2024年2月12日月曜日

中学校受験を振り返って

 2月1日から始まった息子の中学校受験は、5日のインターナショナルスクールで終わりました。その日、東京都内に雪が降ったため翌日6日の早朝は登校前に息子と雪合戦を楽しみました。そして、息子は普段通りに登校し、帰宅後は友達と一緒に公園へ。誰も受験結果の話はせず、いつものように公園内を走り回ったそうです。

 インターの結果はまだですが、今回の受験で息子は6校受験し1校合格という厳しい結果となりました。この間、私は息子の資質の見極めや、将来へつなげるための道筋の選択を間違っていたのではないかと自問自答を繰り返していました。

 私は米国人と結婚していますが、近年日本人の中で人気が高まっているインターナショナルスクールへの憧憬は全くありません。私は可能ならば子供たちに日本の教育を受けさせたいと心から願っていました。

 ですが、娘は地元小学校でなかなかうまくいかず、インターナショナルスクールへの転校を決断。幼いころから、成長に関する心配が全くなかった息子には日本の中高一貫校で学んでほしいと中学校受験を目指しました。最初は国・算・理・社という通常の受験科目を学ばせましたが、結局は理科・社会を落として、英語を受験科目に入れることになりました。

 私は、自分の人生を振り返っても、インターに入りぐんと力をつけて大学受験では希望の大学に入ることが出来た娘の成長ぶりを振り返っても、結局は英語での教育が人生の道を開いてくれたと認めています。それでもなお、私は日本語での教育にこだわりを持ち、息子は日本人気質を持っていると考え、中高一貫校で伸び伸びと部活を楽しむ息子の姿を夢見て、中学校受験をさせました。でも、結局は、最後の最後に頼りになったのは英語でした。

 それならば、娘のように、途中でインターナショナルスクールに転校させれば、息子の子ども時代はもっと楽しかったのかもしれない。息子のかけがえのない時間を、私の親としての判断が間違っていたために、奪ってしまったのかもしれない。中学校受験を通じて、私が息子に身に付けさせたのは、「どうせ、僕なんて」という低い自己肯定感かもしれないと深く反省しています。

 今回、1校だけ合格をいただいた学校を受験する直前、すっかりやる気を失っている息子に、息子の出産時のことを話しました。いくつもの病気を抱えての45歳の妊娠は奇跡だったこと。こんな体で、超高齢で、妊娠したことを大学病院の先生にずいぶん怒られたこと。そしてもし、私の病気の1つでも悪化したら、赤ちゃんを諦めるように言われたこと。それでも、息子は無事生まれてきたこと。息子の誕生を皆が祝福してくれたこと。息子の育児はそれは楽しかったこと…。

 息子に話して聞かせたことを、もう一度、しっかり思い出し、これから息子にしっかり向き合いたい。怒涛のような3年間を終え、静かな日常が戻ってきた今、改めて丁寧な子育てをしていきたいと考えています。

 

 

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