2022年5月24日火曜日

大学院生としてがん研究センターへ

  今日、築地の国立がん研究センターに、東大大学院医学系研究科の博士課程の研究生として、入室しました。

 19年間、がん患者として通い続けている国立がん研究センター中央病院。この病院の後ろにある診療棟に、今日は診察券ではなく、研究生としてのIDカードを使って入りました。とても、とても、感慨深かったです。

 日比谷線の築地駅は地上に出るまで長い階段があります。私ががんを発症したときは、エレベータ―はありませんでした。体が弱っていたため、長い階段を一歩一歩、手すりを使って歩きました。途中にある踊り場で休んで、はぁはぁと息と整えました。札幌から私の体調を案じてきていた当時60代だった母が、地上から私を見降ろし、「睦美、大丈夫?」と声を張り上げました。そんな思い出のある階段です。今日は、その階段をすたすたと上りました。

 38歳で血液がんを罹患し、再発・再々発、いくつもの関連疾患の発病・治療など45歳まで病気が途切れませんでした。やりがいのあった仕事を辞め、病気と闘い続けたことの意味を問い続けた日々でした。

 病気が落ち着き、築地駅の別の出口にある聖路加国際大学公衆衛生大学院に出願し、合格をいただきました。私は病気と闘い続けた築地で自分の人生の再スタートを切りたかった。大学院で学ぶことで、「私ががんを患った意味は、自分の経験を通じて、がん患者さんのお役に立つことにある」と思いたかった。

 そして、昨年、東大大学院医学系研究科博士課程社会医学専攻の国立がん研究センターとの連携講座「がんコミュニケーション学」に出願し、合格をいただきました。「私が若くしてがんになった理由は、これからも続く若いがん患者さんのため、研究を続けることなのだ」と思いました。

 本郷にある東大のキャンパスで講義を受けながら、週2、3回国立がん研究センターに通います。

 最短でも4年の博士課程を無事終えることが出来たときは、私は還暦を過ぎています。ずいぶん、年を取った研究生ですが、最近は「人生100年」という言葉が世に溢れています。がんサバイバーも人生100年時代を生き抜くのです。ですので、50代はまだ人生を折り返したばかりーと思いたい。

 そして、30代から40代という人生の最も充実している時期にがんを患ったのは、私の長い人生の中で意味があったのだと信じたいと思います。

 

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