2020年4月25日土曜日

スーパーで入場制限 生協は個数制限

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、小池百合子都知事がより一層の外出自粛を都民に求めた「ステイホーム(家にいよう)週間」が今日から始まりました。これまでも外食も外出も控えていた中、スーパーでの買い物で少し気分転換していましたが、それも3日に1度ということに。気分は塞ぎますが、でも、ここが踏ん張りどころです。

 昨日、スーパーに行くと、入場制限がなされていました。スーパーの入り口前で、前のお客さんと間隔を置いて待ち、買い物を終えた人が出てくると入れる仕組みです。
 
近所のスーパの入り口前に掲げられた入場制限のお知らせ
店の外で待つお客さんたち
「ステイホーム」するために1日3食を家で作らなければなりません。子どもたちは3月2日から、夫は3月中旬から「ステイホーム」しているので、ずっと一緒に食事をしています。子どもは育ち盛りですので、とにかく、食料品の減り具合が早い。それにお魚や野菜、果物などは新鮮なものを食べたいので、気分転換というより、必要だからスーパーに行っていたのですが、昨日は少しまとめ買いをしました。

 我が家の冷蔵庫は大きくないので、キャンプ用のクーラーボックスをキッチンに置いて、食料品の一部を入れることにしました。

 昨日の金曜日は、生協の配達日。食料品調達のために重宝しています。マスクや除菌ウェットティッシュなど衛生用品はほとんど買えませんが、食品だけは買えましたので、「北海道産枝豆」などは近所の母の分もまとめて買ってました。ところが、です。

「食品も個数制限となりました」と配達員さん。
「注文が増えていますので、皆さまの手に入るように、1品目1点となりました」とのこと。まるで、トイレットペーパーではないですか。

 いつまで続くのでしょう。この生活。数日前に行われた、娘の学校の先生との「オンライン保護者会」では、校長先生から「夏休み後も学校を再開せず、オンライン授業が続くかもしれません」という恐ろしい見通しが示されました。

 「ゴールデンウイーク明けに息子の学校が再開しますように」と願っていましたが、もしかしたら、それも難しいかもしれません。
 

 
 

2020年4月21日火曜日

スーパーに「コロナビール」復活

 こんなときに不謹慎ですが、でも、こんなときだからこそ、気持ちが持ち上がる話を。新型コロナウイルス感染拡大を受け、店頭から消えていたメキシコの「コロナビール」が復活しました。気持ちが塞ぐニュースが多い中、久しぶりに嬉しい出来事でした。

 製造元のグルポ・モデロがこの「コロナビール」を含む全製品の生産を一時停止するというニュースを新聞で読んだのは4月4日。他紙をインターネットでチェックしてみると、生産の一時停止は「生活に必要な産業以外は活動を停止するよう」求める、同国政府の要請に応じたものということでした。

 新型コロナが広まり始めてからというもの、「ウイルスと同じ名前なんて、不運だよなぁ。影響が出なければいいな」と思っていましたので、このニュースを読んだときは「やっぱりね」と思いました。新聞によると、コロナビール「Corona Beer」は、コロナウイルス「Corona Virus」と発音が似通っていることから、海外では「公共の場では買わない」などと自粛の動きも出ていたということ。こういう自粛の仕方もあるんですね。

 トイレットペーパー騒動のときは出遅れましたので、今回はすぐにスーパーに行きました。缶入りを4本購入し冷蔵庫へ。次に買えるのはいつになるか分かりませんので、2本飲んで2本は残しておきました。

 で、昨日スーパーで夫のビールを買ったときに見つけたのです。お馴染みの「Corona」というラベルを見たときは素直に嬉しかった。トイレットペーパーやキッチンペーパーもそうですが、普段、店の陳列棚にあるものがなくなるのは寂しいし、それらが戻ってくるとほっとします。早速、瓶ビールを1本買いました。 

スーパーの陳列棚に戻ってきたコロナビール
自宅の冷蔵庫にとっておいた2本の缶と、昨日買った瓶ビール


米ジョンズ・ホプキンズ大学によりますと、日本時間の4月21日午後5時時点でのメキシコの感染者は8,772人で、712人が亡くなっています。感染者数は日本より少ないですが、死者数はずっと多い。経済活動は停滞したままだと想像します。今回、商品が戻ってきたのは一時的なものかどうか分からないですが、久しぶりに気持ちが明るくなったのでした。

2020年4月19日日曜日

オンラインエクササイズ

 新型コロナウイルス対策による休校措置で、在宅学習をしている娘は運動不足解消のため、連日ジョギングとエクササイズに励んでいます。
 
 最近は、中国・深セン市に住む友達と一緒に”オンラインエクササイズ”を楽しんでいます。中国で一番人気の「Wechat」というアプリを使って携帯電話でつながりながら、互いにパソコンでユーチューブのエクササイズ動画を同時間に見て一緒に運動するのです。深セン市のお友達は3月2日に休校が始まった娘よりずっと早くに休校になっています。だから、娘より運動不足の悩みが深刻なのだそうです。

 娘曰く、「一人でエクササイズするより、友達と一緒のほうが楽しいし、途中でギブアップしないの」とのこと。
 
友達と携帯電話でつながりながら、一緒にエクササイズをする娘
私はただただ「すごい!」と驚くばかり。若者たちは発想の転換が早く、今あるツールを使って楽しく出来ることを見付けられるのですね。それに私を含め悲観的な大人たちのように「こういう状況でも、前向きに生きよう」などと自分に言い聞かせなくても、自然に前向き。

 それにしても、インターネットを使っての学習環境が整っているかどうかは、こういう有事に大きな差となって出ると実感しています。いくら在宅勤務を勧められても、その環境が整っていなければ仕事が出来ないのと同様、学習も同じです。

 インターナショナルスクールに通う娘は休校が始まった当日から、自宅でのオンライン授業を始めています。毎日、学校と同じ始業時間に授業が始まり、先生とのやり取りがあり、宿題もあり、テストもあり、友達とは画面を通じてつながれる、という生活です。授業が始まる午前8時15分から終わる午後3時半まで毎日、拘束されています。

 9年生(日本の高1)ですので、中にはちゃっかりした生徒もいて、パソコン画面では授業にきちんと参加しているようにしながら、顔が映らないように操作してある。そんなときは先生がその子の名前を呼び、返事がない場合は他の生徒に「●●君に誰か電話してくれる?」などとチェックを入れている。

 こういう風景を間近で見ると、オンライン授業は提供する側がしっかり管理すれば可能なのだと分かります。逆に、やる気のない先生は生徒に課題だけ出して、画面から消えてしまうので、生徒がだれてしまうこともあります。実際、娘は自習になると勉強以外のことをし始めます。やはりオンライン授業は学校側の体制の整備状況と、教師の資質に左右されるようです。

 一方で、地元の公立小学校に通う息子は、休校による影響をダイレクトに受けています。「学業の遅れ」と「生活の乱れ」です。3月2日から終業式までの休校を緊張しながら何とか乗り切った後、ようやく新学年にというときに再び休校になり、気持ちが緩んでしまったようです。

 学校側も準備が整わない中での休校措置の延長。学校から配られたのは2年生の復習と、先生が慌てて作ったと見られる社会と保健体育のプリントのみ。それと毎日1個ずつ漢字を覚えること。それも1日1時間も取り組めば終わる内容で、課題はあっという間に終わってしまいます。

 そもそも4月の休校は10日間余りの予定でしたので、それ以降の対応は親に任されています。休校措置の延長により「教育格差」が生じていることを懸念する声も出てきていますが、我が家の子どもたちを見ても、その格差の意味がよく分かります。

 つまり、お金も手間もかけてもらっている子どもと、そうでない子には歴然とした差が、学びにも生活にも出るのです。子どもがもともと自主的に勉強できる子だったり、親が子どもにつきっきりになれば話は別でしょう。たとえば、親が始業式に配布された教科書に目を通し、「教科書の音読をしよう」「次は鍵盤ハーモニカを練習しよう」「理科の時間は花を育てて観察しよう」などと学習スケジュールを立てて、新しいことは親が教えるんだという気構えがあれば、子どもも1日楽しく学べるでしょう。

 が、そのスケジュールを立てたり、管理したり、側について教えるにも時間と忍耐力を要します。2年生の復習は3月1カ月間の休校のときに嫌というほどさせています。親にも仕事があり、家族が家にいる分増えた家事があるので、子どもがビデオをずっと見ていても目をつぶるしかありません。だって、少なくとも、子どもはその時間は安全にかつ退屈せずに過ごせるのですから。

 今回の長い休校措置では、学校にも親にも大きな課題が出来ました。いま、医療従事者の方々は、毎日必死にこのウイルスと闘ってくれています。命と健康の重みを考えれば、今の状況は何とか乗り切れるはずです。

 少なくも手元には新3年生の教科書10冊余りと鍵盤ハーモニカ、リコーダー、パソコン2台、テレビもあります。出来ることをしましょう。我が家はお姉ちゃんに教育費がかかっている分、弟には公立校で頑張ってもらわなければなりません。それでも、なぁ・・・。ビデオを見たり、ソファに寝っ転がったり、おもちゃで一人遊びをしている息子を見ながら、「まぁ、いいか」という自分もいるのです。

 

2020年4月16日木曜日

ベアになりたい

「ママ、ここ縫ってくれる?」
朝、新聞を読んでいると息子が私のところに「ベア」を持ってきました。赤ちゃんのころから一緒に寝ているクマのぬいぐるみです。よくよく見ると、1㌢ほどの穴が開いています。8年間、使い続けてついに縫い目がほつれてしまいました。

「ママ、ここに穴が開いているの」と息子
「いいよ」と言うと、息子がこう続けました。
「ありがとう、ママ。今日の夜までに縫ってね」

ここだけの話ですが、この春小3になった息子はまだ、クマのぬいぐるみと一緒に寝ています。昼間一人遊びをするときも、置き方は顔が下になったり、部屋の片隅にころがっていたりとちょっと乱暴ですが、近くに置いています。

新型コロナウイルスの感染防止のために休校になってから、部屋に作った”隠れ家”の中にも、ちゃんとベアを寝かせました。

このように、息子は赤ちゃんのときから、「ママよりベア」。だから、いつも私は「べアになりたいな」と思います。こんなに息子に愛されて、必要とされて幸せだな、ベアはと。

ボロボロになったベアの普段のお手入れは、息子が学校に行っている、よく晴れた日に丁寧に手洗いして、外に干すこと。洗剤の匂いが、息子の匂いに変わったころが洗いどきです。今回はほつれたところを丁寧に縫いました。縫い終わって息子に渡すと、「わぁ、穴がなくなったね」ととても喜んでくれました。

塞ぎがちな今日このごろ、息子の大切にしているものの手入れをすることで、気持ちが少し和らいだのでした。

このブログでは、6本の記事でベアのことに触れています。よろしければ、読んでみてください。
http://ar50-mom.blogspot.com/search?q=%E3%83%99%E3%82%A2&max-results=20&by-date=false

2020年4月14日火曜日

凧揚げ

  昨日の大雨から一転して気持ちのよい晴れとなった14日は、在宅勤務の夫が息子を近くの川まで連れて行ってくれました。

 しばらくしてから、夫から写メールが送られてきました。息子は凧を持っていったようです。夫に「川に行くぞ!」と言われて、部屋に仕舞ってあった凧を持って行ったんですね。


 家族で外出するとき、息子はリュックサックにカードやオセロなど、皆で遊べるものを詰め込みます。それが結構気が利いています。今日の凧もそうだったんだろうな、ダディに誘われて急いで部屋に取りに行ったんだろうな、と想像します。娘に比べて、ダディからの愛情が少なめな息子は、ダディと2人だけで過ごす時間をとても喜びます。きっと息子の心は弾んでいたんだろうなと微笑ましく感じました。

 新型コロナウイルス対策でずっと家にいなければならないけど、こうして広々としたところで遊ばせるのもたまにはよいなぁと、連れ出してくれた夫に感謝。

2020年4月13日月曜日

イースターエッグ・ハンティング

 12日はキリスト教の「復活祭」の日でした。十字架にかけられ死んだイエス・キリストが復活したことを記念する、キリスト教徒にとってとても重要な日です。今年は新型コロナウイルスの感染が広がっているため教会での礼拝は出来ませんでした。が、夫と子どもたちは「オンライン礼拝」で祈りを捧げ、「イースターエッグ・ハンティング」を楽しみました。

 イースターエッグ・ハンティングは、復活祭を祝うために飾り付けられた鶏卵をあちこちに隠して、探し当てる遊びです。子どものときにこの行事が大好きだったという夫が、娘が0歳のときから毎年欠かさず行っています。私はクリスチャンではありませんが、一緒に楽しみます。

 まずは卵を作ります。白い卵を赤、緑、青などの食品着色料で染めて、クレヨンで絵を描きます。15歳の娘も8歳の息子も、張り切って作りました。
 

 ランチには近所に住む母を招待。ランチの後は卵を持って、近くの公園へ。この日は母の体調も良く、一緒に行きました。公園では順番に、木のへこんだ部分や草の中などに卵を隠して、ハンティング。






 


 外出自粛要請が出されてから、ジョギングや散歩、食料品・日用品の買い物以外は家にこもる日々。久しぶりに外で遊べて、子どもたちも母もとても喜んでいました。

 この日の夜、娘の学校の友達から新型コロナウイルスに感染したという連絡がありました。最初に感染したのはその友達のお父さんで、お父さんは入院しており、症状の軽い友達は家にいるようです。

 身近な人が感染したのは初めてです。我が家はほとんど外出していませんが、「とにかく家にいよう」と、気を引き締めたのでした。

2020年4月11日土曜日

外出自粛の週末 それぞれの過ごし方で

 昨日10日は、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区築地)での3カ月に1度の血液検査・診察の日でした。公共交通機関は避け、車で行きました。

 汐留インターチェンジで降り、病院の近くに来ると普段は見られないタクシーの長い列が出来ていました。外出自粛で街は人通りが少ないため、お客さんを確実に乗せられる病院に集まったようです。

 駐車場に車を停めて病院内入り、再診受け付け機の方に向かうと張り紙がありました。医師1名の感染が確認されましたが、外来病棟はアルコール消毒を完了いますーという内容です。同病院では9日までに看護師と医師計6人の感染が確認されています。

 正面玄関の近くには2台の発熱検知カメラが設置されており、職員がパソコン画面に映る患者らをチェックしていました。このカメラで発熱していることが分かると、体温計で再度測定するようです。私はこの病院にかれこれ17年間通っていますが、このような”厳戒態勢”は初めてです。

正面玄関近くに設置された発熱検知カメラ2台
血液検査を受けにいくと、いつもは混んでいる待合室には患者さんが数人しかいません。番号を呼ばれて検査室の中に入ります。看護師さんに聞いてみました。
「今日は空いていますね」
「はい、今回オンライン診療で薬を処方できるようになりましたので、病院に来るのを控えている患者さんが多いんです。それと、しばらくの間は新規の外来患者さんは受け入れていませんので、それもあるかもしれません」

 検査を終え、結果が出るまでの時間はいつものように院内のカフェへ。街中ではスターバックスなどはすでに休業となっていますので、院内のカフェが開いていて、ほっとしました。普段と変わらないものがあると気持ちが和らぎます。でも、通常はもっと混んでいるのですが、お客さんはまばら。現在入院患者との面会も禁止されていますので、外来患者とその付き添いの人ぐらいしかいないのでしょう。 
検査の後にケーキを食べるのをいつも楽しみにしています
さて、診察時間近くになり待合室へ。いつもとは違い、診察室のドアが開いて、カーテンで仕切られています。番号を呼ばれて、診察室に入りました。検査結果を見ますと、今回もがんの再発を表す数値も、2つの自己免疫疾患の数値も正常値。安堵しました。先生に聞いてみました。

「先生、私の場合、コロナウイルスに感染した場合は、重症化しやすいのでしょうか? リンパ腫はずいぶん前に寛解となっていますので大丈夫だと思うのですが、自己免疫疾患は影響しそうです」
「自己免疫疾患というより、薬ですね。プレドニン(ステロイドホルモン剤)は飲み続けていると、重症化する可能性は否定できません。ですので、人との距離を開けて、外出はなるべく避けてください。ご家族にも、飲み会などの外出は控えてもらってください」

 そうか、病気そのものではなく薬の影響が考えられるのですね。その薬をまた、3カ月分処方してもらい、帰宅しました。

 さて、この日は金曜日。オンライン授業を終えた娘は夕方、ジョギングへ。私は2階でパソコンを開いてブログを書いていました。「ママ~」と娘がトントンと階段を上がってきます。ジョギングの途中で私の好きなチョコレートを買ってきてくれ、お茶も入れてくれたようです。路上に落ちていた花を拾ってきてくれ、イラスト付きのメッセージも添えてありました。娘は小さいころから、このようなさりげない優しさを示してくれる子なのです。

娘が買ってきてくれたチョコレート。お茶も入れてくれました



 夫はダイニングテーブルでワインを傾けながら、上海にいる同僚たちと「オンライン飲み会」をしています。パソコンの画面に同僚たちが映っています。彼らもワインを飲みながら、楽しそうに話しています。話題の中心はやはり、コロナのようです。スタッフを何人も解雇した現地法人もあるらしく、自分たちは大丈夫か、などと話しています。でも、笑い声が聞こえますので、「不安なのは自分たちだけでない」ということなのでしょう。


 子どもたちはベッドルームで買ってきたお菓子をほおばりながら、パソコンで映画を観ているようです。外出自粛の週末、マイヤー家はこのようにパソコンを前にそれぞれの過ごし方で、息抜きをしたのでした。

2020年4月9日木曜日

緊急事態宣言翌日 街の様子は

 新型コロナウイルス感染拡大を防止するため「緊急事態宣言」が出された翌日の8日、私は大学の図書館に向かいました。5月6日までの全校舎閉館の前に8、9日の2日間のみ図書館の書籍や資料の貸し出しができると連絡があったためです。

 自宅から大学まではドアツードアで1時間弱。その道程で、「やはり、街は昨日までと違う」と実感しました。まず、駅併設のショッピングモール内のほとんどの店が閉まっていました。ワインショップ、はちみつ屋さん、衣料・雑貨店、食器店、花屋さん、カフェ、そして書店です。私の本を置いてくれている書店が閉まっているのはとても寂しく感じました。愛想は悪いけど、心の温かい店長さんの顔を思い浮かべながら電車に乗りました。

駅併設のショッピングモールはスーパーとドラッグストア以外は5月6日まで閉店
学校の最寄り駅で降り、階段を登り切ると入口で女性がマスクを配っていました。驚きました。
「これはどこからの提供ですか?」と聞いてみると、女性がにこりと笑って答えました。
「当社の社長が、うちで何かできることはないか? 在庫があるマスクを皆さんに配ろうと言い出しまして、交差点でこうして皆さんにお配りしているんです」
「そうですか。とても助かります。どちらの会社ですか」
「近くの不動産会社です」
女性は会社名を名乗ることなく、また、通る人にマスクを配り始めました。
 気持ちがほんわかと温かくなりました。

 図書館で必要な資料をコピーした後は、コンピュータールームへ。9日からオンラインで始まる講義のレジュメをコピーするためです。しばらくすると、一緒に学んでいる大学院生が入ってきました。都内の病院に勤務する乳腺外科の医師です。私の通う大学院の院生の4割は医師で、皆、仕事をしながら学んでいるのです。本当に頭が下がります。

「大変なことになっていますね」
「えぇ、僕は担当ではないのですが、医師が足りないので、もうすぐ駆り出されるかもしれません。とにかく、スタッフが足りないんですよ。連日、たくさんの患者さんが来て・・・」

しばらく、都内の病院の医療体制の話をした後、質問をされました。
「がんセンターには行っていますか?」
以前、私が国立がん研究センター中央病院で治療をしたと話したのを覚えていたのですね。
「ええ、たまたま、今週の金曜日は血液検査と診察の日なんです」
「もし延期できるなら、診察日を延期したほうがいいですよ。うちの病院はまだスタッフから感染者は出ていないけど、がんセンターは出ているでしょう。今はとにかく病院に近付かないほうがいい」

現場の医師の言葉は説得力がありました。

 さて、自宅に帰って間もなく、歯科医院から電話がありました。
「明日、予約が入っていますが、キャンセルさせてください。緊急事態宣言が出されて、救急の患者さん以外は治療を控えさせていただくことが決まりました」

 歯科は最も飛沫感染が起こりやすい場所なのでーという説明がありました。歯の痛みがありましたが、まだ、我慢できる痛みです。対象期間が終わるまでは待つことにしました。耐えられない痛みになったときは、診てもらえるそうです。

 マスクを配ることを思い付いた不動産会社の社長さんのように、「私が出来ることは?」と自問自答する毎日。でも、臨時休校の子どもたちの世話をしながら、出来る取材は限られていて、刻々と変わる情報のスピードに追い付かない。そんなじりじりとした気持ちを夫に言うと、夫が言いました。 

「この状況下、どこで感染するか分からない。とにかく、家にいてくれないか」
 
 夫の言うことはもっともだと自分に言い聞かせました。

2020年4月7日火曜日

大学院が閉鎖 緊急事態宣言で

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて7日、安倍首相は「緊急事態宣言」を出しました。期間は5月6日までの1カ月間で対象は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県です。新聞などで報道されていましたが、実際に出されてから改めて、この緊急事態宣言が実生活に及ぼす影響を肌で感じました。

 まず、私が通う大学院からメールが届きました。図書館を含む大学・大学院の施設をすべて閉鎖するといいます。追伸で「研究上で必要な書籍を借りる必要がある場合は8日9日の2日間に来館ください」という案内がありました。考えてみれば、小学校から高校までの教育機関は休校となっていますので、当然です。いくつかの講義はオンラインで今週から始まっていますが、クラスで行われる講義はすべて5月まで延期となりました。

 次にメールが来たのは、私が所属する「日本記者クラブ」です。ここもすべての施設を閉室するといいます。新型コロナ関連で会見も行われていましたが、これは今後ネットでライブ配信になります。また、同クラブが入っている日本プレスセンタービルも休館です。同ビルには地方紙が何社も事務所を構えています。これらは報道機関なので閉鎖中でも入れると想像するのですが、どうなのでしょうか。

 そのほか、夫が通うスポーツクラブも休館。息子が通う公文教室も先月末に一旦再開したもののまた、お休みに。息子の通う「かけっこ教室」も娘が通う「弓道教室」も先月からお休みです。5日に再開されたばかりの息子の水泳教室からはまだ連絡がありませんが、明日にも来るでしょう。

 緊急事態宣言が出されるということは、これまで当たり前のように利用していたもの、行っていた場所がなくなるということ。今日の夕方、娘のヴァイオリンレッスンがあり、帰りにチーズケーキ屋さんに寄りました。そこも約1カ月の休業。張り紙を見たときは仰天しました。チーズケーキは食べ物です。確かに「社会生活を維持する上で必要」ではないですが、人々にとってささやかな楽しみの一つ。そのケーキ屋さんさえ営業が出来なくなるのですね。


 感染者が増え、ウイルスがじわりとこちらに忍び寄っているような気もします。私は免疫力が弱く、「寒さ」や「薬の減量」などが理由で発症する自己免疫疾患を持っています。そういう理由にさらされると体が反応して、赤血球や血小板など自分自身を攻撃してしまうのです。「新型コロナウイルス」などという得体のしれない”敵”が体内に入れば、また攻撃対象を間違え、ウイルスではなく自分自身を”やっつけてしまう”かもしれません。

 大学院や日本記者クラブの閉鎖の話をしたとき、夫が言いました。「ああ、良かった。実は君が取材で外出するたびに、心配していた。学校が始まれば、ウイルスに感染する確率も高くなると思っていた」と。私の行動に対して口を挟まない夫ですが、実は心配をしていたのですね。申し訳なかったなと思いました。

 今私がウイルスに感染すれば、家族に大変な迷惑がかかります。また、面倒な病気を抱えた上でのウイルス感染だと病院にも迷惑をかけてしまいます。私のような人間はとにかく人に迷惑をかけないよう、感染しないことを最優先にしなければと気を引き締めました。


2020年4月6日月曜日

息子が3年生に 上履き入れ作る 

 息子の通う小学校で6日、始業式が行われました。3年生になった息子は張り切って学校に行きました。母親の私はこの日に合わせて前日、久しぶりにミシンを使って縫い物をしました。作ったのは、新しい上履き入れです。
 
 これまで息子が使っていたのは、幼稚園入園時に作った袋。当時履いていた靴のサイズは16㎝ぐらいでしたので、いま履いている22㎝の上履きを入れるのにはきつかったのです。2年生になったころから、「そろそろ新しいのを作らなきゃ」と思ってはいたのですが、忙しさに紛れているうちに3年生になってしまいました。で、新型コロナウイルス感染拡大防止のため「不要不急の外出自粛」となっている今しかない、と重い腰を上げたのです。

 布は当時、上履き入れとお弁当袋、着替え入れと絵本袋をお揃いで作った後の余り布を使いました。物を捨てられない私は、いつかまた何かを作ろうと物置の収納ケースに仕舞っていたのです。「断捨離」など片付けの本を読むと、このような使わない過去の趣味のものは「今を生きる」ために処分すべきと書いてあります。でも、やはり、私は捨てられない。

 収納ケースには娘のために作る予定だった洋服やバッグ、クッション用の布、息子に編むはずだったセーター用の毛糸などがたくさん入っています。今回気付いたのですが、あの経営破たんしたローラ・アシュレイの布もテーブルクロス用に2枚分もありました。「こういうのってメルカリなんかで売れるんだろうな(難しそうなので、売ったことはありません)」と思いつつ、「いずれ、時間ができたら縫おう」と思い、収納ケースに戻しました。

 息子用の、クリスマスプレゼントを入れるソックスは作りかけのまま仕舞ってありました。双子の子どもたち(一人は天国にいます)と夫と自分用には作ってあり毎年飾るのですが、息子の分はありません。クリスマス近くになって「作らなきゃ」とは思うのですが、忙し過ぎて、時間が取れない。そして既製品のソックスを飾ってお茶を濁している間にクリスマスが終わってしまうのです。この布も、「クリスマスが近くなったら、縫おう」と収納ケースに戻しました。

 娘用の「習い事用バッグ」も作りかけのまま。紺色の布だったので、「上履き入れに丁度いいかも」と引っ張り出したら、なんと生地にポケットが付いていたのです。フエルトで作った花のアップリケが縫い付けてあり、娘の名前も刺繍してありました。ポケットを作って布を縫い合わせる段階で、力尽きたのですね。

 自分で言うのも何ですが、丁寧に作ってあるポケットを見て思いました。「こんな可愛らしいアップリケのついた手提げバッグなんて、身長179センチの今の娘には不釣り合いだなぁ」と。物にも”旬”があります。その”旬”の時期に作り終えて娘に使ってもらえなかったこの中途半端な布はいったいどうすればいいのでしょう。時間がかかっているので、捨てるに捨てられません。「後で考えよう」とまた、収納ケースに戻しました。

 で、息子の上履き入れです。久しぶりに取り出したミシンを動かしてみると、下糸を入れるボビンケースがうまく動かなかったり、上糸と下糸の調子が合わなかったり、調整に時間がかかりました。でも、余り布で試し縫いしているうちに調子が出てきました。このミシンは私が中学生のときに母が買ってくれたものですので、40年間!も使っているのですが、ちゃんと今回も動きました。母が「月賦」で買ってくれた、母曰く「当時としては高かった」ミシンがこうして40年経った今でも働いてくれるなんて、感慨深い。

 ラッキーなことに収納ケースには持ち手用のひもや金具も買い置きしていました。これだから我が家は物が多いんですね。でも、買い物に行かずに用が足りました。仕上がったのは、前回よりかなり大き目の上履き入れです。

真ん中が今回作った上履き入れ。幼稚園入園時に作った袋(右)は色あせています
ちょっと大き過ぎたかなと思いましたが、息子に見せると「6年生になっても使えるね」と喜んでくれました。6年生になった大きな息子がこれを持つ姿を想像すると不釣り合いな感じもしましたが、とにかく今はこれがぴったり合います。それで良しとしましょう。

 さて、1時間も経たないうちに帰宅した息子に聞くと始業式はグラウンドで行われたようです。たくさんの教科書と宿題を持ち帰ってきました。7日からはクラスを3つの時間帯に分ける「分散登校」と決まっていましたが、急きょ前日に保護者への一斉メールがあり、5月6日まで臨時休校となりました。臨時休校が始まったのは3月2日ですので、2カ月も家にいることになります。お友達とも遊べないので子供たちは可哀想ですが、仕方ありません。

 東京都の感染者は週末の4日が110人、5日143人、月曜日の6日は83人でした。感染者が増え、医療の現場では医師や看護師の方々の負担が重くなってきています。私たちができるのはなるべく家にいて感染を避け、医療従事者の方々の負担を少しでも減らすこと。そのために、今回の休校を子どもたちと向き合う良い機会と捉えたいと思っています。
 

2020年4月5日日曜日

新型コロナ アメリカからのメール

 「お元気ですか?世の中はコロナウイルス騒ぎで大変なことになっていますが、どうしていますか? 私たちはずっと家にいます。先が見えず、怖いです。病気も怖いし、景気が悪くなることによる社会不安もとっても心配です。銃を買い占める人がたくさんいるとニュースで報道していました。日本も大丈夫だといいですが、心配です」

 サンフランシスコに住むMさんからメールが来ました。Mさんは30年来の友人で、20年以上もアメリカに住んでいます。Mさんが帰国したとき、私がアメリカに行ったときに会い、友情はずっと続いています。お互いにアメリカ人と結婚して子どももいることから、共通の話題もたくさんあり、ちょうど2月に恵比寿の和食店で会ったばかり。私もMさんのことを心配していたところでした。

 世界で一番感染者が多いアメリカで、最も感染者が多いのはニューヨーク州で、2番目のニュージャージー州、3番目のミシガン州に次いで、カリフォルニア州の感染者数は4番目。すでに1万5千人が感染し、死者数が350人に迫っています。Mさんの不安はとても良く分かります。

 同国では、新型コロナウイルス感染拡大が社会不安を巻き起こし、銃を買う人が増えているといいます。4月2日のCNNニュースでは、米連邦政府は2日までに、銃器や弾薬の販売店を「必要不可欠なサービス」に認定したことを報じています。これにより、外出禁止令の下でも営業継続が認められます。

 ウイルス感染拡大が銃や弾薬の購入につながるとは、アメリカは本当に恐ろしい国です。そんな国でキャリアを積み、家庭生活を営み、しっかりと子育てしてきたMさん。何とか、この危機を乗り切ってほしいと心から願います。

 週末は、シカゴに住む夫の両親ともテレビ電話で話しました。義父母は元気でしたが、1カ月近く家にこもっていて、辛そうでした。寒いので散歩も出来ないようです。食料品は義弟がスーパーで買い、義父母の家の玄関前に置いておくといいます。義父母は義弟が帰ったことを確認してから、玄関まで食料品を取りに行くという徹底ぶり。高齢者は重症化しやすいため、義弟が感染源にならないようにと配慮しているようです。

 義母は「イリノイ州で、医師や看護師が亡くなっているの。外に出られないのは辛いけど、我慢するわ」と言います。夫も、「とにかく、家にいてくれ。また、電話するから」と心配そうです。やはり、遠くに離れていると状況が分からず、不安も大きくなります。私も義父母の感染だけでなく、運動不足が後に持病の悪化などにつながらないか、心配しています。

 さて、「不要不急の外出」を避け、マイヤー家ではこの週末も家族だけで過ごしました。土曜日、子どもたちは母に招待され、母の家にランチを食べに行きました。私と夫はスパークリングワイン、クラッカーとチーズを持って、ケンタッキーフライドチキンでチキンを買い、近くの公園で食べました。神経質な夫が「外食は嫌だ」というのでピクニックにしましたが、久しぶりに夫婦でのんびり話ができて良かったです。


 日曜日は母をランチに招待。私は腕によりをかけて母の好きな豚汁、エビ・イカのチリソースを作りました。5つのトレーにお料理を並べながら、「家族が皆無事で、一緒に食事が出来るのは幸せなんだ」と改めて思いました。


 義父母も子どもや孫たちとこうして食卓を囲みたいに違いありません。事態が収束し、世界中の人々に穏やかな日々が戻ることを心から願います。

2020年4月3日金曜日

夫の給料20%カット 新型コロナの影響で

 外資系企業に勤める夫の給料が今月から20%カットになることが正式に決りました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ビジネスが滞っているためです。夫の企業はイギリスに本社があるコンサルティング会社の日本法人。「この状況下、職があるだけまだまし」という夫の受け止めはもっともだと思います。

 アメリカや中国の現地法人ではすでにスタッフが解雇されており、オーストラリアでは一律25%の給料カットだそうです。夫の不安は今や給料カットではなく、会社そのものの存続です。欧米諸国に比べて感染拡大が比較的抑えられている日本でさえ、「新型コロナウイルス」関連の倒産が出始めています。ましてや、海外に本社を置く夫の会社は倒産とまでいかなくても、会社の経営が傾き合併や買収などで体制が変わる可能性もあります。

 東京商工リサーチによると4月2日現在、2月以降の新型コロナウイルス関連の倒産は15件。弁護士一任などの法的手続き準備中は18件で、合計33件が経営破たんしたといいます。

 15件の倒産を都道府県別で見ると東京都が4件、次いで北海道が2件、そのほか沖縄県など9府県。北海道から沖縄まで倒産は広がっています。おそらく、今後もっと増えるでしょう。それらの会社には勤務していた人がたくさんおり、また、ご家族もいるでしょう。その方々はどれほどの不安を抱えているかと想像すると胸が痛みます。

 感染者が世界で最も多いアメリカでは、先月28日までの1週間の失業保険申請件数は664万8000件に上ったそうです(2日のNHKニュース)。その前週は330万件といいますので、職を失い不安を抱える人がこれほど多くいるのです。日本でも、派遣スタッフが契約を更新できなかった、新卒生が内定を取り消されたというニュースが連日報道されています。いったい、この新型コロナウイルス禍はどこまで広がるのでしょうか。

 さて、給料20%カットが決まった夫、6月までの休校・オンライン授業が決まったインターナショナルスクール9年生の娘に続いて、心配だったのが今度小学校3年生になる息子の通う地元公立小学校の対応です。すでに東京都教育委員会が都立高校と特別支援学校の大型連休明けまでの休校を決めていますので、我々が住む区ではどのような対応をするのか心配していました。今朝ようやく、学校から保護者宛てに一斉メールが来ました。

 「2年生~6年生の保護者様
 4月6日(月)の始業式は予定通り実施いたします。当日の朝は熱を測り、健康観察をしてから登校させてください。マスクを必ず着用し、8:25分までにランドセルで登校します。教科書を配布しますので、大きな袋を持たせてください。下校は9;20頃の予定です。なお、4月7日(火)以降の登校につきましては、本日夕方以降、緊急連絡メールでお知らせする予定です」

 

始業式があると聞き、喜んでマスクを作る息子

終業式の日にクラスメートが持参し「マスクは作れる」と分かったそう。作り方はユーチューブで学んだよう
7日以降のことは分かりませんが、とりあえず安堵しました。毎日状況が変わる中、1日でも確実で以前と変わらないことがあるのはこれほど安心できるものなのですね。夫や子どもたちが毎日元気に登社・登校していた当たり前の日々がどれほどありがたかったか、と実感しています。
 

2020年4月1日水曜日

志村けんさんの死に思う

 新型コロナウイルスに感染し、東京都内の病院に入院していた志村けんさんが29日に肺炎で亡くなりました。志村さんのご家族はお顔を見ることも出来ず、火葬にも立ち会えなかったといいます。ご家族にも会えない状況で、志村さんはどんな思いであの世に行かれたのだろうと考えると、胸が詰まる思いがしました。

 新聞報道によりますと、志村さんは19日から発熱や呼吸困難の症状があり、20日に都内の病院に搬送。23日に新型コロナの検査で陽性が判明したそうです。体調不良を感じてから亡くなられるまで10日。あっという間です。

  病院のベッドで、「自分はこのまま死ぬかもしれない」と思ったのでしょうか。それとも、意識はなかったのでしょうか。苦しみながらも、あの世に待ってくれている誰かがいると思えたのでしょうか。それとも、やり残したこと、愛する人がいて、まだまだこの世に思いを残していたのでしょうか。

 私は「死ぬかもしれない」と覚悟した経験が1度だけあります。私はがん患者で2度再発をし、何度も抗がん剤治療をしていますので、死は遠い将来ではないと覚悟しています。でも、本当に死ぬかもしれないと思ったのは別の病気です。「自己免疫性溶血性貧血」という、自分免疫が酸素を運ぶ役割の赤血球を攻撃する病気です。

 体がだるいなと思い始めてから、数日間で体を動かせなくなり入院。呼吸も苦しくなり、鼻から酸素を補給してもらいました。急激な体調悪化で動揺はしました。が、「これで死ねるなら、いいな」とも思いました。

 私はその1年4カ月前に双子の1人を死産しました。だから、その子が天国で私を待っていると思っていました。娘がたくさんの人に誕生を祝ってもらい、愛されているのに、息子は天国で独りぼっちであまりにも不憫だと思い続けていました。早く天国に行って、あの子を抱きしめたいーそんな思いでいっぱいだったのです。

 だから、迫ってくると感じられた死が嬉しくさえありました。そうこうするうちに意識がもうろうとしました。ベッドに寝ている私が強い力で引っ張られ、体から自分がスポンと抜けました。暗い廊下を引っ張られ、霊安室の前まで連れて行かれました。そのときです。「嫌だ。死にたくない」と思ったのは。力を振り絞って、抵抗しました。そこで、はっと目覚めたのです。

 目覚めると、動揺した夫は私を励ますどころか「シカゴの両親を呼ぶ。両親もムツミにさよならを言いたいと思う」と泣きました。が、私はその後、点滴薬が効き始め快方に向かいました。

 娘には申し訳ありませんが、あの場面で死んでいたら、私は天国に行くことを楽しみにしながら行けました。でも、今、同様のことが起こったら違うと思います。あの世の息子を思わない日はありません。と同時に、私はこの世で娘と15年もの大切な日々を過ごしてきました。あの後生まれた息子とも楽しい時を紡いでいます。死にたくないのは、子どもたちの将来を案じてという理由だけではありません。彼らと過ごすこれからの日々を思うと死ぬに死ねない。もう少し、生きさせてほしいと神様に懇願するに違いありません。

 毎日、日本を含め世界中で新型コロナウイルス感染症による死者の数が増加しています。その方々には家族があり、友人がいて、穏やかな日々があったと思います。そのことを考えると胸が痛みますが、死者数として積み上がっていく数字の恐ろしさにまずは圧倒されます。

 でも、志村さんの死は、自分の体験と重ね合わせて捉えました。テレビを通しての志村さんしか知らないのに、志村さんは病院のベッドに横たわり、病と闘いながら、何を考えたのだろうと思いを巡らせました。

 きっと、私のように考えた人は多いのではないでしょうか。志村さんは私たちに笑いをくれただけでなく、「生」と「死」について深く考える機会を与えてくれました。また、このウイルスを侮ってはいけないと気付かせてくれました。志村さんのご冥福を心よりお祈りします。