2022年12月31日土曜日

2022年 私の挑戦 指導教員の変更

  私にとって2022年はとても難しい年でした。大学院博士課程の指導教員の対応に苦しみ、解決に向け様々な手を打つものの突破口が見つからないーそんな膠着状態が続いて、心身ともに疲弊した年でした。

 指導教員の対応に疑問を持ったのは入学前の3月でした。4、5月と悩み、まずはすでに博士号を取得している友人と現在博士課程で研究を続ける友人、博士課程を指導教員が問題で辞めざるを得なかった夫の友人に相談しました。「それはアカデミックハラスメントだ」と言われ、いくつかアドバイスをもらいました。

 熟考し、突破口として他の教室のゼミに参加させてもらうことにしました。6月のことです。その教室の講師と助教授にそれとなく相談を持ち掛けました。「指導教員に相談を」と言われ、諦めました。

 意を決して大学内のハラスメント相談所に連絡をしたのが夏。相談を重ね、同所を通す形で専攻長に会うことにしました。専攻長には指導教員変更の了解を得られましたが、指導をお願いしたゼミの教授には「医学のバックグラウンドがない」「年齢」を理由に断られました。

 もう辞めるしかないと考え、指導教員に「私に辞めてほしいと思っていますか?」と面と向かって聞きました。「辞めようと辞めまいとあなたの決断だ」と突き返されました。そして11月、指導教員のある言葉がきっかけで、研究室に行くのを辞めました。その後は、大学の図書館で研究を続けました。

 博士課程の研究生が、指導教員なしにどうやって博士論文を書くことが出来るのか? 本やインターネットでリサーチを続けました。それはほぼ不可能であることが分かりました。でも、このまま辞めるのはあまりにも悔しいと思いました。そして、指導教員なしに研究を続ける方法を考えました。

 少し、動きがあったのが12月です。再び、専攻長に会い、専攻長が別の教室の教授に私の指導をお願いしてくれることになりました。私より一回りくらいは若い、信頼できる印象の専攻長は、私と現指導教員の関係について「どちらが悪いということではない。ミスマッチだ」と判断しました。専攻長によると、指導教員の変更は彼がその職務に在籍している3年間で一度もないと言います。それほどに、珍しい(難しい?)ことなのだと思います。

 私を引き受けても良いと言ってくれた教授とは2時間の面接をしました。様々な話をしました。そして、その対話の後、「この人は信頼できる人だ」との印象を持ちました。

 専攻長から、現指導教員と新しい指導教員(いずれも女性)の双方に了解が得られたとメールで連絡があったのが今月19日。書類を送ると書かれていましたが、その後、音沙汰がありません。宙ぶらりんな状態で年を越すことになりました。が、もうこのような状況には慣れました。もしかしたら、どんでん返しがあり、全てがご破算になるかもしれません。その覚悟も出来ています。

 最近読んだ、自律神経の専門家・小林弘幸順天堂大学医学部教授の「リセットの習慣」(日経ビジネス文庫)で次のようなことが書かれていました。「常にコンディションを崩し、もっとも苦しい生きかたをしているのは求められていないフィールドで、必死に求めて生きている人です」。まさに私のことだと、苦笑しました。

 苦しい一年でした。そして、苦しみを通じて人として少しは成長できたかなーと思える年でもありました。

 

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