娘が先日20歳になりました。私の母、そして、サプライズでカナダの大学に行っている親友のレイちゃんも来てくれ、一緒にお祝いしました。娘にとって最高の誕生日になりました。
娘が生まれたときは、双子の弟が死産だったため、医師も看護師もそして親戚も友人もどう言葉をかけて良いか分からず、誰からもおめでとうと言われなかった娘。2,664グラムと小さく、成長もゆっくりで心配も多かった娘ですが、心の優しい、とても良い子に育ってくれました。そして、身長もすくすく伸びて183㌢になりました。
誕生日の前日の午後7時ぐらいでしょうか。家のベルが鳴りました。インターフォンを押すと、「レイです」。「えっー、レイちゃん?」と皆びっくり。家族全員で玄関に出てみると、レイちゃんがにこにこして立っています。娘が「びっくりしたー」と言うと、「毎年誕生日に来てたじゃん」と言います。レイちゃんは娘にも知らせず、来てくれたのです。
レイちゃんのご両親は中国にいるのですが(レイちゃんは日本人と香港人のハーフ)、冬休みに憧れだったタイに一人旅をし、その帰りに我が家に寄ってくれたよう。その後におじいちゃん・おばあちゃんの家に行く予定だそう。
誕生日当日は、母もお祝いに来てくれて、皆で夕食を食べました。娘のリクエストはダディのチーズケーキとリゾット、ママのアップルパイとコロッケでした。それに、娘の大好物のステーキをつけました。
夫のプレゼントは十字架の形をしたエメラルドのネックレス。息子からは娘が大好きな猫の絵のついたマグカップ、母からは「好きなものを買うように」と1万円、レイちゃんからはTシャツと中国で流行しているというアニメキャラクターのフィギュア。
私からは、私が若いころ使っていた時計でした。娘には、16歳の誕生日から毎年、私が使っていたバッグやジュエリーを引き継いでいます。今回引き継いだ時計やこれまであげたバッグやジュエリーはいずれも、今の私には似合わないのだけれど、ブランド物だったり思い出があったりしてなかなか手離せなかったもの。年季が入ったものなので、メンテナンス費が高かったりもしますが、娘がいると引き継げるので、嬉しいです。
皆に囲まれ、プレゼントを開けるときに大笑いしたのは、夫からのプレゼントを開けるときです。私が携帯電話で、レイちゃんがビデオカメラで撮影していました。娘が小さな箱に書いてある文字を読み上げます。
「わぁ、あなたと私の”たからいし”箱だって…」
思わず吹き出してしまった私が直します。「違うよ。宝石(ほうせき)箱だよ」。娘がびっくりした表情で「ええっ、知らなかった」。レイちゃんも私のほうを見て、真顔で言います。「私も知りませんでした」。息子がお腹を抱えて笑い、「おねぇねぇ、ウケル~」と言いましたが、本当に知っていたかどうかは、疑問です。
まぁ、インターナショナルスクール卒なので、こういうこともあるでしょう。にぎやかな誕生日パーティでした。娘が何よりも喜んだのは、レイちゃんが来てくれたこと。レイちゃん、本当にありがとう。
娘の誕生日に合わせて、息子の骨壺のカバーも新しくしました。骨壺は今も私のベッドの横に置いてあります。カバーを作り直そうと思っているうちに、20年も経ってしまい、ミッフィの模様は色褪せてきていました。前に作ったときの生地をとってありましたので、それを使って縫いました。
縫っているときに、「かあさんは夜なべをして、手袋編んでくれた」という童謡を思い出しました。こういう縫い物は、家事終え用事を済ませてからでなければ、取り掛かれません。今も昔も同じだなぁと思いました。そして、本当に20年はあっという間だったなぁとしみじみとした気持ちになりました。
ディナーテーブルに新調したカバーに入れた息子の遺骨を置いてあると、母が「あらっ、アンディ君」と言って、抱いてくれました。記念写真も娘が息子を抱いて、写しました。天国の息子も、娘が無事20歳を迎えたことを喜んでいたと思います。
左は夫が作ったチーズケーキ、右は私が作ったアップルケーキ |