2021年3月2日火曜日

娘の「絶望」

 「自分自身が壊れてしまったの。ガシャって音を立てて。人生に絶望しているの」ー。インターナショナル―スクール10年生(日本の高1)の娘が週末の夜、大泣きして私に抱き着いてきました。ここ1週間ほど娘の態度がこれまでになく不安定で、発する言葉にもトゲがあり、私自身も対応に悩んでいました。

 原因は学校の成績でした。昨年から必死に勉強をしていたのですが、物理・化学・生物でかなり悪い成績を取ってしまい、大学受験に向けての準備に影響が出始めたのです。

 アートや文学が得意な文系の娘にとって、数学と理科はいつも苦手な課目でした。数学については昨年秋に個別指導塾に入塾させてフォローをし、何とか成績が上がってきましたが、理科はどうにもなりませんでした。数学は日本語で学んでも理解が進みますが、娘によると、理科は日本語で学んでも、かえって日本語が分からないことで時間がかかってしまうため、「英語で学ばなければ理解できない」のだそうです。

 夫は大学・大学院と地質学を専攻しましたので、理系の人間です。娘の勉強を手伝っていましたが、やはり、50代の父親が子どもの高校の勉強を教えるのには無理があるようです。

 学校では昨年秋から連日、放課後に補講の時間を設けていたようですが、娘はなんと、このことにも気付かなかったようです。気が付いたのは先週だったと言います。どうして気付かないのか私にも夫にも理解が出来ませんでしたが、もう、どうのこうの言っても仕方ありません。娘は一人で過ごすことが好きで、ランチの時間も本とお弁当を持って外で一人で食べるようなのです。お友達とランチを食べれば、きっとそういう情報も入ってくるでしょうに、様々なことがマイナスに働いたようです。

 娘は大粒の涙を流して、「絶望した」を繰り返します。自分が思い描いていた将来には届かないと思い始めています。元々自信がない娘を支えてきた、「私は私なりに頑張っているんだ」という小さな誇りもなくしかけていました。そう言って泣く娘を抱き締めながら、私も切なくて大泣きしてしまいました。

 この1週間は私自身も娘にどう対応して良いか分からず、また、娘の発する容赦ない言葉に落ち込んでもいました。思春期の子供の発するネガティブな言葉と態度は、大人の気持ちを大きく揺さぶるほどのパワーがあるのです。

 娘は「絶望」という大げさな言葉を使いましたが、その程度に大きい小さいはなく、その人にとっての「絶望」は真摯に受け止めなければならないと私は常々思っています。「そんなことで絶望しないで」とは言ってはいけません。逆境に強い人もいれば、弱い人もいます。極限の状態でも希望を持ち続けて生き抜く人もいれば、生きられない人もいます。私と夫は、娘に前向きになってもらうよう様々なアドバイスをしましたが、もしかしたら私や夫では力不足かもしれないと思いました。ですので、娘のためにずっととってあった本を贈ることにしました。

 それは、私が病気をしていて「自分は長く生きられないかもしれない」と覚悟したとき、娘に残すものとして選んだ本です。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」です。ユダヤ人の大量虐殺が行われた強制収容所から生還した精神科医の手記です。娘にこの本だけは読んでほしいとずっと思っていましたので、そのときが来たと思いました。少し早いかもしれないし、読んでもまだ分からないかもしれないけど、この本をなぜ娘に読んでほしいのかという私の思いは娘に伝えました。


  土曜日の夜に大泣きした娘は、日曜日を泣きはらした目で過ごしましたが少しずつ回復し、月曜日の朝は少し表情も明るくなり登校しました。車で駅まで送ったとき、大きな声で「頑張ってね~」と励ましました。娘はこちらを振り返り、何度も手を振ってくれました。いつもの娘に戻っていました。

 私が娘に出来ることは美味しいお弁当を作ることと、娘が私を必要としてくれているときは側にいてあげること。娘が良い一週間をスタートさせることが出来るよう、心の中で祈りながら、娘を見送ったのでした。 

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