2024年2月28日水曜日

娘@メルボルンからの報告

  メルボルン大学に入学した娘が26日、初めての講義をスタートさせました。前週に大学のオリエンテーションなど様々なイベントがあり、ずいぶん大学にも慣れたようです。

 娘はアート専攻ですので、作業する場所が与えられています。さっそくそのスタジオに行ってみると、あちこちのブースで絵を描いている学生が何人もいて、触発されたそうです。フェイスタイムでスタジオ内を見せてもらうと、大学のアート専攻の作業場はこういうものなんだと感動しました。

 私は、不得意を克服するよう努力してきた人生を反省し、娘には他人の土俵ではなく自分の土俵で勝負をしてほしいと願っていました。だから、娘の得意なアートの才能を伸ばすよう海外の大学を勧めました。夫も全面的にサポートしていました。そして、今、自分の好きな道を歩み始めた娘。頑張ってほしい。

 入寮手続きや銀行口座の開設、食料品・日用品の購入場所の探索など、娘の大学のスタートをサポートした夫も帰国しました。娘はすでにホームシックにかかり、一昨日は大泣きしました。「ママとハグしたい。ダディとハグしたい…」と大粒の涙を流す娘を、フェイスタイムで顔を見ながら1時間以上は話をし、励ましました。

 家族が大好きで、家にいることが大好きだった娘の背中を押して、海外に出した私たち。昔から「かわいい子には旅をさせよ」と言います。娘が今のこの家に住んでいたらどんなに楽しいだろうーと思わない日はありませんが、娘には充実した人生を送ってほしい。そのために、この留学はあると考えています。頑張れ、我が娘!

娘が送ってくれた写真。娘の寮の部屋から見えるメルボルンの街
大学内のアート専攻の学生たちのスタジオ


2024年2月24日土曜日

餃子食べ放題

  連日、息子と一緒に料理をしています。

火曜日:ポトフと鶏の唐揚げ


  前日に包丁の切れが悪いことに気付いた息子にまず、包丁の研ぎ方を教えました。亡父が包丁を研ぐのがとても上手で、定期的に実家の包丁を研いでいました。その様子を見ていた私は結婚と同時に砥石を購入し、ずっと使っています。砥石を水に15分ほど浸し、砥石に対して刃先の角度を少しつけて、研ぎます。息子は最初、怖がりましたが、少しずつ慣れてきました。2本を研ぎ終わり、玉ねぎを切ってみて、前日に比べてすっと切れ味が良くなったのが分かったよう。

 ポトフはジャガイモ、玉ねぎ、人参、ベーコン、ソーセージをざく切りにし、芽キャベツを加えてオリーブオイルで炒めて、味付けはチキンコンソメスープとコショウ。鶏のモモ肉もざく切りにし、日清のからあげ粉をまぶして揚げるだけ。子どもたちは私がたれに漬け込む唐揚げより、日清のからあげ粉をまぶしたチキンを「粉チキン」と呼んで好みます。

水曜日:餃子、大根と人参のお味噌汁

餃子を焼く息子

 娘がいるときは、30枚入りの餃子の皮を買って豚挽き肉とニラのみじん切りを練った中身を入れて焼き、娘と息子が8、9個、私と夫が少な目に食べていました。この日は30個の餃子の食べ放題です。私は数個のみで、息子が全部平らげました。食後は前日の続きの将棋。

木曜日:サーモンと枝豆、じゃがいものお味噌汁

金曜日:外食

土曜日:豚挽き肉のハンバーグ、ほうれん草のバター炒め

 日曜日(18日)に夫がオーストラリアから帰国。息子と2人の楽しい料理の日々は終わったのでした。


2024年2月16日金曜日

戻った息子との日常

  怒涛のような中学受験の日々が終わり、穏やかな日常が戻ってきました。12日(月曜日)にオーストラリアに旅立った娘も、同行した夫のサポートを得ながら、新たに始まる大学生活に向けての準備を進めているようです。

 息子のほうは、塾がないので夕方出掛けるのは水曜日のかけっこ教室と日曜日の水泳教室のみ。そして1月だけお休みしていたヴァイオリンの週1回のレッスンが今週の土曜日から始まります。

 娘が旅立った月曜日から、毎晩息子と一緒に料理をしています。私の大学院のほうは自宅で作業できますので、火曜・水曜も自宅で帰宅する息子を待ち、昨日木曜日は研究室には行きましたが、早めに帰宅し息子の下校時間に間に合わせました。こうすることで中学受験でささくれ立ってしまった息子の心を、元に戻せたらと願っています。

 息子はあまり物事に熱中するタイプではないのですが、料理が大好きです。我が家は夫も私も娘も料理好きですので、息子も自然に料理をするようになりました。ですので、料理を一緒にして、楽しく食事をすれば、息子が戻ってくれるのではと思ったのです。

 月曜日夜のメニュー:アサリのパスタ、蒸しチキンのサラダ、お豆腐

 この日、息子に「何食べたい?」と聞くと、間髪を入れず「蒸しチキン」と答えた息子。冷凍庫に鶏のささ身がなかったのでスーパーに一緒に行きました。そこで見かけたのが大きなアサリ。息子が目を輝かせ、「ママ、今日はアサリのパスタも食べたい!」と言うので、購入しました。自宅に戻り、息子がまずは耐熱ガラスにチキンを入れて、お酒を入れ、塩・胡椒をして、電子レンジに。

 「アサリはすぐ出来るから、コツは同じタイミングでパスタをゆでること」と私。鍋一杯に水を入れます。「お湯にお塩を入れるの忘れないでね、パスタは塩を入れてゆでないと美味しくないの」。「あっ、そうだよね」と息子。

 パスタをゆでている間に、ニンニクをみじん切りします。「ママ、この包丁切れないよね」。「そうそう、じゃあ、明日は包丁を研ぐことから始める?」「そうだね」とおしゃべりしながら、作業を進めます。

 息子はフライパンにオリーブオイルを入れ、ニンニクを入れて炒め、キツネ色になったらアサリを入れました。「アサリの口が開いてきたよ」と息子。「白ワインがないから、今日はお酒を入れよう」と私。お酒の量も息子が「これくらい?」と聞きながら、入れていきます。蓋をして蒸し上がったアサリに、茹で上がったパスタを入れて、菜箸でかき混ぜて出来上がり。

 蒸しチキンも丁度出来上がりました。サラダを作るのは私の役目。サニーレタスを洗って水気を切ってちぎり、サラダボウルに盛り付け、ほぐした蒸しチキンをトッピング。冷蔵庫にあった豆腐も小皿に盛りました。息子がそこにオリーブオイルと粗塩を掛けて、食卓に添えました。

 「せっかくだから、ママ、着替えてくるね」と言い、今冬買った真っ赤なセーターに着替えて、食卓に座りました。携帯電話で自撮りをし、夫の携帯電話に送りました。そして、息子と他愛のないおしゃべりを楽しみました。

美味しそうに蒸し上がったアサリ


蒸しチキンのサラダとお豆腐も添えて

 食後、息子は1カ月ぶりにヴァイオリンを弾きました。来月は発表会ですので、準備してきた曲を練習しました。思ったより、忘れていないようです。息子がヴァイオリンを弾く姿を後ろから見守りながら、こういうゆったりとした日々がようやく戻ってきたなぁとほっとする私でした。


2024年2月13日火曜日

娘がメルボルンへ

  昨日、娘がオーストラリアに旅立ちました。娘は昨年関西の大学に入学しましたが、アートを学びたいとオーストラリアの大学にアート専攻で出願し、3校から合格をいただいていました。そのうち、一番プログラムが充実していたメルボルン大学に行くことになりました。

 息子の受験と並行して、夫と共に娘のオーストラリア行きの準備を手伝っていました。息子の受験での送迎や様々な判断を下すために時間がとられ、3年間(オーストラリアの大学は3年間)離れる娘とゆったりとした時間を過ごすことが出来ませんでした。でも、前日まで一緒に寝ましたし、ピクニックに行ったり、北海道ラーメンを食べに行ったり、一緒に料理をしたりと、できるだけ時間を過ごすようにしました。支度が間に合わず、実際に一緒に荷物をスーツケースに詰めたのが前日でしたが…。

 メルボルンには夫が着いていきました。成田空港には私と息子、母も見送りに行きました。セキュリティを通り、何度もこちらを振り返って手を振る娘を見送りながら、赤ちゃんのころからの娘を思い出していました。

「ママ、何しているの?」「考えているの」「私も一緒に考えた~い」と寄り添ってくれた娘。治療のときに、手を握って付き添ってくれた娘。「ママは私の親友だよね」と言ってくれた娘。私が学校に行くと、いつも喜んでくれた娘。学校帰り、道端に落ちている花を拾ってくれた娘。素敵な絵を描いてくれた娘。「ママの料理は世界一」と言ってくれた娘…。

 寂しかったけど、「世界各国から来る学生たちと切磋琢磨して、ビッグなアーティストになるんだよ。でも、何かあったらいつでも我が家はあなたの帰る場所だよ。ママはいつでも待っているからね」と送り出しました。

 前日まで不安がいっぱいだった娘でしたが、昨日は大泣きしたものの、元気に旅立ちました。「母親は子どもに去られるために、そこにいなければならない」ー。心に刻んでいた心理学者の言葉を守り、私はそこにいました。娘が私のもとを去るまで、元気でいられたことに心から感謝。

2024年2月12日月曜日

中学校受験を振り返って

 2月1日から始まった息子の中学校受験は、5日のインターナショナルスクールで終わりました。その日、東京都内に雪が降ったため翌日6日の早朝は登校前に息子と雪合戦を楽しみました。そして、息子は普段通りに登校し、帰宅後は友達と一緒に公園へ。誰も受験結果の話はせず、いつものように公園内を走り回ったそうです。

 インターの結果はまだですが、今回の受験で息子は6校受験し1校合格という厳しい結果となりました。この間、私は息子の資質の見極めや、将来へつなげるための道筋の選択を間違っていたのではないかと自問自答を繰り返していました。

 私は米国人と結婚していますが、近年日本人の中で人気が高まっているインターナショナルスクールへの憧憬は全くありません。私は可能ならば子供たちに日本の教育を受けさせたいと心から願っていました。

 ですが、娘は地元小学校でなかなかうまくいかず、インターナショナルスクールへの転校を決断。幼いころから、成長に関する心配が全くなかった息子には日本の中高一貫校で学んでほしいと中学校受験を目指しました。最初は国・算・理・社という通常の受験科目を学ばせましたが、結局は理科・社会を落として、英語を受験科目に入れることになりました。

 私は、自分の人生を振り返っても、インターに入りぐんと力をつけて大学受験では希望の大学に入ることが出来た娘の成長ぶりを振り返っても、結局は英語での教育が人生の道を開いてくれたと認めています。それでもなお、私は日本語での教育にこだわりを持ち、息子は日本人気質を持っていると考え、中高一貫校で伸び伸びと部活を楽しむ息子の姿を夢見て、中学校受験をさせました。でも、結局は、最後の最後に頼りになったのは英語でした。

 それならば、娘のように、途中でインターナショナルスクールに転校させれば、息子の子ども時代はもっと楽しかったのかもしれない。息子のかけがえのない時間を、私の親としての判断が間違っていたために、奪ってしまったのかもしれない。中学校受験を通じて、私が息子に身に付けさせたのは、「どうせ、僕なんて」という低い自己肯定感かもしれないと深く反省しています。

 今回、1校だけ合格をいただいた学校を受験する直前、すっかりやる気を失っている息子に、息子の出産時のことを話しました。いくつもの病気を抱えての45歳の妊娠は奇跡だったこと。こんな体で、超高齢で、妊娠したことを大学病院の先生にずいぶん怒られたこと。そしてもし、私の病気の1つでも悪化したら、赤ちゃんを諦めるように言われたこと。それでも、息子は無事生まれてきたこと。息子の誕生を皆が祝福してくれたこと。息子の育児はそれは楽しかったこと…。

 息子に話して聞かせたことを、もう一度、しっかり思い出し、これから息子にしっかり向き合いたい。怒涛のような3年間を終え、静かな日常が戻ってきた今、改めて丁寧な子育てをしていきたいと考えています。

 

 

2024年2月10日土曜日

やっと合格

  中学受験4日の午前は、英語1教科の試験でした。息子は英検準1級を持ち、夫や娘と流暢な英語で話しますが、これまで英語1教科試験で2回不合格だったことから、息子の英語力では、合格はもらえないだろうと予測できました。

 この中学受験が始まってから私は、自分の見通しが甘かったことを思い知りました。息子が4年生のころ、塾の先生からは再三「英語・国語・算数」の3教科か、「国・算・理・社」の4教科か、どちらかに絞ったほうが良いとアドバイスをもらっていました。

 が、なかなか決断ができず、6年生まで5教科を引っ張ってしまいました。結局、英・国・算に絞ったのが昨年10月。対策がかなり遅れてしまいました。様々なことを考えてのことでしたが、結果的に私の判断ミスだったと考えています。

 この日は息子の試験終了まで保護者控室で待ちました。帰ってきた息子に手ごたえを聞くと、「結構、出来たよ」と言います。が、これまでの経験から、「出来た」と思っても、合格ラインには達しないのだろうなと思いました。

 自宅に戻ると、息子はもう午後の試験は受けないと言います。午後の試験はこれまで2回不合格だったところ。「せっかく、出願しているし、もしかしたら合格がもらえるかもしれない」と説得しましたが、息子は頑として、嫌だと言います。そうこうしているうちに、昨日午後の学校の発表時間になりました。

 私は1人でパソコンの前に座り、学校のホームページを開き、合格発表のバナーにIDとパスワードを入れました。しばらくエンターボタンを押せませんでしたが、思い切ってえいっとボタンを押しました。

 すると、これまでとは打って変わって、ピンク色の画面が出てきました。桜の花びらを背景に、「合格おめでとうございます。努力が実りましたね。4月から一緒に学べることを楽しみにしています」という言葉が書かれていました。

 1階に降り、息子に伝えました。息子は少し照れくさそうに、そして、胸に手を当てて、いかにもほっとしたという表情をしました。夫と娘にも伝え、皆で代わる代わる息子を「頑張ったね! 良かったね!」と抱き締めました。心配していた母にも電話をしました。母も電話口で涙ぐんでいました。

 結局、息子は意志を貫き、午後の試験は受けませんでした。2度3度と同じ学校を受験して、最後に合格を勝ち取った子供の話も聞きますが、息子にはそのようなしぶとさはなかったようです。私も、もう、嫌がる息子を説得することはできませんでした。

 でも、ようやく合格をいただけました。息子にとって、第1志望第2志望ではなかったけれど、とにかく合格できて良かった。私は何度も何度もその合格のページにアクセスし、ピンク色の画面に見入ったのでした。

2024年2月8日木曜日

息子のつぶやき

  中学受験3日目の午前11時半、私は息子が試験会場から戻ってくるのを保護者待合室で待っていました。お昼ご飯を食べさせながら、昨日の午前・午後に受験した学校が両方とも不合格になったことを息子に伝え、その日の午後に出願している学校2校のいずれを受験するか、決めなければなりません。どちらの学校を受験させるべきか、私自身も決めかねていました。

 息子が試験会場から戻ってきました。

「どうだった?」

「算数も英語もまぁまぁできたよ」と息子。「で、昨日の結果は分かった?」

「2つともダメだった」

「そう。そうだと思った。あーあ、お腹すいた」

「好きなもの食べていいよ。何がいい? ハンバーガー? カツ? パスタ?」

 駅の近くにある、商店街に向かいました。おしゃれなレストランが何店も入っているビルの横にキッチンカーが止まっていて、美味しそうなハンバーガーを売っていました。ラッキーなことに、テーブルが開いていました。

「ハンバーガー食べる?」

「うん!」

 テーブルに座り、ハンバーガーができるのを待ちました。私は牛肉が苦手なので、他の店で何か買おうかと考えましたが、全く食欲がありません。ハンバーガーが出来、息子がそれをほおばるのを見ていました。

「午後、どっち受ける?」

「どっちでもいい」

「じゃあ、とりあえず、●●に行く?」

 そこは授業のほとんどが英語で行われるコースがある学校で、受験科目は英語・国語・算数の3教科。人気が高くなっている学校だそうで、息子が合格をいただけるかどうかは全く自信がありません。でも、国語・算数の2科目受験で、1日の午後に受験をして不合格になっている学校よりは、チャンスがありそうな気がしました。

 塾の先生によると、もう一つの学校はたとえ1日に不合格でも、まだ合格をもらえやすいということでしたが、息子はたとえそこから合格をいただいても行きたくないと言います。「合格」をもらうために、行きたくないと言っている学校を受験させるのもかわいそうです。かと言って、もう一つの学校が不合格になれば、この3年間は何だったのか?と考えるに違いありません。

 電車を乗り継いで、学校に着きました。が、まだ決めかねていました。今なら、塾の先生が合格をいただけるかもしれないーと言っていた学校の集合時刻に十分間に合います。

「ねぇ、どうしたい?」

「ママ、どっちでもいいんだよ。昨日だって、一昨日だって、試験はまぁまぁ出来たんだよ。出来たと思った学校がことごとく不合格なんだ。それほど僕は頭が悪いんだ。どうせ、不合格なんだから、どっちでもいいんだよ」

「でも、もしかしたら、今日受ける学校で合格がもらえるかもしれないじゃない?」

「ママが決めてよ。僕はどっちでもいいんだ」

「でも、これはあなたが行く学校でしょ」

「ママ、どうせ落ちるんだよ。だから、どっちでもいいんだよ」

 息子は決めるつもりはないようです。でも、私もまだ気持ちが揺れていました。どちらが良いか迷っていました。勘も働きません。でも、ぐるぐる考えているうちに、少しずつ考えがまとまってきそうでした。夫に電話をしてみました。夫の意見を聞きましたが、夫も判断できないようでした。

「君の決断に任せるよ」

 いつもの夫の答えでした。昔はこの言葉は私を尊重してくれているのだと受け止めていましたが、長年生活を共にしてきて、この答えは自分の判断に自信が持てないからだとわかっています。私は言い返しました。

「どうして、私の判断に任せるの? この重要な決断時に。あなたに、父親として、どう判断しますか?と聞いているの。もうすでに4回も不合格なの。今受けてきた学校の定員は15人だから、可能性はほぼゼロ。今、私たちの目の前にある学校は人気が出ている学校でここも受かる可能性は低いと思う。もう1校はすでに1日に受験して落ちている学校で、かつ息子が合格しても行きたくないと言っている学校。あそこも良い学校だと思うけど、あの子がどうして行きたくないと思ってしまったか分からない。どう思う? チャンスにかける?それとも、塾の先生の助言に従って『合格』をもらえる可能性が少しでもある学校を受験して、『合格』の連絡を待つ? いずれにしても全部落ちたら、あの子に立ち直ってもらうよう、自信を持って生きてもらえるよう、私たちも努力しなければダメだと思う」

「…。僕は●●がいいと思う」

夫が小さな声で言いました。私と同じ考えでした。

「私もそう思う。じゃあ、そうしましょう。まだ集合時間まで時間があるから、カフェに入って温かい飲み物飲ませるね」

「じゃあ、僕はインターナショナルスクールをもう少し調べてみるよ」。そう言って、夫は電話を切りました。

 息子に言いました。「ダディとママは、ここを受験したほうが良いと思うけど、どう?」

「うん、そうするよ」と息子は素直に答えました。目の前にあるカフェに入りました。そこには何組かの親子がいました。この学校の過去問を開いて解いている子、算数の問題を解いている子、どの子もギリギリの時間まで勉強しているようです。

 息子はホットドッグとジュースを、私はカフェラテをオーダーしました。席に座ると息子が「携帯貸して?」と言います。息子はグーグルに「東京 高校」と入力し、都内の高校の名前を検索し始めました。「結構、受験できる高校あるんだね」とつぶやく息子。全部落ちたら、地元の公立校に行って再び塾に通い、高校受験をするというシナリオも見えてきたのでしょう。

 集合時間が近付きました。また、たくさんの親子が学校に来ていました。静かに並んで待ちます。「保護者の方はここで、お見送りをしていただきます」と係の人が説明します。「頑張ってね」。息子は黙ってうなずいて、試験会場に向かいました。

 長丁場なので、一旦自宅に戻りました。前日まで、私が朝息子を学校に送り、昼食を食べさせ、午後の学校に連れて行き、夫が迎えに行くという役割分担をしていました。でも、この日は私も夫と一緒に迎えに行きました。

 午後5時半、息子が試験会場から戻ってきました。私と夫が二人で迎えに行ったのが嬉しかったのでしょう。息子の顔には少し笑顔が戻っていました。「お疲れさま」。息子はこくりとうなずきました。


2024年2月7日水曜日

塾の先生の助言

  中学校受験3日目の朝、息子はなかなか起きてきませんでした。8時半の集合時間に余裕を持って着くように、「7時15分ぐらいには出よう」と声をかけましたが、布団をかぶったままです。何度か声をかけて、ようやく起きてきた息子は、疲れた表情で着替えました。朝食は息子の好きなおじやにしましたが、食も進みません。何とか食事を終えた息子と私を、夫が駅まで車で送ってくれます。

 車から出るときの夫の「Good Luck!」という声掛けにも、力ない返事をした息子。まだ笑顔もあり、冗談も言っていた前日とは違います。1日、2日ともに午前・午後に試験を受けているので、精神的にも疲れているのでしょう。ちなみに1日午前の学校は英語と面接、午後の学校は国語・算数。2日午前は英語・国語・算数、そして午後は英語でした。1日目午前と2日午後は同じ学校です。

 3日午前、向かったのは第2志望校です。この学校は、昨年行った学校説明会で私が最も感銘を受けた学校でした。学校説明会では、3人の生徒が自分たちが学校で学んでいることについて発表してくれました。そのうち2人は英語での発表。よどみない英語は、まるで娘が通っていたインターナショナルスクールの生徒たちの発表のようでした。この学校のレベルの高さが、見てとれました。学校祭にも息子を連れていきましたが、子供たちの表情が明るいのが印象的でした。

 この学校の試験科目は英・国・算の3教科プラス面接。算数は英語での出題でした。学校によって算数は英語で出題されるところと、日本語で出題されるところがありますので、息子もそれに応じて塾で対策を取ってきました。

 息子が今回受験する中学校のほとんどは、日本語で学ぶコースと、英語で学ぶコース、科学に特化したコースなど複数のコースを持っています。息子が今回、受験するのは算数・理科などの各教科を英語で学ぶコース。ですので、競争相手は帰国子女か英語にかなりの力を入れてきた子供になります。

 帰国子女(海外の滞在歴●年など条件がある)はすでに12月に実施される帰国子女枠で受験していますが、それで希望校から合格をいただけなかった子が、2月の一般枠で受験します。息子は、その生徒たちと競うという厳しい戦いをしています。

 何度かこのブログでも書きましたが、当初、息子は学校の選択肢がたくさんある通常の国語・算数・理科・社会の4教科で準備をしてきましたが、昨年の秋に、英語を含む受験に変更しました。ですので、最初から英・国・算で照準を定めた子供たちよりも、かなり出遅れました。

 3日の午前に受験した学校の定員は15人。この枠に、首都圏各地から帰国子女を含む受験生が殺到します。この枠に入るなど、奇跡に近いのですが、息子はこの学校で学ぶことを希望し、受験したのです。この日も英語・国語・算数・面接の試験を受ける息子を、試験会場に送り出しました。生徒たちの親が、子供の肩や腕に手を回し、それぞれの言葉がけをし、送り出す中、私は息子をぎゅっとハグをしました。息子はほとんど無表情で、試験会場へ向かいました。

 試験の時間が長いのと、自宅からはさほど遠くなかったので、一旦自宅に帰ることにしました。前日午前に受けた学校の結果は息子が試験を受けている間にネット上で発表されることになっています。自宅に戻り、発表時間にアクセスしました。合格発表は、受験番号とパスワードを入れて個々の結果が出るかたちと、従来のように番号がずらりと並び、その中で番号を探すというかたちがあります。今回は、並んだ番号の中で、息子の番号を探しました。何度見返しても、息子の番号は見当たりませんでした。

 続けて、前日午後に受験した学校の発表がありました。息子の受験番号とパスワードを入力します。「どうか、合格していますように!」と祈りながら、エンターを押しました。

「残念ながら、不合格です」。

 息子を迎えに行き、この結果を伝え、昼ご飯を食べさせ、次の学校に連れていかなければなりません。どうしよう、どう伝えよう。こんな思いをさせて、私は親としてどこで何を間違ったのか? 息子が6年間、のびのびと日本の学校で学べるように、中高一貫校の受験を選んだ。でも、それは間違っていたのだ。今日受験した15人の中に息子が入るとはとても思えない。どうやって、慰めたらいいのだろう?

 そうこうしているうちに、塾長先生から電話がありました。結果を伝えると、3日の午後の受験について、より簡単なほうを受験するようにアドバイスを受けました。1日2日の結果次第で、3日午後の受験校を決めようと、2校出願していました。そのうち1校は1日の午後に受験し、不合格だった学校です。この学校はもう一つの学校より合格をもらえやすいという理由で、先生は勧めます。でも、一度度落ちているところにもう一度受験しても本当に受かるだろうか? 息子はすでに1日午前に受験し不合格だった学校に2日午後に再チャレンジし、不合格になっています。まして、受験科目は国語・算数。息子の得意な英語が入っていない。

 もう一つの学校は、1日2日には受験しておらず、3日午後に初めての挑戦になります。人気が高まっている学校で受験科目は英語・国語・算数。3日午前の学校で英語・国語・算数・面接試験を受けた後での、3科目受験。試験が終わるのが5時半。翌4日に出願しているのは2校です。もし、3日目の2校で合格をもらえなかったら…。体力・気力がもう持たないかもしれない。とも考えました。

「先生、息子なりに3年間頑張ってきました。娘がインターナショナルスクールに行っておりますので、インターの選択も出来ました。でも、息子は日本人気質ですし、日本人のお友達の中でとてもうまくやっている。運動も好きなので、日本の中高一貫校で思う存分部活に打ち込んでほしいと思っていました。親としての私の選択の何が間違っていたのか、考えています」

「お母さま、お気持ちは分かります。が、そのお話は後にしましょう。まずは、息子さんに1校でも合格をいただだき、何とか、良い着地をさせなければなりません。中学校受験で苦い経験をし、仕切り直して地元の公立中学校へ行き、塾へ通い、高校受験をする。そこで、中学校受験の経験がトラウマになって、思う存分力を発揮できない子も実際にいます。それだけは、避けたい。今の段階では、そこを見据えて、今できることをしましょう」

 比較的入りやすいと言われている、国語・算数の2教科で受験する、1度不合格だった学校に再挑戦するか。それとも、初めて受験する、人気が高まっている学校で、英語・国語・算数の3科目受験にするかー。最終的に決めるのは息子ですが、私なりに、親として判断をすべきです。息子を迎えに行く時間になりました。まずは、息子にご飯を食べさせ、この話をうまく切り出さなければー。でも、堂々巡りの考えはまとまらないまま、学校に着いてしまいました。

 


2024年2月4日日曜日

苦戦

 中学受験2日目の午前は息子の第一希望の大学付属中学校でした。自宅から電車とバスを乗り継いで到着したその中学校は、人気が高く、校舎の前にはたくさんの親子がいました。

 前日受験した2校は、ホールで親子一緒に集合時間まで待ちましたが、この学校は校門の前で親子が分かれました。親が次々に「頑張ってね!」と激励して、子供を試験会場に送りだします。私も息子をぎゅっとハグし、送り出しました。

 子どもを見送った保護者らは、同じ敷地内の大学校舎に向かいます。そして、普段は大学生が講義を受けている大講義室で4時間ほど試験終了まで待ちます。本を読んでいる人、パソコンを開いて仕事をしている人、スマホを眺めている人、など様々です。

 私の気持ちは沈んでいました。前日午前と午後に受験した学校の試験結果が前日22時と23日にネット上で発表され、息子は2校とも不合格だったのです。各学校の合否発表ページに受験番号とパスワードを入力すると、「残念ですが、不合格です」とシンプルな言葉がポップアップされました。

 その結果を受け止めつつ翌朝を迎え、支度をして、息子と一緒に電車・バスを乗り継いで学校に向かいました。合否を気にしていた息子には「ママもまだ結果見ていないの。あなたが試験を受けている最中に見ようと思って」と伝えました。

 大講義室でパソコンを開いて作業をしていると(あまり集中できませんでした)、息子の塾から電話がありました。塾長先生からでした。

「昨日の結果はいかがでしたか?」

「2校ともダメだったんです。息子にはまだ伝えていませんが…」

「そうですか。で、今日の午後はどうなさいますか? 2校書かれていますね?」

どちらを受けても良いように、2校出願していました。2校とも前日受験した学校です。

 中学校受験では、偏差値が高く、人気が高い学校は1日しか試験日を設けていません。その学校に合格した生徒のほとんどが入学するため、生徒確保の心配がないからです。しかし、合格を出してもより人気の高い他校を選んでしまう生徒が多い学校では、2月1日午前午後、2日午前午後、3日、4日…などと複数の試験日を設けます。息子の場合、1日に受験した2校について、2日午後に出願していたのです。

「はい。いずれも昨日落ちた学校ですので、難しいかと思います。ですので、どちらにするかは息子に結果を伝えて選ばせたいと思います」

「以前お伝えしました通り、息子さんにとってこの受験は厳しい戦いになると予想されます。1日から4日までの受験校には、息子さんの現在の力で合格をいただける学校が入っていず、いずれも難しい、または、近年人気が高くなっている学校だからです。今日の午後は、●●をお勧めします。▲▲よりは、合格をいただける可能性があります」

「ご助言ありがとうございます。はい、試験が終わりましてから息子に聞いてみます」

 息子がこの日午前に受験したのは、英語・国語・算数の3科目。12時30分の試験終了時間が近付いてくると、親が次々と講義室を出ていきました。私も広げていたパソコンを閉じて、学校へ向かいました。校舎の前で子供を待っていたのは、何百人の親でした。「この日に向けて、必死に努力してきた子供たちの親なんだろうな。太刀打ちできないな…」と思いました。

 一人、二人と子供たちが出てきました。親に向かって安堵の笑顔を見せる子もいれば、きょろきょろと親を探す子もいます。我が息子は無表情で出てきました。私が近づくと、「よっ」といつもの一言。

「どうだった?」

「まぁまぁ、できたよ。昨日よりは出来た」

「そう、それは良かった。英語のエッセイのテーマは何?」

「これまで挑戦してきたことで、自分の考えがポジティブになった経験は何ですか?というような設問だった」

「そう。昨日の”幸せはお金で買えますか?”よりは書きやすそうなテーマだね」

「うん、結構書けたよ」

 この後、移動途中に前日の結果を息子に知らせました。息子は予想していたようでした。その上で前日午前に受験した学校をもう一度受けたいと言います。これは塾の先生が勧めた学校(合格する可能性がある)ではありませんでしたが、息子にはまだ挑戦したいという気持ちがありました。

 昼食を食べさせ、息子が選んだ学校に向かいました。15時の集合時間の1時間前に着きました。ホールに入ると、前日、見かけて印象に残った親子が幾人かいました。この子らは前日の「不合格」という判定を真摯に受け止め、再チャレンジしている子たちです。

 前日と同様、私は午前の試験では保護者控室で息子を待って、試験会場から戻ってくる息子を迎えて、昼食を食べさせ、次の学校まで息子を送り届けてから、自宅に戻りました。夫は夕方、息子を迎えにいく役割を担ってくれました。

 2日続けて午前午後と試験を受けた息子はさすがに疲れたらしく、午後9時ごろにはベッドに入りました。中学校受験は大変だな、と改めて思いました。2日の結果は翌日3日です。


 

 

 

 

2024年2月1日木曜日

中学受験スタート

  今日から息子の中学校受験がスタートしました。2月1日から4日間、午前午後と1日2回試験を受けるハードスケジュールとなります。

 昨夜は38度3分の熱が出て、私も「体調管理が出来ていなかった」と反省しました。息子の学校は受験をする子が多く、たとえば、息子のクラスは今学期に入って登校していたのは33人中15,6人。半分が休んでいました。私は息子に普段通りの学校生活を送ってほしかったので、ずっと登校させていましたし、昨日は夫と私とで息子を送り、私たちなりに息子をサポートしてきました。が、前日の熱で、やはり、試験前の数日間ぐらいは休ませれば良かったのかもしれないと心が揺らぎました。

 張り切って「カツ(勝つ)」を揚げて息子に食べさせましたが、やはり、熱があるせいか元気がありません。食べ終わった後、息子はお風呂に入って、珍しくユーチューブも見ないでベッドにもぐりこみました。

 息子は自分で「冷えピタ」をおでこに貼り、「ママ、3年間塾に通ってきたのに、前日に熱を出すなんて、ごめんね」としょんぼり。その優しい言葉に、目頭が熱くなりました。「3年間頑張ったじゃない。学校も休まず、習い事も辞めずに、偉いよ!」と褒めて抱き締めましたが、息子なりに前日の熱は精神的にも堪えているのだーと思いました。

 塾の先生から息子に激励の電話が来て、息子が熱があることを伝えると、塾長先生から私の携帯に電話がありました。「熱があるそうですね。そのまま熱が下がらないようでしたら、明日学校に保健室受験が出来るかどうか、聞いてください」とアドバイスをくれました。この先生は息子のことを随分気にかけてくれ、有難いなぁと思いました。

 未明まで、熱を測りながら見守っていましたが、少しずつ下がってきて37度台に。今朝も37度のままで、安堵しました。

 今日の午前の学校は、国算理社の4教科で受験する子と、英語と面接で受験する子と2通りの受験生がいました。息子が選んだのは英語と面接のみのほう。朝、電車の中で息子に「熱も下がったし、得意の英語だから、頑張れるね」というと、息子は苦笑して「得意な英語と面接で落ちたら、落ち込むなぁ」と言います。英語1本で勝負してくる子どもたちは恐らく帰国子女でしょうから、かなり厳しい闘いになると予想されました。

 学校に着いて息子を試験会場に送り出し、私は学校内の控室で息子を待ちました。2時間後に戻ってきた息子は、暗い表情でした。「難しかった」とひと言。学校を出て、近くの公園で、今朝作った生姜焼き肉弁当を食べさせました。

「エッセイはどんなテーマだったの?」

「幸せはお金で買えるか?だったよ。なかなか、文章が思いつかなかった。だから、半分ぐらいしか書けなかった」

 そうだろうな、と思いました。そんなテーマは、大人でもなかなか書けません。息子に聞くと、解答用紙にびっしり書いていた子もいたそうです。それも英語です。すごいですねぇ。

 息子と私は一旦自宅に戻り、少しだけ休んで、午後の学校に行きました。早めに着いたので、控室で待ちました。息子はテーブルに突っ伏して寝ていました。疲れているんだなぁ、と可哀想になりました。

 息子を試験会場に送り、私は自宅に戻りました。そして、夕方、夫が息子を学校まで迎えに行きました。午後の試験は少しは出来たようです。今日の夜に午前の学校の合否がネット上で発表されるのですが、息子は「結果は見ないで、明日試験に行くね」と言います。息子なりに気にしていることが分かりました。

 明日も午前午後の2回、試験があります。午前は神奈川県で、午後は東京都内の学校です。ギリギリ午後の学校に間に合うかどうかですが、交通状況などどうぞスムーズに行きますようにと願うばかりです。