2022年7月9日土曜日

叔母にさよなら

  札幌から戻った翌日、札幌の叔母の訃報が届きました。12人きょうだいの末っ子に生まれた母にとって、残ったきょうだいはこの92歳の叔母と89歳の叔父だけ。葬儀に参列したいという母の気持ちは十分分かりましたし、私にとっても思い出がたくさんある叔母です。札幌から帰ったばかりでかなり体力的にきつかったですが、お通夜が行われる水曜日、札幌に向かいました。

 叔母の家は、私の実家の近くにあります。ですので、葬儀は実家の近く、私の父を送ったときと同じ会場で行われました。会場に着くと、親戚がすでに集まっていました。母のきょうだいで残っているのは、母、叔父と奥さん、そして今回亡くなった叔母のご主人だけ。そのほかは、私のいとこたちです。久しぶりに会ういとこたちは皆、年を重ねていました。

 従妹のYちゃんが、私と母の顔を見るやいなや、涙を流して抱き着いてきました。Yちゃんは施設や病院を行き来していた叔母のお世話をずっとしていました。「亡くなる少し前にお母さんに会えたの」と言います。コロナ禍、会えない日々が長かったのですが、最近、ようやく会えるようになったらしいのです。

 「そうだったんだね。叔母さんに会えてよかったね」

 「うん」

 Yちゃんは、ポロポロと涙をこぼします。

 祭壇にはたくさんの花が飾られていました。棺の中の叔母は、今にも目を覚ましそうな、穏やかな表情をしていました。そして、遺影の叔母の美しいこと。

「Yちゃん、いい写真だね」

「うん、これを使いたかったの。お父さんとの結婚記念日に写した写真なの。いい写真でしょ」とYちゃんはまた泣きます。

 お通夜の後は、いとこたちとたくさんお話をし、布団を並べて寝ました。これまで何度も母や父のきょうだいのお通夜に出てきましたが、いつも、皆明け方まで起きていて、お線香を絶やさないようにしていたものです。ですが、今回は11時前には皆、布団の中に入っていました。皆、年を取ったんだなぁと思いました。

 私が布団に横になっていると、Yちゃんが喪服のまま、私の布団に横になりました。

「明日、やだなぁ」

 Yちゃんはポツリとつぶやき、目からは涙がつつっと流れました。

 告別式の後は、叔母さんを荼毘に付さなければなりません。私は死産した息子と、父を送りましたので、Yちゃんの気持ちは痛いほど分かりました。

 翌朝、告別式の後は葬儀会場からバスで火葬場に向かいました。母によると、そこは父を荼毘に付した場所だそうですが、私はバスに乗ったことも、その火葬場のことも、記憶にありません。覚えているのは、父の遺骨が骨壺に入りきらなかったため、私の従妹のご主人が木の棒のようなもので砕いてくれた場面だけです。

 逆に、並んだ火葬炉を見たときに、息子を送ったときのことをありありと思い出しました。あのとき、私は車いすに乗っていました。息子の死が受け入れられず、大声で泣き叫んでいました。車いすから立ち上がるのが痛くて痛くて、何とか立ち上がって、小さな棺の中の息子にキスをしました。

 今振り返ると、他にも何組もお見送りの人たちがいましたので、泣き叫ぶ私は大変な迷惑だったと思います。でも、息子が骨になってしまった後は、もう声も出なくなりました。息子の骨は小さく、可愛らしかった。その骨を一つ一つ拾い、小さな骨壺に収めました。そのときのことを思い出し、胸が苦しくなりました。

 還骨法要が終わった後、面倒見の良いいとこのMちゃんが私と母、そして、叔父と奥さんを送ってくれました。Mちゃんは72歳、私の母は84歳、叔父は89歳、叔父の奥さんは83歳です。

 新千歳空港で車から降りた後、母が泣きながら、車の助手席に座る叔父に話しかけていました。叔父は優しい表情で何度もうなずいていました。切ないさよならの場面でした。 

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