2022年11月29日火曜日

娘が18歳に

  娘が18歳になりました。もう立派な成人です。数日前まで「もう子どもじゃなくなってしまうのは、寂しいな」と言っていた娘。私のほうも改めて、娘を育てるのは楽しかったなと振り返り、娘との暮らしがまだもう少し続いてくれることを願っています。

 誕生日の食事は娘のリクエストで、ラザニアとステーキにしました。ケーキは夫の手作りのチーズケーキと私の作るアップルパイ。娘はこれまで一度もレストランで食べたいと言ったことも、市販のケーキを食べたいと言ったこともありません。友達を招いてパーティをしたこともありましたが、いつもリクエストは「家族でお祝い」と、私と夫の手作りの料理と、「ママのアップルパイとダディのチーズケーキ」。その言葉に甘えて、私も夫も、毎年張り切って作ります。




  2680グラムと小さく生まれた娘は身長182㌢まで成長し、絵とバイオリンが得意な、何事にも真面目に取り組む、心の優しい子に育ちました。これまで、どれほど娘に癒されたことか。成長がゆっくりで小さいころは心配が多かったですが、今は心配がいらないほど、しっかりしてきました。お友達がいなくて悩んだ日々もありましたが、レイちゃんという親友が出来て、私たちも安心しています。今は大学受験でストレスの多い時期ですが、娘ならきっと希望の大学に合格できると信じています。

 娘と一緒に生まれるはずだった天国の息子。遺骨は私のベッドの横に置いてあります。その小さな骨壺を包む袋は色あせていて、18年経ったんだなぁと思います。あのときの刺すような悲しみは少しずつ薄まり、今は、「天国からお姉ちゃんを見守っていてね」と声をかけられるようになっています。

 娘が無事に生まれてきてくれたこと、良い子に育ってくれたことに、心から感謝。

2022年11月27日日曜日

ポップコーン&コットンキャンディ

  昨日のブログで、物事には両面があり、悪い出来事も後に良い事をもたらすこともあると書きました。今日は大学院の指導教員のアカデミック・ハラスメントに悩む中で、目を他に向けたことで得た良い出来事をもう一つお伝えします。

 半年以上も指導教員の対応に悩み続け、「このままでは鬱病になるか、体から壊れていくかもしれない」と危機感を覚えていました。こうした場合、普通は家庭での日々の暮らしやお友達との関係を見つめ直おすことと思います。

 我が家は普通のご家庭のように、それなりに毎日何かが起こりますが、基本的には家族が仲良く、子どもたちと私との関係も良好です。娘と息子の子育てを通じて知り合った”ママ友”たちにも仲良くしてもらっていますし、古くからの友人とも連絡を取っており、毎日幸せを感じながら、生活しています。

 私が指導教官との関係で悩んだ最も大きな点は、「あなたはこんなことも出来ない」「役に立たない」と言われ続け、研究の内容も方向性も、がんサバイバーとしての視点も全て否定され、時に嘲笑さえされたことでした。社会の一部である彼女に、私という人間を全面的に否定されたため、私は自分が無価値な人間だと思うようになっていました。夫からは「家族が君を必要としている」と慰められてはいましたが、私に必要だったのは、社会との関わりの中で「自分は受け入れられている。役に立っている」と感じることでした。

 今回、改めて目を向けてみたのが学校のPTA活動でした。子どもたちが小さかったころは積極的に参加していましたが、大学院に入ってからは、あまり手伝いが出来ていませんでした。ですので、今回娘の通うインターナショナルスクールのクリスマスイベントがありましたので、この手伝いに手を挙げてみました。

 まずは、お母さんたちの任意の集まり、月に一度の「コーヒー・モーニング」に参加。そこでクリスマスイベントで出店する各ブースの責任者を募っていることを知りました。娘の学校では春とクリスマスの時期に、大規模なバザーを開きます。日本、中国、アメリカ、韓国など各国のお母さんたちが中心となって、その国の料理を作って販売し、収益を学校や施設などに寄付するのです。

 販売するのは食べ物と各家庭から集めた不用品などで、子どもたち向けの遊びコーナーもあります。フードセクションでは、ジャパニーズブースは焼きそばや焼き鳥、チャイニーズブースではシュウマイや餃子などを販売。アメリカンブースはハンバーガー、ジャーマンブースではソーセージとプレッツェルとビール、コリアンブースではチジミを販売します。ワインやクレープを売るブースもあります。すべてお母さんたちが協力して、材料の仕入れから調理、販売まで行います。お父さんたちも手伝います。そこで私が手を挙げたのはポップコーンとコットンキャンディ(綿あめ)ブースでした。

 事前にPTAが保管している綿あめの機械で試作をし、一個を作るのに必要な時間とザラメの量を確認。青や赤、白いザラメ、箸などをアマゾンで購入。同じ学年のお母さんたちにボランティアを募りました。6,7年前に一緒にコットンキャンディブースを担当したお母さんが飾り付けを引き受けてくれました。また、他の学年のお父さんで綿あめの機械を持っているという人にPTAを通じて連絡を取り、機械を借りることにしました。コットンキャンディづくりの”プロ”であるそのお父さん・シゲさんとは価格や一回に使う量なども相談しました。

 11月18日のイベントの前日には、飾り付け担当のお母さんがブースを置くカフェテリアに行き準備をしてくれました。




  当日は夫も子どもたちも手伝いです。夫はポップコーンを作り、子どもたちは綿あめを作りました。シゲさんは「Cotton Candy」のイラストが付いたTシャツを作ってきてくれ、終日綿あめを作ってくれました。同じ学年のお母さんたちも手伝ってくれ、全てが順調でした。1個200円で販売したポップコーンと綿あめは長い行列が出来るほどの人気でした。

 後日、各ブースの売り上げが発表されました。フードセクションの中で一番販売額が多かったのはコリアンブースの27万円、次いでチャイニーズブースの22万円。この2つのブースは毎年、売り上げを競っているのです。私が担当したポップコーン&コットンキャンディブースは11のフードブースの中で7番目の9万3千円。経費を差し引いた利益は何とアメリカ、ドイツ、日本、ラテン、インドを抜いて、3番目の7万7千円でした!

 12月中旬、学校が冬休みに入ってから、皆で打ち上げをすることになりました。そのときにはコロナがどうなっているかは分かりませんが、学校も終わっていることですし、大丈夫と考えて企画しました。帰国する人を除いて、ボランティアの人は全員参加することになりました。楽しみです。

 このように、悪い出来事も気持ちを切り替えることで、良い出来事に出合うきっかけになります。最近は、あの指導教員に感謝の気持ちすら芽生えてきました。傷んだ心も徐々に回復しつつあります。

2022年11月25日金曜日

家庭科ボランティア

  昨日は暗い話を書いてしまいましたが、今日は一転、明るい話をお伝えします。物事は往々にして悪い面もあれば、良い面もあります。この春からの大学院の指導教員の対応で随分悩みましたが、良い点を挙げるとすると、自分の身の周りの幸せに気が付いたことでした。

 指導教員が良ければ、私は研究に没頭していたと思います。が、指導教員の対応が入学当初からハラスメントに近いものでしたので、そこでのストレスを少しでも軽くするために、自分の身の周りに目を向けてみました。そうすると、幸せは身近にたくさんあることに気が付いたのです。

 今日は小5の息子の学校で家庭科教室のボランティアをしてきました。ミシン縫いです。上糸と下糸を取り付け、直線縫い、返し縫いをする生徒たちの手助けをするのです。上糸のかけ方が間違っていたり、下糸が思うように上に出てこなかったり、途中で糸が絡まってしまって縫えなくなったり…。皆一生懸命で、本当に可愛い。

 我が息子は、あっという間に縫い終わりました。「結構、出来るじゃない」と感心しました。意外だったのは、運動神経が抜群に良い男子たちがリズミカルに縫っていたこと。運動神経の良さは、一つ一つの行程をテキパキとこなすことにつながるのだな、と気付きました。

 最も感動したのが、1年生のころから学校に来るのに苦労していた男子です。毎日のように泣いていて、お母さんは必死になって、学校に連れてきていました。大泣きしているその子を、なだめたり、叱ったりしながら、とにかく学校の玄関まで連れてきていた。そんなお母さんをいつも、「偉いなぁ」と思いながら、見ていました。

 その子が今日、それは上手にミシンを使って、丁寧に縫っていたのです。その様子を近くで見ながら、私もとても嬉しくなりました。お母さん、本当に頑張ったなぁ、とお母さんの姿を思い浮かべました。授業が終わったあと、先生に「M君、上手でしたね」と言うと、先生も「M君、家庭科がとても得意なんです」と嬉しそうでした。

 心が癒された1日でした。指導教員のハラスメントがなければ、こういう貴重な体験は出来なかったと思います。そう考えると、人生において一見悪く見える出来事は、実は良いことをもたらすこともあるのですね。

 

 

2022年11月24日木曜日

研究室に行くのをやめた

  11月2日から研究室に行っていません。指導教員に「役に立たない」という言葉を投げかけられ、年甲斐もなくトイレで泣きながら、もういいなと思ったからです。入学当初から否定され続け、私なりに頑張ってきましたが、これ以上は無理だと思いました。また、様々なことを正常に判断できる気力を失わないうちに、撤退すべきだと判断しました。

 以来、自宅や大学の図書館を拠点に、研究を続けています。大学院の講義は続け、他の教室のゼミにも参加しています。博士課程の学生は指導教員の指導の下、研究をすることになっています。ですので、私のような状態になった場合、休学・退学を選ばなければならないと考えます。指導教員のいる研究室にはもう行かないと決めましたが、今はあえて今後どうするかの決断をしないでいます。このような状態で正しい決断が出来るとは思えないからです。

 今私が置かれれている状況をどう判断すべきなのか。私の長い人生の中でこれはどういう意味があるのか。私はこの難しい課題にどういう答えを出せるのか? 

 友人たちに相談しました。私の闘病歴を知っている友人たちは皆、「このことで体調を崩してしまっては、元も子もなくなる」「あなたが役に立てる場はそこではない」と言ってくれました。「今が我慢のしどころ。この苦しみを乗り越えた先に…」という人は一人もいませんでした。皆、人生の尊さを身を持って知り、残りの人生のために今を犠牲にすべきではないと考える年代です。

 本にも解決策を求めました。解決には至らないけれども、今のところ一番しっくりいっている考えが、精神科医であり作家でもある帚木蓬生氏が自身の人生の軸となっているという「ネガティブ・ケイパビリティ」です。帚木氏によると、これは「答えの出ない事態に耐える力」という意味だそうです。私の言葉で説明してもきちんと説明できるか不安ですので、本からそのまま引用します。

「(患者さんの)身の上相談には、解決法を見つけようにも見つからない、手のつけどころのない悩みが多く含まれています。主治医の私としては、この宙ぶらりんの状態をそのまま保持し、間に合わせの解決で帳尻を合わせず、じっと耐え続けていくしかありません。耐えるとき、これこそがネガティブ・ケイパビリティだと、自分に言い聞かせます。すると耐える力が増すのです。ネガティブ・ケイパビリティを知っていなければ、私はとっくの昔に患者さんから逃げ出していたでしょう。どうにもならない問題なので、もう来てもらっても無駄ですと言って、追っ払っていたかもしれません」

 研究室に行くのをやめる前に、私なりに出来るだけのことはしました。まず、他の大学の博士課程の学生や博士号を持つ知り合いに相談しました。出身の大学院(博士課程とは別の大学院です)の教授にも相談しました。さらに、大学に設置されているハラスメント相談所に相談をしました。

 ハラスメント相談所を通じ、各教室を束ねる専攻長にも会いました。専攻長は親身になって話を聞いてくれ、「指導教員の変更は通常学術的な理由で行うのですが、今回はいろいろ事情があるようですので、変更を認めます。引き受け先の指導教員が見つかり、現在の指導教員と双方のサインがある書類が提出されれば、通します」と言ってくれました。

 指導教員にも、直接対峙しました。これまでの経緯のいくつかを説明し、「私に辞めてほしいと思っていますか?」と聞きました。彼女は「辞めようが辞めまいが、あなたの決断だ」と即答しました。力関係から見て圧倒的に弱い人間がやっとの思いで聞いた質問に対し、そう聞いた理由を問うことはしませんでした。観念し、「指導教員の変更を希望します」と伝えました。彼女は無表情で「分かりました」と答えました。

 私の研究の方向性に近い他の教室の教授に面談を申し込み、指導教員を引き受けてほしいーと願い出ました。ただ、悪口となるのは嫌でしたので、今の指導教員との関係性については触れませんでした。その教授からは「あなたは医学のバックグラウンドがないし、年なので、4年間かけても学位が取れない可能性が高い」と言われ、断られました。「面と向かってこういうことは言えないものなんだよ」と言っていましたので、正直な理由なのでしょう。

 専攻長には、希望していた教授には指導教員を引き受けてもらえなかった旨、メールで連絡しました。現在の指導教員にも口頭で伝えました。

 打てる手はすべて打ちました。逃げずに真っすぐ課題に挑んだつもりです。が、どれもこれもうまく行かない。暗中模索の中、先に一筋の光も見えない。そんな中、精神的にもギリギリの状態で下したのが研究室に行かないという決断でした。休学という手がありましたが、理由として付けなければならない書類の「経済的理由」「病気」「育児」「介護」「留学」いずれにも当てはまりませんでした。

 この一連の対応・決断をする過程でずいぶん考えました。これまでの職業経験、人間関係の経験、読書から得た知恵など、全てを動員して、考え抜きました。そして、考え抜いて決めた解決に向けての行動を一つ一つ慎重に行いましたが、すべてうまくいかない。今は、すべてがうまく行かないことに、人生の意味があるのではと受け止めています。

 私に実力があれば、このような結果にはならなかったと思っています。でも、言い訳をさせてもらえれば、まだまだ指導が必要だからこそ、授業料を支払い、学校に指導教員に教えを請いに行っているのです。いや、こういう言い訳を言うこと自体が私の未熟さを表しています。つまるところ、私に力がなかった ーその一言に尽きるのでしょう。

2022年11月20日日曜日

「ママが死んでいく夢を見た」

  金曜日の夜、息子と一緒に新幹線で軽井沢に来ました。娘が「秋休み」中のため、2日前から来ていた夫と娘が軽井沢駅に迎えに来てくれました。山荘へ向かう車中、娘から「昨日はずっと課題の絵を描いていたんだよ」などと、この2日間の出来事を聞きました。

 夜は私と娘が一緒に寝室のベッドで、夫と息子は畳の部屋に布団を敷いて寝ました。そして、昨日の朝、コーヒーを飲みながら寝室のライティングデスクで書き物をしていると、娘ががばっと起きました。「ママが死んでいく夢を見た」と言います。目からは涙が流れています。夢の中で泣いていたのでしょう。

 「あぁ、夢で良かった」とほっとした様子の娘。娘によると、私が死んでいく夢は次のような夢だったようです。

 家族4人で街を散歩していたら、私が美術館に行きたいという。「じゃあ、行こう!」ということになり、長い階段を上った所にある美術館に行く。美術館は天井が高くて、美しい建物だった。そこには館内の説明をしてくれる女性一人だけしかいない。絵画の説明をしてくれていたその女性が、急に、「2週間後にあなたのお母さんのお葬式がここで行われます」と言う。そう言われたとき、それまでそこにいた息子がいなくなり、娘と私と夫の3人になっている。2週間後に私が死ぬと言われて、娘は混乱する。私に、「ママ、死んでしまうの?」と聞くと、私はにこにこして「皆、いつかは死ぬんだよ」と娘を慰める。娘は私が死んでいくことが悲しくて、泣き続けるー

 娘はさめざめと泣いているところで、目が覚めたと言います。

 先日、夫のお葬式に出ている夢を見たときと同様、私は、携帯電話で「母親が死んでいく夢」と検索してみました。夢診断を読むと、「それはお母さんに大きな転換があるという意味」と書いてあります。

 それを娘に伝えると、「ママ、50代なんだから、これ以上の転換はいらないよね。これまで人生、何回も大転換してきたし」と言います。「そうだよね」と二人で大笑い。娘にとっては切ない夢でしたが、何となく、いいことが起きそうな予感。

2022年11月16日水曜日

最後の運動会

  先日、インターナショナルスクールに通う娘の運動会がありました。娘は、バドミントンに出場。コロナ禍の数年間は親の観戦は認められませんでしたが、高校最後の運動会となる今回は、観ることができました。

 感染防止のためイベントがことごとく中止となり、保護者会もズームになってから、すっかり無沙汰となっていた学校。今回、久しぶりに学校に行き、子どもたちの成長ぶりに仰天しました。男子はぐんと背が伸び、大人びてきました。女子はお化粧もばっちりで、大学生のよう。あっという間に子どもは成長するのですね。

 吹奏楽部の生徒たちがサンバのリズムを奏でながら体育館やグラウンドを巡って”選手”たちを応援し、お母さんたちがポップコーンやケーキ、飲み物を販売。それらを頬張りながら観戦するのが、インターの面白いところです。

 体育館に行くと、娘はキョウ君とダブルスを組んでました。182㌢という高身長を生かして、娘は高く跳ね上がる羽を上からバシっ、バシっと打ち点を決めていきます。娘が追い付かないところは、縦横無尽に動くキョウ君が拾ってくれます。すごい運動神経です。この日来ていなかったママにラインで早速動画を送りました。ママから早速「今日、親も行って良かったの? 行けば良かった! 涙」との返信が。

 そうか、「観戦禁止」のメールが学校から来ていなかったので、観に行って良いと判断して来ました。他学年の親は見かけましたが、12年生の親は1人しか見かけませんでした。12年生になれば親は来ないのねと思っていましたが、観戦できないと思ってしまった親もいたのですね。

 さて、バドミントンの後は、ドッジボールです。これも男女混合ですが男子が前面に出ていきます。アイルランド人パパと日本人ママのハーフのカイ君、ウエーブのかかった髪が素敵だわっ。高身長のケイ君、いつ見ても清潔感たっぷりの好青年。ロシア人ママと日本人パパのハーフ・カミル君、相変わらずのイケメン! アメリカ人パパと韓国人ママのハーフ・オリバー君、ちょっとはにかんだ笑顔が可愛い! ヨシト君、背は高くなったのにお顔が小学生のときのまま、癒されるわぁ。男子たちの成長ぶりを見ると、胸がキュンとしてしまいます。

 思い出されるのは、娘が地元小学校からインターに転校した年の運動会。今回のブログを書くに当たり、読み返してみました。http://ar50-mom.blogspot.com/2015/12/blog-post_38.html インターの”緩さ”に戸惑っている自分が、面白い。それにあのときは私も200㍍を”走った”のです。今は絶対に出来ませ~ん。

 こうして、娘の最後の運動会は終わりました。心が和む1日でした。

2022年11月6日日曜日

母娘 トイレで泣く

 「ママ~。やってもやっても追いつかないの」ー。先週、学校帰りの娘からこんな電話が連日かかってきました。毎回、泣きながらの訴え。インターナショナルスクール12年生(日本の高校3年生)の娘は現在、学校の課題や大学への出願書類の準備に追われているのです。

 「どんなに頑張って課題を出しても、出来て当たり前で褒められることもない。逆に出来なかったら、叱られる。もう、辛くて辛くて」と娘。

 娘は、国際バカロレアという世界共通の大学入学資格を得るためのプログラムで学んでいます。各教科の課題はそれは大変で、娘は連日深夜まで取り組んでいます。それに加えて今は、大学出願の書類を準備しており、てんやわんやの忙しさ。ストレスで娘の顔にはニキビが噴き出ています。

 私が出来るのは毎朝、お弁当を心を込めて作ることと、娘が話したいときはどんなときでも聞いてあげること、そして毎日ハグをすることだけです。

 先週水曜日の電話は、「5000字書くはずのエッセイを1000字しか書けず、先生にがっちり怒られたの」というもの。叱られた後、トイレに駆け込んで泣いたといいます。ちょうど、私もその日、指導教員にひどい言葉を投げかけられ、耐え切れずにトイレで泣いたので、娘の気持ちが良く分かりました。

「それは辛かったね。でも、頑張ったじゃない」

「今の段階ではみんな1000字ぐらいしか書いていないのに、なんで私だけ叱られるの?先生にも理由があったんだと思うけど、辛くて職員室から真っすぐトイレに行って泣いたんだよ」

「頑張っていたから、叱られるのは辛いよね。実はママも今日指導教員にひどい言葉を言われて、トイレで泣いたんだよ」

「ええっ、ママも。ねぇねぇ、ママ何て言われたの?」

「会議に参加しようと皆が座るテーブルの後ろのほうに遠慮して座ったんだけど、『役に立たないから、参加しなくてもいい』って言われたの。人格を否定する言葉で、耐え切れなくて、トイレに行って泣いたの」

「えぇ、ママ、可哀想。ねぇ、ママ何時ごろ泣いたの?」

「11時半ぐらいかな」

「私は10時半ごろ。同じ時間だったら、面白かったね」

「あははっ、そうだね」

同じ日の午前中という偶然に、二人で大笑いしました。

 翌日の11月3日は、娘の学校の運動会でした。高校最後の運動会、娘はバトミントンに出場すると言います。

「明日のお弁当何がいい?」

「そうだね、試合に勝つように、カツ丼がいい」

「了解! 美味しいカツ丼作るからね」

「うん!」

 初めは暗い声で話していた娘も、カツ丼の話ですっかり明るくなりました。2022年11月2日は、母娘それぞれがトイレで泣き、お互いに慰め合った日となったのでした。