「6時半から朝のお勤めがあります。地蔵堂にお集まりください」
午前6時過ぎ、恐山菩提寺の宿坊の館内アナウンスがありました。前夜、ガタガタという音がひどくて、布団を別の場所に移し、電気を付けたままで眠りについたのですが、少し眠れました。このアナウンスの少し前に目が覚めていました。
顔を洗い、歯を磨いて、服に着替え、お化粧をして、お堂へ。すでに宿泊客のほとんどが集まって、椅子に座っていました。私が行ったのは最後のほうでしたので、もう椅子はなく、お坊さんが「椅子がない方は前へいらしてください」と案内してくれました。菩提寺院代(住職代理)の南直哉さんがお立ちになっているすぐ前に正座しました。
私は、ダイニングテーブルとソファで育った世代ですので、正座をすることもほとんどありません。足が痺れることを想像し、「もう少し早く来れば椅子に座れたのに」とふと思いましたが、すぐに気持ちが変わりました。南さんの後ろ、私の場所からよく見えるところに、長い「塔婆」が4枚立てかけられており、そのうち2枚に私の父と息子の名前が書かれていました。
南さんと他3人のお坊さんのお経を、父と息子の名前が書かれた塔婆を見つめながら、厳粛な気持ちで聞きました。父と息子が極楽浄土(キリスト教の天国)で幸せに過ごしていますよう、祈りました。すべてが導かれている、と感じた時間でした。
本来ですと、塔婆を納める場所に一緒に行くようになっていましたが、南さんから「風が強いため、本日は私たちが納めて参ります。向こう側は石などが飛んできて危ないですので、8時ごろまでには行かないように」とのご指示がありました。そして、皆静かにお堂を後にしました。
お堂の廊下から、宿坊が見えました。私の泊まった部屋の窓の前にだけ、台の上に乗ったエアコンの室外機がありました。前夜のあのガタガタはこれが原因だったんだな、と分かりました。ですので、あの音に震え上がっていたのは私だけで、他の宿泊客は静かに寝られたのだと分かりました。大きな部屋の片隅の布団置き場に布団を移し、襖を閉めて、電気を付けたまま寝た自分が何とも滑稽で、思わず苦笑しました。
午前7時半に朝食です。お坊さんと一緒に「五観の偈(ごかんのげ)」を唱え、「いただきます」を唱和しました。朝食も美味しく、そして、前日は全く働かなかった胃もちゃんと食べ物を消化してくれているようで、また、治った後もずっと続いていたマイコプラズマ肺炎による咳もほとんどなくなり、体も通常に戻ったようでした。
食事を終え、8時過ぎに外に出ることにしました。チェックアウトは10時ですので、すでに支度をして宿坊を出る宿泊客もいました。が、私は10時10分発のバスで下北駅に行く予定でしたので、ギリギリまでここにいることにしていました。
宿坊を出て、本堂の近くに行くと、お守りなどを売っている小さな小屋がありました。そこで家族全員にお守りと父の仏壇に供えるお札を買い、色鮮やかな風車も買いました。そして、「水子供養地蔵尊」がある場所に向かって歩きました。
水子供養地蔵の周りにはたくさんの風車がくるくると回っていました。たくさんのお母さんがここに来て、手を合わせたのだろうなと思いました。前日の強風で吹き飛ばされてしまったのでしょうか。お地蔵さんがよく見えるところにある風車を刺す穴が一つ空いていました。そこに買ってきたばかりの風車を刺しました。そして、その前の池に前日社務所でいただいたお札を浮かべました。
水子供養地蔵の周りを囲む風車。真ん中が息子のための風車 |
「アンディ、無事産んであげられなくて、ごめんね。おねぇねぇは来月20歳になるよ。時が経つのは早いね」
そう、息子に話しかけました。風車は勢いよく、くるくると回っていました。