8月9日ニセコ3日目の朝は雨も上がったため、前日キャンセルとなった熱気球体験が出来ました。 スキー場の広い駐車場に設置された熱気球に乗り、地上から30㍍ほど上がります。気球の滞在時間は5分ほどでしたが、地上から眺めるニセコの風景は最高でした。
車椅子の方が家族と一緒に参加していたり、子ども連れのご夫婦がベビーカーに乗った赤ちゃんを皆にみてもらいながら、もう1人のお子さんと参加したり、と参加者が思い思いに楽しんでいたのが印象的でした。
4台の車に熱気球をロープでつないでいます |
遠くに見える山々 |
今回のニセコ2泊3日の一番の目的は、ゴムボートで川を下るラフティングでした。米国留学時代や新聞社勤務時代に、友人たちと体験して楽しかった思い出があり、息子や夫にもぜひ体験してほしいと願っていたのです。
初日の夜のゴンドラの中止や2日目朝の熱気球体験の中止で心配をしましたが、小雨ながらも無事決行となりました。目的地に着くと、家族連れや友人同士の方々約30人が集まりました。
足首や手首、首をきつく締めて水の浸入を防ぐドライスーツをしっかり着込み、マリンシューズを履いて、バスに乗り込んで尻別川へ。尻別川は清流としても知られる一級河川です。
参加者は4つのボートに分かれて乗り込みました。各ボートにはガイドが付きます。写真・ビデオの撮影担当の人がカヌーに乗って、4つのボートの間を行ったり来たりして、撮影してくれます。
川の流れは穏やかでした。ガイドさんと一緒に「いちっ、にっ」と掛け声をかけながら、バドルでこぎ、進んでいきます。途中、川に飛び込もう!ということになり、皆で川の中へ。気持ち良く泳いで、また、ボートに乗り込みます。
途中、岸に上がって3㍍ほどの崖から参加者が順番に飛び込みます。これはなかなか勇気がいりました。夫も息子も泳ぎが得意ですので、飛び込む姿も普通。私は最初崖の上から下を見て足がすくみましたが、勇気を振り絞って、えいっと飛び込みました。
ラフティングの年齢制限は65歳までです。ボートから川に飛び込んだり、川の中からボートに這い上がったり(これがかなり大変)、崖からジャンプしたりなど、体力も勇気もいります。若いころに体験したときは全く感じなかったのですが、今回は「まだ体力のあるうちに、やっておいて良かった」と思ったのでした。
直立不動で川に飛び込む夫 |
軽やかに飛び込む中2の息子 |
「こわすぎる~」と情けない格好で飛び込む私 |
昨日からニセコに来ています。札幌出身の私にとって、ニセコは楽しい思い出の詰まった場所。冬のスキーはもちろん最高ですが、夏のアクティビティも楽しいのです。夫と息子に夏の北海道を体験してほしいと思い、企画しました。
朝8時15分羽田空港発の飛行機で新千歳空港へ。いつもはニセコ行きの直行バスに乗るのですが、今回はレンタカーを借りました。空港到着後、レンタカー窓口に行くと、ニセコ行きの直行バス乗り場ぐらいに混んでいます。送迎バスで千歳市内のレンタカーの店舗へ。広い店舗の中には長いカウンターがあり、店員もたくさんいて、次々と名前を呼ばれていきます。「アメリカのレンタカーの店より、ずっと大きい」と夫が驚いています。
小型の4WD車を借りて、いざ、ニセコへ。小樽方面を通る道と、支笏湖方面を通る道の2つのうち、前回バスに乗ったときに景色が綺麗だった支笏湖を通る道を選びました。
運転しながら眺める北海道の自然は、やはり、ダイナミックでいい。東京にも自然はありますが、やはり広さが限られているのですよね。
ニセコに着いたのは2時半ごろ。ホテルのチェックインまで時間があったので、地元でジン・ウイスキーを製造する「ニセコ蒸留所」へ。ここは日本酒メーカー「八海醸造」(新潟県)の関連会社。私も夫も日本酒好きで、たまたま誘われて行った八海酒造の試飲会でこの蒸留所のことを聞いたので、立ち寄ることにしたのです。
ニセコ蒸留所 |
ニセコ蒸留所は「私、道を間違えていないよね」と途中で不安になるほど、奥まった場所にあります。でも、森の中に突如現れたのは、現代的でスタイリッシュな建物。店舗内には、高い天井まで届く大きな蒸留器があり、広々としたスペースで試飲も出来ます。運転を夫に代わってもらい、私がジンを試飲。一緒に試飲した日本酒「蝦夷富士」(ニセコの酒米を使い、新潟県で製造)が美味しかったので、「ホテルで飲もう!」と1本購入しました。
ホテルに着いたのは3時半。このホテルは春スキーで2年連続で宿泊した場所です。少し休んで、まちの中を散歩して、早めの夕食にしようということに。でも、なかなかレストランが見つかりません。スキーシーズンとは打って変わってまちの中は人が少なく、どのレストランも休業なのです。
歩き回って見つけたビストロに入ってみたら、なかなか良い店でした。マスターの英語はアメリカ人やイギリス人の英語とは違うアクセントがありましたので、「ニュージーランド人かななぁ?」と想像していたら、なんと、フランス人でした。20年以上もニセコに住んでいるそうです。ニセコはオーストラリア人・ニュージーランド人に好まれている場所だと思っていましたが、世界各国から来ているのですね。そういえば、前回スキーに来たときにレンタルスキーショップで働いていた若い人はイギリス人でした。
ビストロで注文したのは私と夫が豚肉料理、息子が牛肉のハンバーガー。窓の外の景色を見ながら、美味しくいただいたのでした。
美味しかった豚肉のお料理 |
ビストロのカウンターに座る夫と息子 |
夕方の羊蹄山 |
今日は研究室に行く日。最高気温は36度で、大変な暑さでしたが、気分転換にランチを外に食べにいきました。すると、ビルの前で沢山の風鈴が涼やかな音を出していました。
ビルの前にたくさん並んでいる風鈴 |
なんだか風情はありませんが、それでも音が涼やか |
郵便局にも |
今年の7月は1946年の統計開始以降、一番の暑さだったそうです。去年は風鈴を見かけませんでしたので、今年はあまりの暑さのため、少しでも涼しさをということなのでしょうね。
先月行ったメルボルンで唯一買い忘れたのが、マーケットで売っていた手作りの風鈴でした。何ともいえない素朴な形で、マーケットをぐるりと回った後に買おうと思ってすっかり忘れてしまいました。買っていれば今ごろ家に飾れたのに残念! でも、きっと、もう一度メルボルンに行って娘と過ごすチャンスがあるから、忘れたのですね。
皆さんのおうちでは風鈴を飾っていますか? もし、どこかに仕舞ったままでしたら、ぜひ、取り出して飾ってくださいね。
サンフランシスコに住む友人Mさんが帰国し、週末に会いました。Mさんは私と同時期に米国の大学に留学し、卒業後に札幌に帰り数年間勤務した後、米国に渡りました。留学時代に知り合った人と結婚し、息子さんが1人います。
同い年のMさんとは、私がアメリカに行ったときに会ったり、Mさんが帰国したときに会ったりし、ずっと親しくさせてもらっています。アメリカの企業で日本人女性がキャリアを積むことは様々な苦労があったと思いますが、一つの企業にずっと勤め、良いチームに恵まれ、とても充実した日々を送っているようです。
そんなMさんはこれからもサンフランシスコに住むと思いきや、なんと、札幌にマンションを買い、リタイア後は戻ってくるらしいのです。「夫も息子も日本が大好きだし、私も老後は札幌で暮らしたいなぁと思って」とMさん。
札幌はいい街ですから、戻りたくなるのもよく分かります。住んでいるときは当たり前のように感じていましたが、出ると分かるんですよね、札幌の良さは。空気は綺麗だし、食べ物は美味しいし、人はいいし、自然も豊かだし、夏の大通りビアガーデンや冬のスキーも最高だし…。
でも、Mさんはもう少し働くそうです。アメリカの企業は定年がないので、働きたいだけ働けるのだとか。それはMさんが会社に必要とされている人間だからで、改めてすごいなぁと思いました。
Mさんに会った日は、Mさんがお友達のお宅にお参りに行ってきた後でした。Mさんが帰国している最中に、そのお友達ががんで亡くなったのです。52歳だったそうです。そのお友達はご夫婦で長くアメリカに住んでいましたが、がんの治療のために日本に戻ってきていました。治療のかいなく、数日前に旅立たれたそうです。私もMさんを通じて、日本での治療について相談を受けていましたので、ショックでした。
Mさんと過ごしたのは1時間ほどでしたが、沢山お話が出来ました。亡くなられたお友達に思いを馳せながら、「こうしてお互い元気で暮らしていることに感謝し、日々大切に生きようね」と言い合いました。
そして、ぎゅっとハグをして、別れました。Mさん、帰国時の忙しいときに連絡ありがとう。会えて、とっても嬉しかったよ。また、会おうね。そして、Mさんのお友達のご冥福を心よりお祈りします。
大学から、「課程博士論文提出の手引き」がPDFで送られてきました。9月初旬に論文のタイトルと論文審査委員会にお願いしたい教員(ほとんどが教授および助教授)名を大学に届け出。11月初旬に論文を提出します。いよいよです。
現在、その元となる論文を共著者の先生方9人に回覧し、その先生方からいただいた助言・指摘をすべて反映させた論文を再回覧している最中です。
その他、イタリア人の研究者2人と研究を進めており、そちらのほうもだんだん忙しくなってきました。研究は面白いですが、なかなかに大変です。
7月末から研究室に行く日を週2日にしています。先週、たくさんの資料を自宅に持ち帰り、ファイルワゴンを新調して、自分の机の後ろに置きました。自宅で論文書きに集中します。研究室のほうが集中できますし、顔を出さないと、指導教員や他の研究者にあまり良く思われないかもしれませんが、覚悟を決めました。
まだ娘が少し不安定ですので、母親として娘が私を必要とするときは家で電話を受けたいですし、夏休み中の息子を部活に送り出し、昼・夜ご飯もきちんと作って一緒に食べたい。子どもたちとの”今”を大切にしたい。これまでも、もちろん家族を第一優先してきましたが、やはり、大学院にまつわる様々なことに気持ちが取られてきました。
あと数カ月で博士論文を提出で、最後のスパートが必要なのは十分承知しているのですが、でも、そこで子育てをなおざりにするわけにはいかない。子育てはやはり、待ったなしなんですよね。87歳の高齢の母はまだ元気でいてくれますが、目配りもしたい。
なんだか忙しいですが、子育ても博論もしっかり取り組むぞ、と自分に気合を入れています。こうやって自分自身に”喝”を入れないと、気力も萎えてきますので…。
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大学から送られてきた博士論文提出の手引き |