2016年1月8日金曜日

お正月に思う

 年末年始は例年通り、東京で過ごしました。元旦は近所の神社に初詣で。「日本に住んで14年になるけど、一度も大吉のおみくじを引いたことがない」とお正月早々文句を言っていたアメリカ人の夫は、生涯で初めて「大吉」を引き、大満足です。私は「末吉」。こういう”控え目な運”は、何より私が望むところで、私も気分良く2016年をスタートさせました。

 お正月に楽しみなのは、年賀状です。日頃、ご無沙汰をしている人の近況を知ることもできるし、友人たちの変わらない字を見ていると、ほっとします。また、子供の成長を写真で見ることも楽しみの一つです。

 今年は、息子の幼稚園のお友達(のママ)からの年賀状の加わりました。多くが、写真屋さんで作ったであろう、厚手の写真入り年賀状です。

 その中の1枚に、ひときわ目を引く年賀状がありました。スタジオで撮影したと思われる美しい写真。その中のママは、輝くばかりの若さと美しさです。

 そのママ友達の写真をまじまじと見ていると、夫に申し訳ないなという気持ちがふつふつとわいてきました。彼女のご主人は夫と同年代。夫も、彼女のような若い女性と結婚したら、幸せだったのではないだろうか?と思ったのです。ママ友達のご主人がぐんと年上だと、なぜかいつも私はこう考えるのです。「こんなに若い奥さんがいて、ご主人は幸せだろうなぁ」と。

 翻って私について客観的に評価してみます。病弱だけれども若くて美しい専業主婦の妻なら絵になるでしょう。が、バリバリと(しなやかに、でも良いですが)仕事をしているわけでもなく、病弱で年上の専業主婦の妻なんて、「使えないよなぁ」と思わず、自分に突っ込みを入れたくなります。
 やはり、年上の妻は健康でガンガン稼いでいる、もしくは才能に満ち溢れている、ぐらいでないと収まりが悪いでしょう。

   仕事と健康。自分を支えてきたこの太い柱を2本なくしてしまって久しいのですが、私はまだそのような自分に慣れていません。仕事を持たない自分を、全く評価できないーと言ったほうが正しいかもしれません。そういう自分を情けなく感じているのです。私は男女雇用機会均等法第一世代。男性に伍して働くことを「是」とし、「仕事と家庭の両立」が可能になった時代を生きていたにも関わらず、そうでなくなった自分をまだ、受け入れられないのです。

  と、いつもの堂々巡りの思考回路に陥っているので、気持ちを切り替えることにしました。

 「ねえ、この写真素敵だと思わない?」
 と娘に見せてみました。
  娘は「うん。バランスが取れているね」と大人びた答え。
 「それって、家族がバランス良く写真に配置されているってこと?」
 「ううん。ママが若くて、バランスが良いってこと」
 「うーん」。私は娘の表現に思わず、うなりました。そうか、母親が若いと、家族構成のバランスが良く見えるんだと、新たな(当たり前の?)視点を示されたような気持ちになりました。

  私は、ママ友達宛てに作った年賀状の家族写真をもう一度、確認しました。私の顔は米粒大の大きさです。これなら目にも留まらないから大丈夫と安堵しつつ、そんな些細なことに気を留めてしまう自分に、苦笑しました。

 

 

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