2016年2月4日木曜日

母の涙

 年賀状が自分の気持ちの在り様に影響を与え始めたのは、ここ数年のことだと思います。長年やり取りをしていた人へ出した年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と戻ってきたり、宛名はプリンターで打ち出してありコメントもない年賀状をもらったりすると、気持ちが落ち込みます。51歳の私でさえそうなのですから、78歳の母にとっては年の初めの友人知人からの年賀状は、もっと大きな意味があるのだと思います。今回の4日間の札幌滞在中、母が涙を流して語ったのは、年賀状にまつわる話でした。

 今年は、数人から年賀状が来なかったそうです。いずれも、長年やり取りをしていた律儀な知人だと言います。私も母から何度も名前を聞いたことがある人でした。
 「きっと、何かあったんだと思う」と母は言います。
 「電話してみないの?」と、私は聞きます。電話をかけたくないのだ、かけるのが恐ろしいのだということは分かっていますが、母の話を聞くために、一応聞いてみます。
 「かけない。だって、かけて何かあったことが分かったら、私も落ち込むし。落ち込んだら、立ち直るのに時間がかかるし」と母は言います。
 「そうだよね」と私。母の答えはもっともだと思います。私も体調が悪いときに、健康なときなら聞き流すことも真正面から受け止め、体調が悪化し、元に戻すのに数週間、ときに数カ月かかった経験があるので、母の言うことはよく分かるのです。

 母が次に語ったのは、幼馴染のご主人からの年賀状のことです。
 「あんた、酔生夢死って言葉知っている?」
 「知らない。教えて」
 「実はね、Mちゃんの旦那さんから年賀状があって、その言葉が印刷されていたの。初めて見る言葉で意味が分からなかったから辞書を調べたら、くだらない人生だという意味らしい。ひどいと思わない?Mちゃんがかわいそうだ」と母は涙を流します。

 母の幼馴染のMちゃんは、今、寝たきりの状態です。ご主人と二人で数年前に長年住んだ見晴しの良いマンションを売り払い、老人ホームに入ったのだといいます。Mちゃんは、食事から下の世話までご主人に頼っているらしいのです。そういう状態ですから、母へのMちゃんからの年賀状は来ていませんでした。が、今年になって突然、Mちゃんのご主人から母あてにその年賀状が来たというのです。

 「私に年賀状が来たということは、他のお友達にも出したってことでしょう? Mちゃんのお世話をする人生をくだらないなんて、Mちゃんがかわいそうで、かわいそうで。Mちゃんはね、元気なときは旦那さんのことをいつも自慢していたの。『M子、命って言うのよ』なんて、のろけてね。だから、私たちも『Mちゃん、旦那さんに愛されて幸せね』って言っていたの。それなのに、そのMちゃんの世話をする人生がくだらないなんて。『M子、命』って言ったんだから、最後までMちゃんのことをしっかり世話してあげればいいのに」。母の目からは涙が溢れます。そして、言いました。「こんな年賀状なんて、いらなかった」と。

 「お見舞いはいかないの?」
 「行かない」と母はきっぱりと言います。
 「私が知っているMちゃんは色白でかわいらしくて、元気なMちゃんなの。そういうMちゃんを覚えていたい。寝たきりのMちゃんには会いたくない」

 私は、言いました。「旦那さん、立派な方だったっていつもお母さん言っていたじゃない」
 「そうだよ。いいところに勤めていたんだから」
 「お母さん、こんなこと言うのも何だけどさ。みんな年を取ってきたんだよ。その立派な人が、見た人がこれはひどいんじゃない?という年賀状を書いてしまうんだよ。自制が効かなくなっているんだよ。お母さんの周りで、そういう人増えているでしょう? 頑固な人はますます頑固に、自分勝手な人はますます自分勝手に、その人の欠点が際立ってきているでしょう?」
 「そう言われれば、そうかもしれない」
 「残念だけど、それが年を取るってことかもね。それはお母さんたちの世代だけじゃないよ。私たちの世代だってそうだよ。それは自分も含めてってことだけど」
 「そうだね」。母は涙を拭きました。

 札幌滞在中、母から聞いた話は、愚痴や悪口ではありませんでした。老後の現実でした。
「聞きたくないかもしれないけど、聞いておきなさい。いずれ、あんたも行く道だから」ー。そう言って、母が示してくれた道は、とても過酷で険しい道でした。

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