2024年8月28日水曜日

セルフケアディ

  昨日、娘とフェイスタイムで話をしたら、今週土曜日は「セルフケアディ(自分をケアする日)なので、楽しみなの」と言います。

 時間をかけて顔やネイルのケアをし、お洒落をしてカフェに行って、美味しいケーキを食べる計画なのだそうです。

「お友達と外出?」

「一人に決まっているじゃん。やっぱり、一人が一番楽しいもん。お友達と外出するのももちろん楽しいんだけど、気を遣うから帰宅するとどっと疲れるんだよね」

「そうなんだ」

「もう、土曜日が楽しみで楽しみで」という娘の顔はピカピカと輝いていて、本当に楽しみにしているという表情です。今週は課題の提出や試験などがあり忙しいため、尚更のよう。

「私さ、ママとダディにとっても大事に育ててもらったから、自分でも自分を大切にする人間になったの」

「それはとっても大事だよ。自分を大切にするってとても大事。自分を大切にできる人が本当の意味で、人も大切に出来るんだと思う」

 ブログでは何度も書きましたが、娘は成長がとてもゆっくりでいつまでも子どもでいたがった子でした。心配も多かったですが、親として、子育てを楽しませてもらったとつくづく思います。

 留学で親元を離れても、周囲に振り回されることなく、マイペースで着実に成長をしています。そして、自分を大切にする人間に育ってくれて、親としてとても嬉しい。これから大学卒業、就職、恋愛・結婚などライフイベントで悩むことがあっても、自分を大切にできる娘なら大丈夫と信じられます。

 セルフケアディかぁ。フェイシャルケアもネイルケアも、そしてメンタルのケアもしばらくしていないなぁと娘の言葉に気付かされた私。娘を見習おうと思ったのでした。

 

2024年8月23日金曜日

息子のバスケ観戦

  昨日の初めてのバスケットボール大会に参加した中1の息子。帰宅したのは6時ごろでした。息子から「ママ、試合勝ったよ」とのメールがあったので、私が途中で退席した2回戦のことかと思いきや、そうではなくて公式の試合の後に試合に出られなかった選手たちの交流試合があったらしく、それに出場したのだそう。

 息子の学校は2年生が全員公式試合に出ていたので、その交流試合には1年生が出場したそう。で、今日も出るということでしたので、張り切って観に行くことにしました。

今日はおにぎり5つ作りました。蒸しチキンと枝豆、バナナも

 息子はその交流試合3試合に出場し、6回ゴールを決めました。まだ、おどおどしたところはありましたが、ゴール下までドリブル出来るとほぼ確実に決められました。息子のチームも他のチームも、選手たちに試合を経験させてあげようと、監督が何度も選手交代をして、全員がプレーできていたようです。こういう仕組みっていいですね。


   今日の全ての試合が終わり、帰ろうとするときに息子が寄ってきて、「観に来てくれて、ありがとう」と言いました。私が行っても恥ずかしがらず、お礼を言ってくれたので、嬉しかった。

 今週は夫が不在なため、毎朝早めに家を出て、息子が学校に練習に行っている間私は研究室に行き5時間ほど作業をしてから帰宅し、息子と遅めの昼ご飯を一緒に食べました。昨日は午前中試合を観に行った後研究室に行き2つの会議に出席し、夕方帰宅しました。今日は在宅で作業をし、午後から試合会場へ。

 やり繰りが大変でしたが、夫が不在中も息子を優先できました。映画も二本観ましたし(「僕のヒーローアカデミア」と「The First Slam Dunk」)。

日曜日に観に行った「僕のヒーローアカデミア」

 先日、義弟家族5人が来る前に、テーブルやカウンターに積んであった書類を片付けたとき、沢山のパンプレットを見つけました。映画や観劇、科学教室、工作教室、科学館…。どれも、これも、息子と一緒に行こう!と思い、積んだまま忘れてしまったイベントでした。

 もちろん、これまで家族で旅行に行っていますし、動物園・水族館などにもよく行きましたし、野外のイベントにも連れていきました。でも、もっともっと連れて行けばよかった…と後悔したのです。だから、この夏休みは意識して息子と一緒に過ごしました。まぁ、断られることもありましたが…。

 明朝、夫がシンガポールから帰国しますので、夫にも観に行くよう勧めました。私が息子に経験させてあげたかった、日本の部活の良さを分かってもらえると思います。

 

2024年8月22日木曜日

中学バスケ試合観戦

  今日から「第40回東京私立中学校バスケットボール大会・男子新人戦」が都内8校を会場に始まりました。この春、都内の私立中学校に入学した息子がバスケ部に入部しましたので、さっそく観に行きました。息子は試合に出られませんでしたが、2年生の雄姿を観ることが出来ました。

 息子は米国人とのハーフで父親が背が高いため、身長166㌢と中1にしては高いほう。しかし、息子の学校も他の学校も、1年上の先輩たちの背は息子よりぐんと高く、日本人もこんなに大きいのだなぁと驚きました。そして、まぁ、皆上手なこと。

 先日、高校のバスケットボール部を描いた「The First Slam Dunk」を観て、バスケの面白さに目覚めた私。プレーしているのが息子じゃなくても、十分楽しめました。学校が保護者の応援席をコートの横に用意してくれたので、迫力満点。

選手たちのプレーに感動

 どのチームの選手も、よくもまぁ、こんなに長い時間走り続けられるものだと感心しました。パスも、ドリブルも、本当に上手。私はバスケをよく知りませんので、あらっ、前向きながら斜め後ろにパス? すごっ。そんな遠くから、ゴール? やるじゃん。ええっ、ドリブル両手で? 器用ねぇ…。などと、一つ一つに感動します。

練習時間にゴール下でボールを拾う息子。まだマスク着用。理解できません

 親たちも「イケイケ!」「ディフェンス!」「落ち着いて!」など声がけがすごい。熱心なお父さんも何人も来ています。おそらくご自身もバスケをしていたのでしょう。「大事、大事、ここ大事」「苦しいときは皆苦しいんだ」と応援の言葉もいい。

 というのは他のチームで、何と、我が息子の学校の第1回戦の観客は私だけ。皆さん、仕事などいろいろ事情はあるのでしょうが、何とか時間を作って来てあげてほしいと思いました。2回戦で数人の親が来ましたので、ほっとしました。

誰もいない息子の学校の応援席。後ろ側の応援席には親がびっしり座っています

 昨夜、26日(月)が始業式だというのに息子が全く宿題をしていないため、堪忍袋の緒が切れて、雷を落とした私。息子も負けじと言い返してきたため、すっかり険悪なムードになっていました。でも、息子は応援席の私にすぐ気付き、手を振ってくれました。

 先生から「食べ物は消化の良いものを」という指示があったそうで、おかずがギッシリ入ったお弁当箱を広げて食べるという雰囲気ではないのかな?とも考え、初日の今日はお昼ご飯に鮭おにぎり2個とバナナを持たせました。息子からは「今日、足りなかったから、明日おにぎりは5個作って。バナナも」というリクエスト。了解! 明日は蒸しチキンもつけるからね。

 

 

 

2024年8月21日水曜日

「The First Slam Dunk」を観る

  いやぁ、良かったです。アニメ映画で自分がこんなに感動するとは思いませんでした。昨日、息子を連れて観に行った「The First Slam Dunk」。高校のバスケットボール部について描かれたこの漫画が発表されたのは1990年から1996年と古いのですが、今回見に行ったのは2022年に公開された映画の復活上映版です。

 インターハイで全国制覇をした秋田県のチームに、神奈川県の無名のチームが挑む話。その部員の一人一人に背景ストーリーがあり、同じ男子を育てる母親として考えさせられました。主人公の男子のお母さんには共感したり、「気持ちは分かるけど、その言葉は駄目だよ!」と思ったり。バスケットボール部に入部したばかりの息子に、やる気を出してもらう目的で連れていったのですが、親の私がハマりました。

 8月13日から、全国382館で上映されているようです。中国では興行収入130億円にも達しているのだとか。以前、新聞で中国でこの作品がとても人気だという記事を読んだことがあります。中学校・高校で日本の部活動のようなものがなく、特に中年の男性らが「自分も青春時代にこういう経験したかった」と思うそうなのです。

 確かにインターナショナルスクールに通っていた娘も、日本の中学校・高校の部活動をとても羨ましがっていました。私自身にとっても、仲間と毎日練習に励み、試合で悔しい思いをしたり、励まし合ったり、という高校時代のソフトボール部での3年間は大切な思い出です。厳しい練習で、汗がポタポタと流れ落ちる感覚は今も忘れません。

 これまで子どもたちとアニメをたくさん観ましたが、このスラム・ダンクは別格です。スポーツ好きな方にお勧めします。



 

夫@シンガポールからの報告 青い炒飯

  シンガポールに出張中の夫から、写メールが送られてきました。今日のランチの写真です。なんと、青い炒飯に、青いデザート。ずいぶん前にノンフィクション作家の最相葉月さんの「青いバラ」という本が話題になりましたが、普通に作れば存在しない青い炒飯を作ってしまうなんて、すごいですね。

 あまりに暑いので、青い食べ物で気分だけでも涼しくということなのでしょうか。炒飯だけでなく、デザートも青かったらしいです。

夫から送られてきたシンガポールのランチ。青い炒飯
青いデザート

 夫は現地に住む友人のマンションも訪れたそうで、その写真も送ってくれました。素敵なマンションでしたが、家賃の額に仰天。奥様の仕事部屋も写真で見せてもらいましたが、本当に広い。夫の友人は夫婦2人で住んでいますが、家政婦さんを雇い、掃除・洗濯をしてもらうそうです。シンガポールは所得税が低いため、このような暮らしが出来るそうです。

 夫は以前アメリカ・シカゴに住む弟、サンフランシスコに住む友人の仕事部屋を見て、その広さに驚いていましたが、在宅勤務が当たり前になった今は、自宅の仕事部屋を充実させている人が多いらしい。そんな話を聞くと、子供部屋を優先し、居間のテーブルや寝室のライティングデスクで仕事をする夫に申し訳ないなと思います。

 さて、夫から娘と電話で話したところ元気がなかったから、電話をかけて話を聞いてあげてほしいーと言われました。夕方、娘に電話をすると、油絵を描くのに集中していて、特に元気がないということもなく、安心しました。娘がこう言いました。

「さっき、ダディと話したよ。忙しそうで、生き生きしていた。ほら、ママも私たち子どももいつも何かしらお祝い事があっておめでとう!って言ってもらうじゃん。でもさ、ダディの人生って平坦だから、おめでとうって言われるのは誕生日ぐらいだったでしょ。私たちのために一生懸命働いて稼いでくれているのに。だから、今回、ダディが昇進しておめでとうって言ってあげられて良かったよね」

 そういえば、私も何度も夫に「おめでとう!良かったね」と言いました。でも、娘のような視点での、気付きはありませんでした。娘から父親への愛を感じたのでした。

2024年8月19日月曜日

父の夢を見る

  最近、父のことを考えているため、父が珍しく夢に出てきました。父と一緒に帰宅をすると、家に泥棒が入っているのです。だけど、父が警察に通報しようとしない。どうして、通報しないんだろう?と不思議に思っていると、どうも警察の番号が分からないようなのです。もしかしたら、警察に電話をするということも分かっていないかもしれない。

  夢の中の父は、ひと言も発しません。私は「変だな」と思いつつ、父と一緒に泥棒がいる家を離れるのです。そこで目が覚めました。お盆ですので、父が近くに帰ってきているのかもしれません。

 青森県のイタコの代理人の方からメールが来ました。連絡がつくようです。あれほど父と話したいと思っていたのに、いざ、連絡がつくとなると躊躇してしまう自分がいます。私にはどうしても父に聞きたいことがあります。ずっと、聞きたかったことです。でも、聞かないままのほうがいいかもしれない。逡巡する私がいます。


2024年8月18日日曜日

夫の昇進

  今朝、デッキに置いてあるプールの水を入れ替えました。一昨日の台風で雨水や木の葉が入り、濁ってしまったからです。夫は昨日からシンガポールに出張。息子は私より体が大きいのですが、やってくれなさそう。で、私がすることにしました。このプールを買ったのは数年前ですが、私が水の入れ替えをするのは初めてです。

 まずは、縦2㍍横1.5㍍深さ60㌢のプールに入る水を排水口から出します。が、その排水口が下から15㌢ぐらいのところに付いているために、水がかなり残りました。その段階でプール内をスポンジで洗い、残りの水をバケツですくって、捨てます。

 10回、20回と水をすくっては捨てているうちに腰が痛くなってしまいました。プールを持ち上げ一気に捨てたいところですが、重くて私一人の力では出来ませんでした。息子に頼むことにしました。

 一杯、一杯水をバケツですくいながら、夫はこれを文句も言わずずっとやってくれたのだなぁと感謝の気持ちが湧いてきました。夫はこれを当たり前のように自分の仕事とし、黙々とプールの水を捨て、スポンジで洗い、新しくてキレイな水を入れてくれた。そこに、私と息子が「気持ちいいねぇ」と言いながら、浸かる。うだるような東京の夏を、冷たいプールに浸かることで、しのいできました。

 これは娘も私の母も言うのですが、夫の人生の優先順位は1)家族、2)仕事。取り立てて趣味もなく、友人の数も限られていて、同僚や友人と飲みに行くこともめったにありません。夫から珍しく同僚と飲みに行くという連絡が入ると、娘と「良かったねぇ、ダディ。一緒に飲みに行く人がいて」と手放しで喜ぶほど。

 子育てについては常に相談しながらでした。子どもが休みで家にいるときは、夫か私が必ず家にいます。子どもの習い事のお迎えも、夫か私が必ずします。夕ご飯はどちらが何を作るか、毎日メールなどで相談します。食材が少なくなれば、買い出しにも行きます。いつ、どんなときにも連絡が取れます。

 という夫ですので、これまで昇進を望むこともありませんでした。社内の権力争いからは常に身を離し、誰の下につくこともありませんでした。ただ、仕事は出来るのでしょう。リストラにあうこともなく、きちんと毎月お給料を持ってきてくれました。

 そのような夫に、突然、昇進の話がもたらされました。これまでは日本をマーケットとしていたのですが、アジア全体のセールス部門を統括することになりました。イギリスが本社の世界各国に現地法人を持つ会社で、優秀で出世に意欲的な人も沢山いるのでしょうが、夫に声がかかったそうです。会社側としては「おおっ、こんなところに適任者が…」という感じだったのでしょうか。

 外国人ですとこういう場合は「昇給は?」と聞くのでしょうが、夫はそれも聞かず、役割を確認し、仕事に関してのいくつかの条件を出しただけだったそうです。昇給の話は後からきちんとなされたようで、「リフォームや娘の留学で我が家も出費が重なるから、昇給はありがたい」と夫。

 私からの夫への昇進のプレゼントは、10年ほど前、夫が昇進したときにプレゼントしたカバンの修理でした。ずっと気に入って使ってくれていたのですが、持ち手などあちこちが壊れて、ここ数年使っていませんでした。

 夫はとてもこのカバンを気に入っており、「息子に引き継ぎたい」と言っていました。ですが、修理の見積もりが5万円ほどと高額で躊躇していたのです。でも、いつまで経っても修理しないのも…と思い切って今年の父の日のプレゼントにしようと修理に出しました。

 取り替えた取っ手を使い込んだ風合いにしてもらい、外れていた金具を留めてもらい、破れていた中ポケットを張り替え、皮の色合いの変化や傷もそのまま残しつつ綺麗に汚れを取ってもらうーという作業に2ヶ月ほどかかり、父の日に間に合いませんでした。そうこうしているうちに、昇進の話があり、「ちょうど良いタイミング!」と昇進祝いにすることに。夫はこのプレゼントをとても喜んでくれました。

 昨日、シンガポールに向かった夫は10日間あちらに滞在し、いくつものミーティングに参加し、クライアントにも会ってくるそうです。また、現地に住む友人にも会う予定を立てていました。「これが僕の最後の昇進だな」と言っていた夫。「こっちのことは心配しないでね」と送り出しました。これまで家族を大切にしてくれてありがとう。昇進、本当におめでとう!

 

夫から送られてきたカバンの写真。「修理してくれて、本当にありがとう!」というメッセージが添えられていました

羽田空港から送られてきた写真。国際線JALサクララウンジで日本酒を飲みながらビーフシチューとサラダを食べたそう。ご機嫌でした

2024年8月17日土曜日

人生で一番達成感があったこと

  夏休みの宿題で、息子が自分史を書いています。アルバムを見ては楽しかった旅行のことなどを書いているようです。このアルバムは、息子の誕生から10歳の誕生日までの写真が入っているもので、息子の10歳の誕生日にプレゼントしました。あの時、頑張ったことがこういう機会に役立って良かったと、整理整頓下手の私は胸を撫でおろしました。

 親にもインタビューをすることになっているようで、昨日、こんなことを聞かれました。

「ママ、人生で一番達成感があったことは何?」

 この質問に、間髪を入れずに答えました。

「あなたを産んだことよ」

「そうなんだ。おねぇねぇじゃないんだね」

「うん、おねぇねぇは最初のがんの治療の後、また体調が戻ったときに授かったの。だから、達成感があるというより、自然に授かった感じ。あなたは、病気が重なって、体調も不十分だった46歳のときに、産みたくて産んだの」

「ふーん」

「ママはね、人生でほしいものがあるときは、同等のものを差し出すべきだと考えているの。ママにとって人生で大切なのは家族と友人、健康、仕事。で、おねぇねぇとアンディ君を授かったときに、大好きだった仕事を手放したの。アンディ君はお腹の中で死んでしまったけど、おねぇねぇは無事生まれてきてくれた。で、あなたのときは、病気もいくつもしていたし、健康とは程遠い体調だったから、差し出せるものがなかった。だから、命を差し出したの。毎日、毎日、私の命を差し上げますから、この子を無事、この世に迎えさせてくださいって神様に祈ったの」

「ふーん」

「子どもを産んで死んで、誰が育てるんだ!という話もあるだろうけど、あなたにはダディもおねぇねぇも、じぃじもばぁち(私の母)もグランパもグランマも伯父さんたちもいる。だから、ママが死んでもあなたは皆に大事に育ててもらえるから大丈夫と思えたの」

「ふーん」

「そうしたら、あなたが無事生まれただけでなく、ママも健康になったの。だから、家族やママの友達は、あなたを奇跡の子だと思っている」

「ふーん、僕が生まれてママが健康になったんだね」

「そう。ママが健康になったのは、あなたのお陰」

「そうなんだ」

 息子は特にコメントをすることもなく、自分史の制作に戻りました。息子は物事に感動することも、動揺することもない、常に感情がフラットな子です。でも、息子の誕生が私にとって、どれほど意味があったことかを伝えることが出来た。12歳ですので、きっと覚えていてくれるでしょう。親としての思いを伝えるには、良いきっかけや場面が必要。今回は息子からの問いかけの答えとして、伝えることが出来た。良い機会でした。

 

息子が作ってくれたマンゴーフラペチーノ

これも息子が作ってくれた昨夜の夕食。ミートボールパスタ

 

2024年8月14日水曜日

盆の入りに

  昨日は盆の入りでしたので、夫と息子と一緒に母のマンションでお昼ご飯を食べました。私がお寿司を買っていき、母は私と夫には春雨サラダ、カルパッチョとビール、息子にはピザとジュースを準備してくれました。86歳の母はきちんと髪を染め、こざっぱりとした服を着て迎えてくれました。

 今年の春、札幌の納骨堂からこちらに持ち帰った父の遺骨は、母のマンションの仏壇の前に置いてあります。東京の納骨堂も契約を済ませていますが、しばらくは自分の近くに置いておこうと思っているようです。

 父には日本酒と和菓子をお供えしました。遺影の父は、優しく笑っています。父が亡くなってからもう12年も経っていますので、ずいぶん遠くに行ってしまったでしょう。札幌ではなくここ東京に迷わずに戻ってきてくれるように、リンを大きく鳴らしました。

 ご飯を食べながら、前日たまたま同い年の従兄弟Yちゃんの夢を見たのでラインをしてみたよ、と母に伝えました。Yちゃんは元気そうで、「おばちゃんによろしく伝えてね。おばちゃん、家を売却したんだね。近くを通ったから見てみたら、違う家が建っていたよ」と教えてくれたことを話しました。

 母は昨年実家を手放したときは、あのまま誰かに住んでほしいと希望していました。私も小学校のときから住んでいましたので、もうあの家がなくなったしまったと想像するとやっぱり寂しい。でも、母は寂しがるどころか、「本当に去年、売ってよかった」と言います。「年々、体のあちこちが痛くなって、毎日生活するのに精いっぱい。家の整理が出来て、本当に安心している」と。

 そして、「あの家は何度もリフォームして、自分の住みやすいようにして住んだから、悔いはないの」とも。物に執着せずに、今を精一杯生きる母はやっぱりすごいな、と改めて思いました。 

 父と話をしたい、といつも思っています。ですので、今日、思い切って死者の魂をこの世に呼んで縁者と対話をさせるという青森県の「イタコ」を申し込みました。イタコの話はずいぶん調べて、いつか行ってみようと思っていました。

 何年も前から考えているのに、なかなか一歩が踏み出せませんでした。返信が来るかは分かりませんし、来たとしてもしてもらえるかどうかも分かりません。でも、死者がこの世に戻ってくるというお盆の今、まずは行動を起こしてみました。

お盆の初日は母の家へ。サッポロ生ビールで乾杯


2024年8月12日月曜日

義弟家族を迎えて

  アメリカから義弟家族が来日しました。10泊11日の日程で、東京・名古屋・京都・奈良を巡り、東京の我が家には2日間訪れ夕食を共にし、軽井沢の家には2泊3日しました。

 5人家族を迎えるにあたり、夫と私で両方の家の整理整頓と掃除を徹底しました。東京の家には普段、ダイニングテーブルやキッチンカウンターに書類など物がたくさん積まれていたのですが、それを数日間かけて目を通して、処分したりファイルに入れたりし、片付けました。

 また、2階のリビングにも物をあれこれ置いていたのですが、これも納めるべきところに納め、洗濯後にかごに入れっぱなしになっていた山のような量の衣類・寝具にもアイロンがけをしました。

 忙しく作業をしていると、中1の息子がこんなことを聞いてきました。

「ねぇ、いとこたちって、She ? それともHe?」

「3人姉妹でしょう? 会ったのはあなたが小さなころだから、忘れちゃった?」

「忘れてないよ。いや、最近さ、難しいじゃん。見た目は女子だけど、心は男子とか。間違うと失礼だから、事前に聞いてみた」

 英語は一度固有名詞が出てきた後は「She」「He」などの人称代名詞を使います。息子はそれを聞いてきたのです。

「あっ、代名詞ね。今回日本に来るいとこたちは全員女子で、心も女子だから、She で大丈夫」

「オッケー」

 日本でも最近マスメディアで性的少数者について報道されていますが、米国ではもう随分前から、その立場の人たちを尊重するのは当然のこととなっています。娘の通っていたインターナショナルスクールでも、たとえば、女子が女子と付き合っていても、普通にオープンでした。

 ママさんたちも、特別視することはありませんでした。ただ、名前や代名詞には気を遣っていたと思います。自分の性別に違和感を抱いている子にはその子が呼ばれたい名前で呼び、そのママさんにはママさんが自分の子供に使いたい名前や代名詞を使うなど、です。ここを間違うと、子供やママさんの心を傷つけてしまうからです。

 娘から聞いた話では難しかったのは、複数の人格を持つ人をその人が持って生まれた性別である「She」ではなく、「They」と呼ぶことだったといいます。確かに、ここまでになると、対応が難しいです。

 親としては、このセンシティブなことについて他人の子供への気遣いは当然で今や特別視することもありませんが、自分の子供が性的少数者だとまた話は別のような気がします。でも、夫のきょうだいと姪っ子甥っ子9人のうち、同性のパートナーがいるのは3人。それを義母、義姉妹は自然に受け入れています。そこには衝突も葛藤もなく、かなり遅れを取っている日本に住む日本人の私としては、米国人の寛容さに感心するだけでなく、もう、少数者とも言えないのかなとも受け止めています。もちろん、彼らが社会の偏見に苦しむ場面はあるでしょう。でも、それも表面には出さないけど言動からにじみ出る、白人のアジア人蔑視のようなものだろうか?と想像したり。

 ただ、寛容な米国人でも、子供が別の性で生きたいと主張するときは平常心ではいられないようです。愛する娘から男の子として生きたいと言われたママさんの苦悩は察して余りあるものでした。思春期の気の迷いでこの時期を過ぎればやっぱり女の子として生きるーと言ってくれるのではないか。でも、手術をするなら体が女性らしくなる前にしたほうが良い。そして、女子から男子に変わるタイミングは…。ラインに送られてきた、その子と我が娘がおどけている写真に添えられた「このころが懐かしい」というメッセージに、私も泣きました。どれほどの苦しみだろうかと。

 でも、その子は素敵な男子として米国で人生の再スタートを切りました。ママさんからのラインのメッセージも明るく、吹っ切れたものでした。子供に幸せになってほしいー。そのために、親のほうも自身の葛藤を乗り越え、ありのままの子供を受け止め抱き締めるのです。

 さて、話はいつものように別の方向に行ってしまいましたので、元に戻します。私たちは東京だけでなく、軽井沢の家にも義弟家族が来る3日前に行き、家中を片付けました。軽井沢の家はいつもはすっきりとしているのですが、屋根裏リフォームのために、そこに押し込んでいた物を全部、1階の畳の部屋に下ろしていたのです。

 8畳の畳の部屋に置いてある荷物を屋根裏に上げるのは2日がかりの仕事でした。屋根裏の工事はまだ3分の1しかできていないので、次の工事に備えて(軽井沢は7月25日から8月31日までは工事が出来ないのです)、この3分の1のスペースに物を押し込む予定でした。結果的に物があり過ぎて出来ず、弟家族が来ている間だけは工事中のところにも物を置き、弟夫婦が帰ったら、また、一部を8畳の部屋に下ろしてこようということに。

 こうして、弟家族5人を受け入れる準備を整えたのでした。

玄関の「WELCOME」サイン。義父母の別荘に飾ってあったものを譲り受けました



玄関前には義母からもらった風鈴。「Live」「Love」「Laugh」-のサインを見ると「人生はこれに尽きるよなぁ」と思います

工事のため、屋根裏の荷物を置いていた畳の部屋を片付け

これを屋根裏に再び上げるのは大変な作業でした。ほとんど子供関連のもの。捨てられない…

暑いのでかき氷の準備も

弟夫婦には私たちの寝室を使ってもらうことに。布団と枕はクリーニングに出し、寝具も洗って糊付けしアイロンがけもばっちり

姪っ子たちのために布団を3組レンタルし、扇風機も準備。姪っ子たちは畳の部屋に寝てもらい、私たちはリビングに布団を敷いて寝ました

2024年8月7日水曜日

屋根裏部屋のトイルーム

  東京と軽井沢に家を持つ私たちは、いつもどこかをリフォームしています。最初に買ったのは軽井沢の家で築20年の物件、そして東京の家は築10年の物件でしたので、住みやすいようにあちこちをリフォームしているのです。

 15年前、娘が幼稚園に入園する直前に購入した軽井沢の家は、50代でこの家を新築で買ったというご夫婦が住んでいました。そのご夫婦はとてもこの家を大事にされており、私たちはそのままここに住むことが出来ました。

 その3年後、娘が幼稚園年長さんのときに買った東京の家は、築浅ではありましたが、とても住める状態ではなく、入居前に内装を全面リフォーム。キッチンやバスルームなど水回りだけでなく、階段の位置を変え、間取りも変え、購入時とは全く違う内装になるという大規模な工事でした。

 東京の家のリフォームは一回では終わらず、その翌年に駐車場と玄関前の花壇、次は一階のデッキと庭、その次は屋根裏部屋を息子の部屋に、そして昨年はキッチン周りの再リフォームと塀・2階のデッキ・玄関という再び大がかりな工事をしました。これでようやく、東京の家のリフォームはほぼ終了。

 軽井沢の家は数年前に、トイレと洗面台エリアを初めてリフォームしました。そして、今年は屋根裏の工事です。屋根裏には夫が物を置く場所を作ってくれていたのですが、ここを子供たちが遊ぶ「ファンタジールーム」にするのが私の夢でした。ですので、夫が作ってくれていた屋根裏の物置場に子供たちが使ったおもちゃを全部収納していました。

 6月から始まった工事で、おもちゃを置くトイルームが出来上がりました。8月3日に軽井沢の家に来て、そのトイルームに一つ一つおもちゃを置く時間は、とても幸せな時間でした。幸せいっぱいで涙が出てきました。

 子どもたちは大きくなってしまいましたが、いつか孫が出来たらここで一緒に遊んで楽しいだろうなぁと想像するだけで、気持ちがワクワクしました。でも、このトイルームは小さくて、移動は這いつくばってするしかありません。孫ができるころには、もう、こんな小さなところに入るような体の柔軟性はなくなっているかもしれません。それに、孫ができるかどうかも分からないですし。

 でも、まだ体が動く今、将来を想像してこうして幸せな気持ちになれたことがとても嬉しい。そして、子供の物を捨てられない私の気持ちを尊重し、ファンタジールームを作ることに賛成してくれた夫に感謝。

 

トイルーム_積み木エリア

トイルーム_ドールハウスエリア

トイルーム_車エリア


トイルーム音楽エリア

トイルーム_キッチンエリア

トイルームに寝転がる息子(奥)

2024年8月1日木曜日

がんセンターから

  昨日は3カ月ぶりの国立がん研究センター中央病院での検査・診察の日でした。いつものように血液検査をし、主治医の問診の後、薬を処方してもらいました。私はもう20年もこちらに通っており、3カ月以上、通院の間隔が空いたことはありません。だから、ここは私の居場所であり、来るたびに心が安らぎます。

 受付の人も、保険証を確認する人も、看護師さんも、検査技師さんも、医師も、会計の人も、皆とてもやさしい。そして、これまでどんな厳しい状態で入院しても、私は回復して退院し、普通の暮らしに戻ることができました。だから、「ここは私を救ってくれる場所」という安心感があります。昨年、2つめのがんも早期発見・早期治療をしてもらいました。 

  私が学ぶ研究室は、病院と同じ敷地内にあります。そちらの研究室には机はありますが、居場所はありません。研究者の先輩方と指導教員の顔色をうかがいながらの日々です。冷たく扱われても、ぐっと我慢。患者の視点を活かした研究をしたいなどど、研究の場という”聖域”に入ろうとした自分の愚かさに、苦笑するばかりです。

 昨日の検査結果も問題なしでした。病院の近くの薬局で薬を処方してもらい、研究室に向かいました。いろいろあるけれど、オバサン研究者は頑張るぞ!と心の中で自分を鼓舞しながら。

国立がん研究センター中央病院の2階から