2022年12月31日土曜日

2022年 私の挑戦 ② ママさんコーラスで歌う

  大学院の指導教員の対応に悩んでいたとき、「私は間違った方向に進んでいるのかもしれない。他に目を向けなさいという、天からのメッセージかも」とも考えました。

 こうした場合は家族に目を向けるのでしょうが、私は一応は家族を大切にしているつもりですので、きっと家族以外の社会参加だろうと考えました。そして気が付いたのは、大学院に行き始めてからPTA活動にあまり関わっていないということでした。

 で、まず、手を挙げたのは息子の小学校の家庭科ボランティアです。ちょうど息子は調理やミシンがけなどが始まる5年生。実習を手伝ってみると、子どもたちの生き生きとした様子が見られて、とても楽しかった。子どもはあっという間に育ちますので、こうして、学校に関われたことは、とても良かった。

 そして、娘の通うインターナショナルスクールにも目を向けました。そして手を挙げたのが、クリスマスバザーの手伝い。綿あめ・ポップコーンブースの取りまとめ役に手を挙げました。このブースは大盛況で利益も沢山出すことが出来、PTA活動に貢献できました。また、今月中旬には手伝ってくれたママさんパパさん9人と「お疲れ様会」をワインバーで開くことが出来ました。子どもたちの進路の話などで盛り上がり、高校最後の年に他のママさんパパさんと交流が出来て、嬉しかった。

 そして、もっとも楽しかったのはママさんコーラスに参加したことです。週に1度2時間の練習を重ね、クリスマスソングをバザーや子どもたちのクリスマス会で歌いました。

「いつもママさんたちのコーラスを見るたびに、ママに歌ってほしいなって思っていた。歌ってくれて嬉しい」と娘。夫や子どもたちは、大学院のことでふさぎ込む私を見てきたので、楽しそうに歌う私を喜んでくれていたのかもしれません。ニコニコして私の”舞台”を見ている家族を見ながら、私も仲間のママさんたちと一緒に幸せな気分で歌えたのでした。

 大学院ではつまずきましたが、こうして楽しく社会参加が出来ました。2022年も良い年だったと思います。

 

2022年 私の挑戦 指導教員の変更

  私にとって2022年はとても難しい年でした。大学院博士課程の指導教員の対応に苦しみ、解決に向け様々な手を打つものの突破口が見つからないーそんな膠着状態が続いて、心身ともに疲弊した年でした。

 指導教員の対応に疑問を持ったのは入学前の3月でした。4、5月と悩み、まずはすでに博士号を取得している友人と現在博士課程で研究を続ける友人、博士課程を指導教員が問題で辞めざるを得なかった夫の友人に相談しました。「それはアカデミックハラスメントだ」と言われ、いくつかアドバイスをもらいました。

 熟考し、突破口として他の教室のゼミに参加させてもらうことにしました。6月のことです。その教室の講師と助教授にそれとなく相談を持ち掛けました。「指導教員に相談を」と言われ、諦めました。

 意を決して大学内のハラスメント相談所に連絡をしたのが夏。相談を重ね、同所を通す形で専攻長に会うことにしました。専攻長には指導教員変更の了解を得られましたが、指導をお願いしたゼミの教授には「医学のバックグラウンドがない」「年齢」を理由に断られました。

 もう辞めるしかないと考え、指導教員に「私に辞めてほしいと思っていますか?」と面と向かって聞きました。「辞めようと辞めまいとあなたの決断だ」と突き返されました。そして11月、指導教員のある言葉がきっかけで、研究室に行くのを辞めました。その後は、大学の図書館で研究を続けました。

 博士課程の研究生が、指導教員なしにどうやって博士論文を書くことが出来るのか? 本やインターネットでリサーチを続けました。それはほぼ不可能であることが分かりました。でも、このまま辞めるのはあまりにも悔しいと思いました。そして、指導教員なしに研究を続ける方法を考えました。

 少し、動きがあったのが12月です。再び、専攻長に会い、専攻長が別の教室の教授に私の指導をお願いしてくれることになりました。私より一回りくらいは若い、信頼できる印象の専攻長は、私と現指導教員の関係について「どちらが悪いということではない。ミスマッチだ」と判断しました。専攻長によると、指導教員の変更は彼がその職務に在籍している3年間で一度もないと言います。それほどに、珍しい(難しい?)ことなのだと思います。

 私を引き受けても良いと言ってくれた教授とは2時間の面接をしました。様々な話をしました。そして、その対話の後、「この人は信頼できる人だ」との印象を持ちました。

 専攻長から、現指導教員と新しい指導教員(いずれも女性)の双方に了解が得られたとメールで連絡があったのが今月19日。書類を送ると書かれていましたが、その後、音沙汰がありません。宙ぶらりんな状態で年を越すことになりました。が、もうこのような状況には慣れました。もしかしたら、どんでん返しがあり、全てがご破算になるかもしれません。その覚悟も出来ています。

 最近読んだ、自律神経の専門家・小林弘幸順天堂大学医学部教授の「リセットの習慣」(日経ビジネス文庫)で次のようなことが書かれていました。「常にコンディションを崩し、もっとも苦しい生きかたをしているのは求められていないフィールドで、必死に求めて生きている人です」。まさに私のことだと、苦笑しました。

 苦しい一年でした。そして、苦しみを通じて人として少しは成長できたかなーと思える年でもありました。

 

2022年12月25日日曜日

メリークリスマス_2022

  今年のクリスマスも家族全員でお祝いすることが出来ました。

 24日午前は娘がヴァイオリンのレッスンで、夫が送迎。息子は歯医者さんの予約が入っており私が送迎して、相変わらず慌ただしい一日のスタートでした。息子の歯医者さんが終わった後は、ブイヤベースの材料を仕入れにスーパーへ。その後は息子のクリスマスプレゼントの自転車を買いに行ったり(ギリギリ間に合いました)、あっという間に時間が過ぎました。

 午後3時ごろ帰宅し、夫がスペアリブ、私がブイヤベースとコロッケを作り、夕方5時に教会へ。厳かな気持ちで神父さまの説教を聞き、賛美歌を歌いました。久しぶりに会った友人家族とも話が出来、幸せな気持ちで教会を後にしました。

 帰宅後、テーブルセッティングをして料理を並べたころに母がケーキを持って訪れました。母は料理を美味しそうに食べ、シャンパンも飲んで、楽しそうにおしゃべりをしていました。父が亡くなった後は何年間も一人でクリスマスやお正月を過ごしていた母。こうして、家族で過ごすことが出来、喜んでくれていると思います。

クリスマスディナー。メニューはブイヤベース、スペアリブ、コロッケとオニオンリング

 食事の後、子どもたちはサンタさんが来るのを楽しみに、二人で一緒に娘のシングルベッドで寝ました。ベッドの横には娘がサンタさんのために作ったパンプキンスコーンと牛乳、トナカイさんにニンジンを切って、置いておきました。

サンタさんのためにスコーンを作る娘

 25日の朝、子どもたちのところにちゃんとサンタさんが置いていってくれたプレゼントがありました。サンタさんはスコーンを一つ食べ、トナカイさんもニンジンを食べてくれたよう。娘と息子がプレゼントの袋を開けると、大好きなアニメのフィギュアやキャンディが入っていました。

 娘が「サンタさんは私たちの好きなものをちゃんと分かってくれているんだね。感謝だね」と息子に言います。サンタさんからのプレゼントを喜んでいる子どもたちを見て、私も幸せな気分に浸りました。

 25日はクリスマス気分も早々に朝8時45分から息子の塾の冬期講習が始まりました。息子が頑張っている間、私は子どもたちの大好きなマカロニチーズとチキンを準備。息子の帰宅を待って、クリスマス・ランチです。母が持ってきてくれたケーキは食べ終わりましたので、もう一つ準備していたケーキを食べました。

25日のランチ。メニューはマカロニチーズとチキン

 2日間で、ちょっぴり体重が増えたマイヤー家でした。


子どもたちがサンタさんとトナカイさんのために準備したスコーン、牛乳、ニンジンと手紙

娘がサンタさんに描いた絵。娘と息子が手をつないで一緒にベッドに寝ています

2022年12月19日月曜日

初めての恋バナ

  金曜日の夜、娘は夜8時過ぎに帰宅しました。普段は寄り道をせずに帰宅する娘ですが、今年最後の通学日なのでお友達とご飯でも食べているのかな?と思っていましたので、特に心配はせずに帰りを待っていました。

 「ただいま!」と元気に玄関に入ってきた娘は「ママ、今日は恋バナ(恋の話の略語)したんだよ。初めての恋バナ」と嬉しそうです。10年生(日本の高1)の女子2人に誘われ、パンケーキの美味しい店に寄り、おしゃべりをしたと言います。インターは学年の垣根が低く、他の学年の生徒とも仲良くなれるのが良いところです。

「そう? 自分の好きな人の話?」

「ううん。私、好きな人いないでしょう。友達のユミもレイも好きな人がいなくて、恋バナをしたことがないの。で、一度恋バナをしたかったから、とっても楽しかった」

 10年生のお友達の1人には彼氏がいて、もう一人は片思い中だそうです。その2人の話をずっと聞いていたと娘が言います。聞き役でも恋バナに参加できて、とても楽しかったのだとか。

 私の高校生時代を振り返っても、その10年生の子の話が普通で、「好きな人がいない」という娘と娘の友達のほうが、不思議に思えます。娘たちはきっと勉強や自分の好きなことに一生懸命で(娘の場合はアニメ)、恋はもう少し先のことなのかもしれません。

 娘から好きな人の話を聞いたことがありませんので、以前、娘に「好きな子は男の子? 女の子?」と聞いてみたことがあります。娘は「リアルでは好きになったことがないけど、男子だと思う。だってKポップで好きな子もアニメで好きな子も男子だから」と答えました。

 クラスメートで素敵な男子が何人もいるので(本当に格好良い子が多い)、「K君はどう? 清潔で精悍な感じが良いよね。O君は? グッドルッキングだし優しそう」と持ち掛けてみるのですが、興味がなさそうです。まぁ、大学に行けば、きっと好きな人が出来るだろうと思っています。

 娘の話題は10年生の子たちが食べたパンケーキに移ります。「あの子たち、リッチなんだよ。2300円のパンケーキ食べていたの。私、1000円しかもっていなくて、どうしようかなぁと焦ったら、700円台の小さなパンケーキがあってほっとした」

 娘にはひと月3000円のお小遣いをあげており、娘はドラッグストアで化粧品、300円ショップでイヤリングを買ったり、お友達とたまにお茶をするなどして使っています。事前にお友達と食事に行く、ディズニーランドなどのテーマパークに行く予定が分かっていれば、その都度あげています。が、この日の話から、「急にお友達に誘われても行けるように、もう少し金額を上げたほうがいいかなぁ」と思いました。

 娘はもらった金額の中で工夫して使い、特に足りないなどと文句を言うこともありませんので、3千円のままでした。娘の初めての恋バナ参加の話を聞いて、高校生最後の年ですので、来年1月からお小遣いをアップしようと決めたのでした。

2022年12月18日日曜日

サンタさん、まだ信じている?

  金曜日は忙しい日でした。朝8時から横浜にある娘のインターナショナルスクールでPTAの活動。その後はママさんたちと元町のカフェでお茶をし午前11時から、なんと中華街のカラオケ店でお疲れ様会でした。盛り上がる中、私は2時間で切り上げ、息子の通う地元公立小学校の保護者会へ。忙しくも充実した一日でした。

ママさんたちとカフェで”朝茶”。アップルシナモンティが美味

 カラオケはとても楽しかった。ママさんたちの歌の上手なこと。参加した8人中、50代は5人、40代は2人、30代が1人。50代のママたちが歌う、松田聖子、中森明菜、山本リンダのウケること。その弾け方に、インターのママは違う、とただただ圧倒されました。

 英語の歌、日本語の歌、中国語の歌など入り混じり、皆で笑い、口ずさみながらの楽しいひとときでした。名残惜しかったのですが、私は先に失礼し、電車で40分揺れながら東京に戻り息子の学校へ。

 久しぶりの保護者会で、まずは担任の先生から二学期の報告がありました。子どもたちが取り組んだSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)の動画を紹介。息子は運動委員を一緒に務めているM君と二人での発表でした。

 自分の周囲の人に元気に挨拶をすることで、「すべての人に健康と福祉を」というSDGs3番目のゴールに近付くそうです。挨拶は人を嬉しくする効果があり、それが健康につながると考えたそうです。息子は大きな声で元気に発表していました。それだけで、十分でした。

 先生から報告の後は、お母さんたちがいくつかのグループに分かれ、お話し合いがありました。あるお母さんから振られた話題は、「まだ、サンタさん信じている?」 5年生は微妙な年齢で、一人には昨年サンタさんは来なかったそう。他の2人はまだ信じていて、今年もサンタさんは来るだろうとお母さんたちも期待していました。

 我が家の息子も、18歳になる娘も昨年まで信じていました。サンタさんが世界中の子どもたちにプレゼントをくれる。そして、娘にとっては自分が中学生になっても高校生になってもサンタさんはプレゼントを忘れないー。そのことが嬉しかったようです。娘と息子にすれば、お友達が「プレゼントをくれるのは親だよ」と言おうと、自分にはサンタさんがプレゼントをくれるーと信じたほうがずっと楽しいという発想だと思います。で、私たちも今年もサンタさんは我が家に寄ってくれると信じています。

 お母さんたちとのお話が終わった後、担任の先生に息子の様子を聞きました。勉強については、「算数は良くできますよ。社会も理科もしっかり勉強しています。国語は漢字が課題ですが、これはとにかく毎日、コツコツと練習するしかありません。小テストに良い点数を取るように頑張ろうと伝えています」とのこと。お友達とも仲良くし、問題行動もなく、「頼りになる存在ですよ」と言ってもらえました。とりあえず、ほっとしました。

 昨夜は息子が英語教室、娘が今学期最後の日でお友達とお茶、夫は会社の忘年会で私は一人でした。家族の帰りを待ちながら、子どもたちの大好物のパンプキンパイを作りました。穏やかな気持ちで過ごせた夜でした。

2022年12月15日木曜日

クリスマスコンサート

 今日、娘の通うインターナショナルスクールで生徒たちによるクリスマスコンサートが開かれました。ブラスバンドやコーラス、そしてオーケストラの演奏は約1時間半。生徒たちの奏でる音楽で、ひと足早くクリスマス気分を味わいました。

 ヴァイオリンを弾く娘は、オーケストラのコンサートマスターを務めました。オーケストラのメンバーが着席して待つ中、舞台の袖からゆっくりと歩いてきて客席に深々と礼をする娘。娘の弾く弦の音に合わせて、メンバーらがそれぞれの楽器を鳴らし、音合わせをします。 

 そして、演奏が始まりました。堂々と演奏する娘を観客席から見ながら、成長したなぁと感慨深かったです。

 娘がヴァイオリンを初めて弾いたのは幼稚園の年長さんのとき。サンタさんに「ヴァイオリンが欲しい」とリクエストし、25日の朝、部屋のカーテンの側に届いていたのを見つけたのです。

 さっそく、個人レッスンをしている先生を見つけて習い始めました。その先生には今も週1回レッスンを受けています。娘が小さいころは練習させるため随分厳しくしましたが、今は一生楽しめる趣味となったようです。大学にオーケストラがあれば、入りたいと言っていますので、また、コンサートを観に行けるかなと楽しみです。

 今日は母も連れて行きました。孫が舞台で演奏する姿を見て、とても嬉しそうでした。コンサートの前や休憩時間にはPTAのお母さんたちが準備してくれたワインやスープ、クッキーなどを頂き、母もインターナショナルスクールの雰囲気を味わい満足してくれたようです。

 

2022年12月13日火曜日

Yさんとの楽しいひととき

 今、私が一番行きたい場所は室蘭だと以前ブログに書きました。私が12年間勤めていた北海道新聞社の初任地で、楽しかったことや辛かったことなど沢山の思い出が詰まった街です。

 室蘭は私にとって、仕事の原点となる場所でした。「新日本製鉄室蘭製鉄所」内でボヤが出たという情報が入れば、ヘルメットを被って駆け付けました。街で火事があれば一眼レフカメラをつかんで現場に向かいました。地震で大きく揺れたときは被害状況を確認しに商店街に飛んでいきました。ネタを探しに警察署や市役所、学校の職員室、街おこしに奮闘する経営者の店を巡りました。

 前任者の書いた記事が気に食わなかったと玄関先で怒鳴られ泣いたこともありますし、強面の漁師さんをドキドキしながら取材し沢山の魚をお土産にもらって帰ったこともあります。室蘭報道部で唯一の女性記者だった私は、優秀な男性記者たちに囲まれ、空回りばかり。そんな私を指導してくれたのが、若手記者を取りまとめ原稿をチェックするデスクという役職についていたYさんでした。

 Yさんには、右も左も分からなかったその新人時代に、取材や記事執筆のイロハを教えていただきました。お正月にお宅に伺い、奥様の美味しい手料理をご馳走になったこともあります。私が退社した後も、メールでやり取りをさせていただき、Yさんが1、2年に一度奥様の絵の展覧会に付き添って東京にいらっしゃったときにお会いするようになりました。昨年は娘と一緒に実家の様子を見に行ったとき、札幌のお宅にお邪魔しました。この日も奥様の心尽くしのお料理をいただき、とても楽しい時間を過ごしました。

 そして、一昨日、Yさんと1年数カ月ぶりにお会いすることが出来ました。Yさんがこちらにいらっしゃるときにいつもお会いする和食店で、美味しい料理と日本酒をいただきながら、沢山お話しさせていただきました。


  人と話をするときは、「こんな話をすると、情けない人間だと思われないだろうか?」などといつも気になります。でも、Yさんには、自分の欠点も悩み事も包み隠さず、話をすることが出来ます。何事にも自信が持てない私ですが、自分自身をさらけ出しても、全面的に肯定してくれるYさんという存在がいてくれることをとても有難く思っています。 

 Yさんと私は同じ病気を患った経験があります。お互いにもう10年以上も再発をせずに元気にしていますので、これからも美味しいお料理とお酒をいただきながら、お話しできる機会をたくさん持てることを心から願っています。

 

2022年12月8日木曜日

幸せな時間

  昨夕、ズームでの国語の個別指導を終えてから、息子は夫と一緒にクラシックのコンサートに行きました。会場は銀座の「王子ホール」でしたので、息子は「銀座に行くから、お小遣い持っていく!」と張り切っていました。数百円の予算で銀座で何が買えるか分かりませんが、久しぶりの夫との外出が嬉しかったようです。

 このクラシックのコンサートチケットは夫が教会のチャリティーバザーで購入したもの。数万円支払ったようですが、私が娘と母と、そして夫が娘と息子をそれぞれ連れて、合計4回家族で楽しむことが出来ました。平日の夕方は塾と習い事で埋まっている息子ですが、昨日は国語の個別指導の先生にお願いして授業時間を前倒ししてもらい、夫に連れていってもらうことが出来ました。

 私は娘と二人、とても幸せな時間を過ごしました。娘は学校の課題や大学への出願手続きが続き、この1カ月間ほどストレスの多い日々を送っていました。連日夕方、泣いて電話がかかってきたこともあり心配しましたが、ようやくピークを越えたよう。昨日は課題の一つ、絵の仕上げに取り組んでいました。

 私はキッチンから娘を眺めながら、ひたすら料理をしました。ピクルスなど作り置きの食べ物や今日の夕食の仕込みなど。料理をしているととても幸せな気持ちになります。


 BGMは娘が私のために作ってくれたデジタル音楽配信アプリSpotifyのアルバムです。入っているのは次のような曲。これらの曲にうなずいてくれる人は、紛れもなく同年代です。笑。

 ★ユーミンの「中央フリーウエイ」★スガシカオの「夜空ノムコウ」★ワムの「ラストクリスマス」★アース・ウインド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」★「私のお葬式にはこれをかけてね。かけてくれなかったら化けて出るよ」と夫と娘に言い伝えてあるビリー・ジョエルの「素顔のままで」★ビートルズの「ヘイ・ジュード」★大好きな映画「カサブランカ」の主題歌「As time goes by」など

 これらの大好きな曲を聴き、絵を描く娘とおしゃべりをしながら、料理を作る。至福のひとときでした。で、今晩のおかずは昨夜、幸せな気持ちで仕込んだローストポーク。庭で育てたローズマリーをたっぷり使いました。

 

2022年12月7日水曜日

息子のつぶやき

  中学受験目指して塾に通う小5の息子の成績が、じわじわと下がってきました。得意だった算数もついていけなくなり、「分からない」を繰り返します。どうしたものかと今春見事志望校に合格した男子のママさんに電話をしてみました。

「いつから、分からなくなったの?」

「それが、2週間前ぐらいからなの。それまで出来ていたのに、急に『分からない』って言い出して」

「分かる、分かる。小5の秋から急に難しくなるのよ。御三家(東大など難関大への合格者が多い中高一貫校・男子校は開成/麻布/武蔵)を狙う生徒が多い塾ではそっちが照準になるから」

「算数も国語もすごく難しいの。息子、すっかりやる気をなくしてしまって。この時期だと転塾も難しいし」

「思い切って転塾もありだと思うけど、大手はかなりスパートをかけてきているから、転塾したところでついていくのも大変かも。仕組みになれるのにも一定の時間がかかるし。個別の塾とかは?」

「国語は個別でつけているけど、成績はずっと低迷」

「男子に国語の個別の先生なんて、お金の無駄よ。男子は女子に比べて精神年齢低いんだから、国語の読解なんて、6年の夏にようやく追いつくぐらいよ」

「そうなんだね。あーあ、どうしようかなぁ?」

「なんで、インターにしないの?」

「ほら、インターは夏休みが3ヶ月近くあるでしょう。日本の学校みたいに部活がないから、スポーツ好きな男子は持て余すのよ。地元のサッカーチーム入ったり、トライアスロンのチーム入ったりしているみたいだけど、出来れば息子には中高一貫校でスポーツに力入れてほしいなと考えて」

「そうかぁ。インターは入れるんだったら、そっちのほうがいいと思うけど。うちの息子は英語で苦労しているから」

 こんな会話を延々と30分。いくつかアドバイスをもらって、電話を切りました。息子に転塾の話を持ち掛けてみました。

「ママ、もう面倒だよ。慣れるのに時間かかるし。それに、転塾したってどうせ一番下のクラスだよ」

 中学受験という熾烈な戦いの渦の中に、息子を放り込んでしまった私。それなりの考えはあったのですが、息子はすっかり自己肯定感の低い子になってしまいました。私はどうフォローしたら良いでしょうか。 

 とりあえずは、息子の横に座って、根気強く算数の問題を解かせています。社会など暗記ものは私が読んで問題を出すなどの工夫をしています。国語は漢字が覚えられないので、ひたすら練習をさせます。こんな感じで本当に間に合うのか検討もつきません。

 塾に行く10分ほど前になりました。息子はポツンとベッドに座っていました。

「もう、そろそろ行く時間だよ」

「ママ、一緒に寝っ転がろう」

「いいよ」

 2人でベッドにごろんと寝っ転がりました。あーあ、まだ小5の息子にこんなプレッシャーをかけてしまっているー。私は息子をぎゅっと抱き締めながら、反省と後悔の入り混じった気持ちになったのでした。

2022年12月6日火曜日

夫を大学に案内

  先日、夫を初めて大学に連れていきました。銀杏並木が見頃のキャンパス内を歩き、学生たちがひしめき合う食堂でランチ。学生時代を思い出しました。

 夫はシカゴ、私は札幌と秋にぐんと気温が下がり冬は雪が積もる街で育ちましたので、二人とも冬に向かう直前の紅葉に郷愁を覚えます。金色に輝く銀杏並木をバッグに2人で自撮りしました。画像をチェックすると、まぁ、お互いにずいぶん年を重ねたなぁと改めて思いました。


 写真を写した後は食堂へ。パスタなどカフェ風のメニューもありましたが、夫は「学生食堂っぽい食べ物がいい」と言います。

 プラスチック製のトレイを持って、若い学生たちの後ろに並びます。まずはメイン料理を注文。夫はアジフライ、私はトリ肉の塩コショウ焼きを注文しました。次にお味噌汁か豚汁を選べましたので、二人とも豚汁を頼みました。ご飯は私が一番小さいサイズの麦飯、目下ダイエット中の夫はご飯はなし。お会計は二人で880円でした。

 私は講義やゼミがあるときはここで食事をします。最初のころは学生食堂で食べるワクワク感がありましたが、学生たちが楽しそうに食事をしているのを見ながらひとり黙々と食事をしていると、大学院と言えども若いころに来るものだなぁと思うようになりました。講義でも、院生が「僕は28歳で…」と話すのを聞いて「この子の親は私と同じぐらいの年代なんだろうな」と思ったりします。

 食事の後は、夫を図書館に案内しました。まずは、総合図書館へ。初めて、この図書館に来たときは本当に感動したものです。入り口から3階まで続く階段は赤いカーペットが敷き詰められています。それぞれの階の閲覧室は天井が高く、机は重厚な木で作られており、歴史を感じさせます。その机に座り、資料や本を読んでいるだけで、若いころに戻ったような気持ちになります。次に私がよく利用する医学図書館にも連れていきました。

 そういえば、私も大学生のころは連日図書館が閉館する午前0時まで勉強をしていました。あのときは人生で一番勉強しました。今、思い出しましたが、キャンパス内は暗いので女子学生を車で寮まで送り届けてくれる仕組みがありましたっけ。帰宅後はルームメートにボーイフレンドの話を延々と聞かされたのも懐かしい思い出です。

 最後に構内にあるスターバックスに寄り、カフェラテを飲みました。夫との会話も弾んだ楽しいひとときでした。今度は、娘を連れてきたいなと思っています。