モモ肉は皮を取って、ざく切りにして。その間にスープを温めておいて沸騰したら、その中に入れる。そうすると、モモ肉からダシが出て、スープが美味しくなるんだよ。その後に、野菜を入れるの」

「モモ肉、皮を取って切ったけど、鍋の中で炒めちゃった。でも、油は使っていないよ。肉から自然に脂が出るから」

「じゃあ、その中にスープ入れて、沸騰したら野菜や豆腐を入れてね。ラーメンは伸びるから、全部煮立ってから、最後に入れるんだよ」

「あっ、そうなんだ。一緒に入れようと思っていた。ママ、きりたんぽ自分で作ったんだよ!」

「すごいねぇ~。ママは作ったことないよ」

「だって、高いんだもん。で、炊いたご飯をしゃもじでつぶしてまとめて、細長くしてみた」

「見せて~」

 娘はトースターで焼いている、きりたんぽを見せてくれました。焼き目をつけているそう。その写真もそく送ってくれました。

娘が作った手作りのきりたんぽ

 そんな風に、調理途中の娘とフェイスタイムでお話しするのは、本当に楽しい。娘によると、キッチンを使っている学生はほとんどいなく、「私、この広いキッチン、独り占めしているの」と言います。学生たちの多くは食堂で食べたり、お弁当を買ってきたり、冷凍食品を温めたりして、食べているようです。

 親元を離れて寮生活を送る娘が、こうして日々きちんと自炊をしていることを、母親の私はとても嬉しく思っています。

鍋の具材は良い具合に煮え、あとはきりたんぽを入れるだけ

きりたんぽは切って、最後に入れます。「きりたんぽ、美味しそうに出きたよ」と娘

自室に戻って、「いただきまぁす!」と言い、食べようとする写真も送ってくれました

2024年1月14日日曜日

息子の中学校入試始まる

  今日は、中学校受験をする息子の最初の試験日でした。先日、このブログで報告した、九州の中高一貫校の首都圏で行われる入試です。

 東京都内と神奈川県の学校の試験は2月1日に始まりますので、そちらの学校を目標とする子供たちの多くは、1月に試験日を設ける千葉・埼玉県などの学校で力試しをします。自分が行きたい学校と同等のレベルを受験する子もいれば、比較的入りやすい学校を受ける子もいます。

 息子が受験したのは入りやすいとされる学校。でも、息子の場合はどの学校もチャレンジングですので、気は抜けません。時間に余裕を持って準備し、受験票と筆記用具などリュックサックの中の持ち物を再確認して、家を出ました。

 電車に乗り込むと、息子がリュックサックから算数の問題集を取り出し、問題を解き始めました。

「えっ、いま? これまで3年間勉強する時間たっぷりあったのに? 昨日だって、注意されるまでユーチューブ見てたじゃない?」

 なんか、面白いなぁと息子を眺めました。息子なりに緊張しているのでしょう。電車の中で問題集を広げる息子の姿を見るなんて、これが最初で最後かもと思い、記念にとスマホでパチリ。


「ママぁ、やめてくれる?」

「だって、電車の中で勉強するなんて初めてだから、記録に残さなきゃ」

 ほどなく、受験会場の最寄り駅に着きました。試験会場は私立大学の校舎です。そこへ行く道すがら、わたしは、首都圏の中学受験が何たるかを知ることになりました。

 歩道を埋め尽くすような人数の親子がその受験会場に向かって歩いています。首都圏から最も遠い県の中学校にこれだけの子が受験するのか、と仰天しました。おそらく、ほとんどの子供が力試しでしょう。

 合格をいただいても行かない学校の試験を受けること自体が、その学校に対して失礼だと考え躊躇した私がナイーブでした。遠方の学校の首都圏入試では、本番の試験前に力試しをしたい受験生と首都圏の大学の校舎を借りて入学予定のない大量の子供たちを受験させたい理由を持つ学校と、両方の思惑が一致しているのですね。受験料をちゃんと払っているので、遠慮なんていらなかったのです。

 それにしても、これだけの人数の子供が受験して、合否判定はどう出すのでしょう?

 この学校はWeb上での申請時に「専願」か「併願」か、聞いてきました。ですので、この学校だけ受ける子にまず合格を出すのは、わかります。で、それ以外に合格を出しても入学しないと考えられる子供たちへの合否の判定はどうするのでしょう?

 シンプルに点数だとは思いますが、不合格を多く出すと、次年度からは「あそこは不合格も少なからず出すので、力試し受験には勧めない」ということになりそうですので、沢山の受験生を集めることに重きをおく学校はおそらく、かなり低い点数を設定するでしょう。でも、実際に入学する学生が、募集人数をぐんと上回る可能性もありますので判断は簡単ではないような気がします。

 会場へ向かう途中、息子がぽつりと言いました。

「僕のクラスで何人かが、埼玉県の●●●を受けたんだ。で、1人落ちたんだよね。落ち込んでいた」

 そうだろうな、と思いました。塾が、まずは合格をいただいて子供に自信をつけさせようと受けさせた、学校に落ちる。これは、かなり子供や親を動揺させるだろうと想像しました。塾側も、親も、どうやって子供の気持ちを立て直すのでしょう。

 先日、塾で開かれた保護者会で、塾長が「希望していた学校に合格をいただいて、それは喜んで塾に来て報告をしてくれるお子さんがいます。私たちも大変嬉しいのですが、まだ他の子供たちが試験を受けている間は、できるだけお電話で報告をお願いします。私たち講師は、落ちた子の対応に全力を注ぎたいので」と仰っていました。とても、共感しました。

 さて、試験会場に着くと、子供たちが続々と校舎のほうに向かって歩いていきます。一緒に行こうとした親に、案内係の人が「こちらからは受験生のみ入っていただきます」と注意しています。親の方に何度も振り返り手を振る子。まっすぐ、走っていく子。そして、我が息子はこちらを振り返ることもなく、スタスタと歩いて行きました。

 息子を見送ってから、私は駅前にあるミスタードーナッツへ。8時の開店前に並ぶ、同じように子供が終わるまで待つのであろうお父さんお母さんたちの後ろに並びました。開店と同時に店内に入り、ドーナツ2個とコーヒーを注文。息子が終わるまでの3時間をそこで過ごさせてもらいました。論文書きが進んでいないので、パソコンと資料を持っていきましたが、全く手が付けられませんでした。

 午前11時、校舎の前で、たくさんのお父さんお母さんたちと一緒に息子を待ちました。息子がこちらに駆けてきました。

「お疲れ様。どうだった?」

「国語はまぁまぁ。算数は割とできたよ」

「そう、頑張ったね。お昼ご飯ここで食べる?」

「うん!」

 息子と私は駅から続く商店街に向かい、「ここがいい」と息子が選んだラーメン店に入りました。息子は担々麺、私は味噌ラーメンを注文しました。試験前の少し緊張気味だった表情とは打って変わって、息子はリラックスした表情で美味しそうにラーメンをすすりました。そんな息子を見ながら、私もほっとしたのでした。



 

2024年1月10日水曜日

息子の出願書類を書きながら

  能登半島地震により、亡くなった方々が毎日増えています。亡くなられた方もそして、残されたご家族の方も、どれほど無念だっただろうと思うといたたまれません。

 8日の新聞で、52歳の男性が義父母と次男のご遺体を確認し、妻と長男、三男、長女、そして妻の弟夫婦とその子供の7人が行方不明という記事を読みました。行方不明だったご家族が無事であることを祈っていましたが、全員の死亡を確認されたという記事を昨日読みました。記事には笑顔の家族写真が添えられており、この男性はどうやって、これから生きていかれるのだろうと胸が痛みました。

 たまたま、仕事で元旦の集まりには遅れて行く予定だったという男性。自分もその場にいたかったーと思われているに違いないと想像しました。想像を絶するようなことで、私ならどう思うなどと軽々しいことを言ってはならないとは承知していますが、私なら、一緒に死にたかったーとその場にいられなかっためぐり合わせを呪うような気がします。

 これほどの悲しみをどう癒していかれるのかー。心許すお友達やご自身のご実家の家族に気持ちを吐露し、少しでも心が休まる時間を過ごされますようにーと願わずにはいられません。

 震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

        ***

 一昨日、息子が2月に受験する学校に出願書類を送付しました。インターネットによる簡単な出願が多い中、この学校は在籍する小学校からの書類提出を求め、保護者の視点による志望の理由、志願者である子供が最もアピールできる活動についても保護者の視点で記述する書類がありました。

 活動報告書については1)家庭での活動2)学校での活動3)家庭・学校以外の場での活動のいずれかを選び、それについて具体的な取り組みの説明を書くことになっています。週末、考え抜いて、書きました。書いて読み終えてみると、親バカですが、息子はなかなか魅力的な子供だなぁと思いました。

 私が書いたのは、小学校の駅伝選手に選ばれたことです。息子は幼稚園から週2回の水泳、小学校1年生から週1回かけっこ教室に通い、体を鍛えてきました。3年生の3学期から塾に通い始めても運動は辞めず、5年生になってから水泳は週1回にしたものの今も継続、かけっこ教室もこの春に一旦辞めましたが、駅伝大会の前にまた、再開しました。駅伝選手に選ばれてからは、朝練にも真面目に参加し、本番の大会でも一生懸命走り、たすきをつなぎました。

 そのほか、英検準1級も5年生のときに合格し、ヴァイオリンも2歳から続けています。ヴァイオリンのレッスンは今月だけはお休みしましたが、昨年末までは続けており、また、受験の後にはすぐ再開し、3月には発表会に出ます。

 家庭科が得意で、ミシン掛けも料理もします。学校では図書委員になり、前学期には図書委員長も務めました。

 でも、です。勉強が嫌いなんです。大嫌いなんです。「勉強しなさい」と言われないと、ずっとユーチューブでゲーム攻略の動画を見ているんです。だから、成績も悪い。時折、「えっ、世の中にこんな偏差値が存在するの?」という偏差値を取ってくるんです。塾の先生にも「どこにも受からない可能性があります」なんて、言われてしまうんです。

 出願書類を書きながら、「この子はこんなに魅力のある子なのに…」と思いつつ、点数で勝負する中学校受験には息子は向かなかったなぁ、とこちらに進めてしまったことを反省しました。でも、最後のひと踏ん張りで、息子には頑張ってほしい。どこかに合格をいただければーと願ったのでした。

玄関に飾っている栗。昨年の秋、私がジョギングの途中で拾って飾ると、息子が学校の帰り道に拾って、ここに加えてくれました。息子にはそんな素朴な、素敵なところもあります



 

 

 

2024年1月7日日曜日

今年の目標

  元旦に発生した能登半島地震により亡くなった方は6日で126人になったそうです。ニュースで現場の状況を見るたびに、被害の大きさに胸が詰まります。お年の方が「この先どうなるのだろう」とつぶやいていらっしゃるのを見ると、家族や家、生活の基盤を失って、このお年で、どうやって暮らしを建て直していかれるのだろう?と本当にお気の毒に思います。

 家族を失うこと、病気、そして災害など、人生には様々な困難が降りかかります。今回のような震災に遭われた方々の困難は想像を絶しますが、与えられた試練の中で何とか生きていこうと皆さん頑張られているのだろうと想像します。被災された方々に一日も早く十分な支援が届きますようと願いつつ、私ができることは、自分自身の人生をしっかりと生きていくことだと考えています。

                ***

「What is your new year's resolution (新年の抱負は)?」

 新年を迎え、我が家ではそんな質問をし合いました。夫が言います。

「痩せることかなぁ? 痩せて、この背中の痛みを取ること」。夫は昨年から背中の痛みに悩まされています。身長が高いことから、姿勢が悪く、いつも前かがみでいることが癖になってしまい、背中が痛いらしいのです。その上に、年齢を重ねてお腹周りが太くなり、背中に負担がかかっていると考えているよう。私もそうですが、お腹周りをすっきりするのは本当に難しい。

「私はメンタルヘルスを良くすること」というのは娘。

「えっ、そんなに若いのにメンタルヘルス?」

「そう、いろいろストレスがあるから」

 昨年秋に入学した大学を辞め、これから、オーストラリアの大学に行きますので、不安もあるのでしょう。

 息子が続きます。「僕もメンタルヘルス」。「えっ?まだ小学生なのに?」 そうかぁ、中学校受験で、息子自体は平常心で追い込まれもしていませんし、焦ってもいないのですが、両親からの「少しぐらいは勉強しなさい」のプレッシャーが嫌なのですね。でもなぁ、言わなければ、ずっとユーチューブ見てますし…。

「ママは?」と娘に聞かれました。で、昨年末に一年を振り返り、いろいろ反省をして今年の目標を立てたので、それを答えました。

「アウトプットを増やすことかなぁ?」

「ママぁ…。もう十分アウトプットしているよ」と大笑いする娘。そして、「去年は病気もしたし、もう少し気楽なほうが良いかも」とアドバイスをくれました。あっ、子供が母親に期待する言葉を言うべきだったとすぐ反省し、目標とは別に2024年の辰年をどのような年にしたいか考えていましたので、そちらを伝えました。

「楽しく暮らすこと」。「それ、いいね」とにこにこ頷く娘。

 実は昨年末、「楽しく暮らすこと」のリストを作っていました。一番したいのは、今年は還暦!ですので、同い年の親しい友人たちと一緒に祝うことです。

 室蘭にいる、もう30年来会っていないけど、文通で近況報告をし合っている、かつての新聞記者仲間の直美ちゃん。毎年、「今年は会いたいね」と言いつつ、子育ても忙しく、会えませんでした。同い年の娘を持つ私たちは、それぞれの子供が大学進学で巣立ちましたので、今年こそ!と願っています。

 そして、札幌と千葉に住む、高校時代の親友みやちゃんとななちゃん。箸が転んでもおかしい年ごろの私たちは、いつも、大笑いしていました。その後、それぞれの道を歩み、苦労もしました。「人生、いろいろあったけど、ここまで何とか来たよね」とゆっくり温泉にでもつかって、高校時代の思い出話をして、大笑いしたい。

 そして、仙台の章子と、札幌のともちゃん。若いころはパワフルに行動していたけど、それぞれががんを患い、人生の軌道修正もしなければなりませんでした。それも過去のこととなり、子供たちも大きくなったので(私の場合は、まだ小6ですが…)、一緒に「お互い、頑張ったよね」と振り返りながら、たくさんおしゃべりをしたい。

 昨年、がんを通じての活動で知り合ったママさんの一人がフェイスブックで「会いたい人に、今、会いに行く」をテーマに、投稿しています。がんを患うと、人生が有限であることをしみじみと実感します。私も昨年、2つ目のがんを患いましたので、改めて、会いたいけど会えていない人にぜひ、会おうーと思うようになりました。

 今年は、愛しい年女たちに会いにいこうと決意したお正月でした。 

2024年1月6日土曜日

母の朝食②

  年末の朝、母にのし餅や和菓子など年越しの食べ物を届けにいったときのこと。母はちょうど朝ごはんを食べるときでした。

「大掃除していたから、朝ごはんを食べるの遅くなって…」という母の朝食を見て、感心しました。昨年の夏もたまたま朝食時に母の家を訪れ、綺麗に盛り付けられた朝食を見て驚いたときと同じです。

 この日のメニューは野菜がたくさん入ったお味噌汁、鮭をまぶしたご飯、キャベツの千切り、カニ、ポーチドエッグ、ナスの煮びたし、カボチャの煮つけ、ミニトマト、納豆、枝豆、キムチ、そしてバナナ。おかずは大きな皿に綺麗に盛り付けています。

「お母さん、すごいね。こんなに丁寧に食事作っているんだね」

「そう? 毎日そうしているから、別に丁寧もなにも……。それに作り置いているのを少しずつ付けるだけだから。このカニも久しぶりに買ったんだけど、食べ切れなくて、これがようやく最後のひと切れ」

 意外なことを褒められて、どう反応していいやらという表情の母。「写真うつさせてもらうからね」と、私は携帯電話を取り出し、パチリ。

 母は毎日、こうして自分自身のために、丁寧にご飯を作っているのですね。このように丁寧に食事を作る高齢者は、いや、高齢者でなくても、なかなかいないだろうな、と思います。元々、母は食べることをとても大切にする人でしたが、高齢になっても、それは変わらないようです。

 母がいつまでもシャープで、元気にいられるのは、このように食事を大切にするからだなと思います。天国にいる、とし子叔母さん(母の姉)もそうでした。料理が大好きで、90歳を越えても一人暮らしで、自分で買い物に行って食材を吟味し、食事を作っていました。そして、亡くなるまでボケませんでした。

 母にはいつまでも、こうして、丁寧に暮らしてほしいと願っています。

 


2024年1月4日木曜日

娘の絵を家に~マイヤーギャラリー②

  2月にオーストラリアの大学に入学する娘の専攻はアート。小さいころから絵が得意で、私たちも娘の絵を額装しては、家の中に飾っていました。

 高校時代は2年間かけて「家族」をテーマに作品を作りました。これはその作品集の中で、一番大きな絵。縦1㍍横1.8㍍あります。タイトルは「アンディ」。赤ちゃんを抱いているのは私です。私の周りには女性たちが涙を流して、私に寄り添っています。私が抱いているのは、娘の双子の弟です。

   私は娘と息子を緊急帝王切開で出産・死産しました。手術台の上に横たわった私は、泣きながら、生きている娘と死んでいる息子を何度も交互に胸に抱きました。この絵を見ると、そのときのこと、そして、息子の遺骨が入った小さな骨壺を抱き締めて泣き続けた日々を思い出します。

 この絵は最初、夫が寝室に飾ろうと提案してきました。大きな絵ですので、広い壁面が必要ですが、我が家にそのような壁があるのは3カ所だけ。1カ所はエアコンの下なので、水滴が落ちる可能性があるので除外しました。あと2カ所は寝室と階段の壁。寝室に飾ると、私自身の気持ちが塞いでしまう予感がして、階段の壁に飾ることにしました。

 絵は額装をして、リフォーム会社さんに絵を下げるレールも設置してもらいました。絵の色落ちを防ぐために、窓の遮光フィルターも張ってもらいました。

 この絵で、娘はアンディへの思いを描き切ったのではないかーと私は受け止めています。2年間かけてこの絵を仕上げた娘。この絵には、観る人の心を揺さぶる、圧倒的な力があると思います。

 家族を描き切って、日本の外に飛び出していく娘。娘が残してくれた絵を日々眺めながら、次にどのような絵を描くのか楽しみにしたいと思います。

2024年1月3日水曜日

  元旦の能登半島の地震で、3日午後6時現在73人の方が亡くなられたことが確認されたそうです。犠牲になられた方々とご家族に心からお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

 1日に第1報をニュースで聞いたときは、いったい神様はいるのかーと思いました。皆さん、年末にお正月を迎えるためのお買い物やお料理をして、すがすがしいお気持ちで新年を迎えられていたと思います。それが、このような大変なことに…。

 亡くなられた方々とご家族、火災で家屋を失われた方々のことをニュースで見るたびに、胸が痛くなりました。これから、どうやってこの事実を受け止めて、生きていかれるのだろうかーと。

 自分の大切な人を一瞬にして失ったら、そして、自分が住んでいた、思い出の詰まった家を失ってしまったら…。私なら、生きていく気力もなくなると想像し、胸が苦しくなりました。それでも、命ある限り、その事実を受け止め、生きていかなければならないのでしょう。人生は酷です。

 さらに昨日は羽田空港で、新千歳空港発羽田空港行きの日本航空の便が、海上保安庁の所属機と衝突し、炎上しました。ここでも、5人が亡くなられたそうです。海保機は、能登半島地震の発生を受け、被災地向けの支援物資を運搬するために、出発する予定だったそうです。

 亡くなられた方々のご冥福を祈るしかできません。そして、被災された方々が一日でも早く、暮らしを立て直していかれますよう、願ってやみません。

 

2024年1月2日火曜日

母のうま煮

  我が家から徒歩5分のところに住む母のマンションに、今日、お昼ご飯をご馳走になりに行きました。2019年夏に母が札幌からこちらに引っ越した翌年のお正月から、毎年、恒例の行事です。

 元旦は我が家でお昼ご飯を食べ、近所の神社に一緒にお参りに行っていましたが、昨年から「足が痛くて、階段を上らなきゃならないあの神社には行けない」と言い、元旦の神社参拝は行かなくなってしまいました。でも、元旦に我が家で、そして2日に母の家で食事をするという毎年恒例の行事を2024年もすることが出来ました。

 私の友人たちも、ご両親のうちどちらかが亡くなったり、ご病気だったり、身の回りのことが出来なくなったりすることが増えてきています。ですので、母がこうして元気で我が家に来てくれたり、私たちが遊びに行って食事をご馳走になったりすることが出来て、とても幸せに感じています。

 特に今年は私がうま煮を作らなかったので、母の美味しいうま煮を食べることが出来て嬉しかった。子供たちはうま煮が嫌いなので、毎年私が作っても、一切口にしませんでした。夫は食べてはくれるのですが、料理に砂糖を使うのが好きではないので、母から受け継いだ味よりずっと甘味を抑えた素っ気ない味で作ってきました。

 ということで、たとえ日本の伝統食とはいえ、家族が嫌いなものを作り続けるのは残念ですし、そこまでして、我が家で日本の伝統を守らなくてもいいかな…とようやくこだわりを手放すことができ、今年は作るのをやめたのです。

 家族に遠慮しつつ作る、妥協した味のうま煮より、母のうま煮はやっぱり美味しかった。また、来年も母のうま煮を食べたい!と願ったのでした。

臨機応変な母は孫にはピザを、私たちにはお寿司を買い、子供たちも食べる白身魚のカルパッチョをつけ、そして私にだけうま煮をつけてくれました








2024年1月1日月曜日

謹賀新年 2024

  皆さま、あけましておめでとうございます。大晦日と元旦はどうお過ごしでしたか?そして、何を召し上がりましたか?

 私は年末年始、これまでこだわって作ってきた料理を2つ作りませんでした。まず、「うま煮」を作りませんでした。2019年夏、母が札幌から我が家の近くに引っ越してきて、翌年のお正月から元旦は我が家で私の作ったうま煮を、2日は母のマンションで母が作ったうま煮を食べていました。でも、今年は自分で作るのはやめて、明日の母のうま煮を楽しみにすることにしました。

 そして、豆きんとんも作りませんでした。理由は近所の食材屋さんで、いつもの豆が品切れしていたため。「まぁ、今年は栗きんとんを買おう!」とあっさり諦めました。普段の私でしたら、その豆をあちこちに探しにいくのですが、様々なことにこだわるのが面倒になってきたのですね。

 そして、駅前の老舗の和菓子屋さんにのしもちを買いに行ったとき、栗きんとんも売っていたので購入し、大晦日の夜に食べました。これがまた、美味しかった。

 夫からも「君の豆きんとんも美味しいけど、前日から豆をうるかして、煮るときも焦がさないように付きっ切りだったから、もう、そういう時間のかかることはやめたらどう?」と提案されました。やめても家族が残念がることもなく、私だけがこだわってきたのだーと気付かされたのでした。

 その代わりに、子供たちの大好きなチャーシューを作りました。ローストビーフは購入し、息子の大好物のタラバガニも奮発しました。夫のリクエストに応えてお雑煮を作り、母にはホッキ貝のフライ。ホッキ貝は母の大好物で、昨日、スーパーに買い物に行ったら、珍しく売っていたので購入。大晦日の夜は夫とお刺身にして食べ、今日は母のためにフライを揚げました。

 年末年始、あまりこだわらずに臨機応援に対応してみたら、時間に追われることもなく、家族も大喜びで、美味しいものも発見でき、娘からは「お正月は嫌いな食べ物を食べなくてはならなかったけど、今年のお正月は美味しいものばかりで嬉しい」というコメントももらえました。

 「日本の伝統や文化を子供たちに伝えたい」という思いで、こだわりを持ってきましたが、これを良いきっかけに、マイヤー家の年末年始は日本の伝統的な「おせち料理」ではなく、マイヤー家のご馳走で良いんだーと気楽に考えようと思ったのでした。

元旦の食卓。子供たちの好なチャーシューを作り、カニを奮発

タラバガニの殻を切る息子