2015年12月31日木曜日

2015年 私の挑戦 ベスト5 ④保護者会幹事になる

 「2015年 私の挑戦 ベスト5」で次に上げたいのは、息子の通う幼稚園保護者会の「幹事」役を引き受けたことです。幼稚園の様々な行事のお手伝いをしたり、幼稚園からの連絡事項を保護者へ伝達したりするのが主な仕事。割と頻繁に雑務を引き受けるだけでなく、緊急時には臨機応変に対応します。ですので、幹事は、時間に融通がきき、体調が安定的な健康な人しか引き受けられません。その役割に私はこの春、手を挙げたのです。これは私の、高らかな”社会復帰宣言”でした。

 幹事には年少、年中、年長組の母親たちから各2名選出されます。春の保護者会のときに、立候補制で選ばれます。同じ年少組で、娘が幼稚園のときも3年間一緒だったママ友達と事前に相談して、一緒に引き受けることにしました。

 このママ友達は外見はかわいらしいのですが、中学生、小学生、幼稚園児の男子3人を育てている”つわもの”です。さっぱりとしていて、かつ細やかな気配りも出来る人です。そのママ友達と送迎時の時間を活用し、メールやラインで連絡を取り合いながら、フットワーク軽く”業務”をこなしています。

 「私、やります!」
 こう、言えることがどれだけ幸せなことか、おそらく、健康を大きく害したことがある人にしか分からないかもしれません。どんな仕事でも責任を持って引き受けることは、自分の体調に自信がなければ出来ないからです。

 娘が幼稚園に通っていたときは、いつも、「ごめんね」「ありがとう」とママ友達に頭を下げるばかりでした。体調はいつも不安定。治療や手術のための入院が毎年のように続き、そのたびに、札幌の両親に助けを請い、娘の世話と家事を頼みました。両親が帰った後はソファに横になり、目の前のほこりを見ながらも、掃除機をかける体力もない自分自身を情けなく感じる日々。また、薬の副作用で外見的にも変化が大きく、風船のように醜く膨らんだ顔と、こぶとり爺さんのように耳の下にこぶまでつけていた(これは後に手術で取りました)私は、すっかり厭世的な人間になっていました。そのため、人の役に立つどころか、何とか人と関わらずにひっそりと生きたいと願っていたのです。

 あまりの病気続きで家族や周囲の人に迷惑をかけ続けていたため、古くからの知人に「結婚したのが外国人で良かったわね。日本人だったら、とっくの昔に離婚されていたわよ」と言われたこともあります。そのコメントに私は、「日本人男性に対する侮辱だわ」と眉をひそめるどころか、「健康を害するということは、離婚されるような女になり下がることなのだ。そう、世間に見られているのだ」と落ち込み、泣き続けました。それが更なる体調悪化につながり、その後何カ月も体調が悪いまま過ごしたことは、今思い返しても心が沈む出来事です。

 この春引き受けた幹事の仕事は、とにかく楽しかった。保護者会に配布するお便りの作成、催しの受付業務、子供たちが世話をするカタツムリの夏休みホームスティ先のスケジュール調整、母親から子供へのクリスマスプレゼントの材料選びと袋詰め作業・・・。おそらく、私はこの10年間で、一番生き生きとしていたのではないかと思うのです。
 
 幹事の任期は来年の3月末まで。人の役に立つ喜びを、味わいたいと思います。

 
 

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