先週金曜日のことです。珍しく、母からメッセージが届きました。母はとても自立した人で、「自分で動けるうちは娘には迷惑をかけない」という心掛けを徹底している人でよほどのことがない限り私に頼み事などの連絡がきません。家に様子を見に行ったり、電話したり、食事を誘ったりはいつも私から。その母が、とても落ち込んだ様子で私にメッセージを送ってきたのです。
その内容は、娘と連絡が取れないという切羽詰まったものでした。
「全く通信が取れなくなってしまいました。こんなこと今まで一度もありません。どうしたのでしょう?何を怒っているのでしょう?聞いてもらえますか?」
オーストラリアの大学に留学する娘は母にとっての初孫で、それは可愛がっていました。小さなころから手をかけ、留学してからもラインや電話でつながっていたよう。その娘とのラインはお盆過ぎから既読にならないというのです。
「最近、大学も忙しくて、お友達もたくさん出来たみたいだから、私たちにも連絡来ないよ」と返信し、すぐ電話をしました。電話口に出た母はさめざめと泣きます。そして、「こんな年になって、孫と断絶するなんて、私は悲しい!」と語気を強めます。ひとしきり慰めた後、電話を切り娘に電話をしました。娘は出ません。メッセージで「ばあち(小さなころから母をこう呼んでいます)に連絡してくれる?ラインがつながらないって悲しんでいるの」と送りました。
夫からも電話やメッセージで連絡をしてもらいましたが、つながりません。息子からも連絡をしてもらいましたが、つながりません。母を慰めるため、土曜日の夕食に招待しましたが、「こんなに落ち込んでいるときに、一緒にご飯は食べたくない」と拒否されてしまいました。
ようやく娘とつながったのが日曜日の午後。それも私や夫からの電話には出ませんが、息子からの電話にようやく応えてくれたのです。娘は寝ていました。息子の第一声は「おねぇねぇ、ばあちに電話してくれる?ばあち、おねぇねぇと連絡取れないから落ち込んでいるんだって」。そう言った後、息子が私に携帯電話を渡してくれました。
「あぁ、つながって良かった。全然、電話がつながらないから、心配していたよ。ばあちに、ほんの数行でいいからメッセージ送ってくれる?」
「うん」
短く答え、娘は珍しくすぐ電話を切ってしまいました。とりあえず、つながって安心しました。しかし、その後も母には娘から連絡が行きませんでした。
母をどう慰めようかと考え、母の大好きな「いくら」を持っていこうと思い付きました。夕方スーパーに行くと、なんと、北海道産の生筋子が半額になっています。早速購入して自宅に戻り、筋子を膜から丁寧に外して醤油と砂糖、みりんを混ぜ合わせたタレに漬けました。瓶に入れ替え、母の所へ。
母は落ち込んでいました。何度も、自分と孫はとても仲良しだったこと、いつもラインでやり取りしていたこと、自分には連絡を絶たれるようなことを言った心当たりはないこと、を涙を流しながら話します。そして、連絡がないのは何か理由があるはずだと言ってききません。「あんた、何か言ったの?」と私を疑うコメントまで飛び出しました。母にとって、孫との交流が生きる支えだったのだなぁと改めて思いました。それと同時に、「これって、空の巣症候群(子どもが成長し独立することでヒナが巣立った後のような空虚感を覚えること)かもしれない」とも思いました。
母には、娘からは誰にも連絡が来ないこと、大学が忙しいこと、今が青春だから家族と連絡を取らないのはよくある話だということ、を何度も説明しました。そして、娘が親友レイちゃんへのラインが2ヶ月既読にならずに悩み心配して、私がレイちゃんのお母さんに連絡をして、ようやくつながった話を聞かせました。
「親友からのラインすら2ヶ月間も見ないこともあるんだよ。レイちゃんはとっても落ち込むことがあって誰に限らずラインそのものを開かなかったんだって。だからさ、あまり気にしないで。悲しい気持ちは分かるけど」
レイちゃんが娘に2ヶ月連絡を絶っていたという話で、ようやく、母の表情は明るくなりました。「分かったよ、じゃあ、気長に待ってみる」「そう、気長に待ってみて。そのうち、ケロリとして連絡来るよ」
翌日月曜日の朝、母からメッセージが届きました。「夕食はおくら丼を用意していたら、いくらをいただいたのでいくら丼にしました。美味しかったです!棚からぼたもちですね」。冗談も出たので、ほっとひと安心です。
それにしても、どうして電話が来ないんだろう?日曜日にようやくつながった時も寝ていて話したのはほん一瞬。もしかしたら、具合が悪いかもしれない、と不安が心をよぎります。夫も同じだったようです。月曜は夫・息子・私から何度も娘に電話をしメッセージを送りました。返信は来ません。
不安なまま火曜日の朝を迎え、夫はまず娘がオーストラリアでお世話になっており時折お食事を一緒にさせていただいているIさんに連絡をしてみました。すると、なんと日曜日は夕ご飯にお邪魔するはずだったところ娘から電話があり体調が悪いのでとキャンセルになっというのです。
夫は仰天し、寮に電話をし娘の安否確認を頼んだようです。寮の担当者は「メールで連絡してみます」という返答だったそうなのですが、夫が「メールで連絡取れないから、こうしてお願いしている」と説明し、担当者に娘の部屋に行ってもらったようです。が、ノックをしても応答はなかったということ。夫は鍵を開けて確認をしてほしいと頼んだようですが、それには書類へのサインなど厳格な手続きがあるようです。
夫はもう一度Iさんに連絡をし、「ならば、警察に連絡をしてみましょう」ということになりました。私も心がざわざわし、「何で、オーストラリアに娘を送り出したのだろう。娘に得意なアートで人生を切り開いてほしかった。でも、日本の大学の教養学部で十分だったのに」と一旦は入学した娘を説得し、若いうちは失敗を恐れず自分の可能性を追求すべきだと背中を押したことを後悔し始めました。
そして、父が亡くなったときのことを思い出しました。母から連絡があったときはすでに羽田空港発・新千歳空港行きの最終便は出発していて、まんじりともせずに翌朝を迎え、始発便で札幌に向かった日のこと。同じようにオーストラリアに行くのはもう耐えられない…とまで考えは飛躍します。
心配が最高潮に達したタイミングで、母から電話が来ました。声が弾んでいます。「今、ラインが来たよ。忙しくて連絡できなくてごめんねって書いてあった」。私は胸を撫でおろしました。さっそく、娘に電話をしたら、出てくれました。
娘に家族皆が心配していたこと、夫から寮に安否確認のお願いをしていること、お世話になっているIさんご夫婦がまさに警察に連絡をしようとしていること、を伝えました。娘は「ええっ? ばあちに2週間ぐらいは連絡していないけど、ママと日曜日に一瞬だけだけど電話で話したじゃん。2日間だよ、連絡取らなかったの」
「ダディがIさんに連絡したら、体調悪くて夕食キャンセルしたという話を聞いて、さらに日曜日の午後に電話でつながったのも一瞬だったし、寝ていたし。皆で心配していたの」
「ママ、まず寮に連絡する。それとダディに電話して警察への連絡もやめてもらう」と娘は言い、慌てて電話を切りました。
その後、ゆっくりと娘と話すことが出来ました。娘によると、母からのラインは長いため、返信するときもきちんとした文章を送りたいため1時間ぐらいかかること、忙しい中それがとても負担だったため、しばらく返信出来なかったという説明を聞きました。その上に、息子からの電話も「ばあちに連絡して」というもので、私たちからの連絡も同じものだと考えて、メッセージを開くことも億劫になり出来なかったーということでした。
「分かったよ。でも、皆心配しているから、数行でいいから『私は元気だよ。いま忙しいからまた連絡するね』って連絡ちょうだいね」
「うん、心配かけてごめんね。でもさ、2日間だけなんだけど…」と娘は苦笑い。「あなたのこと、皆が愛しているから。大学卒業したら、こちらに帰ってきて。もちろん、引き続き大学院に行きたいとか、仕事をあちらでしたいと言えばそれは応援するけど、もし、そうでなければ帰ってきてね」
つい本音がぽろりと出てしまいました。娘が通っていた幼稚園のお友達は全員自宅から大学に通っています。一方で、インターナショナルスクールのクラスメートのほとんどが海外の大学に行っています。インターのママたちもきっと似たような心配をしているのでしょう。子どもを遠く海外に送り出すということは、こういう心配も乗り越えていくことなんだなと改めて感じた”事件”だったのでした。