2022年5月29日日曜日

アロハ パーティ

  昨夜、娘の通うインターナショナルスクールで、親向けのパーティが開かれました。PTA主催で、テーマはハワイアン。コロナ禍、学校やPTA主催のイベントはほとんどが中止になっていましたが、久しぶりのパーティで盛り上がりました。

ドリンクバーもおしゃれです。

カフェテリアがおしゃれなフードコーナーに

 昨年、新設された構内のカフェテリアで開かれました。夫はアロハシャツ、私もトロピカルなロングドレスで参加しました。

 カフェテリアを見渡しても誰も知っている人がいなかったのですが、同じテーブルに座った人、飲み物を取りに行ったときに近くにいた人などとおしゃべりが弾みました。オランダ人とスペイン人のカップル、ルーマニアから来たばかりというカップル…。皆、ご主人の仕事の関係で日本に数年の予定で滞在していると言います。

 私たちのように子どもが11年生と大きい人はいなく、ほとんどが小学生の親。やはり、小学生だと送り迎えなどできっと仲良くなり、「パーティに行く?」という会話も出てくるのでしょう。

 ハンバーガーやピザ、タコスやなどの食べ物や、フルーツパンチやワインなどドリンクもなかなか美味しかった。生バンドが演奏を始めたとき、踊りが苦手な夫が男性群が誰も踊っていないのに「踊ろう!」と言ったのは驚きでした。

 ママさん、パパさんたちは皆、本当に楽しそうに踊っていました。私も夫も、生バンドが終わるまで、ずっと踊っていました。5,6年前のダンスパーティでは、音楽は1980、90年代の音楽が中心でした。でも、今回は知らない曲も多く、「PTAの世代交代が進んだんだなぁ」と実感しました。

 チェコから来たカップルが、それは素敵なダンスを披露してくれました。いつもそうなんですが、キレの良い、おしゃれな大人のダンスでパーティを盛り上げるのはいつもヨーロッパ人なんです。

 子育てに忙しい日常をいっとき忘れて、大人同士が楽しむパーティ。ここ数年は、随分我慢を強いられましたので、もうそろそろ、こういう楽しみがあっても良いなぁと感じた夜でした。

 

2022年5月27日金曜日

藤井さんのヴァイオリン

  息子が昨日、音楽の時間に皆の前で演奏するのだと言い、ヴァイオリンを学校に持っていきました。息子は2歳半からずっと週に1度ヴァイオリンを習っていますが、いつまでたっても、やる気が出ませんでした。でも、あることがきっかけで、ヴァイオリンが弾けることに誇りを持ち始めたのです。私の敬愛する先輩・藤井さんから、貴重なヴァイオリンを引き継いだときからです。

藤井さんのヴァイオリンで練習する息子

 藤井さんは私が北海道新聞に勤務していたとき、厚生労働省記者クラブで席を並べていた女性記者です。他紙の記者でしたが、取材の仕方、記事のまとめ方、企画記事の組み立て方など、たくさんのことを教えてくれました。

 ちょうど、藤井さんと担当が一緒だった時期に私はがんを発病しました。治療途中で復帰し、抗がん剤の副作用で体調が悪かったときも、仕事もメンタルな面でも助けてもらいました。私が退社した後も、ずっとお付き合いをさせていただいています。

 藤井さんは定年退職され、今は、九州で若手の女性リーダーたちを育成しています。そして、所属していたオーケストラも辞め、ヴァイオリンをどなたかに引き継ごうと考えていらっしゃったときに、私から、息子へ譲っていたたけないでしょうか? とお願いしたのです。

 藤井さんは私の申し出をとても喜んでくれ、ヴァイオリンをわざわざ調整して、息子に贈ってくれました。とても高価なヴァイオリンで、もちろん、お代はお支払いするつもりでお願いしたのですが、藤井さんは「私のヴァイオリンを弾いてくれるのが嬉しいから」とお代はいらないと仰います。お気持ちがとてもありがたく、お言葉に甘えて、ありがたく引き継がせていただきました。

 我が家は娘もヴァイオリンを弾いていて、学校のオーケストラに所属しています。ヴァイオリンが届いたとき、娘もそれは喜んで、息子と一緒にZoomで藤井さんに演奏を披露しました。藤井さんは、とても喜んでくれました。今度、発表会があったとき、藤井さんをご招待したい!と娘も息子も張り切っています。

 藤井さんのヴァイオリンはイタリア製で、音色がとても華やかです。音は弾き手によって変わるので、娘が弾くと、それは美しいのです。息子は技術がまだまだですので、本来の音は出せません。でも、いつか美しい音を出せるようになってほしいと期待しています。

 昨日はクラスメートの前で弾き、皆に「すごい!」と言われたそうで、息子は誇らしげでした。藤井さんが愛用してきたヴァイオリンはこうして、マイヤー家で大切に引き継がせていただきました。将来、息子や娘の子どもたちが弾いてくれることを、私は夢見ています。

2022年5月26日木曜日

やっとつながったWi-Fi

  今日、やっと大学のWi-Fiにつながりました。4月にこのブログでも書きましたが、自分の携帯用Wi-Fiを使って受講していました。入学してから1カ月半。長い道のりでした。

 「オンライン授業を受けるために」というPDF添付のメールが送られてきたのは、3月。その中にあったURLに接続し、アカウントの申請をしましたが、パスワードが書かれた自動返信メールが来ません。

 Wi-Fi に関する問い合わせのメールを送れるようになっていましたが、送っても返信はなし。アカウントを再申請しましたが、やはり自動返信メールは送られてきませんでした。

 大学院の教務課に直接出向き、「Wi-Fi につながらないのですが、どうしたらよいでしょうか?」と聞いても、「こちらでは分かりません」と不親切です。数週間経ってからもう一度出向きましたが、「分かりません」の一点張り。助けるつもりはないようです。仕方ないので、自分の携帯用Wi-Fiを使い続けていました。

 あれこれ調べていると、情報システム関連を引き受けている部署が分かりました。先週、講義がある日に広い構内を10分ほど歩いて、その部署が入っている建物へ行ってみました。午後5時を少し過ぎていましたので窓口は閉まっていましたが、中をのぞくと、年配の男性がいました。

 受付の窓を少し開けて、「すみません! Wi-Fi につながらなくて大変困っています。助けていただけませんでしょうか?」と訴えました。

 その男性が出てきてくれました。窮状を説明すると、「いま、担当者が席を外しています。10分ほどで戻ると思います」とのこと。私は、それから約30分、その窓口の前で立って待ちました。とにかく、Wi-Fi につなげるためのヒントを得るまで、テコでも動かないぞ!という思いでした。そして、ようやく担当者が来てくれたのです。

 担当者は親切な人でした。「いまやWi-Fiは、学生生活を送るにあたっての生命線です。お困りでしたでしょう」と、いろいろ調べてくれましたが、パスワードが書かれたメールが届かない理由が分かりません。恐らく、迷惑メールとしてはじかれているのではないかーとのこと。

 早速、パソコン内の「Outlook」というソフトの中の「迷惑メール」を調べてみましたが、入っていません。その担当者は、プロバイダーのサーバーで止まっているかもしれないと説明してくれました。そして、解決策としてアカウントとパスワードの自動送信メールの受け取りメールのアドレスを、大学のメールアカウントにしたらどうですか? と提案してくれました。

 そうするためには、私が大学から受け取るメールの受け取り先を全て変更しなければなりません。そのような設定変更をして、重要なメールが届かなくなったら、これはこれで大変です。ですので、まずはプロバイダーを確認することにしました。

 その日は、それで終わりました。ヒントをもらえて、本当に助かりました。というか、救われました。

 自宅に帰り、プロバイダーの資料を探しました。プロバイダーのアカウントとパスワードがなければ、問い合わせも出来ません。契約しているのは、AsahiNet というプロバイダーです。ここと契約したのはもうかれこれ、20年以上も前です。その間、NTT東日本と光回線の契約をしたとき、プロバイダーの支払いも一緒にすることにしたことを思い出しました。そして、あちこち探して、やっとA4サイズの封筒を見つけました。

 その封筒には「Very important document. you might need this account number…(とても重要な書類。…このアカウントが必要になるかもしれない」と大きな文字で書かれています。思い出しました。ちょうど私の体調が悪い時で、覚悟もしており、もし私に何かあっても夫がもろもろの手続きに困らないように、いろいろな書類をまとめ、英語で説明を書いたのでした。

 その中を確認すると、ありました。アカウントとパスワードが。同社の会員向けのホームページにアクセスし、アカウントとパスワードを入力してみました。入ることが出来ました。そして、ようやく、そこで問い合わせ窓口に電話をしました。メールではなく、電話で問い合わせを受け付けてくれることが、涙が出るほど、ありがたかった。

 電話口に出た女性はとても親切で、スパムメールのチェックの仕方を教えてくれました。説明されるままにホームページの項目をいくつかクリックし、スパムメールのボックスに、メールが5通あることが分かりました。AsahiNetのサーバーで止まり、私のOutlookには送られていないメールです。スパムメールは1週間で削除される仕組みになっています。

 その5通のタイトルを確認すると、ありました!大学からの2通のメールが。前日、情報システムの担当者と2度アカウントの再発行をトライしてみたときの、自動返信メールです。中身を確認し、Outlookの受信箱に送信しました。4月に私が最初にアカウント発行の申し込みをしたときの自動返信メールは、もうずいぶん前に削除されているのでしょう。

 AsahiNetの担当者の女性は、今後大学からのメールをスパムメールとしてはじくことがないように、設定の仕方を丁寧に教えてくれました。私は、その担当者にもう一度ホームページの画面からスパムメールをチェックする方法をゆっくりと説明してもらいました。それを、AsahiNetのアカウントとパスワードと一緒に、手帳にしっかりと書き込みました。今後も、時折、このスパムメールをチェックするために。

 といいますのも、私が所属している団体からのメールも2通そこに入っていたのです。確認したところ、その団体が会員への案内メールの一斉送信を外部の会社に委託し、その委託していた会社のメールアドレスに対してAsahiNetのスパムメールチェック機能が働いたようなのです。

 そして、今日、Outlookの受信箱に送った、大学からの自動返信メールに書かれたアカウントとパスワードを使って、ようやく、Wi-Fiにつなぐことが出来たのでした。

 便利なようで、不便な世の中です。分からなくなっても、問い合わせの大半はメール。そのメールの返信がなければ、手立てがありません。今回は、たまたま親切な人が対応してくれ、救われました。

 こういうことばかりで、本当に疲れます。でも、オバサンはデジタルネイティブの若者たちが学ぶ大学で、何とか生き抜いています。

大学の図書館前のテーブルで、やっとWi-Fiをつなぐことが出来ました

2022年5月25日水曜日

体育委員

  小5の息子は、5月に入ってからずっと朝早く登校しています。学校まで徒歩5分で、登校時間は午前8時15分から25分までの間と決まっています。が、息子は7時45分ごろ家を出ます。「体育委員」の仕事があると言います。

 中学受験に向けて塾に通い、成績が低迷し続けている息子。勉強面ではすっかり自信をなくしていますが、学校へは楽しく通っています。そんな息子が5年生になって立候補したのが、「体育委員」です。5年生になると皆通年で委員をすることになっているらしいのです。

 クラスの体育委員の定員は男子2名女子2名。男子は息子のほかに、小1のころから息子が運動会で徒競走を競っている、スポーツ万能のM君も立候補したそうです。そして、2人一緒に体育委員に。

 仕事は体育館の窓開けと、道具入れの整理整頓。そのほか、校庭の雑草取りもするそうです。M君も塾(息子とは違う塾)での成績が振るわないらしいのですが、「一番下のクラスは楽だ! それ以上下がらないからね」と豪語しているそう。

 でも、同じく塾で一番下のクラスの息子と毎朝張り切って、学校の体育委員の仕事をするって微笑ましいなと思います。運動好き男子は、単純なんです。

 私が子どものころは、勉強が出来なくても運動が出来る男子はモテたものですが、娘によると今は「運動が出来ても、勉強が出来なければ、全然モテないよ」とのこと。運動が出来るだけでは、評価されない時代なのですね。そんな時代に生まれてしまった息子は可哀想。

 体育委員になる前は、登校前に算数のドリルや漢字練習をしていました。その時間がなくなり、塾での成績は当面上がることはなさそう(一番下のクラスですので、もう下がることはありません)。

 我が息子よ、頑張れ! でも、母の本音は、「どうしよう…中学受験。(^^ゞ」です。

2022年5月24日火曜日

大学院生としてがん研究センターへ

  今日、築地の国立がん研究センターに、東大大学院医学系研究科の博士課程の研究生として、入室しました。

 19年間、がん患者として通い続けている国立がん研究センター中央病院。この病院の後ろにある診療棟に、今日は診察券ではなく、研究生としてのIDカードを使って入りました。とても、とても、感慨深かったです。

 日比谷線の築地駅は地上に出るまで長い階段があります。私ががんを発症したときは、エレベータ―はありませんでした。体が弱っていたため、長い階段を一歩一歩、手すりを使って歩きました。途中にある踊り場で休んで、はぁはぁと息と整えました。札幌から私の体調を案じてきていた当時60代だった母が、地上から私を見降ろし、「睦美、大丈夫?」と声を張り上げました。そんな思い出のある階段です。今日は、その階段をすたすたと上りました。

 38歳で血液がんを罹患し、再発・再々発、いくつもの関連疾患の発病・治療など45歳まで病気が途切れませんでした。やりがいのあった仕事を辞め、病気と闘い続けたことの意味を問い続けた日々でした。

 病気が落ち着き、築地駅の別の出口にある聖路加国際大学公衆衛生大学院に出願し、合格をいただきました。私は病気と闘い続けた築地で自分の人生の再スタートを切りたかった。大学院で学ぶことで、「私ががんを患った意味は、自分の経験を通じて、がん患者さんのお役に立つことにある」と思いたかった。

 そして、昨年、東大大学院医学系研究科博士課程社会医学専攻の国立がん研究センターとの連携講座「がんコミュニケーション学」に出願し、合格をいただきました。「私が若くしてがんになった理由は、これからも続く若いがん患者さんのため、研究を続けることなのだ」と思いました。

 本郷にある東大のキャンパスで講義を受けながら、週2、3回国立がん研究センターに通います。

 最短でも4年の博士課程を無事終えることが出来たときは、私は還暦を過ぎています。ずいぶん、年を取った研究生ですが、最近は「人生100年」という言葉が世に溢れています。がんサバイバーも人生100年時代を生き抜くのです。ですので、50代はまだ人生を折り返したばかりーと思いたい。

 そして、30代から40代という人生の最も充実している時期にがんを患ったのは、私の長い人生の中で意味があったのだと信じたいと思います。

 

2022年5月21日土曜日

プロムの日に ②

  子どもが受け入れてくれるからって、いつまでも子どもについて行くのはやめようー。昨日行われた、娘のプロム(ダンスパーティ)はそんなことに気付かされた日でした。

 プロムの前夜、娘から急に「ママ、プロムは終わる時間が9時過ぎるし、遅いからそのままレイの家に泊まっていい?」と聞かれました。

 娘は、午前中の授業が終わった後は学校から比較的近いレイちゃんの家で着替えをして、プロムの前の記念写真撮影に行くというスケジュールを立てていて、それは聞いていました。でも、そのままお泊りというのは聞いていません。

「えっ?それいつ計画したの?」

「一週間前ぐらいから、レイと話していて、お母さんにもOKもらっているよ」

「そうなんだ、ママ、プロムの会場まで迎えに行こうと思っていたんだけど」

「そうなの? じゃあ、迎えに来てもらおうかな」

 もしかしたら、娘は海外の大学に行ってしまうかもしれませんので、今、娘に関われる機会があれば、関わりたいと思っています。が、プロムの会場に迎えに行くのは邪道かもしれません。娘に再度確認しました。

「本当に迎えに行っていいの?」

「もちろん! プロムの後は皆二次会っていうの?それを計画しているみたいで、私も誘われたんだけど、私はレイと一緒にお泊りしたほうが楽しいから、断ったの。でも、ママが迎えに来てくれるなら、帰るよ。友達とパーティに行って、そのままお泊りすることはこれからたくさんあると思うけど、ママが迎えに来てくれるのはこれから数えるほどしかないと思う。そっちの方が大切だから」

 娘はこういうところが、優しい。人の気持ちを汲み取ることが出来るのです。娘の素直さに心が癒されましたが、一方で、高2の子の親としては私は子離れできていないかもしれないーとも思ったのです。

 でも、娘が楽しそうにパーティ会場から出てくる様子もやはり見てみたい。他の親は行くかどうかも分かりません。結局、前の晩は迎えにいくという結論になりました。

 そして、昨日。レイちゃんのお母さんも写真撮影の場に行くというので、4人でランチをすることにしました。ランチの後は、子どもたちが着替えをして写真撮影の場所に行くまでどこかで時間をつぶそうと思っていました。すると、お母さんが「うちに一緒に来る?」と誘ってくれました。「いいの?」「もちろん!昨日、家の中を掃除したの。うふっ」。レイちゃんのお母さんは気さくな人なのです。

 マンションにお邪魔し、着替えを手伝いました。お母さんは嬉しそうにレイちゃんにメイクをし、髪を整えてあげています。娘は私よりずっとメイクも髪の手入れも上手ですので、「ママ、手伝おうか?」と聞いても、「ママはメイク下手だから、大丈夫」。で、私はカメラマン役に徹しました。

 お母さんは、娘に対しても、自分の娘に接するようにしてくれて、とても安心できました。「今日、泊まっていく?」と聞かれ、「いいの? じゃあ、お願いします」と、すんなりとお願いすることが出来ました。娘がレイちゃんと会場から楽しそうに出てきて、そのまま電車に乗り、レイちゃんの家に来て2人だけの”二次会”を楽しむ様子が目に浮かんだのです。

 さて、夜、10時半ごろ、娘からフェイスタイム(ビデオ電話)がありました。シャワーをあびて、スッキリした様子です。「パジャマ借りたの」とご機嫌です。プロムはとても楽しかったこと、会場は素敵だったこと、料理についても詳しく報告してくれました。

「大きな皿に、ホタテ一個と葉っぱがちょこんとついているという感じ。カモ肉の量が多かったから、お腹いっぱいになった。デザートはチーズスフレでめっちゃ美味しかったよ」

「いっぱい音楽がかかって、11年生も12年生も一緒になって踊って、歌ったの。にぎやかで、本当に楽しかった。カップルで来た子はね、スローダンス躍ったんだよ。素敵だったよ」

 そして、カップルの中で、学年で一番頭が良く皆の世話役の学年委員をしている女子とその子を誘ってカップルになった男子の話をしてくれました。そのカップルのお母さんたちとも、私はランチをしたり、お茶をしたりしており、よく知っています。

 「〇〇(女子)のドレスは、●●(男子)のお母さんが決めたらしいよ。男子のお母さんが、ドレス選びをするのってユニークだよね」

 内実はどうか分かりませんが、きっと、お母さん同士で事前に話し合いでもしていたのかもしれません。そのお母さんたちも写真撮影の場所に来ていましたので、私のように「子どもたちに出来るだけ関わりたい」と思っているのでしょう。娘に聞いてみました。

「お母さんたちで誰か、会場に迎えに来ていた?」

「ううん、一人もいなかったよ」

 ああ、良かった、迎えに行かなくてー。と私は胸をなで下ろしました。レイちゃんの家で一晩お世話になる判断をして良かったーとつくづく思いました。会場に迎えに行けば行ったで、娘は機嫌良く「ママ~」といって、腕に手を回して一緒に帰ってくれるでしょう。でも、やはり、それはしないほうが良いのです。

 「レイがね、帰りのタクシー代1200円払ってくれたの。で、お返しに私がおやつを買ったの。それを食べながらこれから映画を見るところ」と娘が言います。後ろからレイちゃんが私に手を振ってくれました。

 2人だけのプロムの二次会はきっと、深夜まで続いたに違いありません。娘のプロムは、親の私にとっても、とても楽しく、そして子への関わりについて学んだイベントだったのでした。

2022年5月20日金曜日

プロムの日に

  今日の娘は輝いていました。夜6時から開かれた高校のプロム(ダンスパーティ)に参加したのです。事前に横浜の山下公園で行われた記念写真撮影に私も行ってきました。

 写真撮影は公園内のバラの花が咲き乱れている場所で行われました。プロムの女子のドレスコードは、主役の12年生(高3)がロングドレス、11年生は膝上のドレスと決まっています。娘より1年上の12年生の女子たちは本当に綺麗で、ため息が出るほど。そして、11年生の娘たちも本当に可愛らしかった。 

 私と娘、そして娘の親友のレイちゃんとお母さんが山下公園に着いたとき、ちょうど、11年生の男子が記念撮影をしているところでした。スーツに蝶ネクタイをしたボーイズは、惚れ惚れするほど格好良かった。こんなハンサムボーイズを家から送り出したお母さんたちはどれほど誇らしく思ったでしょう。

 プロムにはカップルで、そして、同性のお友達同士でも参加できます。娘はボーイフレンドがいないので、お友達と一緒に参加。娘の親友のレイちゃんもユミちゃんもボーイフレンドがいないのですが、女子仲間と一緒でそれはそれでとっても楽しそう。

 カップルで参加した子どもたちは、誰が誰を誘ったーとかいろいろストーリーがあって私も娘からそれらの話を聞いていました。お洒落で格好良い●●君が、学年で一番人気の女子の○○を誘ったー。真面目で成績が抜群に良い女子が学年でも屈指のハンサムボーイを誘ったというケースも。その男子のお母さんも記念撮影の場に来ており、息子とその女子の写真を嬉しそうに一眼レフカメラで写していました。インターナショナルスクールは様々なことにおおらかで、開放的なのです。

 親の私が言うも何ですが、娘は性格も良く、とても可愛らしいと思います。でも、娘いわく「私は背が高すぎるの。どの男子よりも大きいから。私を誘ってくれる男子なんていないよ」。確かに、身長182㌢、ヒールを履いたら190㌢近くになる娘をデートに誘ってくれる男子は、日本にはいないかもしれません。今日も娘はアメリカのグランマから送ってもらったヒールを堂々と履いていましたが、他の女子より頭一つ大きかった。でも、私にとっては可愛い娘であることには変わりありません。

 娘の親友のレイちゃんとユミちゃんのお母さんは私と同年代。レイちゃんもユミちゃんも娘と同じく素朴な子です。お母さんたちも本当に素敵な方々で、今日も3人娘の写真を「可愛いね。可愛いね」と言いながら、ずっと撮影していました。

 私はパーティ会場までついて行きたいぐらいでしたが、どのお母さんも「じゃあね、楽しんできて!」と言い、ついて行きませんでした。子どもたちは山下公園の前のホテルの前から、3人ずつタクシーに乗り込み、会場に向かいました。

 こうして、少しずつ、子どもは親元から飛び立っていくのでしょうね。名残惜しかったのですが、ユミちゃんのお母さんは「では、私はここから歩いて帰りますね」とにこやかに去っていきました。一緒に電車に乗ったレイちゃんのお母さんは、カナダの大学に行っているレイちゃんのお兄さんの卒業式に出席するために来週現地に向かうと言い、「息子に頼まれている買い物をしに行かなきゃ」と言い、途中下車しました。

 余韻を楽しみたかった私は、夫に電話をしてみました。夫はちょうどジョギングから帰ったところだと言います。息子は夕方から英語の学校に行っています。「ねぇ、外食する?串焼き屋さんかカフェで」と誘うと、「いいね。今、シャワーを浴びるから6時半には着くよ」と言います。こんな思い付きにも「OK!」と即答してくれる夫は有難い。

 私と夫は息子の英語学校の近くにある行きつけの串焼き屋さんに集合することにしました。私は一足先につき、白ワインとポテトサラダ、串焼きを数本注文。夫が間もなく到着し、日本酒と串焼きを注文。英語学校が終わるころ息子を迎えに行き、連れてきました。お腹をすかせた息子は勢いよく、7本も注文しました。娘がプロムを楽しんでいる間、私たち3人も美味しい料理に舌鼓を打ったのでした。



 

2022年5月15日日曜日

母の日に

  母の日の5月8日、夫が中目黒駅近くにあるイタリアンレストランに連れていってくれました。中目黒は、目黒川沿いに桜並木が続く、お花見の名所があるところです。

 中目黒には私と夫がまだ30代だったころ、よく行きました。行きつけのフランス料理のお店があったからです。その店はほどなく閉店となり、また、桜の季節になると病気が再発したり、新たな病気を発症したりと私が体調を崩すという”ジンクス”もあり桜を見に中目黒に行くこともなくなり足が遠のいていました。

 さらに、ここ数年のコロナ禍で、自宅最寄り駅近く以外での外食も控えめになっていました。

 この春久しぶりに目黒川に家族で花見に行き、中目黒駅周辺の様相が以前とはガラリと変わっていることに気付きました。「今度、中目黒駅周辺で美味しいお店を開拓しよう」ということになり、夫がリサーチをしてくれたのです。

 久しぶりにおしゃれな店が並ぶ中目黒駅近くで食事をするということで、心が躍りました。いつも同じような服ばかり着ているので、たまに、おしゃれをしてみようーとクローゼットを見ました。が、ハンガーにかかっているのは、紺色か白のブラウス、紺・グレーのパンツ、黒・紺・グレーのカーディガンやジャケットと無難な服ばかり。

 唯一着られる水色のワンピースは去年の母の日に着たしなぁ…ともう一度、ギュウギュウに詰まっているクローゼット内(狭いのです)を見てみると、ありました。十数年前に着ていたシャンパン色のワンピースが。でも、息子を出産してからウエストがきつくなり、ずっと着ていなかったのです。これを、無理矢理着ることにしました。

 着てみると、やはり、ウエストがかなりきつい。玄関にある鏡でお腹周りを見に行こうとダイニングを通り過ぎるとき、つい、「この太鼓腹、何とかならないかなぁ…」とつぶやいてしまいました。

 すると、ダイニングテーブルで座っていた娘が反応しました。

「あはは、分かるよ。その感覚」

「独り言だったんだけど」と私。

「聞こえちゃったよ」

「昔はスッキリ着られたんだよ。このワンピース」と言い訳しつつ、お腹を引っ込める私。

「ママ、仕方ないよ。女性ホルモンないんだから。女性ホルモンがある私でさえ、太鼓腹だからね」

 相変わらず、厳しいお言葉。でも、娘の良いところは、そこに”共感”が入るところです。娘の言う通り、中年になって体の中心部が太くなるのは、女性ホルモンのエストロゲンが少なくなり、メリハリのある女性らしい体ではなくなるためらしいのです。

 私は血液がんが再々発したときの1回目の抗がん剤治療の後、生理が止まり、そのまま閉経になりました。43歳でした。45,6歳のとき、息子を出産するために女性ホルモンを補充しました。出産後はその治療はやめましたので、それからは女性ホルモンは出ていないと思いますので、拡張したウエストは当たり前でしょう。

 それでも、何とかワンピースを自分の体形にフィットさせようと鏡に向かっていると、娘が追い打ちをかけてきました。

 「ママ、もう息したほうがいいんじゃない?」

 諦めて息をすると、ウエストのきついこときついこと。でも、その服しかありませんので、着ていくことにしました。かつてウエストがあったところに収まるはずの細いベルトは、行き場をなくして、胃の上にきてしまいました。このブログをお読みになっている方で、この感覚がお分かりになる方はいらっしゃいますでしょうか? 共感してくださると嬉しいです。

 さて、何とか服装を整え、駅まで歩いて、電車に乗って中目黒へ。夫が予約してくれていたイタリアンレストランは、駅から歩いて7、8分のところにありました。ひっそりとした場所にあったのですが、中に入ると日本人妻と外国人夫の子連れカップルが2組楽しそうに食事をしていました。「そうか、夫がレストランを検索すると、外国人がいるもんなんだなぁ。英語で検索するからなのね」と妙に納得しました。

「アラカルトで頼んでいいよ!」と夫は寛大でしたが、1300円のランチセットでも十分美味しそうです。で、4人ともサラダ・ドリンク付きのパスタ(またはピザ)のランチセットを注文することにしました。

 

中目黒のレストランで食事

 夫からはエプロン、娘からは絵と手鏡、息子からは絵とチョコレートをもらいました。カーネーションは息子と夫が選んでくれたよう。白いカーネーションは亡くなった母へプレゼントするものらしいのですが、気持ちが嬉しいのでありがたくもらいました。

母の日のプレゼント。やっぱり、子どもが描いてくれた絵が一番嬉しい
 
 私にとって一番嬉しいのは、絵のプレゼントです。絵が上手な娘はいつもとても素敵な絵を描いてくれます。今年は、息子と娘と3人でパスタを食べに行ったときの絵を描いてくれました。

 「しょぼい絵だなぁ」とつぶやきつつ、描いてくれた息子の絵もとても素敵でした。私と息子が、ソフトボールをしている絵でした。2枚とも、リビングの一角にある私の仕事場に飾りました。

2022年5月14日土曜日

GW 息子のお友達&ママと

 軽井沢の家に着いた翌日、息子のお友達のルイ君とお母さんが 新幹線で遊びに来てくれました。

 我が家の娘も息子も本当に仲の良い友達は少なく、1人2人の友達を大事にし、ずっと付き合っていくタイプです。息子にとっては、ルイ君は幼稚園からの仲良し。息子は何をして遊ぼうかとあれこれ計画していて、東京の家からボードゲームなどを持ってきていました。

 ルイ君のお母さんは私よりなんと17歳も若い。でも、とても気が合い(と私は勝手に思っている)、親子での付き合いなのです。

 息子のお友達たちと幾度も一緒に遊んだことがあり、お母さんたちともおしゃべりをしてきた娘によると、ルイ君のお母さんは「とっても聞き上手なんだけど、聞いてばかりではなくって、自分の話もざっくばらんにしてくれる人」で、「10代の私でも、憧れてしまうほど綺麗な人」だそう。

 そう、肌が透き通っていて、お顔も本当に美しいのです。そういえば、ルイ君ママと向かいあっておしゃべりして、中座してお手洗いに行ったとき鏡に映った自分の顔を見てぎょっとしたことが何度もありましたっけ。

 で、私も遠慮なく聞きます。「ねぇねぇ、お肌、ものすごーく綺麗だよね。元々が綺麗なんだと思うけど、どんな化粧品使っているの?」「エステとか行ってる?」。「うん。最近はこの化粧品使っているよ。たまにヒリヒリするけど」と言って、すぐ携帯で検索して教えてくれたり、「エステ行ってるよ。フォトフェイシャル試してみた」とか、正直に話してくれるのも嬉しい。

 駅には私と息子で迎えに行きました。お昼時でしたので、家では夫と娘がメキシカン料理の「タコス」を準備してくれました。

 昼食後は、レジャー施設「軽井沢タリアセン」へ。まずは池でボートに乗りました。ボーイズは手漕ぎボート。最初は張り切っていたボーイズも後半疲れてきて、”戦力外”に。娘が一人で必死にこいでいたのが、笑えました。私とルイ君ママは足でこぐボートに乗り、おしゃべりしながら、池をのんびり巡りました。

 次はアスレチック場に。「ゴーカート」や林の中を回る「サイクルモノレール」に乗りました。子どもたちは、壁に取り付けられた石のようなものを使って壁を登る「ボルダリング」にも挑戦。弓道を習っている娘は「アーチェリー」も体験しました。

林の中を回るサイクルモノレール。最初は少し怖い

登るのが難しいボルダリング

娘はアーチェリーに挑戦

 夕方、家に戻ってバーベキュー。ボーイズがデッキで炭火を起こして、お肉や野菜を焼いて、皆でワイワイおしゃべりしながら食べました。ルイ君ママが持ってきてくれた、炭火で焼くお煎餅も大好評。泊まりで遊びに来てくれたので送迎の心配もなく、大人たちはワインを楽しみながら、食事が出来ました。

デッキに準備した食事

 食後、ボーイズはゲームをしたり、寝袋の中に一緒に入って漫画を読んだり。夜遅くまで、遊んでいました。中学校受験に向けて普段の生活が勉強中心になってしまっている息子ですが、親友との楽しい時間を過ごさせてあげることが出来て親の私も嬉しかったのでした。


2022年5月8日日曜日

GWは軽井沢へ

 2022年のゴールデンウイークは皆さん、いかがお過ごしでしたか? 新型コロナウイルスへの感染に注意しながらも、昨年より少し緊張が和らいだ休日になったのではないでしょうか。

 マイヤー家は前半の3日間だけ軽井沢の家で一緒に過ごし、その後は息子と夫が残り、娘と私が東京に戻って、別々に過ごしました。

 娘の通うインターナショナルスクールは日本の暦とは違う休日の形態を取るため、GWは休みではありません。4月29日と5月3ー5日も通常通りに授業があります。ですので、今回は28日夜に東京の家を出た夫と息子がずっと軽井沢の家で過ごし、私と娘は新幹線で行き来することにしました。

 28日は珍しく、息子の塾がありませんでした。GWの後半は特別講習がありましたが、受講させませんでしたので、2週間塾のない日が続きます。この間、頭の良い子たちは必死で勉強しているのだろうな、と焦る気持ちがないわけではありませんが、息子もずっと頑張ってきました(成果は出てませんが)ので、少しゆっくりさせたかったのです。

 息子は前日から、ゲームなど軽井沢で遊べるものをあれこれ準備していました。今回は幼稚園時代から仲良しのルイ君がお母さんと一緒に遊びに来てくれるので、尚更、張り切っていました。ルイ君もこのGWは塾に行かないと決めたようです。

 息子が学校から帰宅して間もなく、夫と息子は車に荷物を詰めて、家を出ました。私はバーべキュー用の肉をたくさん買い込んで冷凍庫一杯に詰め込んでおり、それらを全部持たせて気持ちはスッキリ。数時間で軽井沢に着いた夫からは「家の中は綺麗だった。湿気もないよ」とご機嫌な電話がかかってきました。「寒いのでさっそく薪ストーブを焚いた」と嬉しそうでした。

 私と娘は、翌29日の夜に新幹線で軽井沢に向かいました。軽井沢は東京駅から新幹線で1時間ちょっと。私は事前にハーフボトルのスパークリングワインとプラスチックのグラスを準備していました。これまでは駅のホームのキオスクなどでワインの小瓶を買って飲んでいましたが、経験を重ね、自分の好きなワインを用意するのが一番と悟ったからです。娘と二人で東京駅の地下であれこれ迷ってお弁当を買い、新幹線に乗り込みました。ちなみに、娘が選んだのは「牛丼」、私は「焼き鳥弁当」でした。

 座席に座り、テーブルをセットし、お弁当を広げます。スパークリングワインの栓を開け、プラスチックのグラスにシュワシュワと注ぎます。娘と他愛ないおしゃべりをし、「これ、美味しいね!」と言い合いながら、お弁当をほおばる。幸せな時間はあっという間に過ぎ、軽井沢に到着しました。

 駅には夫と息子が迎えに来てくれました。2人の服からはプンと薪ストーブの煙の匂いがしました。軽井沢に来たなぁと嬉しくなる瞬間でした。