2025年1月31日金曜日

「フードロスにご協力を」

  私の家から車で5分ほどのところに、品の良いスーパーがあります。欧米からの輸入食品や雑貨、日本の厳選された食材が置いてあり、価格は少し高め。でも、ここで販売している魚や肉は新鮮で美味しいので、時折ここに買い物に行きます。

 一昨年ぐらいからでしょうか。そこのお肉売り場で夕方「フードロスにご協力を」というPOPが掲げられるようになりました。そこでは、値下げシールが貼ってあるお肉が置いてあります。その日や翌日に賞味期限を迎える豚や鶏の挽肉、牛ステーキ、骨付きラム肉など。時々、良いのがあれば購入します。

スーパーのお肉売り場に掲げてあるPOP

 それにしても、良い表現だなぁと思います。言い方ひとつで、買う人の気持ちは変わるもの。値段が下がっているから買うというより、フードロスに協力していると思うほうがずっと気分が良い。

 先日、別のスーパーで”協力”しました。ししゃもを買いました。この店ではそんな上品な言葉は使いません。ただただ、20%オフとか30%オフとかのシールが生鮮食品に貼ってあるだけ。ここも価格が比較的高い店なのですが、駅の横にあり便利なので、いつもお客さんがいっぱい。最近は物価がじわりと上がってきたからでしょうか。夕方店員さんがセールの値札を付けると、あっという間になくなっていきます。

 で、その北海道産のししゃも。普段の値段は5尾で2500円ですが、その日は翌日の賞味期限でなんと半額になっていましたので、購入しました。一人一尾ですので、夕ご飯のメニューに添えるぐらいでしたが、子供たちは大喜び。

美味しかったししゃも

 娘は「今日は、どうしようかなぁ、頭から食べようかなぁ、尻尾から食べようかなぁ」としばし考えます。

「ししゃもは頭から食べると頭が良くなる、尻尾から食べると足が速くなるってばあち(私の母)に教えてもらってから、いつも食べるときにどっちから食べるか迷ったなぁ。私、頭も良くなかったし、足も遅かったから、小さいころは究極の選択だった」と苦笑い。

 夫はタツおばさんの話です。ししゃもの産地の北海道むかわ町に住んでいたタツおばさんは私が病気を患っているとき、よく、ししゃもを送ってくれました。ししゃもの中に、紙に何気なく包んだ5千円札が入っていて、おばさんの優しさにじんときたものです。

 「タツおばさん、優しい人だったよなぁ。あのときは、美味しいししゃもをたくさん食べられて、幸せだった」と夫。タツおばさんはもう大分前に亡くなりましたが、ししゃもを食べるたびに私と夫はタツおばさんの話をして、しみじみとした気持ちになります。

 先日の母の誕生日会で、その半額のししゃもの話をしました。すると、母が「あんた、前、あそこで売ってるししゃも買ってきてくれたでしょう。とっても美味しくて、あれからあの店に行ったときに値段を見てみるけど、高くてとても買えない」と苦笑い。

「分かるよ。高過ぎるよね。あっという間に食べ終わるし。今回、私も半額だったから買えたもの。そうそう、食べながらタツおばさんの思い出話になったよ」と私。「タツ義姉さんは本当にいい人だった。私にもあんたにもよくしてくれた…」と母。

 母は、懐かしそうに目を細めました。むかわ町出身の母は「私が小さいころ、一度だけ、ししゃもが大量に川に上がってきたことがあったの。町の人々が皆でバケツを持って川に取りにいった。すごい量が採れてね、おなかいっぱいししゃもを食べた」と昔話をしてくれました。

「川にししゃもが上がってくるの?」と驚く娘。

「そうだよ。本当にあのときはすごかった。後にも先にもあのときだけだったけどね。昔はむかわ町の海でたくさんししゃもが採れたのに、もう全然採れないみたい。今は釧路から買って売っているようだよ」

「そうなんだ、釧路から?」と私。

「そうみたい。ほら、トコねっちゃん(母の姉)の家はししゃもを売っていたでしょ。芸能人も買いに来たほどだったんだよ。あのときはトコねっちゃんの家は家族総出で店をしていたんだよ」

 普段高くて手が出ないししゃもを安く買えたことで、家族でししゃもにまつわる懐かしい思い出が出来ました。フードロスに協力すると、良いこと尽くめです。

2025年1月30日木曜日

着物を仕舞う

  いやはや、ひと仕事でした。娘の振り袖と、私の着物を仕舞う作業。

 先週の土曜日(25日)、写真撮影が終わり帰宅後まずは、私と娘の着物を専用のハンガーにかけ、カーテンレールにかけて一晩おきました。翌日は窓を開けて、風を通しました。長襦袢はかける場所がないので、洗濯物をかけるラックにかけて、風を通しました。

娘の振り袖。長くて、裾が床についてしまいます

 肌着や足袋は洗って干して、アイロンがけです。帯揚げや帯締め、バッグなどの小物もきちんと箱につめます。そして、着物用の防虫剤を買ってきて、入れました。

 今回、長襦袢と着物とではたたみ方が違うことを知りました。着物を包む「たとう紙」にはたたみ方が書いてありましたが、よくわからない。で、YouTubeで調べて見ると分かりました。YouTube、侮れない。

 息子に「YouTubeってすごいね。着物のたたみ方も教えてくれるんだよ」と言うと、息子から「YouTubeで調べれば、大抵のことはわかるよ」という返事が返ってきました。 

 これまで着物をたたむとき、母が用意してくれた着物を広げるための布の上でたたんでいたのですが、娘の着物は長いので布の長さが足りず、ベッドカバーを代用しました。カーテンレールにかけるときも、私の着物の裾は床から10㌢以上は上なのに、娘の着物は床についてしまいましたので、このベッドカバーを敷きました。

 母が、狭い我が家でも入る小ぶりな和箪笥を買ってくれましたが、娘の七五三の着物、私の振り袖と訪問着でいっぱいです。娘の振り袖を仕舞う場所がないので、今回、箪笥を買い足しました。母はこういうところがきちんとした人で、私が娘の成人式にいろいろ揃えて初めて、母もたいへんだったのだろうなぁと有り難く思いました。

 実は、写真撮影の翌日の日曜日は母を温泉に連れていく予定だったのですが、母から電話があり、「着物を仕舞うのは一日がかかりだから、またの機会にしたほうがいい」と延期に。母の言っていることは正しくて、朝から取りかかって、終わったのは夕方。特に着物をたたむときは次回着るときにシワにならないよう、何度も丁寧にたたみ直すなど気を遣いました。着物の手入れはなかなかに骨の折れる仕事だなぁと実感。

 今回、羽織・袴を着て、すっかり気を良くした夫は、息子の成人式のときにまた家族で着物で写真を撮るために、「自分用に羽織・袴を買う」と張り切っています。今回のレンタルの着物は一番大きいサイズで身長185㌢までで、夫は193㌢なので袴や袖の長さが足りなかったのです。

 最初は私が夫に着物を着ることを勧めたのですが、今回2着分の着物を仕舞ってみて、レンタルのほうがずっと楽だなぁと思いました。だって、レンタルだったら着付けもしてくれますし、後は着物を返すだけなんです。仕舞うときのこの作業も、定期的な虫干しも、いらないんです。夫には、「着物を買ってもいいけど、仕舞うのは自分でやってね」と言ってしまった私なのでした。

 そうしているうちに、娘の七五三のときの着物の虫干しをしばらくしていないことに気が付きました。ずっと、気にかかっていたのでこの際、することに。

娘の七五三のときの着物。こんなに小さかったのですね

 そのとき、息子が2階に上がって来ました。「これ、おねぇねぇの七五三のときの着物だよ」と見せました。

「へぇ、可愛いね。僕のは?」

「ごめん、君の五歳はレンタルの着物だった」

「ぐさっ」と大げさに胸に手を置き、私に倒れ込む息子。

「成人式のとき、羽織・袴買ってあげるからね」と私(レンタルでいいかなぁとは思いましたが、一応)。

 息子の成人式の準備も楽しいだろうなと思いを巡らせましたが、肝心なことを忘れていました。息子が成人のときは、私は立派な高齢者の仲間入りをしています。記念撮影のときに、おばあちゃんに見られないよう、今からいろいろ気を付けなければ。

2025年1月29日水曜日

バケットリスト

  皆さん、バケットリストという言葉をご存じですか? 生きているうちにやりたいことのリストです。私のバケットリストの一番は家族のアルバム作り、そして、次がオーストリアに行きグスタフ・クリムトの絵を見ることです。

 アルバム作りは娘と息子が小さいころは出来ていたのですが、全く追いついていません。研究室への往復時間が一日2時間ですので、電車の座席に座れたときに少しずつ取り組んでいるのですが、ついついKindleで本を読んでしまい、なかなか進みません。オーストリア旅行は、これを達成すると私の命が短くなるような気がして、もう少し年を取ってからの楽しみに取っておいています。

 この2つはまだですが、25日の土曜日、バケットリストの一つが叶いました。家族で着物を着て写真を写すことです。娘の成人式の後撮りでした。成人式の日も写真館で撮影したのですが、娘の着付けの時間が午前4時45分ととても早かったため、振り袖の娘をスーツ姿の夫、制服の息子、ワンピースの私が囲む写真になりました。で、後撮りで着物を着て撮影することにしたのです。

 夫と息子の着物はレンタル屋さんで借りました。着物には”格”があるそうで、今回の主役は娘で、正礼装の振り袖を着る娘とのバランスが大事なのだそうです。

 夫は娘の父親ですので、男性の着物の中で一番格が高い黒紋付きの羽織・袴。息子は姉と父親を立てる形で、格下の袴なしの着物に。私は準礼装の訪問着。私の着物は母から譲り受けたものです。

 朝、夫と息子がレンタル屋さんに行っている間、私は地元の美容室の美容師さんに自宅に来てもらい、髪を結って着付けをしてもらいました。夫と息子が帰宅して、皆でフォトスタジオへ。娘の髪のセットと着付けに約1時間半かかり、ようやく撮影となりました。

 夫は最初渋々だったのですが、今回着てみて、結構自分は似合うじゃないか!と思ったらしい。7年後の息子の成人式に合わせて、「羽織・袴を買おうかな?」と言っています。着物を着た息子はなぜか「ぼんぼん」という雰囲気が出ていて、笑えました。

 とりあえず、家族で着物姿で写真を写すという念願が叶って、嬉しかった。

振り袖を着た娘と歩く私

 その日は夕ご飯を作る時間もなかったので、娘の帰国中のバケットリストの「焼き肉屋さん」へ。私と娘2人も、リストの一つが叶って、るんるんな土曜日でした。

帰国中の娘のバケットリストの1つ、焼き肉屋さん

 

2025年1月28日火曜日

今週の一冊 「おもちゃのいいわけ」

  書店で素敵な本を見つけました。彫刻家の故・舟越桂さんが子供たちに作った木のおもちゃの本です。お家や木馬、自動車などの写真に、それらを作ったときのエピソードが添えられています。

 木彫を作っていると出る「木っ端」や、家にある古い材料を使って作ったおもちゃたち。どれもこれも、舟越さんの子供たちへの愛が感じられ、これらを作っていたとき、舟越さんは楽しかったのだろうなぁと私の顔までもほころんでしまいます。

 世界に一つしかない、こんな素敵なおもちゃを作ってもらった子供たちは、幸せですね。

 「木とブリキのクラシックカー」に添えられた文章が、とても印象深かったのでここに引用します。

「いつの日か子供たちが結婚したら、あの木の自動車も彼らと共に私の所から去るのだろうか。置いていかれるのもさびしいが、持っていかれるのも何か切ない気持ちがする。子供のためにと思って作ったことは作ったのだが、自分の手でものを作るということは、その作られたものの中に思いが込められていく。そして人間の思いというものは複雑で、あげたものがその人と共にいなくなることも、そしてその人に置いていかれるということも、どこか自分の心のやり場が見つかりにくい気がする」

 舟越さんが表現する、さびしさも、切なさも、分かるような気がします。



 

2025年1月27日月曜日

がんのママたちとランチ

  先週の金曜日(24日)に、がんのママ2人とランチをしました。今春、がんを患うママたちの集いの場を開くための打ち合わせ会です。それぞれが、マイコプラズマ肺炎やインフルエンザなど感染症を患ったり、年末年始で忙しかったりと日程が合わず、3カ月ぶりでした。

 まずは近況報告をして、それぞれの体調についての話に。ママさんたちは、腫瘍マーカーが上がったこと、手術の後遺症が厳しく日常生活にも影響が出ていることなど、心配ごとを共有してくれました。がんを患う仲間は、部位は違えども互いの体調の話を遠慮なくでき、かつ、自分事として聞けるところが良いところです。

 それぞれに家族・仕事・社会活動があり、体調管理はとても重要です。無理せずに、家事・育児、仕事や社会活動とバランスの取りながら、日々を過ごしたい。でも、それがなかなか難しいこともある…。

 そんな話をしながら、ママさんの一人がとても難しい問題提起をしてくれました。問題があまりに切実なため、自分ならどうすると気軽には言えないほどの問題で、でも、自分たちもいずれは直面するかもしれないことです。

 ママさんの知り合いの男性が、がんで亡くなりました。40代で奥さんと子ども二人がいます。その男性は一人っ子で、お母さんがいますが、お父さんは早くにがんで亡くなっています。

 男性のお母さんにとって、その男性は残された最後の家族です。ですので、亡くなるまで病院に毎日訪れ、献身的に息子の看病をしていたそうです。でもその男性の奥さんは「家族4人の時間がほしい」とずっと嘆いていたそうです。ですが、家族4人になることはめったになく、いつも男性のお母さんがいたそうです。

 その男性のお母さんの立場になってみると、夫ががんで亡くなり、40代の一人息子がたった一人の残された家族。当然、毎日、息子の側に行くでしょう。私もその立場だったら、そうします。息子はお嫁さんと孫たちの4人だけで過ごしたいかもしれないーと重々承知しながらも、自分にとってたった一人の息子の看病を一日でも欠かしたら、後々後悔するだろうと思うでしょうし、そんなこと考える間もなく、ただただ息子の側にいたいと足が病院に向くでしょう。

 でも、奥さんの立場だったら、私も夫と子どもたちだけの時間がほしいーと切実に思うに違いありません。義母のいないところで、私と夫と子どもたちだけで話をしたい。夫の手をさすりながら、思い出話をしたり、聞きにくいことではあるけれど、夫に言い残したことはないか、子どもたちへ伝えたいことはないか、聞きたい。でも、やはり、義母には「私たちだけの時間がほしいんです」とは決して言えません。仕方ないと自分を納得させるでしょう。

 自分がその男性の立場だったらどうでしょうか? やはり、私は母を受け入れるでしょう。親より先にこの世を去らなければならない。そして、父はすでに他界し、自分にはきょうだいもいない。「お母さん、ごめんね、先に行くことになって」と申し訳ない気持ちのまま、自分の家族の気持ちは重々承知しながら、母親を病室に受け入れるでしょう。

 先日、がんの夫を見送ったママ友が、夫が旅出つ前の数カ月間を毎日家族で過ごせたことがとても良かったと語ってくれました。ママ友のご主人のご両親はご存命ですが、東京からは交通の便の良くない場所に住んでいたため、ご主人が亡くなるまで、家族だけの時間を持てたそうです。遠方に住んでいた娘さんを「お父さんと過ごせるのは今しかないから」と呼び寄せて良かった、と語っていました。まだまだ若いご主人を亡くすことはとても不幸ですが、残された時間の過ごし方という視点で考えると、とても幸せなケースなのだと改めて思いました。

 子育て中の人ががんになること。そして早くしてあの世に旅立つことには、様々な課題があります。皆、それに一生懸命対峙しているー。深く考えさせられる話でした。

 

2025年1月26日日曜日

夫が55歳に

  夫の誕生日は母の誕生日の翌日です。母の誕生日を我が家で祝った翌日、壁のデコレーションを替えて、夫の55歳の誕生日を祝いました。私と子どもたちは、家族のために一生懸命働いてくれる夫・父親に、感謝の気持ちを込めて料理を作りました。

55歳のバルーン

 毎年、誕生日の1、2週間前に、「誕生日に何食べたい?」と夫のリクエストを聞きます。定番は「アップルパイ」。夫はこれをリクエストから外すことはありません。もう15年くらいは作っているでしょうか。家族から「お店で売っているパイよりずっと美味しい」と評判のこのアップルパイは、夫のチーズケーキ(絶品です)と息子が作る料理と一緒に、将来「マイヤーズ・カフェ」を開くとき(笑)のメニューの一つです。

夫のリクエストのアップルパイ

 夫からの料理のリクエストはその年により、違います。今年はミートパイでした。これも試行錯誤を繰り返した料理です。以前は大きく作って豪華な見栄えにして、それを切り分ける形にしていました。が、中まで焼けていなかった失敗もあり、一時は家族の評判を落としました。その後、一人用のグラタン皿を購入し、一人一人に作る形に工夫して復活しました。このミートパイと、家族全員が好きなコロッケとアサリスープにしました。

夫のリクエストのミートパイ

 娘が作ったのは、レモンパイ。とても美味しくて、先日たまたま訪れたカフェで美味しそうに見えて食べてみたレモンパイが娘のに比べて味がかなり劣っていたので、これもマイヤーズ・カフェのメニューの一つになるね!と話しています。娘は「この前作ったとき、クラストが硬かったから、今回別のやり方を試してみる」と言い、張り切って材料を買いに行って試し、見事成功。

娘が作ったレモンパイ

 息子が作ったのは、クラブケーキ(米国東海岸発祥のカニの料理)。このレシピは夫から伝授されたもので、これまで何回か夫と一緒に作っていて、だんだん上手になってきていました。今回は一人で作り、とても美味しく出来ました。

 子どもたちから夫へのプレゼントはロサンゼルス・エンジェルスの赤い帽子。以前、ロサンゼルスに行ったとき、大谷翔平君を観に行き、記念に買いました。いつもかぶっていたのですが、昨年末のメルボルン旅行で失くして、残念がっていたので、子どもたちがネットで調べてお小遣いから半分ずつ出して買ったようです。

 私からは本と家族写真が入った皮のフレーム。本は日本酒、禅、そして、私が大好きな平野啓一郎の小説です。翻訳本がありましたので、ラッキーでした。母からは赤ワイン2本のプレゼントでした。

夫にプレゼントした本。日本酒の本は英語と日本語が併記してある優れもの

 「55歳は、54歳までと違う。年を取った感じがする」と夫。確かに、子どもたちとアスレチックに行き、張り切ってジャンプしてダイナミックにこけて、1カ月以上痛みが続いています。まぁ、少し先を行く私からのアドバイスは、記憶の中の自分の運動能力と、今の運動能力がかなり乖離していることを認識し、無茶はしないことですね。

 何はともあれ、楽しい55歳になりますように。いつもありがとうね。

2025年1月25日土曜日

きょうだいの掟

  先週土曜日(18日)にコストコ(米国発の会員制倉庫型店)に行き、マンゴージュースを買ってきました。米国で売っている1ガロン(3.78㍑)の大きな容器に入ったジュースです。

 普段はジュースは買わないのですが、コストコに行ったときだけ、子供たちは好きなジュースを買うことが出来ます。先日はいつも買うレモネードがなかったため、マンゴージュースにしたようです。

 で、そのマンゴージュース。とても美味しいらしく、息子ががぶ飲みしていました。「そんなに飲んだら、おねぇねぇに文句言われるかも」と心配していたら、案の定、冷蔵庫を開けた娘が「何でこんなに減っているの? 私、まだ一杯しか飲んでいないのに!」と絶叫しました。

「だって、美味しいんだもん」と息子。「残りは私のだからね」と娘。娘は弟をとても可愛がっていますが、食べ物の配分については、厳しいのです。

 こういうのを見て、微笑ましいなと思うのが私。きょうだいがいる人は、これが日常なのでしょうが、私にとっては食べ物を巡るきょうだいの争いが小さいころから羨ましかった。

 たとえば、小学校のときに同じクラスだったS君の、お姉ちゃんとグラスを並べて、ジュースの量を同じにするという話。高校時代のYちゃんは兄弟がいて、お母さんが作るハンバーグの大きさを皆で比べて誰がどれを取るかせめぎ合うという話。このような話を今でもしっかりと覚えていますので、私はそれらの話を聞いたときによほど羨ましく思ったのでしょう。

 そして、我が子どもたちの食べ物を巡る争いも、このブログに書くぐらいに楽しいのです。コストコで買った「甘辛ヤンニョムチキン」。これもコストコに行った時にだけ買える出来合いの食べ物で、買ったその日の夕ご飯に子供たちだけ食べます。

 ご飯の上に載ったチキンの数を息子に聞いてみると、「僕が4つ。おねぇねぇは5つだよ」。食べ物を前にすると、弟である息子は自分の立場をわきまえ、自ら少ない方を取ります。これを当たり前のように、自然にできる息子はいいなぁと思います。マンゴージュースはあまりに美味しく、また、容器に入っている量も多かったので、気にせずに飲んでいたら姉にとがめられてしまったのですね。

 夜、冷蔵庫を開けると、容器にきちんと飲んだ日付けと時間が書かれていました。娘から息子への「記録しているからね、飲んだら分かるんだよ!」というメッセージです。息子に「もう、マンゴージュース飲めないの?」と聞くと、「うん」と言います。「あら、残念ね」と言うと、「いや、僕いっぱい飲んだから」と気にする様子もありません。

日付と時間が書かれたマンゴージュース

 きょうだいって、本当に面白い。