2022年1月9日日曜日

娘と私の「自分探し」

 「ママ、相談があるの。私、自分のアイデンティティが良くわからないんだよね。私は日本に生まれたけど、日本人じゃない。かといって、アメリカ人でもない。インターナショナルスクールに通っているから、日本の教育も受けていない。いったい、私は何者なのだろう?」

 いきなりの相談で、戸惑いました。このことを相談されたのは昨年の11月。学期の途中で勉強も忙しくなっている中での相談でした。これは難しい問題です。ハーフの生きづらさについては良く聞きますが、高2の娘にも同様の悩みが出てきたようです。

 娘のクラスメートの約半分は、ドイツやフランス、アメリカやブラジル、韓国など世界のあちこちから親の仕事の関係で日本に来ている子たち。残りは娘のようなハーフの子と日本人です。

 海外から来ている子どもたちは親の仕事の任期が終われば、また別の国に行く、もしくは帰国するという暮らしをしています。ですので、祖国はあるけれども、どこかに帰属しなくても生きて行かれるのが彼らのアイデンティティなのかもしれないと考えていました。

 娘の場合、日本生まれの日本育ちで、たまたま父親がアメリカ人というだけ。日本の国籍も持っていますし、日本語も話します。が、インターナショナルスクールに通って多様な背景を持つ子どもたちと一緒に学び、さらに海外の指導要領に基づき英語で教育を受けているということで、アイデンティティ形成に様々な影響が出来てきているのでしょう。

 学校では「ハーフの子どものアイデンティティについて」という講座もハーフの子どもたち対象に開かれているようです。長年ハーフの子どもたちを育ててきたインターでも、これは大きな問題に違いありません。

 実は母親の私も、去年あたりからアイデンティティの問題で悩んでいます。というより、私の悩みは「アイデンティティの問題なのではないか」と気付き、その視点で私の抱える問題を考えると、絡まっていたものがすっきりとすることに気が付いたのです。

 つまり、私ががんという病気を38歳で患うまでの自分に対する評価と、それ以降の病気と闘っていたとき、そして社会復帰をした後の自分の評価が全く違うことに気が付いたのです。私自身であることは変わらないのに、社会的な自分の立ち位置が違う。そのことが自分の自分自身に対する評価を変えることにつながりました。

 その移行は簡単ではなく、精神的な苦しみが伴いました。その苦しみを軽くするために、関連する本もたくさん読みましたし、昨年は思い切ってがん患者専門の精神科医によるカウンセリングも受けました。が、どれも私の助けにはならなかった。カウンセリングにいたっては8回を終えて、「先生には共感も理解もしてもらえませんでした。仕方がないので元気に生きて行くことにします」と新たな決意表明までして診察室を出たほどです。

 それほどまでに私は年齢も経験(苦しい経験も含め)も重ね、おそらく、抱えている問題も複雑で、一つの側面に焦点を当てただけでは解決できないものなのでしょう。まぁ、良く言えば”一筋縄ではいかない人間”、悪く言えば”面倒な人間”になっているのかもしれません。

 そのような中、タイトルを見るだけではアイデンティティとは関係ない本で思いがけず、問題の解決の糸口となるようなものを見つけました。昨年読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられ、たくさんの学びがあった本です。邦題は「ホロコースト 最年少生存者たち 100人の物語からたどるその後の生活」(レベッカ・クリフォード著、柏書房)です。この本を読んで、私の”問題”の軽さを認識するとともに、この本に書かれた事実に深く深く考えさせられたのです。


 この本はイギリスの研究者によって書かれました。ホロコーストを生き延びた、当時10歳以下の子供だった人たちをインタビューし、各国の史料を調べ、書き上げられた本です。自分の出自を隠し、名前を変え、家族とも離れ、生き延びるためにあちこちを転々とした子どもたち。彼らはどうやって自分の人生を生きていったのか、どうやって自分自身を取り戻したのかーを書いています。

 私のつたない文章で説明するより、本の中の文章をそのまま引用したほうがこの本の内容が伝わると思いますので、一部を引用します。

「私たちは自分の出自を知らないまま自分の人生を理解できるのか、という疑問である。幼年時代にホロコーストを経験した子どもの場合、戦前のことなどぼんやりとしか覚えていないか、戦前自体を経験していない。また、幼いころの日々の記憶を埋めようにも、それを教えてくれる大人がいない場合が多い。その結果、自分の原点の物語を組み立てようと、何十年も苦闘することになる。その原点が、自分の人生の物語を構成する単純だが基本的な要素、自分のアイデンティティに欠かせない要素だからだ。…本書は、そんな特権を持たず、自分の過去の物語を断片的な情報から紡ぎあげていかなければならない状況に置かれた人間が成長し、年をとっていくとはどういうことなのかを中心テーマに据えている」

 娘にアイデンティティの問題を相談されたとき、私は自分なりに考えることを娘に話しました。それが参考になったかどうかは分かりませんが、少なくとも娘の話を受け止めてあげることは出来たとは思っています。

 ただ、このアイデンティティの問題は、誰に教えてもらうということではなく、自分で悩み考え抜いて結論を出すものだと思います。私は自分が学んだこの本を娘に贈ることにしました。原著を取り寄せ、クリスマスプレゼントとして娘に贈りました。

 私のしたことは、娘に対し「世の中にはあなたより辛い経験をしている人がいる。だから、あなたの問題については重く考え過ぎないほうがいい」というメッセージになるかもしれないと躊躇はしました。もちろん、私の言いたいことはそれではない。娘の苦しみに共感はする。一緒に考える。だけど、ママには示してあげられない他の視点もあるということを知ってほしい。その上で、自分の問題を見つめ直してほしいということです。

 娘と私の「自分探し」は、まだ途上にあります。 

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