2016年2月7日日曜日

カツラ

 前回、母と会ったのは2カ月前の11月です。娘の運動会に来てもらったのです。運動会は母が一番楽しみにしている孫の行事。ですので、毎年来てもらっているのです。そのとき母の頭に発見したのが、5センチほどの「はげ」でした。母は気が付かなかったらしく、私が指摘しても、「年だから・・・」と気にも留めていませんでした。ところが、今回の札幌帰省では、ふんわりとした髪に戻っていたのです。

 母の「はげ」のことをすっかり忘れていた私は、「お母さん、髪いいね」とほめました。すると、母が思いがけない答えをしました。
 「ああ、これ、カツラ。もう何十年も前に作ったのがあったのを思い出したの」とパカッと部分カツラを頭から外します。そう言えばずいぶん前、薄くなった頭頂部を補うのに良いと母が作ったことを思い出しました。ずいぶん古いカツラですが、母の髪と全く同じ色で、気が付きませんでした。カツラを取ったところは、前回より「はげ」の部分が広がり、10センチほどになっていました。

 「もう、さすがにこのままで外出できなくて。どうしようかと考えていたら、ずいぶん前にカツラを買ったことを思い出したのよ」と母は得意そうに語ります。
 「すごいね。お母さんの髪の色と全く同じ色じゃない?」
 「うん。染める色を変えていないから、同じ色なんだね」と母。

 「病院行った?」と聞いてみると、「行ったけど、お年ですからね・・・とお医者さんも気にしていないようだから、気にしないことにしたの」と苦笑いします。
 「それ、円形脱毛症だと思うけど、それ以上広がらなければ良いね」と私。

 実は私は、2度髪が全部抜けたことがあります。1回目は38歳のとき。抗がん剤治療で全部抜けました。2回目は47歳のとき。大きなストレスがかかった出来事があり、抜けてしまったのです。このときは抗がん剤治療のとき一気に抜けたのとは違い、数カ月かけて、全部抜けました。

 最寄りのクリニックや大学病院の皮膚科で処方してもらった薬が効かず、「毛髪外来」がある他の大学病院に行きましたが、医師は「ああ、これは全部抜けますよ。薬は効きません」とあっさり。私は自己免疫疾患を2つ(両方とも、国の難病指定になっています)を患っていて、この脱毛も「大きなストレスがかかって、自分の免疫が、今回は髪を攻撃してしまったんだね」とのこと。自分を守るための免疫が、自らを攻撃してしまうなんて、「ホント、情けないよなあ」と思わず、苦笑しました。

 1回目の脱毛のときは、私は若かった。精神的にもタフで、抗がん剤の治療に入る前にカツラを買い、髪もバッサリとショートにしました。カツラも明るい色の、おしゃれなショートにしました。髪が生えてきた後、カツラは処分しました。夫に、「もう2度とないように、神社で燃やしてもらったらどう?」と勧められ、「お焚き上げ」に出しました。燃え盛る火の中に、カツラを投げ入れ、夫と二人、手を合わせました。今、思い返すと「やることが大胆だよなあ」と、若気の至りを反省します。

 「お焚き上げ」は御札や御守り、正月飾りなどを粗末に扱わずに、感謝の気持ちを持って神社に納める神聖な行事。たとえ、それが「もう2度とがんが再発しませんように」という切なる願いを込めたものだとしても、納めたものは、使用済みのカツラ。罰が当たったのでしょう。私は、がんではなく、違う理由で、また「はげ」になったのです。

 2度目に買ったのは、数カ月かけて髪が抜けた経緯がありますので、部分用カツラといわゆる「全カツラ」。大きな箱に入っているため、処分したいものの一番なのですが、「可燃ゴミ」として捨てても罰が当たるような気がして、捨てられません。年を取り、長い間病気の連鎖の中でもがき苦しんだ後ですので、「罰が当たる可能性があること」をする勇気など、かけらも残っていません。その2つのカツラの箱は、納戸の中で、何となく”偉そうに”大きなスペースを占領しています。

 母のカツラを見て、思いました。また、使うときが来るかもしれないから取って置こうと。たぶん、そのときは、母のように「はげ」も老いの一つの形として、大ごとにせずに穏やかに、受け止めることが出来るかもしれません。

0 件のコメント: