メルボルンから帰国してから、論文の修正に悪戦苦闘しています。今週は連日研究室で遅くまで執筆していました。
論文は海外の医学ジャーナルに投稿予定で、量的(アンケート)調査と質的(インタビュー)調査の両方の分析結果をまとめたもの。
私が筆頭著者で、共著者が9人。その先生方に論文を回覧し、フィードバッグがすごい量でした。ワードのコメント欄に記載された一つ一つの指摘や助言を論文に反映させ、そのコメントへの返信を書くのは、なかなかに手間のかかる作業です。9人の先生方は全員博士。指摘もなるほど!と感じるものばかりですが、データの追加解析など丸二日ほどかかります。
でも、中には「こんな重箱の隅をつつくようなことを…」と思うようなこともあり、でもぐっと堪えて「ご助言ありがとうございます。ご指摘の通り、書き直しました」とコメントしなければなりません。でも、共著者の先生方も、私の不十分な原稿を彼らにとっても第二外国語で読むのは面倒なはずなので、助言や指摘をありがたく受け止めています。
昨日、共著者の1人でこの春博士号を取得した20代のTさんとたまたま給湯室で一緒になりました。
「どうっすか?修正終わりそうっすか?」
「うーん、来週までかかりそう」
「下手に自分の言い分なんて言わないほうがいいっすよ。特に理論武装できないときは。余計に時間かかりますからね。ご指摘ありがとうございますって、その人の言うように直すんですよ。ほら、僕たちはまだ経験が足りないから、彼らが見えているところが見えないこともありますしね。まぁ、これは違うでしょう…と思うところがあれば、博士号取った後に言ってやればいいんですよ」
なるほど、研究の世界で生き抜くためにはこういう心構えが必要なのですね。実は先週、ズームである共著者の先生に反論したばかり。その先生は不愉快極まりないという顔をし、それを他の先生が「まず、そのように書き直していただいてから、考えましょう」と収めてくれたという出来事があったのです。ついつい、やってしまうんですよ、私は…。
反論して相手に不愉快な思いをさせると指導教員に言いつけられ、指導教員から「あなたのせいで研究が遅れています。チームから外します」と脅され(実際に昨年春に言われた)、自分の首を自分で絞めることになってしまうんですよね。うまく立ち回れないのも性分に加えて、年なので頑固になっているのもあるのでしょうね。
博士号を持つ40代の友人が以前、「この世界では、博士号がmimimum requirement(最低条件)なんですよ。それを持ってから、物を言えということだと思いますよ」と言っていましたが、私はそういう世界に身を置いているのだと実感しています。
こうしてあちこちに頭をぶつけ、時に理不尽なことをされ、居心地の悪さをずっと抱えつつ、トイレに駆け込んで泣いたりして、でも何だかんだいいつつも博士課程で生き残っています。今年、博士論文を提出する予定です。
がんサバイバーの60歳での博論提出を皆さん、応援してください。
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