2023年10月4日水曜日

栗ご飯

  9月20日に娘が巣立ってから、我が家では笑い声が減り、改めて娘の存在は大きかったと感じる日々です。息子は口数も少なく、淡々とした表情で学校や塾へ行っています。中学受験に向けて必死に勉強するわけでもなく、かと言って、「塾行かない」とごねるわけでもなく、宿題をやらずに塾で居残りになろうが、テストの点数が悪かろうが、関係ないという態度です。

 受験を4ヶ月後に控え、いま辞めても挫折感だけが残るのも心配で、塾通いは続けさせています。「辞めたいと思ったこともあったけど、3年間続けた」ということで、息子に自分自身を肯定してほしいからです。

 「理科・社会を受けなくても良い学校が2,3校あるの。英語・国語・算数の3教科。ちょうど水曜日の塾は理社だけだから、理社を辞めることもできるよ。そしたら、かけっこ教室に戻れるよ」と聞いてみました。

 「ママが決めて。決めるの面倒だから。そもそも、ママが人に相談するときは、自分の中で考えが固まっていないときなんだよ。ママでも分からないのに、僕に決められるはずがないんだよ」。小6にしては、大人びた、そして的を射た答えでした。

 確かに娘をインターに移す決心をしたときは、「小学校は卒業させてもいいのでは?」という夫の反対にも耳を傾けず、「娘をここでこのままにしておいては、娘が駄目になってしまう」と自分の”勘”を信じることが出来た。でも、息子の塾問題に関しては、いや、息子については分からないのです。

 成長が遅かったため、出来ることだけに目を向けて褒めて育てた娘は着実に一歩一歩成長し、一方で賢く何でも器用にこなし、運動もでき、性格も穏やかで友だちとも仲良くできた息子にはあれもこれもと期待し、叱咤激励し、その結果として表情の乏しい無気力な子になりつつある。この段階でどうしたら良いか、途方に暮れています。

 息子に元気を出してもらうために、時間を見つけては近くの公園でキャッチボールをしたり、本屋さんに連れていったり、スーパーに一緒に行ったり、一緒に料理をしたりしています。が、その場では少し機嫌が良くなりますが、根本的な問題解決にはつなっていないようです。そもそも、何が問題なのか、きっと私も夫も分かっていないのかもしれません。

 そんな中、スーパーで栗を見た息子が、「ママ、栗ご飯食べたい」と言いました。そのスーパーでは大きな袋の栗が売り切れ、10個ほど入った小さな袋しかありませんでした。で、さっそく夫に頼んで別のスーパーに行ってもらい、大袋の栗を買ってきてもらいました。

 息子はたぶん、軽井沢の家の近くで小さな栗をたくさん拾い、そのとき訪れていた母と一緒にむいて、栗ご飯にして食べたことを思い出していたのかもしれません。夫が買ってきた栗を息子は一つ一つ丁寧に、栗むき器を使ってむきました。そして、翌日、栗ご飯を炊きました。

 せっかくなので、母を招待しました。その日は息子の塾の日で4時半に家を出なければならないのですが、母と一緒に早めの夕食を取りました。「美味しい!ママ、また作ってね」と言ってくれた息子と「手が痛いからもう栗はむけないの。スーパーで最近売っているのを見て、ああ、栗ご飯食べたいなと思っていたの。食べたかったから、本当に嬉しい」と喜んでくれた母。2人の笑顔を見て、たいそうなことはしなくても、こうして季節の食材を使ってご飯を作って、みんなで一緒に食べたら、こんなに幸せな気分になるんだーと思いました。


 また、栗を買ってきて、息子にむいてもらおう。そして、栗ご飯を炊いて、また、母も一緒に食べようー。幸せは身近にあることに気付いた日でした。

 


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