2022年1月22日土曜日

ブルドッグ

  「寝る子は育つ」ー。このことわざは、やはり当たっているのだと娘を見るといつも思います。娘は寝るのが大好きで、暇さえあれば寝ています。適切な時間帯にしっかりと寝ると成長ホルモンが促されるということですし、地面に垂直に負荷がかかる重力に対して逆らわない時間が長い。だから、身長は伸びるのだなぁ、と娘を見上げながらつくづく納得します。

 もちろん、身長193㌢(かつては195㌢でしたが、縮まりました)の夫の遺伝子を引き継いでいるということもあるでしょう。でも、夫より背が高い弟の娘3人は、奥さんと同じぐらいの身長。奥さんは白人にしては小柄で私(158㌢、2㌢縮まりました)と同じぐらい。ですので、我が娘の181㌢という身長は遺伝子だけでは説明できないのです。

 娘の睡眠の長さと身長の関係に気が付いたのは数年前でしょうか。娘の身長とは全く関係ない自分の経験から、そのことをふと思いつきました。私の髪の毛についてです。若いころの私は朝シャワーを浴びて、髪を洗っていました。そしてドライヤーもかけずにそのまま放っておいても、髪が自然に乾いて、良い感じにまとまりました。たとえ、夜に洗っても、朝もう一度髪を濡らすという作業をしていたほどです。おそらく、40代まではまともにドライヤーをかけたことがありません。

 若いころは髪に苦労をしたことがない代わりに、今は、とても苦労しています。髪が全体的に薄くなり、こしもないので、髪がぺしゃんこになるのです。たまたま、夜に髪を洗いドライヤーをかけて整えて寝ました。そうすると、あらまぁ、朝、ちょうどよい感じに立ち上がっていることに気が付きました。ですが、夕方ぐらいになると元に戻るのです。で、それを見て気が付いたのは「重力」です。

 寝ている間は毛の立ち上がりのてっぺんから頭皮までの方向に重力がかからない。だから、髪がふわりとする。ですので、朝起きてしばらくの間はふわりとした髪でいられる。でも、私の髪の毛は細いので、重力に負けてぺしゃんこになってしまう。それを、娘の身長に当てはめるとあの”尋常ではない”背の高さは説明がつくのではないか。

 娘の睡眠時間は長い。その長い間、頭からつま先までの方向に重力がかからない。そうして、日中活動してもその方向に重力が影響する時間は短いので、身長が伸びるー。そういえば、夫も夜は9時ごろには寝ますし、仕事が休みの日はごろごろ寝ています。おそらく、小さいころから睡眠時間が長かったのでしょう。

 前置きが長くなりましたが、これから本題に入ります。以上の理由で、学校の新型コロナ対策のため今在宅でオンライン学習をする娘は、勉強している以外は寝ています。先日、その娘に話すことがあり、部屋に入りました。設定は昼間、娘がベッドに寝ていて、私が娘の部屋に入り、下を向いて娘に話しかける形です。私を見上げている娘がぎょっとした顔で言いました。

「ママ、ヤバいかも。ほうれい線がくっきり!ブルドッグみたい!」

「えっ?」

 気が付いていました。マスクを着用し続けているこの2年間で、顔の下のほうがたるんできたことを。年齢にせいかもしれませんが、とにかく、あごの線がゆるんでいるのです。娘に鏡を借りて、鏡を下の方に持って、私が鏡を見下げる形にしました。ぎょっとしました。

 なんと! ほうれい線がくっきりとして、かつ、あごの線がゆるゆるです。真っすぐに鏡を見ているのよりも、ずっと老けている私が写っていました。これはオバサンというよりおばあさんの顔です。

「本当!これはまずいね。ねぇ、こうしたらどう?」

私は口角と頬を上げて微笑んでみました。

「ママ、そのほうが良いよ」

「でも、こうすると目の周りのしわが目立つんだよね」

「ママ、この際、目の周りのしわより、ほうれい線やあごのラインの緩みのほうが問題だと思う。目のしわなんて、私だって笑ったら出来るんだから、気にすることないよ。それに、笑ってできるしわって素敵じゃん」

 それから、私は日常生活でも口角と頬を上げるようにしています。大体忘れますので、思い出したらするという程度ですが。

 昨日の週1回のバレエのレッスン中もマスクの下で口角と頬を上げていました。この努力、結構辛い。でも、深いほうれい線とあごの線の緩みを放っておくわけにはいきません。

 美容は私にとって長い間優先順位の最下位に位置してきました。必要性は常に感じてはいましたが、とにかく、自分の容姿の改善にまで手が回らなかった。このつけが回ってきてしまいました。そろそろ努力をしなければ…。それにしても、娘の遠慮のないひと言は有難い。現実を知ることが出来ます。

「また、何か気が付いたら言ってね」と娘に言いました。娘が言います。「ダディに前『ダディ、ちょっと臭いかも』と言ったら、キレたから、もう言わないんだ。ママがそう言ってくれるんなら、気付いたことあったら言うね」

 まぁ、キレるという反応は大人げないですが(いつもです)、夫の気持ちは多少は理解できます。私が息子にそういうことを言われたら、かなり落ち込むと思いますので。同性の娘だから、「有難い」と思えるのでしょう。

 とうことで、朝のパックを欠かさない娘に見倣い、私も朝パックを始めました。娘によると、「ママはトイレを使ったときに、さっとトイレ掃除するって言っていたでしょう? その”ついでに”の発想を、美容にも当てはめるんだよ。だから、顔を洗ったついでにパックをして、そのまま朝ご飯を作るとか」ー。娘のアドバイスにいちいち納得する私です。


2022年1月17日月曜日

ヴァイオリン二重奏

  先週金曜日に修士論文を提出したこともあり、週末はゆったりとした気持ちで子どもたちに向き合うことが出来ました。

 土曜日は午前と午後の2回、ヴァイオリンのレッスンがありました。午前10時から息子、11時からは娘の通常のレッスンです。これは夫が送迎を担当。午後は4時から、22日の発表会に向けてピアノの伴奏に合わせるレッスンがありました。これは私が担当しました。

 今回の発表会では、娘が私の大好きなクライスラーの「愛の喜び」を演奏します。幾人もの著名なヴァイオリニストがこの曲を弾くのをCDやユーチューブで聴いてきましたが、娘がこの曲を弾けるほど上達してくれて、感慨深い。

 先生によると、この「愛の喜び」はおしゃれに弾けるかどうかが、鍵になるそうです。指の動きが速く、娘は時折眉間にしわを寄せて弾いています。ですが、とても軽やかに弾けていました。

 息子が演奏するのはヘンデルの「ソナタ 第3番 ヘ長調第2楽章」。頑張っています。娘に比べてヴァイオリンに対する熱意は少ないのですが、最近は自分から「練習する」と言うこともあります。奏でる楽しさを少しは感じてくれているのかもしれません。

 今回は、娘と息子が初めて合奏します。演奏するのはパッフェルベルの「カノン」。家でも練習しますが、土曜日に初めてピアノに合わせて2人が演奏しているのを見て、じーんときました。曲の最後に2人で顔を見合わせるタイミングが合わず、娘に「遅いよぉ!」と注意され、苦笑いをする息子。そんな姿も愛おしく、本番でもないのにビデオと携帯電話両方で撮影を続けたのでした。親ばかですね。

家で練習する子どもたち。ヴァイオリンを交換し、娘が息子の3/4サイズを、息子が娘のフルサイズを演奏。娘が弾くと3/4サイズも良く聴こえるから不思議

  最近、自宅でも一緒に練習をするようになった子どもたち。22日の発表会、上手に弾けることを願っています。

2022年1月16日日曜日

修士論文を提出

  14日午前9時48分、論文を大学院に提出しました。正午が締め切りでした。論文のPDFと学位申請書、ほか2つの書類をインターネットを通じて送付しました。

 3人の教官に読んでもらい、21日に助言をもらいます。それらを反映させた最終の論文の提出日は2月18日。2月19日にプレゼンテーションがあり、それで一連の手続きが終わります。

  研究論文のテーマを絞り、そのテーマに近い研究をする教官幾人かに相談したのが昨年1月、そして指導教官が決まったのが2月。それからが長かった。

 研究計画書を書き、倫理審査に申請。何度も書き直し、資料を足し、ようやく承認が下りました。データを取得し、分析ソフトの使い方を学び、データを分析できるように整理し、ソフトに取り込み、ようやく分析です。膨大な時間をかけた分析結果を図や表にまとめます。そして、論文を書いていきます。

 論文は題名、要旨、目次、序論、方法、結果、考察・結論、謝辞、参考文献の9つで成り立っています。昨年の大晦日に指導教官に「考察」の部分が不十分なまま提出し、1月4日に直しがきました。その直しを反映させ、「考察」を書き込んで11日に再提出。翌日、「考察」でいくつかの書き直しを指摘され、原稿が戻ってきました。が、もうそれ以上頑張れませんでした。

 「精神的に消耗し、もうこれ以上は出来ません。先生のご指摘を反映できませんので、それに伴う評価は受け入れます」とコメントを添え、13日に指導教官に再提出しました。

 そして、指摘を受けた文法上・表現上の間違い(論文は英語で書きました)や改善点はすべて反映させましたが、「考察」の書き直しはしないまま、大学院に提出しました。 

 通常は、文章を書いたときは納得いくまで書き直し、推敲します。が、今回は出来なかった。1年がかりの研究に、気力の最後の一滴まで使い果たしていました。

 本来なら研究が優先順位の一番に来るべきなのでしょうが、私にとって子育てが最優先。今、手をかけなかったことが、子どもの将来に大きく響くことだけは避けなければなりません。

 栄養のある食事を作り、健康や安全に細心の注意を払い、勉強に遅れていないか目を配り、習い事の送迎をし、子どもたちと話をして学校生活や友人関係に黄信号が灯っていないか確認するー。これらに時間を使うと、予定していた研究の時間が思うように確保できないこともあります。時間がない中で研究に取り組むと、気力がすり減っていきます。

 最後は開き直りました。研究の遅れは取り戻すことが出来ます。が、子育てについては、今優先順位を間違えると取り返しのつかないことになる可能性もあると考えました。

 でも、私は恵まれていました。夫は在宅勤務ですので手伝いをしてくれ、また、近くに住む83歳の母は自立しています。また、指導教官にも中学生と小学生の子どもがいるため、理解をしてくれました。子どもたちはそれぞれに手がかかりますが、素直なので、許容量を超えるような事態にはなりません。

 夫が20代で修士号を取得していたことも助けになりました。抱えている家族も社会的責任もない20代に、修士課程の最後の1年間は全ての時間をデータの解析と論文執筆に費やしたという経験を持つ夫。そういう経験をした夫は、私のように家族やそれに伴う責任もあり、記憶力も集中力も下がっている50代で挑戦することは簡単ではないーと理解してくれたのです。

 ひと区切りがついたので、この週末は論文に関することは一切しませんでした。子どもたちのヴァイオリン発表会に向けての練習に付き合い、遅れを取っている息子の勉強をしっかりと見ました。明日から、指導教官の指摘を受けた点について一つ一つ書き直していく作業をする予定です。骨の折れる作業ですが、頑張ります。

2022年1月15日土曜日

弓を引く

  インターナショナルスクール11年生の娘から昨日の夕方、電話がありました。金曜日なのでお友達とクレープでも食べに行くのかな?と思いきや、「来週月曜日から、またオンラインになるの。荷物をたくさん持ち帰るから、ママかダディに駅まで迎えに来てほしいの」と言います。

 高校生の中で1人、新型コロナウイルスの感染者が出たことによる措置だそうです。今週月曜日に新学期が始まって1週間しか経っていないのに、です。

 爆発的に増えている感染者数。私たちが住む東京の昨日の感染者数は4千人、娘の学校のある神奈川県は千人を超えました。そのような中、学校でクラスターを発生させてはいけないという判断がなされたのでしょう。オンラインになったのは高校生全クラスだそう。「高校生は授業ごとに教室が替わるから、どの生徒が感染者のいた教室にいたかなんて分からないんだと思う」と娘。

 しばらくしてから、同じ学年の保護者のライングループには早速、「息子が、また2週間オンラインだって言っているんだけど、本当? 信じられない」というメッセージが。文末に涙のマークが付けられていました。

 狭い家で、再び、夫と私、娘の3人が終日過ごすことになります。救いは地元の公立小に通う息子が、通学してくれること。公立小では全国的に閉校となったとき以降、感染者が出ても基本的には閉校にはしませんので、本当に助かります。

 約1時間後、娘は学校に置いてある教科書や課題など大荷物を持って帰宅しました。

 さて、娘は毎週金曜日に弓道を習っています。2年前から、区の弓道場に通っています。昨年はずっと休会でしたが、10月から再開しました。オミクロン株の広がりで、また、休会となるかもしれませんが、昨日はとりあえず、ありました。

 弓道場は車で30分ほどのところにあるため、夫か私が送っていき、娘が練習する2時間をその弓道場で待ちます。昨日は私が行きました。この冬休み、娘に弓道着を買ってあげたので、それを着て練習する姿を見るのを楽しみにしていました。再び休会となるかもしれないので、その前に見ておきたいと思いました。

 弓道着を着た娘はなかなか様になっていて、格好良かった。体が大きいので、購入した道着は一番大きいサイズです。使わせてもらっている弓も一番大きいサイズということで、弓を引く姿は堂々としていました。

 この弓道着を買った老舗の弓具店の人が「身長180㌢を超える女の子は初めて見ましたよ。何年か前に170㌢以上の子が買いに来たので、もう少し大きい子も買いにくるかもしれないと思って、大きいサイズを仕入れておいたの」と言いながら、店の奥から取り出してきた上衣と袴。それらを娘が試着して、ぴったりと合ったときは嬉しかった。

 お店の人が「初めて見ました」と言ったときは、大きくうなずいてしまいました。そうでしょう、そうでしょう。私だって初めて見ましたもの、180㌢超の女子。それも、170㌢を超え、175㌢を超え、遂には180㌢を超えた過程も間近で見ています。女の子がここまでの身長になるのは可能なんだというぐらいの驚きですよ。

 娘には小さなころバレエを習わせていました。体の小さな子たちが、くるくると踊る中、ひょろりと身長が高い娘は重心が高く、かつ筋肉もついていないので、なかなかうまく踊れなかった。いつも先生に怒られていました。身長が大きくなり過ぎて、自分でも自分を持て余し気味だった娘。でも、弓道というスポーツを見つけて、挑戦し、楽しんでいます。その姿を見るのは親としてとても嬉しい。

 自分の番が終わると、娘はちょこちょこと私が待っている場所に来ます。

「ママ、静電気がすごいんだよ。袴がタイツにくっついちゃうの」と袴を引き上げます。

「あらっ、大変。パチパチするでしょ。今度、静電気を防ぐスプレー買ってあげる」

「うん。仲良くしてもらっている人が、ユニクロで静電気の起きないタイツ買えるよって教えてくれたんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、今度買いに行こうね」

「うん!」

 そう言いながら、また道場に戻っていきます。週に1度開かれているこの会に参加しているのはほとんどが大人。娘はここを心地良く感じてくれていることも、親として嬉しい。いくつかの「居場所」を確保することは、大人にとっても大切です。子どもにとってもそうだと思います。学校や友人関係がうまくいかないとき、別の場所に行って気分転換できるー。そういう場所を1つでも持っていることは心の安定につながると思います。

 帰宅は9時を過ぎました。帰りの車の中で、娘が学校での出来事、悩みなど、いろいろ話してくれました。来週から再び自宅でオンライン授業という残念なニュースもありましたが、娘の弓道を見てゆっくりと話も出来た、良い一日だったのでした。

2022年1月13日木曜日

朝寝坊

 昨日はうっかり朝寝坊をしてしまいました。起きたのは午前6時50分。あと10分で娘が家を出るという時間でした。娘も夫もその時間に起きたので、家族全員が寝坊です。

 朝起きて、娘のお弁当を作るのは私の楽しみの一つ。前日からメニューを考え、お肉など素材を準備します。昨日は娘の好きなローズマリーをまぶしたサーモンと卵焼きを作る予定でした。

 いつもは私が娘を駅まで車で送るのですが、昨日は私の準備が整わず、夫が送ることに。お昼代とお茶を持たせると、娘は慌ただしく玄関を出て行きました。いつものハグも出来なくて、私は車に乗り込んだ娘に「いってらっしゃい!」と手を振るだけ。

 人生に幾度か、普通の穏やかな日に予想だにしないショックな出来事が起きたことがありますので、このようないつもとは違う流れの日は、「娘に何かあったらどうしよう?」と不安が頭をもたげます。

 ざわざわとした不安を感じながら、寝坊してしまったことを反省していたとき、ピンと携帯電話の着信音が聞こえました。見てみると、娘からです。母親を気遣うメッセージが入っていました。娘はこういうところがとても優しいのです。きっと、私が落ち込んでいるなと思ったのですね。

 娘のメッセージに救われた日でした。

2022年1月12日水曜日

築地に行く日は…

  今日は3ヶ月に一度の診察日でした。昨年は新型コロナウイルスの影響か、患者の数も少なく感じられましたが、今日はとても混んでいました。血液検査をするのに30分以上待ちました。

 私が通う国立がん研究センター中央病院は築地にあります。私はがん以外に2つの自己免疫疾患をこの病院で治療し、現在も薬を服用していますので、入院したり頻繁に通院していた時以外でも少なくとも3ヶ月に1度はこの病院に行っています。ですので、この病院は私にとっての「居場所」の一つです。

 治療で辛いこともたくさんありましたが、「ここに来れば大丈夫」という安心感を持っています。私はどこかに帰属しているという安心感が好きですので、病院でさえも私にとっての心地よい居場所になるのです。

 以前の主治医、そして現在の主治医とも何度も薬をやめることについて話し合いました。前の主治医は「薬をやめることによるリスクのほうが、薬を続けることによるリスクを上回ります」と言い、薬をやめることを勧めませんでした。

 当時、私はまだ若く、薬に頼り続けることが嫌で早くやめたかった。でも、今は薬を飲み続けることに全く抵抗はありません。もし薬をやめて再発をすれば、治療が降り出しに戻ってしまいます。そんなリスクを取るぐらいなら、微量の薬を飲みながら、生きていくほうを選びます。私も年を取りました。

 現在の主治医は、前の主治医より「やめる選択もある」という前向きな考えでしたが、現在は、もう勧めません。何度かしてみた検査結果が万全ではないため、リスクを取るべきではないという考えに傾いているようです。

 ですので、血液検査をして薬を処方してもらうため私はずっと3ヶ月に1度はここに通っているのです。

 ここに来る楽しみはいくつもあります。病院内のカフェで「北海道クリームチーズケーキ」を食べること。病院の近くのお寿司屋さんに行くこと、築地駅近くで売っているたい焼きを食べること。

 今日はたい焼きを食べました。出来たてのアツアツを店内でほおばりました。とても幸せな気分になりました。家族と、母にもお土産に買いました。皆、とても喜んでくれました。たい焼きは人の心をほんわかと温かくするようです。



2022年1月11日火曜日

再び札幌ラーメン

  昨日は息子の冬休みの最終日でした。娘は学校、在宅勤務の夫も珍しく出勤しましたので、久しぶりに私と息子で過ごす一日です。

 「お昼ご飯何食べたい?」と聞くと、「ラーメン!」と即答します。やっぱり札幌味噌ラーメンです。母も誘いましたが、「寒いしねぇ。オミクロンが怖いから、せっかく誘ってくれたけど遠慮するよ」とのこと。で、息子と二人で行くことにしました。

 人気の「北海道らーめんみそ熊」。いつ行っても満席です。今日も若い店員さんから「満席ですので、食券を買って外でお待ちください」と言われました。息子はいつもの「厚切りチャーシュー入り札幌味噌ラーメン」、私が普通の「札幌味噌ラーメン」を買って外で静かに待ちました。

待ちきれないとばかりに店内をのぞく息子

 外で待ちながら、改めてメニューを見てみました。店主の言葉がつづってあります。

「昔ながらの札幌味噌らーめんに惚れ込み、その味を再現したく修業を重ねた。ごまかしの効かない手作りの製法に徹し、毎日丹精込めて作るスープは、豚ガラ、鶏ガラ、香味野菜をふんだんに使い 自家製味噌は、白味噌をベースに甘味を引き立たせ こしの強い卵麺と合わせました。注文ごとに中華鍋で一杯、一杯、真剣に作ります」

 いいじゃないですか。この心意気。こちらこそ惚れますよ。だから、頻繁に通うんです。しばらくして、お客さんが満足そうに出ていきました。店員さんがすぐテーブルを片付けてくれ、私たちを招き入れてくれました。

 食券を渡すと、店員さんがいいます。「無料で大盛りに出来ますが、いかがなさいますか?」「厚切りチャーシュー入りを大盛りで」と息子。私は「札幌味噌ラーメンのほうは普通でいいです」。そして、「お得意様カード」にポチっと2個スタンプを押してもらいます。5個たまると餃子、10個たまるとラーメン1杯をサービスしてくれるという太っ腹な店なのです。

 ラーメンを待つ間、息子が食券を買う人々を観察します。「ママ、あのおじさん、3人前を注文したよ!」 後ろを振り返ると体格の良い男性が、ちょうど食券を手にしたところでした。息子が指さしたボタンには、「北海道」ならぬ「でっかいどう」という名前のついた食券が売られていました。いいなぁ、こういうおおらかなネーミング。道産子としてはたまりませんね。

「食べてみたい?」

「もちろん! 今は無理だけど、中学生ぐらいになったら挑戦するよ!」と息子。その日を楽しみに待ちましょう。

 そうこうするうちに、厚切りチャーシュー入り大盛り札幌味噌ラーメンが来ました。息子は「待ってました!」とばかりに、ずずずっとこってりラーメンをすすったのでした。

ラーメンを勢いよくすする息子


2022年1月10日月曜日

一姫二太郎

  昨日は娘の冬休み最終日で、朝食にホットケーキを作ってくれました。本当は前日の夜息子が「明日の朝はホットケーキ作るね」と言って張り切って起きたのに、息子の後にむっくりと起きてきた娘に主導権を奪われてしまいました。それでも、何の疑問も持たずにあっさりと補佐役に回るところが、面白い。

 私は2階のリビングで年末に提出し、指導教官に修正を求められた論文の書き直しをしていました。補佐役はホットケーキを焼く手伝いをしながら、「呼ぶまで降りてこないでね!」と私へのメッセージの伝達役も兼ねます。それでも、表情が生き生きとしているのですから、弟って不思議です。お姉ちゃんと一緒に何かをするのが、大好きなのですね。

 「ママ、出来たよ!」と息子に呼ばれて下に降りていくと、ランチマットと同じ柄の皿に、ハート型のホットケーキが載っていました。丁寧にカットしたキウイフルーツも、綺麗に横に盛り付けられています。

 娘は小さなころから、絵を描いたり、料理をしたりするときに手間をかける子でした。勉強が忙しくなり、これらの頻度は少なくなりましたが、それでもたまに取り組むときはとても丁寧にします。食べるのがもったいないくらいでしたが、美味しくいただきました。

娘と息子が作ってくれたハート型のホットケーキ
 
 朝食を作るのに先立って、娘と息子がしていたのは何と「朝パック」。いつもは私が何度言っても「面倒!」と言って顔を洗わない息子なのに、娘に言われるとパックまでしてしまうのです。バンダナを巻いて、真面目にパックをする息子の姿には笑えました。

朝パックをする娘と息子
  
 「一姫二太郎」の子供がいるママ友たちといつも話すのは、「娘の言いなりで、かつ、嬉々として娘に従う息子を見ていると、彼女のお尻に引かれている将来の息子を想像してしまう」ということ。姉は強し。


 

2022年1月9日日曜日

娘と私の「自分探し」

 「ママ、相談があるの。私、自分のアイデンティティが良くわからないんだよね。私は日本に生まれたけど、日本人じゃない。かといって、アメリカ人でもない。インターナショナルスクールに通っているから、日本の教育も受けていない。いったい、私は何者なのだろう?」

 いきなりの相談で、戸惑いました。このことを相談されたのは昨年の11月。学期の途中で勉強も忙しくなっている中での相談でした。これは難しい問題です。ハーフの生きづらさについては良く聞きますが、高2の娘にも同様の悩みが出てきたようです。

 娘のクラスメートの約半分は、ドイツやフランス、アメリカやブラジル、韓国など世界のあちこちから親の仕事の関係で日本に来ている子たち。残りは娘のようなハーフの子と日本人です。

 海外から来ている子どもたちは親の仕事の任期が終われば、また別の国に行く、もしくは帰国するという暮らしをしています。ですので、祖国はあるけれども、どこかに帰属しなくても生きて行かれるのが彼らのアイデンティティなのかもしれないと考えていました。

 娘の場合、日本生まれの日本育ちで、たまたま父親がアメリカ人というだけ。日本の国籍も持っていますし、日本語も話します。が、インターナショナルスクールに通って多様な背景を持つ子どもたちと一緒に学び、さらに海外の指導要領に基づき英語で教育を受けているということで、アイデンティティ形成に様々な影響が出来てきているのでしょう。

 学校では「ハーフの子どものアイデンティティについて」という講座もハーフの子どもたち対象に開かれているようです。長年ハーフの子どもたちを育ててきたインターでも、これは大きな問題に違いありません。

 実は母親の私も、去年あたりからアイデンティティの問題で悩んでいます。というより、私の悩みは「アイデンティティの問題なのではないか」と気付き、その視点で私の抱える問題を考えると、絡まっていたものがすっきりとすることに気が付いたのです。

 つまり、私ががんという病気を38歳で患うまでの自分に対する評価と、それ以降の病気と闘っていたとき、そして社会復帰をした後の自分の評価が全く違うことに気が付いたのです。私自身であることは変わらないのに、社会的な自分の立ち位置が違う。そのことが自分の自分自身に対する評価を変えることにつながりました。

 その移行は簡単ではなく、精神的な苦しみが伴いました。その苦しみを軽くするために、関連する本もたくさん読みましたし、昨年は思い切ってがん患者専門の精神科医によるカウンセリングも受けました。が、どれも私の助けにはならなかった。カウンセリングにいたっては8回を終えて、「先生には共感も理解もしてもらえませんでした。仕方がないので元気に生きて行くことにします」と新たな決意表明までして診察室を出たほどです。

 それほどまでに私は年齢も経験(苦しい経験も含め)も重ね、おそらく、抱えている問題も複雑で、一つの側面に焦点を当てただけでは解決できないものなのでしょう。まぁ、良く言えば”一筋縄ではいかない人間”、悪く言えば”面倒な人間”になっているのかもしれません。

 そのような中、タイトルを見るだけではアイデンティティとは関係ない本で思いがけず、問題の解決の糸口となるようなものを見つけました。昨年読んだ本の中で、もっとも深く考えさせられ、たくさんの学びがあった本です。邦題は「ホロコースト 最年少生存者たち 100人の物語からたどるその後の生活」(レベッカ・クリフォード著、柏書房)です。この本を読んで、私の”問題”の軽さを認識するとともに、この本に書かれた事実に深く深く考えさせられたのです。


 この本はイギリスの研究者によって書かれました。ホロコーストを生き延びた、当時10歳以下の子供だった人たちをインタビューし、各国の史料を調べ、書き上げられた本です。自分の出自を隠し、名前を変え、家族とも離れ、生き延びるためにあちこちを転々とした子どもたち。彼らはどうやって自分の人生を生きていったのか、どうやって自分自身を取り戻したのかーを書いています。

 私のつたない文章で説明するより、本の中の文章をそのまま引用したほうがこの本の内容が伝わると思いますので、一部を引用します。

「私たちは自分の出自を知らないまま自分の人生を理解できるのか、という疑問である。幼年時代にホロコーストを経験した子どもの場合、戦前のことなどぼんやりとしか覚えていないか、戦前自体を経験していない。また、幼いころの日々の記憶を埋めようにも、それを教えてくれる大人がいない場合が多い。その結果、自分の原点の物語を組み立てようと、何十年も苦闘することになる。その原点が、自分の人生の物語を構成する単純だが基本的な要素、自分のアイデンティティに欠かせない要素だからだ。…本書は、そんな特権を持たず、自分の過去の物語を断片的な情報から紡ぎあげていかなければならない状況に置かれた人間が成長し、年をとっていくとはどういうことなのかを中心テーマに据えている」

 娘にアイデンティティの問題を相談されたとき、私は自分なりに考えることを娘に話しました。それが参考になったかどうかは分かりませんが、少なくとも娘の話を受け止めてあげることは出来たとは思っています。

 ただ、このアイデンティティの問題は、誰に教えてもらうということではなく、自分で悩み考え抜いて結論を出すものだと思います。私は自分が学んだこの本を娘に贈ることにしました。原著を取り寄せ、クリスマスプレゼントとして娘に贈りました。

 私のしたことは、娘に対し「世の中にはあなたより辛い経験をしている人がいる。だから、あなたの問題については重く考え過ぎないほうがいい」というメッセージになるかもしれないと躊躇はしました。もちろん、私の言いたいことはそれではない。娘の苦しみに共感はする。一緒に考える。だけど、ママには示してあげられない他の視点もあるということを知ってほしい。その上で、自分の問題を見つめ直してほしいということです。

 娘と私の「自分探し」は、まだ途上にあります。 

2022年1月8日土曜日

東京に雪が降った日

  一昨日、今冬初めての雪が降りました。住んでいる区から「大雪警報」のメールが入ってきましたので、娘に「大雪警報が出たよ」と伝えると、「最強じゃん!」と満面の笑顔です。

 デッキに雪が積もっているのを見て、息子が「ミカンを外に出したら、どうなるんだろう?」と娘に聞きます。小学校の給食で出される冷凍ミカンが大好きだった娘は早速「じゃあ、冷凍ミカン作ろう!」と提案。早速、二人で雪の中に置きました。息子は皿の上に載せ、娘はそのままというのが面白い。 

デッキに置いたミカン

 家族それぞれに仕事や習い事、用事(娘は半年ぶりの美容室)があり、ようやく一緒に雪遊びが出来るようになったのは夕食後の午後8時過ぎでした。息子は張り切ってスキーウエアと帽子を取り出してきました。今は近くに住む母が、まだ札幌にいた3年前の春休みにスキーに連れて行ったときに着たウエアです。当時大きめのものを買いましたので、何とか着られました。

 まずは雪だるまづくり。娘が体の部分を、息子が頭を作ります。車や自転車の上に積もった雪をかき集めて、大きくしていきます。真っ白の可愛い雪だるまが出来ました。

雪だるまを作る子どもたち

 雪だるまを作った後は、親子で雪合戦です。子どもたちのはしゃいでいる様子を見るのは本当に嬉しいし、幸せを感じます。特に最近勉強の時間が長くなっている息子が、こうして日常の中に遊びを見つけて楽しそうにしている様子を見ると、ほっとします。

 雪遊びが終わって家に入り、次は「冷凍ミカンを食べよう」。子どもたちはそれぞれにデッキに午後中置いてあったミカンを持ってきて、皮をむいてほおばりました。息子に「冷凍ミカンどう?」と聞いてみました。

「冷凍ミカンというより、冷たいミカン。やっぱり給食で食べる冷凍ミカンにはならないんだね」と真顔で答えました。東京に珍しく降った雪で、雪だるま作りも雪合戦も、理科の実験?も出来ました。とても充実した一日だったのでした。

2022年1月7日金曜日

お正月に泣いた

  皆さま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。皆さま、どのようなお正月を過ごされましたか? 我が家は例年通りの穏やかなお正月でした。

   元旦は母の招いておせち料理を食べました。毎年作る「うま煮」は子どもたちがあまり好みませんので、今年はチャーシューに挑戦してみました。子どもたちに大好評で、ほっ。来年からおせち料理のメニューに加えることにしました。豆きんとんもまぁまぁの出来。


 この後、地元の神社に初詣へ。もう十数年ここの神社に行っていますが、今年ほど参拝者の列が長かったことはありません。コロナ禍、皆さん思うところがあって地元の神社にお参りしたのでしょうか? それとも今年は遠くの神社ではなく、近くの神社でーと考えたのでしょうか?

 2日は母のマンションに行き、私たちはお寿司を子どもたちはピザをご馳走になりました。夕方から、娘のリクエストに応えてカラオケへ。この冬休みの娘から私への要望は①ラーメンを一緒に食べに行く②カラオケに一緒に行く③美容室に連れて行く④弓道着を買いに行く⑤睡眠障害の病院に連れていくーです。⑤については次の機会に説明しますが、とりあえず、着々と娘の要望を叶えていくことにしています。

 カラオケは数年前に一度連れて行きましたが、新型コロナウイルスの感染が広がったため、その後は連れていけませんでした。今回の、子どもたちとの2回目のカラオケ(夫は不参加)は、思っていた以上に楽しかった。

 前回はほとんど見ているだけだった息子も小4になり歌える曲も増えました。娘は先日お友達と行って練習したこともあり、レパートリーがたくさん。私も昔の歌を歌い、楽しみました。本当に久しぶりですので、声はあまり出ませんでしたけど。

 娘が歌ってくれた曲の中に、「沈丁花」という歌がありました。若い男性のグループ「DISH//」が歌っている曲で、中学受験を描いたテレビドラマ「二月の勝者 絶対合格の教室」の主題歌です。

「いつもいつもありがとね。なんでそれが言えないのだろう。…平凡でごめんよ母さん。ただいま『おかえり』あと、あのさ。いつもいつもありがとね。なんでそれが言えないのかな。『選ぶ道より、選んだ勇気じゃない?』 そう言ってくれたあなた」

「平凡でごめんよ母さん」で泣きました。涙が止まりませんでした。中学受験に向けて勉強する息子に重なりました。

 中学校受験を決めたのは私です。息子の通う小学校の同級生の多くが中学校受験に向けて塾通いをする中、「中学校受験をさせない」という確固たる”教育方針”を持ち得なかったのは母親の私です。

 中高一貫校に入り、息子の大好きなスポーツに打ち込んでほしい。皆が塾に通って先んじた勉強をする中、娘がかつて地元小学校で抱いた疎外感を息子に抱いてほしくない。期待と不安が入り混じった気持ちで息子の中学校受験を決めました。

 塾のほかにいくつも習い事をさせているのは、息子の将来に何らかの役に立つと思うからです。趣味で楽器を弾けることは、息子の人生を豊かにするに違いない。そう考え、バイオリンを習わせています。練習する時間はほとんどありませんが、週1回弾くだけでも意味があると考えています。

 水泳教室やかけっこ教室も、息子の得意なスポーツを続けたら、それが息子の自信になると思うからです。

 英語教室に通わせるのも、息子がハーフということもありますが、バイリンガルに育てれば息子の将来の選択肢が増えると考えるからです。

 息子はそれらの習い事をバイオリン以外、自分で希望して始めましたので、2つの習い事が重なる日も含めて、今のところ何の疑問も抱かずこなしています。でも、これらに塾が加わっている今、息子の日々は忙しい。私たち親が出来るのは、送り迎えをしっかりとし、スケジュール調整をし、そして習い事のスケジュールに合わせて、夕ご飯やおやつを準備するくらいです。

 たぶん、多くの親は子供に人生で何かを成し遂げてくれたらと期待しつつも、平凡で十分と考えていると思います。でも、平凡で穏やかな人生を送り続けるのはそれほど簡単ではありません。特に高齢で息子を出産した私は、それを十分分かっている。「芸は身を助く」ということわざがあるように、親として子どもに出来ることは勉強も含め「芸」を身に付けさせることと考えてしまうのです。

  そして、再々発がんを治療し寛解状態にある私は、いつ、また再発するか分かりません。そのときはかなり大変な治療になる。もしかしたら、今のように子どもたちの世話が出来なくなるかもしれない。ならば、動ける今のうちに子どもたちに最善と考えることをしてあげたいという気持ちもあります。

 これらの親としての気持ちが、この歌詞にある「平凡でごめんね母さん」と言わせてしまうプレッシャーになってしまうかもしれないーと、この歌を聴いて気付きました。

 帰宅後、ユーチューブでこの歌を何度も聴きました。また、泣きました。感情が揺さぶられました。でも、でも、やはり息子が「もう嫌だ」というまでは、中学受験に向けての塾通いは続けさせたい。また、習い事も特にスポーツはギリギリまで続けさせたい。

 子どもたちと楽しんだカラオケ。そこに、子育てにおいてのとても大切な気付きがありました。