2020年4月1日水曜日

志村けんさんの死に思う

 新型コロナウイルスに感染し、東京都内の病院に入院していた志村けんさんが29日に肺炎で亡くなりました。志村さんのご家族はお顔を見ることも出来ず、火葬にも立ち会えなかったといいます。ご家族にも会えない状況で、志村さんはどんな思いであの世に行かれたのだろうと考えると、胸が詰まる思いがしました。

 新聞報道によりますと、志村さんは19日から発熱や呼吸困難の症状があり、20日に都内の病院に搬送。23日に新型コロナの検査で陽性が判明したそうです。体調不良を感じてから亡くなられるまで10日。あっという間です。

  病院のベッドで、「自分はこのまま死ぬかもしれない」と思ったのでしょうか。それとも、意識はなかったのでしょうか。苦しみながらも、あの世に待ってくれている誰かがいると思えたのでしょうか。それとも、やり残したこと、愛する人がいて、まだまだこの世に思いを残していたのでしょうか。

 私は「死ぬかもしれない」と覚悟した経験が1度だけあります。私はがん患者で2度再発をし、何度も抗がん剤治療をしていますので、死は遠い将来ではないと覚悟しています。でも、本当に死ぬかもしれないと思ったのは別の病気です。「自己免疫性溶血性貧血」という、自分免疫が酸素を運ぶ役割の赤血球を攻撃する病気です。

 体がだるいなと思い始めてから、数日間で体を動かせなくなり入院。呼吸も苦しくなり、鼻から酸素を補給してもらいました。急激な体調悪化で動揺はしました。が、「これで死ねるなら、いいな」とも思いました。

 私はその1年4カ月前に双子の1人を死産しました。だから、その子が天国で私を待っていると思っていました。娘がたくさんの人に誕生を祝ってもらい、愛されているのに、息子は天国で独りぼっちであまりにも不憫だと思い続けていました。早く天国に行って、あの子を抱きしめたいーそんな思いでいっぱいだったのです。

 だから、迫ってくると感じられた死が嬉しくさえありました。そうこうするうちに意識がもうろうとしました。ベッドに寝ている私が強い力で引っ張られ、体から自分がスポンと抜けました。暗い廊下を引っ張られ、霊安室の前まで連れて行かれました。そのときです。「嫌だ。死にたくない」と思ったのは。力を振り絞って、抵抗しました。そこで、はっと目覚めたのです。

 目覚めると、動揺した夫は私を励ますどころか「シカゴの両親を呼ぶ。両親もムツミにさよならを言いたいと思う」と泣きました。が、私はその後、点滴薬が効き始め快方に向かいました。

 娘には申し訳ありませんが、あの場面で死んでいたら、私は天国に行くことを楽しみにしながら行けました。でも、今、同様のことが起こったら違うと思います。あの世の息子を思わない日はありません。と同時に、私はこの世で娘と15年もの大切な日々を過ごしてきました。あの後生まれた息子とも楽しい時を紡いでいます。死にたくないのは、子どもたちの将来を案じてという理由だけではありません。彼らと過ごすこれからの日々を思うと死ぬに死ねない。もう少し、生きさせてほしいと神様に懇願するに違いありません。

 毎日、日本を含め世界中で新型コロナウイルス感染症による死者の数が増加しています。その方々には家族があり、友人がいて、穏やかな日々があったと思います。そのことを考えると胸が痛みますが、死者数として積み上がっていく数字の恐ろしさにまずは圧倒されます。

 でも、志村さんの死は、自分の体験と重ね合わせて捉えました。テレビを通しての志村さんしか知らないのに、志村さんは病院のベッドに横たわり、病と闘いながら、何を考えたのだろうと思いを巡らせました。

 きっと、私のように考えた人は多いのではないでしょうか。志村さんは私たちに笑いをくれただけでなく、「生」と「死」について深く考える機会を与えてくれました。また、このウイルスを侮ってはいけないと気付かせてくれました。志村さんのご冥福を心よりお祈りします。
 

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