2020年8月18日火曜日

軽井沢の山荘から~

  母と食事に出かけた翌日の14日、軽井沢に来ました。新幹線を降り改札口に向かうと、息子が手を振ってくれています。小走りで駆け寄り、思いっきりハグしました。1週間、山荘に滞在した娘のお友達レイちゃんも一緒。私と入れ違いで東京に戻ります。皆で駅近くの古くて感じの良いレストランで昼食を取り、レイちゃんを見送りました。

 私が東京で原稿書きをしている間、子どもたちの世話をしてくれた夫は少々疲れ気味。これからは私が家事を引き受ける番です。夫は連日バーベキューをしてくれ、子どもたちは普段東京では食べられない豪快な食事を満喫したよう。でも、嬉しいことに「ママのご飯が食べたい」と言ってくれたので、早速夜は子どもたちがリクエストしてくれた餃子と納豆巻きと豆腐のお味噌汁を作りました。

 その日から掃除に明け暮れています。夫は家の掃除どころではなかったらしく、家中に物が散乱し、ほこりや汚れが溜まっていました。家を開けて1週間も経つのにカビ臭く、湿気がこもっています。まずは家中掃除機をかけ、水回りを綺麗にし、フロアリングの床や畳を水ぶき。一日中除湿機をかけっぱなしにし、居間や寝室、バスルームなど順番に置きます。5,6時間で満水になり、その水をジャーッとシンクに流すときの気分の良いことと言ったら。

 昼は布団を干し、寝具や衣類など山荘に置いてあるものを順番に洗っていきます。本当はお日様の下に干したいのですが、湿気があるのですっきり乾きません。で、乾燥機をフル稼働させます。全自動洗濯乾燥機ではとても間に合いませんので、我が家は洗濯機の他に乾燥機も設置しています。”避暑地”というぐらいですから暑さは避けられるのですが、湿気とともに生活しなければならないのです。家中に置いてある除湿剤も交換しました。

 このように、家の維持は大変ですが、喧噪を離れた山荘での休日は何にも代えがたいほど楽しい。朝、鳥や虫の鳴き声で目を覚まし、デッキで食事をし、本を読みます。子どもたちは虫取りに行ったり、外でバトミントンを楽しんだり。夕方涼しくなってから散歩し、夜は空の星をながめながら、花火をします。

 今回、お隣の加藤さんも来ていました。私たちがこの家を譲り受けたご夫婦と長年交流のあったご夫婦です。昨年は一年間お見かけしなかったので、体調を崩されたのかと心配していましたが、ご夫婦ともに元気でほっとしました。私と同世代の娘さんも一緒に来ていて、連日布団をデッキに干していました。きっと、家の手入れが大変なので手伝いに来ていたのですね。

 独り暮らしをこよなく愛する(ように見える)、通りの角に住む合田さんも訪れていて、家の外回りのリフォームに余念がありません。数年かけて取り組んでいる歩道やデッキも出来上がりつつあるようです。

 例年と変わらない軽井沢の夏。のんびりとゆったりと、時間は流れています。

軽井沢の山荘のデッキ



2020年8月14日金曜日

お盆は母と二人で

 盆の入りの8月13日は、母と過ごしました。昨年の夏の終わりに東京に引っ越してきた母にとって、東京で迎える初めてのお盆です。

 毎年、父の遺骨を納めてあるお寺にお参りに行っていたのですが、今年は出来ません。お盆にはご先祖様が帰ってくると言います。父は迷わず、こちらに来てくれるかな。札幌の自宅に間違って戻り、「あれっ、今年は誰もいないな?」と寂しがっていないかな、と心配になりました。父に「今年は東京で待ってるよ」と伝えるため、母の寝室にある仏壇のりんをいつもより大きく鳴らしました。

 「お昼ご飯、お寿司とる? それとも出掛ける?」と聞くと、母は「ずっと出掛けていないから、たまに外で食べたい」と言います。新型コロナウイルス感染を防ぐため、スーパーや病院に行く以外はずっと家にいた母。たまに外食をしたい気分になったようです。

 隣駅の商店街にある、老舗のお蕎麦屋さんに行くことにしました。おしゃれなノースリーブのワンピースに着替えた母は、「そうそう、帽子をかぶろう。これ、あちこちで褒められるんだよ」と言い、クローゼットから見覚えのある麦わら帽子を取り出してきました。

「お母さん、これ、あの麦わら帽子だね。旅行に行く前に買った帽子。行けなくて残念だったけど」と私。

 3年前、夫と私は母の傘寿のお祝いにオーストリア・ハンガリー旅行を計画していました。が、直前に母が体調を崩して、キャンセルになったのです。(参照:「母の麦わら帽子」http://ar50-mom.blogspot.com/2017/09/blog-post.html

 その麦わら帽子を被った母と商店街を歩きました。他愛のないおしゃべりをしながら、お蕎麦屋さんで「天ぷら蕎麦」を、おしゃれなケーキ屋さんで「桃のタルト」を食べました。

 「ほら、見てごらん。みんなこの桃のタルト食べてるよ。一番美味しそうだったからね」と母は周りを見渡しながら、嬉しそうです。カントリー調の店内は明るく、ゆったりとしたつくりです。そして、そのタルトの美味しかったこと。

 私にとって切ない思い出をまとっていた母の麦わら帽子。でも、昨日の外出で、母と、美味しいお蕎麦と桃のタルトを食べて、おしゃべりを楽しんだ暑い夏の日をの思い起こさせるものになりそうです。

お気に入りの麦わら帽子を被って歩く母

 サングラスの飾りがついた麦わら帽子は、母によく似合っていました。

 

 

2020年8月12日水曜日

娘が友達と見た景色

 「ママ、景色がとってもきれいなの」ー。軽井沢にいる娘からそんな電話がありました。ビデオ通話の背景には青い空。すがすがしい景色が広がっていました。子どもたちと娘の友人レイちゃんは、夫と一緒に浅間山に山登りに行ったようです。

 娘は15歳(日本の高1)で、この秋からインターナショナルスクールの10年生になります。インターと聞くと派手めな女子を思い浮かべるかもしれませんが、娘はとても素朴な子です。仲良しのレイちゃんも素直で素朴な子で、娘とよく似ています。

 そういえば、、、。山登りを楽しむ娘とレイちゃんを見て、3年前のことを思い出しました。中1だった娘はレイちゃんと一緒に学校の屋根に上って、先生に怒られたのです。あのとき、娘は目を輝かせて「世界中が見えた」と感想を語ってくれました(参照:http://ar50-mom.blogspot.com/2017/06/blog-post_18.html)。子どもにとって、学校の屋根から見える風景は「広い世界」に見えたのでしょう 今回の景色はあのときよりずっと広く見えたに違いありません。山の上から見た風景の写真が、娘からメールで送られてきました。

娘が送ってくれた、山の上から見た風景の写真

 友達と屋根に上って、そこから見える風景を楽しんだ娘は成長して、その友達と一緒に山登りをして景色を楽しんでる。そんな娘を微笑ましく思います。

 翌日、夫から写真が送られてきました。青空の下散歩をするレイちゃんと娘の写真です。

軽井沢の野原を散歩する娘とお友達

 仲良しの2人ののんびりとした時間が、これからも続けば良いなと願っています。

2020年8月10日月曜日

小さなお客さん

 8月7日に息子の小学校の1学期が終わり、2週間の短い夏休みに入りました。息子が持ち帰った成績表には、成績はついていませんでした。出席の記録には「新型コロナウイルス感染症対策に伴う臨時休業39日」とあります。今年の1学期は、例年とは全く違った学期だったなぁと改めて思います。

息子が持ち帰った成績表。成績がつく欄にはすべて斜線が入っている

 さて、その日の夕方、香港から帰国し感染予防のための2週間のホテル滞在を終えた娘の友人が遊びに来ました。そして夜7時過ぎ、子どもたちと娘の友人、そして夫はたくさんの荷物と食料品を積んだ車で軽井沢の家へ向かいました。窓から顔を出す子どもたちにキスをし、夫に「気を付けてね。レイちゃん(娘の友人)を預かっているんだからね」と念を押しました。短気な夫は運転が荒く、ヒヤヒヤする場面が多いのです。車が動き出し、角を左に曲がり見えなくなるまで手を振りました。

 家族を見送った後、私は家に。8月末に原稿5本の締め切りがあるため、東京の自宅に残って執筆に専念することにしたのです。

 家に入ると、普段は狭く感じるリビング・ダイニングがガランとしています。テーブルやキッチンカウンターの上、床などには荷物の中に入らなかった物が散乱し、”台風一過”という感じですが、人の気配がせず、音も聞こえず、しんとした我が家は不思議な空間です。

 さて、翌朝、いつものように玄関の外に出て、花壇に水やりをしていると、息子が植えたアサガオの葉に小さなお客さんを見つけました。「今年は葉がずいぶん虫に食われているなぁ」と思っていたら、こんなかわいらしいバッタが遊びに来てくれていたのですね。 

我が家の花壇に遊びに来てくれたバッタ=写真右下の葉の上

 たまたま、しぼんだ花を取ろうとしたら、その横の葉にちょこんと載っていました。慌てて手を引っ込めましたが、バッタはじっと動かず、私がスマホを取りに行っている間もそこにいてくれました。今日の嬉しい出来事をパチリと撮影しました。

 家族がいなくて、少し寂しい朝でしたが、小さなお客さんが来てくれたおかげで明るい気持ちで一日をスタートできたのでした。

2020年8月7日金曜日

梅仕事

「むっちゃん、梅仕事している?」
若いママ友からラインが来たのは6月中旬でした。ちょうどそのころ、私はせっせと梅を買ってはヘタを取り、ジップロックに入れて冷凍する作業をしていました。お料理上手なその友達も「梅の塩漬けをして、梅ジュース用に6キロ処理が終わった」とのこと。”梅仕事”は主婦にとって、ちょっとしたイベントなのです。

 あれから1カ月半経った先日、ようやく漬けた梅干しを取り出しました。今年はなかなか梅雨が開けなくて、すっかり時間が経ってしまいました。湿気も多くこれ以上漬けているとカビの心配もあるので、外に干すのをあきらめてサランラップをかけて家の中で干すことにしました。

 今年は例年より塩を多めにし、10%にしました。昨年は8%で少しカビが生えてしまったのです。去年は入れなかったシソを、今年は入れました。適当に入れたので、まだらになっていますが、それでも美味しく仕上がりました。今年は天候が悪かったせいか、去年よりLLサイズの梅が小さく残念に思っていたのですが、逆に1回で食べ切れるので丁度良い大きさでした。
  
赤い梅干し、黄色い梅干し…。今年は面白い仕上がり

 子どもたちが手伝ってくれて、楽しかった梅の塩漬け。去年の反省から、毎日のように35度の焼酎を落とし蓋や重石の上にシュッシュッとスプレーしたら、カビも生えませんでした。出来上がった梅干しを、”梅干しづくりのプロ”の母のところに持っていきました。「美味しくできたね」とお褒めの言葉ももらいました。
 
梅を塩漬けする子どもたち=6月9日

 今年は梅ジャムにも挑戦。これが予想以上に美味しくて、「ヨーグルトにかけたら、めっちゃ美味しい!」と子どもたちに大好評。また、来年も作る予定です。
 
予想以上に美味しかった梅ジャム

 来年の梅の時期までずっと梅ジュースを楽しめるように、500グラム12袋も冷凍しました。
冷凍庫にいっぱい詰めた梅

 容器や重石などを洗って仕舞い、やっと終わった梅仕事。でも、何となく寂しいような…。来年もママ友と”梅談義”をするのを楽しみにしましょう。
 

2020年8月6日木曜日

昔ながらのおやつ

「ママ、蒸しパン作って」ー。娘からリクエストをもらいました。「ママ、私が幼稚園に行ってたころ、よく蒸しパンを作ってくれたのに、最近全然だよね」と娘。そう言えば、蒸しパンの存在自体を忘れていました。

 さっそく、ホットケーキミックスと甘納豆を買いに行きました。ほんの数カ月前まではどこのスーパーも品切れでなかなか買えなかったホットケーキミックス。新型コロナウイルスを避けるための自粛生活はまだ続いていますが、スーパーで品切れすることもなくなりました。

 週末の朝、家族が起きる前に作りました。ホットケーキミックスの袋の裏に書いてあるレシピにはバターや砂糖も加えることになっていますが、私はミックスと牛乳、卵だけでシンプルに作ります。色とりどりの甘納豆を置いて、蒸し器で約15分。”超簡単”で、子どもが大好きなおやつなのに、すっかり忘れていました。

 

 「蒸しパン出来たよ!」
寝坊助の娘を起こしました。「本当!」と娘がバッチリと目を覚ましました。
 昔ながらのおやつ、蒸しパン。母も私が小さいころ、よく作ってくれたっけ。家族4人で1個ずつ食べた後、子どもたちに母のところに1つ持っていってもらいました。

 今はスープの覚めない距離に住む母。こういうささやかな楽しみを分かち合えるのが嬉しい。「美味しかったよ~」とさっそく電話がありました。ほんのちょっとの手間で、家族みんなが幸せになる蒸しパン。また、今週末にでも作りましょうか。

2020年8月4日火曜日

3年目のアサガオ

 息子が植えてくれたアサガオが咲きました。最初に咲いたのは3日前。それから毎朝、私の気持ちを癒してくれます。
 

 我が家でアサガオを育て始めたのは息子が小学校1年生のとき。学校のお兄さんお姉さんから種を引き継ぎ、それを学校で植えて、育った苗の一部を持ち帰ってくれました。それを花壇に植えて、秋にはツルを使って息子と一緒にリースを作り、秋には種を採りました。それを昨年また植えて、夏の間花を楽しみ、秋にはリースを作って種を採り、それを今年の春に植えました。

 一昨年は青色もありましたが、去年からはこの薄紫色だけ。春、息子が指で土に穴を開けて、種を入れて土をかぶせ、水をやり、芽が出るのを待つ。小さな芽が出てきて、ツルが伸びてきたら、支柱を立てて、ツルをそこに巻き付けます。

 息子は小3ですが、土に入れる指がまだ小さくて、しゃがんで出た芽を見るときの姿がまだまだ幼くて、支柱にツルを巻き付けるときの仕草がぎこちなくて、そんな姿がとてもいとおしい。そして、息子とのそのささやかな時間がとてもいとおしい。

 人生はどこでどのような不幸に見舞わせるか分かりません。そういうものは突然やってくる。だから、この何気ない日常を大切にしたい。いつも、そう思っています。

2020年8月3日月曜日

オバサンは泣いた・・・そして動いた

 このブログで何度か書いた、大学院の「生物統計学」の授業。先日、やっと期末試験が終わり、その結果が出ました。250点満点の230点でした。順位はなんと、クラスで真ん中。これ、すごーく難しい試験です。それでも、頑張って230点も取って、クラスで真ん中です。皆どれほど頭が良いのでしょうか。ちなみにクラスの3分の1はお医者さんです。

 で、もう一つの生物統計学のプログラミングの授業。先日、辛くて泣きました。分からなくて、そして、調べる手段も分からなくて、泣きました。髪には白髪が混じり、顔はしみしわだらけの50代女性が、パソコンの前にかじりついて、統計学のプログラミングがうまくいかなくて、涙をポタポタこぼしている。これって、あまりにも滑稽ではありませんか。娘が私のことを「ママは悲しいポジティブだ」(参照:http://ar50-mom.blogspot.com/2020/07/blog-post_13.html)と言いましたが、本当にそうです。

 でも、もう、悲しいとか、恥ずかしいとか言っている場合ではないので、電話をしました。この講義を教える教授ではありません。教授は私より軽く10歳は若い。若くて前途有望な方の時間を、私のようなオバサンの「分かりません!」につき合わせるにはいきません。私はそれぐらいの常識は持ち合わせています。

 そうです。ズバリ、統計のソフトウエアを販売する会社に電話をしました。私はそのソフトを購入している”顧客”です。少なくとも、問い合わせをする権利はあるでしょう。「何をやっても、動かないんです!」と。

 電話口の若い女性が明るく、「技術的な問題ですね。では、テクニカルサポートに電話を回します」と言ってくれました。私は「テクニカルな問題」などという高度な次元にはいません。とにかく、手を変え品を変えやっても、「無効なコマンドです」というメッセージが画面に出てきて、それ以上前に進めないのです。プログラミングは普通の問題と違い、分からない部分は飛ばして次にーという訳には行きません。その問題を解決しないと次に進めないのです。

 さて、「テクニカルサポート」に電話が回され、電話口に出てきたのは、声のくぐもった、とても丁寧な口調の、”オタク”っぽい雰囲気が漂う人でした。私が窮状を訴えると、しばらくは口頭で説明してくれましたが、私の理解度の低さに圧倒されたのでしょう。「その問題の部分をメールで送ってください」と言います。

 私は出された宿題を解いた、その途中の段階のものをメールで送りました。こんなものを送ると学校の情報の漏洩になる?と一瞬考えました。その一瞬の自問自答で、自分自身から返ってきた言葉は、「てやんでえ」です。もう、完全に開き直っています。

オバサンは分からなかったんだ!
学校の宿題に必死に取り組んだけど、泣きながら取り組んだけど、何をやっても、画面は動かなかったんだ。
”あなたのコマンドは無効です”のメッセージしか出なかったんだ。
グーグルで調べたけど分からなかったんだ。
ソフトにくっついている”ヘルプ”なんて、全く役に立たなかったんだ。
ヘルプの説明文が高度過ぎて、理解出来なかったんだ。
だから、この訳の分からないソフトを売っている会社に電話をしたんだ。
”テクニカルサポート”の担当者に窮状を説明したけど、分かってもらえなかったんだ。
そうしたら、困っているところをメールで送ってくださいと言われたんだ。
だから、送ったんだ。
何か文句ありますか!!!

です。

 しばらくしてから、その担当者からそれは丁寧な返事が来ました。彼の説明で、私の分からなかったことがすべて分かりました。彼の説明通りに指示を出すと、コンピューターの画面は何事もなかったかのように動き出しました。

 さて、私がテクニカルサポートに電話をした約1週間後、その会社からソフトウエア購入者宛てに一斉メールが届きました。オンライン会議システム「ズーム」を使い、購入者に対してそのソフトの使い方について無料説明会をするという案内です。その内容はまさに、私が質問した内容でした。もしかしたら、そのテクニカルサポートの人が「初心者は、こんなことが分からないんだ」と”感動”し、営業担当の人に初心者向けの講習会の必要性について伝えたのかもしれません。

 さっそく申し込むと、8月も10月もすでに”満席”。会社に電話をし、「満席でしたので参加できなくてとても残念です。別の日を設定するご予定はありますか」と聞きますと、その担当者はこう答えてくれました。

「反響が大きくて驚いております。今、参加者枠を広げました。どうぞ、もう一度登録してください」

 私はもちろん名前を名乗りましたが、担当者はまるで私を知っているかのように親切に応対してくれたのでした。

 もしかしたら、切羽詰まった変なオバサンから「ヘルプ!」の電話がかかってきたーなどと会社の若い人たちの間で話題になったのでは?と勘ぐってしまいましたが、まあ、考え過ぎでしょう。

 ともかく、私は少しずつこのプログラミングに慣れてきています。行き詰まったときは動くこと。これが肝心です。