2016年1月23日土曜日

竹田圭吾さんの死

 私は新聞記者の仕事を離れて、12年になります。が、今でも気になる新聞記事や雑誌の記事を切り抜き、手帳に貼っています。今年最初に手帳に貼った記事は、小さな死亡記事でした。10日にすい臓がんで亡くなったジャーナリストの竹田圭吾さんの記事です。竹田さんは私と同い年の51歳。仕事に情熱を燃やし、養うべき家族もいるであろう51歳のがん患者の死は、私にとって他人事ではありませんでした。

 私が竹田さんを朝のテレビ番組で頻繁に見ていたのは、もう何年も前のことです。端正な顔立ちと低く落ち着いた声が魅力的な人で、冷静で鋭い切り口のコメントに共感することが多かった。その後、すっかりテレビを見なくなり、久しぶりに竹田さんを見たのが、昨年です。ずいぶん年を取られたな、というのが印象でした。そのときはがんを患っていらっしゃることは知りませんでした。ですので、すい臓がんだったと死亡記事で知ったとき、あのやせ方と老け方は、抗がん剤治療によるものだったのだと納得がいきました。

 週刊文春1月21日号によると、竹田さんは2013年末にがんの手術を受けられ、昨年の9月には抗がん剤の副作用が強く出始めて、歩くこともままならない体調になったということです。インターネットで検索をすると、竹田さんには奥様と複数のお子さんがいらっしゃるようです。

 すい臓がんは、最も治療が難しいがんだと言われています。全国がん(成人病)センター協議会の部位別生存率を見ますと、すい臓がんは5年生存率が9.2%、10年生存率は4.9%と一番低い。私は医療の専門的なことは分かりませんが、患者として何度もがん専門病院に入院していると、すい臓がん患者の治療が難しいことは分かります。肺がん、胃がん、子宮がん、乳がん、骨肉腫、肉腫、白血病・・・、様々ながん患者と同室になりましたが、すい臓がん患者の病状は、恐ろしいほど速く悪化していくのです。

 私が最初に国立がんセンター中央病院(現・国立がん研究センター中央病院)に入院したのは、38歳のときです。診断は悪性リンパ腫のⅣ期(一番重い)でした。同室の女性は60歳代の女性Kさん。Kさんはすい臓がんで、手術は出来ないと言われていました。入院して最初のころはスタスタと歩いていましたが、間もなく、ご飯が食べられなくなり、チューブで栄養を取るようになりました。抗がん剤も効きませんでした。日中、何度も嘔吐するようになり、間もなく、起き上がれなくなりました。そして、そのころには、医師にホスピスを勧められていました。その間数週間。私も痛みがあり抗がん剤治療への不安もありましたが、Kさんの病状は私のとは比較にならないほど、重かった。

 竹田さんの死で思い出したもう1人のがん患者は、次の入院のときに同室になったOさんでした。Oさんは私と同じ悪性リンパ腫で何度も再発を繰り返し、最後は、造血管細胞移植という治療を行いました。治療後のOさんは、骨と皮だけになったようにお痩せになり、10歳以上はお年を召されたようでした。大量の抗がん剤投与を伴う造血管細胞移植のすさまじさを目の当たりにし、私自身もずいぶん気落ちしました。その後、私が2度目の再発をしたときにこの治療を主治医に勧められましたが、拒否したのはOさんの記憶が生々しかったためです。

 竹田さんについて調べているうちに、竹田さんがコメンテーターをしていた番組の特集を見ることが出来ました。竹田さんは亡くなる直前まで仕事をされていて、とてもお痩せになり、杖をついてやっと歩いていらっしゃいました。最後までジャーナリストとしての仕事をし続けた竹田さんの姿は立派でした。あの姿に胸打たれた人は多かったと思います。出演者の方も涙を流していました。

 が、私は泣きませんでした。5歳も10歳も年を取って見え、カツラを被り、やせ細り、杖をついて歩く彼の姿に、思わず、自分の将来を重ね合わせて見たからです。そう見た、がん患者も少なからずいたのではないでしょうか?私は慌てて浮かび上がる不安をかき消しました。竹田さんのご冥福を心から祈りながら、私は3度目の再発はしないぞ、まだまだ死なないぞと心に誓いました。
 

 
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