2025年9月9日火曜日

ウイスコンシン州・ケノーシャへ

 シカゴの夫の実家に着いた翌日の金曜日の朝、ちょっとした”事件”がありました。時差ぼけで午前5時ごろに起きた子どもたちが、寝ていた私と夫に何も言わずに散歩に行き、道に迷ってしまったのです。

 子どもたちは義父母の家の住所も電話番号も覚えていませんでした。また、彼らの携帯電話は米国ではつながりませんので、私たちに電話をすることも出来ません。で、どうしたものかと考えた娘はなんと警察・消防につながる911に電話したそうなのです(緊急時ですので、つながるのですね)。

 娘の説明で、娘たちのいる場所が分かった警察官がパトカーで迎えに来てくれたそう。そして娘が助手席に、息子が後部座席に座ったそうです。子どもたちによると、息子が乗り込んだ後部座席と運転席・助手席との間は防弾ガラスで仕切られていたそうで、警察官が息子に「君の席は、犯罪者が乗る席なんだよ。だから、ドアも開かない仕様なんだ」と説明したそうです。息子の横の席には「本物のマシンガンがあって、怖かった」と言います。

 義父母の家の住所も電話番号も分からない子どもたちが伝えたのは、義父の名前だけ。そこから警察官が家の住所を調べてくれ、家まで送ってくれたそうです。子どもたちは親切にしてくれた警察官にとても感謝していましたが、息子は「パトカーに乗るのは、最初で最後にしたい」とつぶやいていました。

 さて、その”事件”の後、朝食をとって、娘のドレスを買いにモール内にある百貨店に行きました。アメリカの百貨店に行くといつも感心するのが、幅広いサイズの服が売られていることです。

 娘は体が大きいので日本では合う服がほとんど探せません。靴はそもそも娘のサイズがありません。でも、アメリカやオーストラリアのお店に行くと、服も靴も娘のサイズがあり、残念な思いをせずに買い物が出来るのです。お店ではおしゃれなドレスやスポーツウエアを着せた体格の良いマネキンが何体も置かれていて、こういうおおらかさっていいなと年頃の娘を持つ母親として、つくづく感じます。

 この日娘は10着ぐらい服を試着し、娘にぴったりのクラシカルなワンピースを買うことができました。ついでにバッグ二つと靴も一足購入。娘は買い物嫌いなので、なかなか一緒に服を買いに行ってくれませんが、この日は娘に似合う服やバッグ・靴を買ってあげられ、私もとても満足でした。

 ランチは息子のリクエストで「バッファローウイング」を食べました。素揚げした鶏肉の手羽に辛いソースをまぶした、ニューヨーク発祥の料理です。夫と娘は前日夜、私たちがオヘア空港に到着する前に、娘のリクエストでシカゴ発祥の「イタリアンビーフ・サンドウイッチ」を食べたそう。薄切りローストビーフをフランスパンで挟んだ食べ物です。子どもたちはアメリカ人とのハーフですので、アメリカに来たからにはやっぱり、アメリカ料理を食べたいのですね。

 ランチを終えた後、家に戻ると甥(義兄の息子)がフィアンセと一緒にワシントン州シアトルから到着していました。甥に会うのは10年ぶりです。

 甥はシカゴ生まれ・育ちで義兄の仕事の関係でテキサス州に移住。現地の大学を卒業した後に今のフィアンセと一緒にシアトルに移りました。シアトルでライターの仕事をしているそうで、髪を伸ばして、ジョン・レノンのような風貌でした。フィアンセも同じように髪を伸ばして後ろで結んでいます。甥によると、シアトルは保守的なテキサスに比べて、とても自由な土地柄でとても気に入ったそう。フィアンセもとても感じの良い青年で、シアトルでの暮らしぶりについて、いろいろ教えてくれました。お金を貯めて、いずれ、シアトルに家を買いたいと目標を語っていました。

 私たち家族、姪とパートナー、甥とフィアンセは、その日の夕方、それぞれの車で翌日結婚式が行われるウィスコンシン州・ケノーシャに向かいました。現地のホテルには義父母が前日にチェックインしています。

 ケノーシャには約1時間で着きました。ホテルにチェックインして義父母の部屋に行きました。2年ぶりに会う義父母は元気で、私たちが義弟の結婚式に参加するために東京とメルボルンから来たことをとても喜んでくれました。そして、「お腹すいた?」と冷蔵庫からサラミとチーズを取り出し、クラッカーとスナック、飲み物と一緒に手渡してくれました。義父母はどんなときも、食べ物をたくさん持ってきているのです。

 

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