2024年4月15日月曜日

息子のお弁当作り始まる

  1週間ぶりのブログです。目まぐるしい日々で、気持ちがなかなか上向かないため、ブログを書くことが出来ませんでした。でも、先週から息子の中学校がスタートし、お弁当作りも始まったため、これをきっかけに自分の気持ちを立て直そうとブログのURLを開きました。

 3月4月は、息子の卒業式、始業式、息子とのスキー旅行、東京都内での納骨堂探し、札幌からの父の遺骨の移動…と家庭のことに取り組みながら、一方で、論文書きとデータの解析に追われていました。

 私の論文には共著者の先生が10人います。第一稿を回覧(一斉メールで送る)し、様々な助言をワードのコメントでいただき、それを修正し、どう修正したかをコメント欄に記載し、それを返信する。そして、英文校正に出し、その分野に詳しいエディターから様々な助言や修正があり、それを反映させた第2稿を先生方に回覧します。また、助言をいただくので、それを一つ一つ原稿に反映させます。今日は第3稿を完成させ、共著者の先生方に返信し、英文校正に出します。

 この世界に足を踏み入れて身を持って知ったのは、これらの助言が理論や厳密な手法に基づいたものなので、修正するためには海外の論文を探し、読み、理解してからという大変労力のいることです。力があれば、このような助言もないのでしょうが、私の場合まだ博士課程の学生ですので、”根本のところが分かっていない”ということなのだと思います。

 共著者の先生方のほとんどが博士号取得者でかつその分野での経験も豊富な方々。元新聞記者(とはいっても、12年間の経験)でがんサバイバー(20年前に発病し2度再発、昨年は別のがん発病)の私が太刀打ちできる場所ではなかったーと、困難があっても乗り越える、果敢に挑戦するーという自分の性分がほとほと嫌になっています。

 毎日、研究室の生き帰りの電車の中で、子どもたちの小さなころの写真を見返しては、「幸せはここにあるのに、なぜ、自分は別の世界に居場所を求めたのだろう」と後悔しています。とはいっても、子どもたちには学校や習い事など彼らの世界があり、夫も職場という別の場所がある。私も家庭以外に自分自身を活かす場を求めても、何らおかしくはないでしょう。

 手を伸ばした先が、自分の実力では到底及ばない、難しい場所だったということでしょうか。今年、還暦だというのに、パソコンの画面に向かって、自分が好きで少しは出来るであろう雑文を書くということではなく、うんうん唸りながら論文を書き、数学苦手だったのに…と思いながらデータ解析のためのコードを打ち込んでいる。こういう自分が滑稽で、苦笑する日々です。

 私の研究室は大学以外の場所にあるのですが、先週、講義があったため(自分が教えるのではありません。受講するんです)に東大に行きました。いやぁ、娘と同じ年代の若い学生たちが楽しそうにキャンパスを歩いているのを見て、しみじみ思いました。大学は若いときにくるものだとー。

 学び直しで再び大学に戻る方々もたくさんいると思います。が、その方々は30代40代でキャリアアップのためでしょう。もしくは定年前後に自分が学びたかったことを追求しにきた方々。私のように、30代後半から病気を患い、病気との闘いがひと段落して、50代になってから人生を立て直すために大学に戻るような人は稀でしょう。せっかく健康を取り戻し50代を迎えられたのに、なぜ、キャリア人生を立て直す必要があるのでしょう?

 多くの謙虚ながんサバイバーの方々のように「がんになって、人生の素晴らしさ、尊さ、家族や友人の大切さに気付いた」と、生きていること、生かされていることに感謝しながら生きるのではなく、病気をしたことで失ってしまった長い時間を取り戻すかのような無理を重ねる自分はやはり、間違っているのではないかと思います。でも、です。一つ困難をクリアすると、というよりクリアできると見積もると、次の目標が出てきてしまうのですよ。目の前に。

 私は登山はしませんが、登山で表現するとこんな感じだと思います。目の前に山があった。難しそうだけど、登ってみようと思い、登り始めた。頂上から見える景色が見てみたいと思ったからだ。7合目ぐらいになると、なんと、登っている山の向こう側により高い山が見えた。それを見て、「ええっ、まだ高い山があるの? 私はこの山を登って、山の頂上から見える景色を見てみるので十分だわ。頂上からの景色を眺めたら、麓まで戻って、登山の疲れを癒し、温泉でもつかろう」と思わない。私の場合は「そうか。まだ、高い山があるんだ。あの山から見える景色は、この山の頂上から見える景色と違うのだろうか。この山を登って、頂上からの景色を眺めたら、挑戦してみよう」とワクワクするのです。で、ずっと続く苦しい山登りをしながら、当初のワクワク気分はすっかり消え失せ、山を登ろうと決断したことを後悔しながら、黙々と山を登るのです。こういう性分って、本当に疲れます。自分自身に疲れます。

 でも、本当に厄介なこの性分は、私の人生で素晴らしいことをもたらしてくれました。46歳で息子を出産したことです。息子はがん治療前に凍結した受精卵で7年後に子宮に戻して、大事に育て出産しました。家族にも医師にも反対されましたし、様々なところから、Noのメッセージを受け取りました。おそらく、神様からのメッセージだったと思います。

 でも、「ほしいものがあるときは同等のものを差し出すべきだということは承知しています。私には差し出すものはありませんし、もう長くはありませんので、この命を差し上げます。引き換えにどうぞ、新しい命を…」をトンチンカンな祈りを日々捧げる私に、神様が最後には「仕方ないな」と息子とさらに健康という幸運をもたらしてくれたのだと考えています。まぁ、その息子も今は以前のように「ママ、ママ」とは言ってくれなくなりましたが…。

 さて、長々とつづってしまいましたが、今日のブログのテーマは息子のお弁当でした。子どもたちのお弁当作りは、私にとって楽しみと癒しです。お弁当第1日目は息子の大好物の鶏そぼろご飯です。夫と自分にも作りました。 

真ん中が息子の2段弁当。左が夫、右が私のお弁当

 

 

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