2022年7月3日日曜日

実家にさよなら

  ようやく週末です。先週は週末から忙しい1週間を過ごしました。やっとひと息つくことができました。

 まず、先週末は84歳の母と一緒に実家に戻りました。母が家を処分する決意をしたため、処分できるものと持ち帰るものを整理しにいったのです。

 50年近く住んできた家を手離すのは、母にとっても大きな決断だったと思います。でも、今は娘の家から徒歩5分のマンションに住み、そこを「終の棲家」と考えている母は、札幌の家を手離そうとこのコロナ禍に考えたようです。手離すのなら、自分が手をかけてきた家をなるべく良い状態で、どなたかに住んでもらいたいと願ったようです。

 6月25日の朝早くこちらを出て、真っすぐ実家に向かいました。昨年11月に一度、私が娘と一緒に様子を見に行っていますので、家は良い状態でした。母は身の回りの好きな物は引っ越しのときに東京に持って行っていますので、残っているものは母に選ばれなかった物たち。ですので、母にとっての今回の札幌帰省の目的は家の片付け・掃除でした。

 私は逆に、救える物は救おうという気持ちでした。事前に郵便局で大きな段ボール箱7枚を買い、家にあった梱包材をスーツケースにいっぱい詰めて持っていきました。

 「お母さん、この皿は?」「いらない」

 「この飾り物は?」「いらない」

 そのやり取りを繰り返しました。仕舞いには「いらないって言っているでしょ。あんたが使うなら持っていきなさい」と叱られる始末。「でも、可哀想じゃない」「そんなこと言っているから、あんたの家はいつまで経っても片付かないんだよ」。あーあ、厳しい母です。

 7段飾りの雛人形の箱を段ボール箱に詰めていると母が言います。「私の友だちでお雛様をとってある人は誰もいないよ。皆、娘たちがいらないというから処分したみたい。あっさりしたものだった。そうだよね、7段飾りなんて場所を取るし。あんた、持ち帰るなら、一年に一回は出してあげて頂戴。それじゃなきゃ、カビ生えるからね」

 お母さん、分かっているよ。忙しくて出せないときもあるかもしれないけど、処分するよりいいでしょという言葉を飲み込みます。そして、黙々と段ボール箱に詰めます。

 極め付けは、昔、私が母にプレゼントした生け花のお花器。群青色のそのお花器はデパートで時間をかけて選んだものでした。値段もそれなりにしました。それが母に打ち捨てられているのを見るのは辛かった。

 「お母さん、このお花器は?」「いらない。あんたが使うんだったら、持っていきなさい。でも、そのお花器で花を生けるのはあんたには無理だよ。持っていくなら、こっちを持っていきなさい。ただ、切り花を刺せばいいだけだから」「…」

 両親が使った皿や飾り物などあれこれ救って、梱包材に包んで段ボールに詰めていた私は、このお花器を諦めることにしました。私が母にプレゼントして、母が「いらない」と判断したものです。それを私が救う意味はないなと思ったのです。可哀想ですが、このお花器はそういう運命だと思うようにしました。

 その日は、母がよく友達とランチに行ったという「ホテルモントレー」を予約していました。片付けがひと段落ついた夜6時過ぎに向かいました。母が懐かしがってくれると期待していましたが、「私が友達と行ったホテルは新しくて広いほうのモントレー。ここは古い方のホテルなの」と返され、がっかり。ホテルモントレーはとてもクラシックで素敵なホテルですが、今年度に大規模改装するということでしたので、最後に母と一緒に泊まりたかったという気持ちも分かってもらえませんでした。

 翌日も私はせっせと家の中を探しました。父のシャチハタの印を机の奥まったところから見つけたときは嬉しかった。それと、使われていない名刺入れ。内側には何かの会の名前が刻まれています。母に聞いてみても「分からない」ということでしたが、父が取っておいたということはきっと意味のあるものだと判断して、持ち帰ることにしました。

 嬉しかったのは、父の杖を靴箱の横の奥まったところで見つけたことです。夫から「お父さんの物が何か見つかればよいね。杖とか」と言われてきたので、ふと思いついて見てみたら、あったのです。母によると外出用の杖ということで、あまり使われていませんでしたが、これも持ち帰ることに。

 父が遺したたくさんのアルバムは救えませんでした。すべて目を通して、仕事をしている写真、高校の同窓会の写真、友人と行った旅行の写真、会社で「還暦」をお祝いしてもらっている、赤いちゃんちゃんこを着た写真など十数枚を持ち帰ることにしました。それらを見ていて、父の人生は家の外にあったのだなぁと改めて思いました。

 日曜日はギリギリまで片付けをし、一つ一つの部屋の壁に触れて「ありがとう」と声掛けをし、「誰か良い人に住んでもらえますように」と願いながら、実家にさよならをしました。夜8時過ぎの飛行機で東京に戻りました。

さよならした、札幌の実家

 結局、段ボール6箱分の物(そのうち、3箱が雛人形でした)を東京の我が家に送りました。軽井沢の家には布団1組と枕も。布団は私が結婚したときに母が夫のために作ってくれたもので、これももちろん捨てられませんでした。 

子どもたちが小さなころよく遊んだボールと息子がよく隠れた籠も持ち帰りました

 実家がなくなるーというのは、人生においての大きな変化です。気持ちは塞ぐものです。せめて、父母が使った物、子どもたちが遊んだものを持ち帰ることで、動揺している心を落ち着かせたいと思っています。

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