2016年2月27日土曜日

雪だるま、作ったよ

 朝、娘と夫を送り出した後、4歳の息子がクマのぬいぐるみ「ベア」を抱いて、起きてきました。顔を洗って、着替えをした後、「今朝は、何食べたい?」と聞くと、「うーん、どうしようなかなぁ」としばし考え、「パンケーキ!」と元気良く答えました。そういえば、最近作っていませんでした。久しぶりに私も食べたくなり、一緒に作りました。

 息子は料理が大好き。特に、クッキーやピザなど、粉を使う料理が大好きです。アンパンマンのエプロンをして、踏み台の上に乗り、張り切って作ります。私は材料を測る係で、息子は材料をボウルに入れ、泡立て器でぐるぐる回す係。

 タネが出来上がると、フライパンにいろいろな形を作りました。我が家は、パンケーキを食べるお皿が決まっています。絵のついたお皿です。オレンジ色の「ミッフィ」、黄色の「自転車」、緑の「木」、水色の「ボート」、グレーの「雪だるま」と5枚あり、食べるときに、好きな絵の皿を選びます。

 息子が「雪だるま、作ったよ。ママにあげる」と焼いてくれたパンケーキが、雪だるまの絵にそっくりでした。食べるのがもったいなくて、でも、食べないのももったいなくて、しばし悩みました。結局、温かいうちにパクリといただきました。

                

2016年2月26日金曜日

神様への願い 

 「ママ、今日は願い事が叶ったんだよ」ー。夕食のチキンカツをほおばりながら、インターに通う5年生の娘が興奮気味に報告しました。「あら、良かったわね。何の願い?」と聞くと、「昨日ね、寝る前に神様にお願いしたことなの」と嬉しそうに話し始めました。

 「今日、宿題のエッセイの提出日だったの。もし、提出しなかったら、今学期のこの授業の評価は0点ですって言われていたから、昨日の夜、書き終わろうと思っていたのに、眠くなってしまって。で、神様にお願いしたの。神様、お願いします。私をお守りください。明日の20分休みに仕上げられますように」って。

 やはり、私の血を引く娘です。 大事な宿題をやらずに眠るとは・・・。私は遠い昔を思い出しながら、娘の話に耳を傾けます。

 「でね、休み時間に集中して書いたの。ティッシュを水道の水で少し濡らして、耳栓にして。だって、みんなうるさいんだもの」

 耳栓をして、休み時間に宿題をするー。こんな個性的なこと、小心者の私には決して出来なかった芸当です。

 「クラスメートのみんなは、どんなことして休み時間を過ごしていたの?」
 身振り手振りで説明する娘の話を聞くと、クラスメートも個性派の集まりでした。

 「チキン、チキン、ケンタッキーチキン♪」と「チキンの歌」を歌っているアメリカ人男子。スターウォーズの主題歌を歌っているフランス人ハーフの男子。円周率の暗記をしている日本人女子。ブタのマネをして飛んでいる?アメリカ人女子・・・。私は大笑いしました。なんて皆、ユニークなのでしょう。

 耳栓の効果はあったようで、娘は二十分間でエッセイを仕上げて、先生に提出したそうです。

 「でね、ママ、先生に100点もらったんだよ。すごくない? 0点だったのが、100点だよ!」と娘は興奮しています。

 「で、テーマは何なの?」

 「テレビゲームは子供に良くない、だよ」と娘。意外に真っ当なテーマで、驚きました。

2016年2月23日火曜日

娘からのプレゼント

 幼稚園が終わった後、息子を連れて近くのモールに行きました。子供用品の店が並ぶフロアに小さな子供たちが遊べるコーナーもあるので、寒い日に子供と過ごすのにぴったりな場所です。電車の駅に隣接しているので、電車通学の娘も帰りに寄って(厳格な女子校では考えられないことでしょうが、インターは規則が緩いのです)一緒に帰ることが出来るので、便利なのです。

 息子をひとしきり遊ばせ、その合間にパソコンでブログを書き、一緒にアイスクリームとたこ焼きを食べ終わったころ、娘が到着しました。そのフロアに来るまで、3回電話をよこしました。
1回目: 「ママ、駅に着いたよ。今、行くからね」
2回目: 「ママ、すごい人なの。みんな、モールに行くみたい」
3回目: 「ママ、4階だよね。見えないよぉ」

 ”まめ”なのは、父親譲りです。ようやく、私の姿を探し当てた娘は、満面に笑みを浮かべて、走ってきます。そして、「はい、プレゼント。学校の校庭に咲いている桜なの。枝を折ったんじゃないよ。落ちていたのを拾ってきたの」と桜の花を持ってきてくれました。早咲きの桜でしょうか?

 娘は幼稚園のころから、道端に落ちている花や花びらを拾って、私にくれる子でした。小学校に入り、1人で登下校するようになってからも、「はい、プレゼント」と道端に落ちていた花を持って帰ってくれました。桜の季節は、ピンクの花びらを手の平いっぱいに入れて、帰ってきました。

 「人のおうちの花は取っちゃダメよ。落ちているのは、拾っていいからね」と幼稚園のころ言い聞かせたことを、今も守り、私に手渡すときに「拾ってきたんだよ」と付け加えるのも、変わりません。
 11歳の娘が、こういう子供らしさや愛らしさをまだまだ持っていることを、嬉しく思います。

                
娘がくれた桜の花。花びらが割れているので、桜だと思いますが・・・。
 

2016年2月21日日曜日

ママ、何で?

  最近、4歳の息子が鋭い質問をするようになりました。「なるほど、そういう疑問もあるのか」とこちらが感心するような質問です。娘を育てていますので、「それどういう意味?」というストレートな質問には、それなりに答えられますが、息子の質問はちょっと答えに窮する質問。で、こちらがしどろもどろになってしまうこともあるのです。

  節分のことです。我が家は節分が大好きです。昨年、3歳のときは、訳も分からず、赤鬼と青鬼のお面をかぶって、「鬼は外!福は内!」をやりました。が、今年、そのイベントが終わった後、登園時に自転車に乗っていたときに、質問してきたのです。

 「ママ、鬼は外。福は内って何?」。オーソドックスな質問です。
 「それはね、家の中の怖い鬼、つまり、悪いことは家の外に出て行け!そして、幸福の福、つまり、ハッピーなことは、家に入ってこい!と願って、鬼は外、福は内ってするのよ」
 「じゃあ、ママ。ハッピーな鬼はどうするの?」

 「ハッピーな鬼」。答えに困りました。ハッピーな鬼が家にいたとしたら、わざわざ、豆をぶつけて、追い出さなくても良いのではないか? ハッピーな鬼が外にいたら、「どうぞ」と家に招待しても良いのではないか、と思いました。

  少し間を置いて、「そうだね。ハッピーな鬼は、家に入れても良いよね」と答えました。

  数日前には、こんな質問。それも自転車に乗っていたときです。
「ママ、朝のクモはどうして殺しちゃいけないの?」。待ってましたとばかりに私は答えます。
「昔からね。朝のクモは神様のお使いと言われているの。だから、殺さないで、外に逃がしてあげるのよ」。
娘なら、「ふーん、そうなんだ。じゃあ、もう、朝のクモは殺さないで、外に出してあげるね」でした。
息子は違いました。
 「じゃあ、ママ。夜のクモは殺していいの?」

  これも、とても想定外の質問でした。が、とても良い質問です。
私は言いました。「いい質問ね。やっぱり、夜のクモも殺さないほうが良いよね」と答えました。さすがに、「夜のクモは神様のお使いではないから、殺しても良いの」とは言えませんでした。
 不思議なもので、私は今でも朝のクモは殺せません。ティッシュでそうっとつかみ、外に逃がします。が、夜のクモはティッシュを重ねて・・・です。そう考えると、親の教えやことわざは後々の行動まで影響するので、しっかり答えなければなりません。

  次の質問は車に乗っていたときでした。窓から外を眺めていた息子が聞きました。
「ママ、どうして月は車と一緒に動くの?」
うーん。これは結構、困りました。答えは実はしどろもどろ。今でも合っているかどうかわかりません。
「今、自分がいるところと、自分から見える物の距離、つまり、遠いか近いかということなんだけど、その距離の違いで、自分が動くと一緒に動くように見えるものと、一緒に動かないように見えるものがあるの。月や山は遠くにあるでしょう。だから、自分が動いても一緒に動いているように見えるの。でも、今、窓の外に見える建物は自分からすぐ近くにあるでしょう。そういう近くの物は自分が動いても一緒に動かないように見えるの」

 自分の答えに自信がないと、多弁に、回りくどくなります。それは、ビジネスの世界も、政治の世界も、子育てでも一緒です。息子は、私のまわりくどい説明を聞き、納得したように答えました。

 「そうなんだ。自分から遠いものは、自分と一緒に動いて見えて、近いものは動かないんだね」。私のつたない説明を、端的な言葉に変えて、答えた息子に私は、感心してしまったぐらいです。

  もう一つは昨日の質問です。朝、自転車で登園するときに、目の前に腰の曲がったおばあさんが歩いていたのです。

「ママ、どうして、おばあちゃんはゆっくり歩くの?」
「それはね、人はみんな年を取ると、若いときに比べていろいろなことが出来なくなるの。たとえば、おねえねえは速く走れるでしょ。ママもおねえねえのように子供だったときは速く走れたけど、今は速く走れないの。年を取るっていうことは、子供のころ、若いころ出来ていたことが出来なくなることなの。だから、あのおばあちゃんは、若いころはスタスタ歩けたけど、年を取ってしまったから、ゆっくりなの」。

 息子は私の長い説明を聞いた後、こう言いました。
「そうなんだ。人は古くなるってことだね。 おばあちゃんは古くなって、足が痛いから、ちょぴっとずつ歩くんだね」

「うん、そうそう、古くなったの」と私。 なんとなく、息子に助けられているような気がしました。




2016年2月19日金曜日

節分

   節分の豆まきは、家族が大好きな行事です。今年も子供たちが張り切って、「鬼は外!!福は内!」と、厄払いをしました。

  前日、豆まきに使う落花生を、遠くのスーパーまで車で買いに行きました。自宅近くのスーパー2軒に行きましたが、売り切れだったためです。その話を後日、ママ友達にしたところ・・・。

 「 落花生?いいわねえ。殻の中に入っているから、床に落ちたものも食べられるわね」
 「え?落花生じゃないの?」
 「ううん、うちは大豆」

  物心が付いたときから、落花生で「鬼は外!福は内!」をしていた私は仰天しました。翌日から、息子の送迎時に一緒になるママ友達に聞いてみました。息子が通う幼稚園のママさんの多くが東京出身。10人に聞いてみたところ、全員が大豆でするというのです。本当に驚きました。大豆は小さな袋に小分けされているものをたくさん買ってきて、その小分けされた袋で、豆まきするという人もいました。

 道理で、スーパーで売っていないはずです。私はこれまで、スーパーで売っていないのは、売り切れたからだとばかり思っていました。そして、大量に陳列台に並んでいる大豆は、余っているのだと思っていたのです。売り切れる前に落花生を買おうと毎年思いつつ、前日まで買わずにいたため、売り切れてしまった。来年こそ、早めに買おうとまで、決意していたのです。

  落花生を使うのは、北海道の風習なのでしょうか? 不思議に思いインターネットで調べてみると、落花生を使うのは、北海道から始まったらしいのです。「雪の中でも拾いやすい」などの理由らしいです。なるほどと、納得しました。

  このほか、節分に食べる太巻きの食べ方も違いました。私が北海道にいたころは普通に切って食べていましたが、東京に来たときに、太巻きをその年年で違う方角のほうを向いて、一本まま食べることを知りました。「恵方巻き」と言い、大阪を中心に行われている習慣だと言います。方角はその年の幸福を司る神がいるという方で、今年は南南東でした。一本まま食べるのは、「縁を切らないように」ということらしい。私が東京に来てから十五年経っていますから、今は、北海道でも「恵方巻き」が広がっているかもしれません。

 実は私は、太巻きを作るのが昔から得意。でも、毎年作っても夫が"義理"でつまむぐらいで、子供たちは食べてくれないので、今年、初めて、太巻きを作りませんでした。

  季節の行事を楽しむ母からは、「太巻き作ったよ!」という写メールが。今年は、ちょっと寂しい節分でした。
 

2016年2月16日火曜日

Daddy's Little Girl

  「ママ、これ、額に入れてくれる?」。 娘がA4サイズの画用紙を持ってきました。「ダディの誕生日にプレゼントするの」と言います。娘が描いた絵や版画を近所の額縁屋さんで額装してもらって居間や玄関に飾っているので、ふと思い付いたのでしょう。「ダディ、気に入ってくれるかな?」と見せてくれました。

 水色の画用紙には、青色のペンで素敵な詩が書かれていました。娘は昨春インターナショナルスクールに転校したばかりですが、英語で書いた詩はなかなかの出来でした。何よりも、心がこもっていました。

 私と一緒に歩いて、ダディ
 そして、私の小さな手をつないで
 私には学ばなければならないことがたくさんあるの

 身を危険から守る術を教えて
 ベストを尽くす方法を教えて
 家で、学校で、遊び場で

 どの子どもも成長するときに優しい手が必要なの
 だから、私と一緒に歩いて、ダディ
 私の小さな手をつないで

 「かわいい詩だなあ」と思ったものの、私は同性の女親ですので、つい、「手、小さくないんだけど」などど、ツッコミを入れたくなります。が、ここは正確さよりも、娘の溢れんばかりのダディへの愛情を評価するべきでしょう。この「小さな」という表現に娘の願望が込められているのかもしれません。いつまでも、Daddy's little girl (ダディの小さな娘)でいたいという。。。

 創作が大好きな娘。画用紙に詩をつづっただけではありません。そこには工夫が凝らしてありました。自分の足形が付けてあったのです。「一緒に歩いて」という気持ちを、足形で表現したのでしょう。小さいころ、私たちが娘の足の裏に絵具を塗って、形を画用紙に取ったことを覚えているのだと思います。詩の背景にしたその足形は、白い絵具で取ったものでした。白い足形が浮かび上がるように見える水色の画用紙に、青いペンで書かれた詩。それは、一つの”アート”になっていました。

 「手、小さくないんだけど」という言葉は飲み込んだものの、足形を見て、つい声に出して言ってしまいました。「足形ってすごくいいアイディアだけど、足が大き過ぎない?」。娘は頬を膨らませて、「足が大きいのは、私のせいじゃないもん。ダディのせいだもん」と言います。「そうだよね」と私。小5にして、多くの大人の女性より大きい24・5センチの足は娘のせいではありません。間違いなく、身長195センチ、足30センチの父親譲りでしょう。

 でも、大きな足形も、夫にとっては枝葉末節。やはり、娘からこんなに愛情たっぷりの詩をプレゼントしてもらえることが、何よりも幸せなことだと思います。

 このような父娘の関係は、一日にして成らず、です。夫は娘が幼稚園の年少のときから、小5の現在まで8年以上、毎日一緒に登園・登校しています。今でも、毎朝、手をつないで学校に行きます。娘の登園・登校時間に合わせて会社の出社時間を変えました。幼稚園のときは9時半で会社で一番遅かったそうです。地元の小学校に行っていたときは9時、インターに転校してからは8時前になり、会社で一番早いそうです。夫にとって、娘と一緒に歩く朝の時間が、何よりも大切な時間です。娘にとっても、そうなのだと思います。8年以上毎朝続けた、これからも続くであろう、娘との時間なくしては、このような素敵なプレゼントという結果には、ならないでしょう。

 さて、夫の誕生日の当日。このプレゼントをもらった夫は、目に涙を浮かべていました。そして、その表情を見た娘も、目に涙を浮かべていました。「ちょっと、足、大きいけど・・・」と照れながら肩をすくめる娘の表情すら、夫にとってはいとおしいものだったと思います。

 後日、夫は、その額縁を大切そうに、寝室の壁に飾りました。これから、娘が成長し、いつか巣立ってしまうときも、この詩をながめて、一緒に歩いた日々をいとおしく思い出すに違いありません。
 

 

2016年2月13日土曜日

父の誕生日 ②

 母から写メールが届きました。父の好きな、たちの粕汁、麻婆豆腐、日本酒とケーキでお祝いしていました。
  

父の誕生日

 今日は父の81歳の誕生日です。夫が、父が大好きだったステーキを焼いてくれました。赤ワインと一緒に楽しんでくれたでしょうか。
 
 お父さん、ありがとうって言えなくてごめんなさい。
 お父さん、大好きだよって言えなくてごめんなさい。

               

2016年2月12日金曜日

薬局で考える

 息子の風邪がうつり、高熱が出た日の翌日から咳き込み、それと同時に頭痛に悩まされました。頭痛に効く薬と言えば、「ロキソニン」。これまでも、頭痛や歯痛がひどかったときにこの市販薬をドラッグストアで購入し、服用して一時的に痛みが和らぎましたので、今回もさっそく飲みました。

 薬箱の中にあった2錠を飲み切ったため、息子が幼稚園に行っている間にドラッグストアに行きました。レジの前で「ロキソニンをください」と言うと、「ロキソニンはここでは販売していません。一番近いところで、この坂を下りたところにある、S薬局でご購入できます」とのことです。

 以前、このドラッグストアで購入したことがある私の頭には、即座にクエスチョンマークが点滅しました。
 「今、この店に薬剤師がいないの?それとも、基準が変わってドラッグストアでロキソニンは売れなくなったの? 」
 理由を聞いてみたくなりましたが、そんなことよりもまず、薬を購入しなければーと、質問を飲み込んでS薬局に自転車を走らせました。

 S薬局には、息子が通う幼稚園の同じ年少組にいる男の子のお母さんが、薬剤師として働いています。三十代前半の、とてもきれいなお母さんです。薬局に入ると、後ろの調剤室から出てきて、「おはようございます」と明るくあいさつをしてくれました。

 「おはようございます。ロキソニンを買いたいのですが」
 「はい。では、この用紙にお名前と生年月日をご記入いただけますか?」
 
 「市販薬を買うのに、名前と生年月日がいるの?」と予想外の展開に驚き、一瞬「どうしようかな」と考えました。

 私の戸籍の姓は、日本の名前です。外国人と結婚する場合、姓は自分の姓をそのまま使うか、相手の姓に変えるか、いずれかを選べます。私は結婚したときは仕事をしていて、かつ、夫婦別姓を支持していたので、当然のように姓をそのままにし、夫の姓に変えませんでした。娘が生まれてからも、しばらくは戸籍名を名乗り、娘にも戸籍名(娘はアメリカ国籍もあるため、名前が2つあります)で通していました。

 ところが、夫の姓と娘や私の姓が違うと、面倒なことが多い。つまり、「娘さん、どうしてパパと名前が違うの?」「夫婦別姓なの?」などの質問にいちいち答えなければならなかったのです。子供が出来る前は夫婦別姓にこだわりがありましたが、子供が出来て仕事を辞めてからは「子供にとって良いほうで」と考えも変わりました。で、今は11歳になる娘の幼稚園入園に合わせて、私も娘も、夫の姓を名乗ることに。そうすると、物事は一気にスムーズになりました。

 今は私に関しては、子供の学校関係、子供を通じて知り会った人、家族の一員として世間に名乗る場合は夫の姓を、私の友人知人はそれまでと同様戸籍の姓にし、完全に区別しています。

 さて、ロキソニンです。薬を購入するには、本名を名乗るべきでしょう。が、購入するのは、市販薬です。保険証の提示も求められていません。私は、少し迷って、「マイヤー睦美」と書きました。その後に続く、生年月日と年齢がインパクトがあり過ぎる情報だからです。

 名前も違う、年齢も4歳の子供の母親としてはありえないような、あっと驚く年齢だと、ともすれば「この人、怪しい・・・」と余計な警戒感を与えてしまうのではないかと瞬時に判断したのです。別に悪いことはしていませんが、気が引けるとでも言うのでしょうか・・・。

 生年月日の欄には当然ですが、「昭和39年・・・(51歳)」と正直に記入しました。私の年齢を知らなかった彼女は驚いたでしょうが、職業柄、平然とした表情で現在飲んでいる薬など、用紙に書かれた質問をしてきました。が、「妊娠の可能性はありますか?」の質問は、私に直接聞かず、勝手に「いいえ」にまるを付けました。

 「51歳で妊娠をするはずがないと判断したのか、『ロキソニン』は胎児や妊婦に影響を及ぼさないので聞く必要がないということなのか、51歳の女性にそもそも聞くのが失礼だと思ったのか、どの理由で『いいえ』に勝手にまるを付けたのだろう」
 
 と、素朴な疑問がわきましたが、「ロキソニン」をドラッグストアで買えなかったときと同じように、今回も、疑問を頭の中から追い出し、とりあえず薬を購入しました。

 頭痛薬を買うだけなのに、思考?を巡らせなければならないないなんて・・・。私は「他の薬局で買えばよかった」と少し後悔をしたのでした。

 

 
 

2016年2月11日木曜日

お弁当いろいろ ②

 4日間の札幌滞在を終えて、私は高齢の親を見舞う50代の娘から、4歳と11歳の子供を育てるアラフィフママに戻りました。

 札幌で風邪を引いて高熱が出ている息子を小児科につれて行き、薬を飲ませたり、「冷えピタ」を何度も張り替えたり、おしりに解熱剤を入れたり、と忙しくしていました。夫と娘にうつると困るので、なるべく近付けないようにし、夜は息子と2人で寝ました。当然のことですが、私にも風邪がうつり、札幌から帰った翌日に熱が出てしまいました。

 その日は、熱が引かない息子と一緒に終日ベッドに寝ていました。翌朝は39度近い熱がありましたが、頑張って6時半に起床。娘のお弁当を作ろうとしたときです。珍しく、私より早く起きた娘が言いました。

 「昨日ね、ダディに、ママが具合悪いから、夜のうちに自分でお弁当作りなさいって言われたの。で、自分で作ったんだよ」
 「あら、そう、偉いわね。ありがとう」と少し驚いて、私は娘に礼をいいます。お弁当はすでにお弁当袋の中に入っていました。
 「中身、見ていい?」と聞いてみました。
 「うん!いいよ」とニコニコしながら、娘は自分で作ったお弁当を見せてくれました。

 その二段弁当を見て、私は娘がいとおしくなりました。「そうだよなあ」と思いました。自分が好きなもので、簡単に作れて、そして、きれいに見えるもの、にしたのでしょう。

 二段弁当の一段は、大好きなバジルペーストをからめたパスタがギチギチに詰まっていました。もう一段には、食欲が全くない息子のために買ってあったフルーツゼリーが入っています。冷蔵庫の一番取り出しやすいところに入れてあったものです。そのゼリーの横には、仕切りを挟んで、シャケフレークをまぶしたご飯が。ゼリーはケースに入れず、そのまま入っています。今は何となく形になっていますが、通学途中に揺れて、ゼリーの水分が仕切りの下から横にもれて、ご飯にしみるのは時間の問題でしょう。でも、せっかく初めて作ったお弁当にケチをつけるのは悪いような気がして、私は何も言えませんでした。

 私は「おいしそうだね、写真撮らせて!」と言い、娘が初めて作ったお弁当として、記念にカメラでパチリと写真を撮りました。

 さて、帰宅した娘。お弁当箱をキッチンに持って来て、こう言いました。
 「ママ、ごめんね。ご飯食べられなかったの。もったいないけど、捨てていい? ゼリーがしみて、すごい気持ち悪い味なの」
 「やっぱり」と思いながら、私は何食わぬ顔で、「あら、そう。今度から、お弁当にゼリーは入れないほうが良いかもね」と娘に言います。

 「ご飯を無駄にしたら、目がつぶれるよ」と母に口が酸っぱくなるほど、言われて育った私。が、この日は母の教えに反し、私は目をつぶって、ご飯を捨てました。心の中で、「お母さん、教えを守らず、ごめんね。でも、ゼリー味のご飯はどうしても食べられない」と言い訳しながら。

2016年2月9日火曜日

ザ・ベア

 4日間の旅行中、4歳の息子は、超高齢ママの欲目かもしれませんが、とても頼りになりました。

 自分の服を詰めたミッキーマウス柄のスーツケースを引っ張り、背中にはヴァイオリンを背負って歩きました。飛行場の荷物受け取りターンテーブルの前で、大人たちに並んで、自分と私の荷物を待ちました。荷物をいち早く見つけ、取りに行きました。飛行機やバスの中でも愚図ることなく、行儀良くしていました。そんな息子を見ながら、「成長したなあ」と頼もしく感じました。

 しかし、元気な息子も慣れない札幌の寒さと雪遊びですっかり体調を崩し、熱を出してしまいました。救急病院で解熱剤をもらい、4日間の滞在を終え、新千歳空港から飛行機に乗って羽田空港に向かい、羽田空港でバスに乗り換えたときのこと。バスのシートに座った息子がつぶやきました。

 「早くおうちに帰って、ベアと一緒に寝たい」

 「ベア」はその名の通り、クマのぬいぐるみです。茶色い色をしています。息子の誕生お祝いに頂いたもので、もう4年間も一緒に寝ています。昼寝のときも、夜寝るときも、左手でベアをつかみ、顔にベアをすりすりとしながら、右の親指をしゃぶって寝ます。夜、目を覚ますと無意識にベアを探します。そして、ベアがいないと、「ベアがいない」と泣き、布団の中やベッドの横を見つかるまで探します。それほど、息子にとって大切なものなのです。

 そのような事情から、ベアがなくなったら困るため、息子が1歳のとき、頂いたベアの販売先を調べ、同じものを購入しました。違うのは首に巻いてあるリボンの柄だけです。でも、「ベア・ジュニア」と名付けたふわふわのベアには、見向きもしませんでした。やはり、「ベア」でなければ、駄目なのです。

 ベアでなければ駄目だと分かってから、旅行や外出時に持ち出さなくなりました。門外不出です。夫の実家があるシカゴや私の実家がある札幌に帰省するときも、「寝つきが悪くて困っても、なくすよりはまし」と、置いていきました。
 以前は「ベアを連れていく!」と泣きましたが、最近は「ベアを置いていくのよ」という説得に、「うん」と素直にうなずくほど、息子も成長しました。でも、今回、4日間離れて、かつ熱もあり、ベアが恋しくて仕方がなかったのでしょう。やっぱり、「ママより、ベア」でした。

 ベアはもう、くたくたになって、頂いたときのふわふわ感はありません。最初は毛玉を丁寧にとっていましたが、それもあきらめました。今は、ところどころ、擦り切れた状態です。首がもう取れそうなほど、よれよれになっています。たまに手洗いすると、水が茶色になるほど汚れています。それほど、ベアは息子に愛されています。ベアの匂いをかむと、息子の匂いがします。

 寝るときのおしゃぶりとセットになっているため、出っ歯が気になったこともありましたが、今は、少し出っ歯でも良いかなと思い、あきらめています。

 自宅に戻ると、息子は真っ先にベッドに行き、ベアをつかみ、顔にすりすりとしました。そして、ベアを顔につけたま、右の親指をしゃぶり、すやすやと寝ました。

 そんな息子の寝顔を見て、また、心が癒されました。息子はいつまで、ベアと一緒に寝るのだろうか? ベアが必要でなくなる日が、まだまだ先でありますように。そう祈りつつ、息子の寝顔を眺めました。

2016年2月7日日曜日

カツラ

 前回、母と会ったのは2カ月前の11月です。娘の運動会に来てもらったのです。運動会は母が一番楽しみにしている孫の行事。ですので、毎年来てもらっているのです。そのとき母の頭に発見したのが、5センチほどの「はげ」でした。母は気が付かなかったらしく、私が指摘しても、「年だから・・・」と気にも留めていませんでした。ところが、今回の札幌帰省では、ふんわりとした髪に戻っていたのです。

 母の「はげ」のことをすっかり忘れていた私は、「お母さん、髪いいね」とほめました。すると、母が思いがけない答えをしました。
 「ああ、これ、カツラ。もう何十年も前に作ったのがあったのを思い出したの」とパカッと部分カツラを頭から外します。そう言えばずいぶん前、薄くなった頭頂部を補うのに良いと母が作ったことを思い出しました。ずいぶん古いカツラですが、母の髪と全く同じ色で、気が付きませんでした。カツラを取ったところは、前回より「はげ」の部分が広がり、10センチほどになっていました。

 「もう、さすがにこのままで外出できなくて。どうしようかと考えていたら、ずいぶん前にカツラを買ったことを思い出したのよ」と母は得意そうに語ります。
 「すごいね。お母さんの髪の色と全く同じ色じゃない?」
 「うん。染める色を変えていないから、同じ色なんだね」と母。

 「病院行った?」と聞いてみると、「行ったけど、お年ですからね・・・とお医者さんも気にしていないようだから、気にしないことにしたの」と苦笑いします。
 「それ、円形脱毛症だと思うけど、それ以上広がらなければ良いね」と私。

 実は私は、2度髪が全部抜けたことがあります。1回目は38歳のとき。抗がん剤治療で全部抜けました。2回目は47歳のとき。大きなストレスがかかった出来事があり、抜けてしまったのです。このときは抗がん剤治療のとき一気に抜けたのとは違い、数カ月かけて、全部抜けました。

 最寄りのクリニックや大学病院の皮膚科で処方してもらった薬が効かず、「毛髪外来」がある他の大学病院に行きましたが、医師は「ああ、これは全部抜けますよ。薬は効きません」とあっさり。私は自己免疫疾患を2つ(両方とも、国の難病指定になっています)を患っていて、この脱毛も「大きなストレスがかかって、自分の免疫が、今回は髪を攻撃してしまったんだね」とのこと。自分を守るための免疫が、自らを攻撃してしまうなんて、「ホント、情けないよなあ」と思わず、苦笑しました。

 1回目の脱毛のときは、私は若かった。精神的にもタフで、抗がん剤の治療に入る前にカツラを買い、髪もバッサリとショートにしました。カツラも明るい色の、おしゃれなショートにしました。髪が生えてきた後、カツラは処分しました。夫に、「もう2度とないように、神社で燃やしてもらったらどう?」と勧められ、「お焚き上げ」に出しました。燃え盛る火の中に、カツラを投げ入れ、夫と二人、手を合わせました。今、思い返すと「やることが大胆だよなあ」と、若気の至りを反省します。

 「お焚き上げ」は御札や御守り、正月飾りなどを粗末に扱わずに、感謝の気持ちを持って神社に納める神聖な行事。たとえ、それが「もう2度とがんが再発しませんように」という切なる願いを込めたものだとしても、納めたものは、使用済みのカツラ。罰が当たったのでしょう。私は、がんではなく、違う理由で、また「はげ」になったのです。

 2度目に買ったのは、数カ月かけて髪が抜けた経緯がありますので、部分用カツラといわゆる「全カツラ」。大きな箱に入っているため、処分したいものの一番なのですが、「可燃ゴミ」として捨てても罰が当たるような気がして、捨てられません。年を取り、長い間病気の連鎖の中でもがき苦しんだ後ですので、「罰が当たる可能性があること」をする勇気など、かけらも残っていません。その2つのカツラの箱は、納戸の中で、何となく”偉そうに”大きなスペースを占領しています。

 母のカツラを見て、思いました。また、使うときが来るかもしれないから取って置こうと。たぶん、そのときは、母のように「はげ」も老いの一つの形として、大ごとにせずに穏やかに、受け止めることが出来るかもしれません。

2016年2月4日木曜日

母の涙

 年賀状が自分の気持ちの在り様に影響を与え始めたのは、ここ数年のことだと思います。長年やり取りをしていた人へ出した年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と戻ってきたり、宛名はプリンターで打ち出してありコメントもない年賀状をもらったりすると、気持ちが落ち込みます。51歳の私でさえそうなのですから、78歳の母にとっては年の初めの友人知人からの年賀状は、もっと大きな意味があるのだと思います。今回の4日間の札幌滞在中、母が涙を流して語ったのは、年賀状にまつわる話でした。

 今年は、数人から年賀状が来なかったそうです。いずれも、長年やり取りをしていた律儀な知人だと言います。私も母から何度も名前を聞いたことがある人でした。
 「きっと、何かあったんだと思う」と母は言います。
 「電話してみないの?」と、私は聞きます。電話をかけたくないのだ、かけるのが恐ろしいのだということは分かっていますが、母の話を聞くために、一応聞いてみます。
 「かけない。だって、かけて何かあったことが分かったら、私も落ち込むし。落ち込んだら、立ち直るのに時間がかかるし」と母は言います。
 「そうだよね」と私。母の答えはもっともだと思います。私も体調が悪いときに、健康なときなら聞き流すことも真正面から受け止め、体調が悪化し、元に戻すのに数週間、ときに数カ月かかった経験があるので、母の言うことはよく分かるのです。

 母が次に語ったのは、幼馴染のご主人からの年賀状のことです。
 「あんた、酔生夢死って言葉知っている?」
 「知らない。教えて」
 「実はね、Mちゃんの旦那さんから年賀状があって、その言葉が印刷されていたの。初めて見る言葉で意味が分からなかったから辞書を調べたら、くだらない人生だという意味らしい。ひどいと思わない?Mちゃんがかわいそうだ」と母は涙を流します。

 母の幼馴染のMちゃんは、今、寝たきりの状態です。ご主人と二人で数年前に長年住んだ見晴しの良いマンションを売り払い、老人ホームに入ったのだといいます。Mちゃんは、食事から下の世話までご主人に頼っているらしいのです。そういう状態ですから、母へのMちゃんからの年賀状は来ていませんでした。が、今年になって突然、Mちゃんのご主人から母あてにその年賀状が来たというのです。

 「私に年賀状が来たということは、他のお友達にも出したってことでしょう? Mちゃんのお世話をする人生をくだらないなんて、Mちゃんがかわいそうで、かわいそうで。Mちゃんはね、元気なときは旦那さんのことをいつも自慢していたの。『M子、命って言うのよ』なんて、のろけてね。だから、私たちも『Mちゃん、旦那さんに愛されて幸せね』って言っていたの。それなのに、そのMちゃんの世話をする人生がくだらないなんて。『M子、命』って言ったんだから、最後までMちゃんのことをしっかり世話してあげればいいのに」。母の目からは涙が溢れます。そして、言いました。「こんな年賀状なんて、いらなかった」と。

 「お見舞いはいかないの?」
 「行かない」と母はきっぱりと言います。
 「私が知っているMちゃんは色白でかわいらしくて、元気なMちゃんなの。そういうMちゃんを覚えていたい。寝たきりのMちゃんには会いたくない」

 私は、言いました。「旦那さん、立派な方だったっていつもお母さん言っていたじゃない」
 「そうだよ。いいところに勤めていたんだから」
 「お母さん、こんなこと言うのも何だけどさ。みんな年を取ってきたんだよ。その立派な人が、見た人がこれはひどいんじゃない?という年賀状を書いてしまうんだよ。自制が効かなくなっているんだよ。お母さんの周りで、そういう人増えているでしょう? 頑固な人はますます頑固に、自分勝手な人はますます自分勝手に、その人の欠点が際立ってきているでしょう?」
 「そう言われれば、そうかもしれない」
 「残念だけど、それが年を取るってことかもね。それはお母さんたちの世代だけじゃないよ。私たちの世代だってそうだよ。それは自分も含めてってことだけど」
 「そうだね」。母は涙を拭きました。

 札幌滞在中、母から聞いた話は、愚痴や悪口ではありませんでした。老後の現実でした。
「聞きたくないかもしれないけど、聞いておきなさい。いずれ、あんたも行く道だから」ー。そう言って、母が示してくれた道は、とても過酷で険しい道でした。

2016年2月2日火曜日

 「ボケるのが一番嫌だ」ー。今回の4日間の札幌帰省で、78歳の母が頻繁に言っていた言葉です。友達のご主人など、身近で認知症を患う人が増え、病気が進行するとどうなるかーということを実感を持って理解するようになったためです。自分のウンチを壁に塗りたくる、幻覚を見て叫ぶ、近所を徘徊する・・・。母が友達から聞かされる夫の愚痴や実際に母の知人の女性がそうなっている話はどれも深刻。母が認知症だけは嫌だーと願うのは十分理解できました。

 母は、ボケないための切実なまでの努力を暮らしのあらゆる場面でしていました。一人娘の私は東京暮らしで、30代後半から大病を患い病気がち。さらにあろうことか、勝手に46歳で2人目の子供を出産してしまったため、全く頼りになりません。

 自分の60代から70代前半は弱々しい娘の代わりに、半身が不自由な夫を引き連れ東京に来ては、孫育てや家事を引き受けてきたほどで、母娘の頼り頼られる関係はふつうとは逆です。「娘には迷惑をかけられぬ」という思いが母の気持ちの柱となっているため、心身ともに健康を保つ努力は、娘の私が感心する、いいえ申し訳なく思うほどなのです。

 朝、昼、晩と栄養を考え手作りの食事をとっているのは言うまでもありません。テーブルには時に花を飾り、彩り良くおかずを皿に装います。「今日のランチ」と題する写メールを私に送ってきます。起床時は布団の上で体操。夏は車を運転してスーパーやデパートに買い物に行きます。先日も「やっぱり車はまだ手放せない」と運転免許を更新してきたばかり。近所の人と立ち話をしたり、友達とランチをしたり、と人と積極的に話をしています。季節感を忘れないため、玄関にはその季節の花を活け、クリスマスや雛祭りなどの行事の飾りも欠かしません。娘が30年(!)も前に成人式に着た振袖を、9年後に孫娘に着させるための虫干しも、毎年欠かしたことがありません。

 母は毎朝、父の仏壇に手を合わせ、お経を読みます。読み始める前に、「2016年、平成28年1月16日土曜日・・・」と、西暦と元号の両方の年を言い、日付と曜日も続けます。日付を思わず忘れてしまう私とは大違い。こういう日々の心構えが、実は大きな差になるのではと思い知らされます。

 新聞は隅から隅まで読み、意味が不確かな漢字や、読み方が分からない漢字は必ず辞書で調べます。裏側が白い広告を見開いた新聞の上に乗せ、その上にマジックで調べたばかりの漢字を練習します。ついでに、忘れがちな漢字もせっせと練習します。

 世の中の情報についていくための努力も欠かしません。今回驚いたのは、私が置いていった(何十年も前です)ぬいぐるみ一体一体に名前を付けて、毎朝、呼びかけているのです。その名前を耳にしたとき、私は「そう、きたか」と思わず、うなりました。

 「ノーベル生理学・医学賞の大村智さん、おはようございます」
 「ノーベル物理学賞の梶田隆章さん、おはようございます」

 世の中広しと言えども、ボケ防止のために、ノーベル賞受賞者の名前をぬいぐるみにつけて呼びかける人はいないでしょう。母、あっぱれ。
左の犬が、ノーベル生理学・医学賞の大村智さん、右の犬がノーベル物理学賞の梶田隆章さん