2016年2月21日日曜日

ママ、何で?

  最近、4歳の息子が鋭い質問をするようになりました。「なるほど、そういう疑問もあるのか」とこちらが感心するような質問です。娘を育てていますので、「それどういう意味?」というストレートな質問には、それなりに答えられますが、息子の質問はちょっと答えに窮する質問。で、こちらがしどろもどろになってしまうこともあるのです。

  節分のことです。我が家は節分が大好きです。昨年、3歳のときは、訳も分からず、赤鬼と青鬼のお面をかぶって、「鬼は外!福は内!」をやりました。が、今年、そのイベントが終わった後、登園時に自転車に乗っていたときに、質問してきたのです。

 「ママ、鬼は外。福は内って何?」。オーソドックスな質問です。
 「それはね、家の中の怖い鬼、つまり、悪いことは家の外に出て行け!そして、幸福の福、つまり、ハッピーなことは、家に入ってこい!と願って、鬼は外、福は内ってするのよ」
 「じゃあ、ママ。ハッピーな鬼はどうするの?」

 「ハッピーな鬼」。答えに困りました。ハッピーな鬼が家にいたとしたら、わざわざ、豆をぶつけて、追い出さなくても良いのではないか? ハッピーな鬼が外にいたら、「どうぞ」と家に招待しても良いのではないか、と思いました。

  少し間を置いて、「そうだね。ハッピーな鬼は、家に入れても良いよね」と答えました。

  数日前には、こんな質問。それも自転車に乗っていたときです。
「ママ、朝のクモはどうして殺しちゃいけないの?」。待ってましたとばかりに私は答えます。
「昔からね。朝のクモは神様のお使いと言われているの。だから、殺さないで、外に逃がしてあげるのよ」。
娘なら、「ふーん、そうなんだ。じゃあ、もう、朝のクモは殺さないで、外に出してあげるね」でした。
息子は違いました。
 「じゃあ、ママ。夜のクモは殺していいの?」

  これも、とても想定外の質問でした。が、とても良い質問です。
私は言いました。「いい質問ね。やっぱり、夜のクモも殺さないほうが良いよね」と答えました。さすがに、「夜のクモは神様のお使いではないから、殺しても良いの」とは言えませんでした。
 不思議なもので、私は今でも朝のクモは殺せません。ティッシュでそうっとつかみ、外に逃がします。が、夜のクモはティッシュを重ねて・・・です。そう考えると、親の教えやことわざは後々の行動まで影響するので、しっかり答えなければなりません。

  次の質問は車に乗っていたときでした。窓から外を眺めていた息子が聞きました。
「ママ、どうして月は車と一緒に動くの?」
うーん。これは結構、困りました。答えは実はしどろもどろ。今でも合っているかどうかわかりません。
「今、自分がいるところと、自分から見える物の距離、つまり、遠いか近いかということなんだけど、その距離の違いで、自分が動くと一緒に動くように見えるものと、一緒に動かないように見えるものがあるの。月や山は遠くにあるでしょう。だから、自分が動いても一緒に動いているように見えるの。でも、今、窓の外に見える建物は自分からすぐ近くにあるでしょう。そういう近くの物は自分が動いても一緒に動かないように見えるの」

 自分の答えに自信がないと、多弁に、回りくどくなります。それは、ビジネスの世界も、政治の世界も、子育てでも一緒です。息子は、私のまわりくどい説明を聞き、納得したように答えました。

 「そうなんだ。自分から遠いものは、自分と一緒に動いて見えて、近いものは動かないんだね」。私のつたない説明を、端的な言葉に変えて、答えた息子に私は、感心してしまったぐらいです。

  もう一つは昨日の質問です。朝、自転車で登園するときに、目の前に腰の曲がったおばあさんが歩いていたのです。

「ママ、どうして、おばあちゃんはゆっくり歩くの?」
「それはね、人はみんな年を取ると、若いときに比べていろいろなことが出来なくなるの。たとえば、おねえねえは速く走れるでしょ。ママもおねえねえのように子供だったときは速く走れたけど、今は速く走れないの。年を取るっていうことは、子供のころ、若いころ出来ていたことが出来なくなることなの。だから、あのおばあちゃんは、若いころはスタスタ歩けたけど、年を取ってしまったから、ゆっくりなの」。

 息子は私の長い説明を聞いた後、こう言いました。
「そうなんだ。人は古くなるってことだね。 おばあちゃんは古くなって、足が痛いから、ちょぴっとずつ歩くんだね」

「うん、そうそう、古くなったの」と私。 なんとなく、息子に助けられているような気がしました。




0 件のコメント: