2020年10月27日火曜日

日経新聞コラム最終回掲載

 日経新聞に掲載されたコラムの最終回が10月19日に掲載されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65083490W0A011C2945M00/

 新聞に記事を書いたのは、16年ぶりです。「ここに来るまで、長い道のりだったなぁ」と感慨深い思いに浸っています。

 私がやりがいを感じていた新聞記者の仕事を辞めたのは2004年、39歳のときです。がん治療後の妊娠、双子、高齢出産という3つの要素が重なったため、苦渋の決断をしました。

 がん治療後でなければ双子をその年齢で授かっても会社を辞めなかったと思いますし、がん治療後だったとしても単胎児だったら辞めなかったと思います。

 後に一人を死産し、会社を辞めた決断は間違っていたのではと後悔しました。会社を辞めなければ巡り合わせが違って死産となった男の子は生きていたかもしれないーと考えたからです。さらに、退社後は「出産後にフリーの医療ジャーナリストとして仕事を続けたい」という思いから医療関係者やジャーナリストらが参加する医療問題研究会に週1回参加していました。仕事を続けたいという気持ちが死産につながったのだーと自分を責め続けてきました。

 私が今回原稿依頼をいただいたのは、その医療問題研究会に参加していた日経新聞の記者でした。そこに参加したことを後にどれほど後悔したか分からない場所。でも、その場所から実は現在まで細い糸がつながっていて、私の闘病体験を世の中に伝える場になりました。記事を読んだという読者から「病を患っていますが、何のこれしきと思えました」など書かれたハガキやメールをいただきました。それらを読んで、やっと私はどなたかの役に立っているのだ、と実感できました。

 当時の私の決断や行動が死産の原因ではなかったと思えるようにまではなりませんが、少なくとも、私は人生に「YES」と言ってもらえているような気がします。

 本当の意味での再スタートの地点にようやく着けました。今の自分に何ができるか、を考え続けていきたいです。

 

2020年10月24日土曜日

ランチは娘の手料理で

高1の娘が昼ご飯を作ってくれました。中間試験が終わった後、1週間の休みに入った娘はお友達と映画を見に行ったほかは家にいて、時間を持て余しています。私はまさに今中間試験中。「ご飯作って!」と頼むと機嫌良く、「いいよ!」と言ってくれました。

娘が作ってくれたのは、トリの挽肉で作ったミートソースパスタ。みじん切りしたニンニクと玉ねぎを炒めてから挽肉を入れてさらに炒め、缶入りトマトを加えて、固形スープと塩コショウ、トマトペーストで味付けし、イタリアンパセリを加えたもの。出来上がったソースを見てみると、挽肉がきちんとばらけていて、美味しそうです。

「力を込めて作ったの」と自慢げな娘。

「心じゃなくて、力なの?」

「心ももちろん込めたんだけど、力は使った。腕の筋肉が痛いもの。挽肉が細かくばらけるまでヘラで何度もつぶしたから」

そうなんです。挽肉は適当に炒めると固まりやすい。アートが好きな娘は、料理の見た目の美しさも大切にしていて、娘が作ってくれるお菓子や料理は出来が綺麗なのです。

娘が作ってくれたランチ

デザートに、水ようかんを食べやすい大きさにカットして付けてくれています。黒文字を添えているところが、細部までこだわる娘らしい。

この日は、ズーム会議の予定が詰まっていた夫が会社に行って仕事をしてくれたので(終日会議だと、夫の声がうるさくて私は勉強に集中できないのです)、娘と二人でした。久しぶりの娘とのランチ。美味しく、楽しくいただきました。


2020年10月22日木曜日

一石二鳥 娘の部屋の片付け

 15歳の娘は片付けが苦手です。物を捨てられない母親に育てられてしまったからです。こんな母親に育てられて申し訳ないと思うので、時折「一緒に片付けよう!」と声を掛けます。これまでは娘はいつでも「うん!」と笑顔で答えてくれて、一緒に片付けました。でも、最近は断わるようになってきました。「私は、片付いていない状態が良いの」と。

 先日も同じようなやり取りをして、片付いていない状態が居心地良くなる子に育ててしまった、と私は母親としての不甲斐なさに落ち込みました。さらに、娘に拒絶されたようで、目からは涙がこぼれてきます。そんな私を見て、娘は「本当にママったら・・・」とため息をつき、「ちょっとだけだよ」と言いながら一緒に片付けをしてくれました。

 そんなとき、息子が「僕も手伝う!」と入ってきました。息子にとって娘の部屋は宝の宝庫。娘がその存在すら忘れている、楽しいおもちゃや小物がたくさんあるからです。で、息子が見つけたのはクローゼットの天袋に積んであった「JENGA」。高く積み重ねられた木製のブロックです。

 さっそく、おねえねえに貸してもらいました。こんなに物が溢れているのに娘は弟に「あげる」のではなくて、「貸してあげる」のですね。親の私は「もう使わないんだから、弟にあげれば良いのに」と思うのですが、息子の方もあくまでも「おねえねえに貸してもらい、大事に使わせてもらう」という低姿勢な態度を崩さない。自分の立場をわきまえているんですね。一人っ子の私は、こういう不思議な姉弟関係というか、主従関係をいつも面白がって見ています。

 翌日から連日、息子とJENGAで遊んでいます。JENGAは、ブロックを順番に1本ずつ抜き取って上に積み重ね、倒れたら負けという遊びです。朝、起きたら息子と一緒に遊び、学校から帰宅後も一緒に。

 「ここだけ、台風が通った?」という状態だった娘の部屋が「積み重ねられた物の山がいくつかある」状態にまで改善し、息子と楽しく遊べるおもちゃも見つけられた。娘の部屋の片付けの手伝いは、一石二鳥だったのでした。

2020年10月21日水曜日

日経新聞コラム3回目掲載 読者からのハガキ②

 日経新聞に書かせていただいたコラムの3回目が10月5日に掲載されました。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64580910S0A001C2945M00/

 拙著を読んでくださった東京都内の30代の医師から、ハガキが届きました。

「長い闘病生活、本当にお疲れ様でした。どんな状況でも諦めずに、妊娠・出産し、子を育てるという村上さんの強い意志は多くの女性に強い希望を与えるものと感じました。まだまだ、保守的な意見の多い分野ではありますが、期待する女性に選択肢をあげられる医療体制が早く整ってくれることを祈っています」

 この方は乳がん患者を専門にみる医師です。がんになった若い患者が子どもを持つことを諦めなければならない現状に心を痛めていて、医師として何とか変えていこうとしていらっしゃいます。

 国立がん研究センターの集計によると、若年成人(Adolescent and Young Adult, AYA世代)のがん患者は2016年と2017年の2年間で全国で約5万9千人。若くしてがんになった方々が、当たり前に仕事を続け、子どもを持てる社会になることを切に願っています。




 

2020年10月12日月曜日

ベンチウォーマー

  身長180㌢の娘がハマっているのは、バレーボールです。娘が小さいころに習わせたバレエは結局、好きにならないままやめてしまいましたが、バレーは自分で「やろう」と決め、クラブに入ったのが良かったようです。週3回の放課後練習と土曜日の友人との”自主練”に励んでいます。

 先日、他校との試合がありました。ユニフォームをリュックサックに詰め、出かける娘を最寄り駅まで送りました。 

娘のユニフォーム。これを着た娘は結構格好良い

「私、ベンチウォーマーなの」と笑う娘。Bench Warmer とは、ベンチを温める人という意味。つまり、補欠です。でも、そう報告する娘はとても嬉しそうです。

「あら、残念ね」

「ううん、始めたばかりだから当然」

 と、全く気にしていません。ネガティブな感情が少ないところが、娘の良いところです。

 帰宅後、試合に出た親友レイちゃんの活躍ぶりを自分のことのように誇らしげに報告してくれました。

「ママ、今日バナナを2本持っていったの。レイがずっと試合に出ていて、何も食べ物を持ってきてなかったから、1本あげたんだよ。美味しそうに食べてた」

 そして、ユーチューブにアップされた試合の様子を楽しそうに私に見せてくれました。こういう娘の素朴なところが私は大好きなのです。動画を見せてもらいながら、「練習を重ねて、いつか娘も試合に出られますように」と願ったのでした。

2020年10月11日日曜日

息子の笑顔と、カフェでのひととき

  先日、地元小学校に通う息子がバスに乗って「社会科見学」に行きました。準備から当日の見送りまで、しっかり付き合いました。息子の成長を感じるとともに、まだ幼さも残してくれていて、親も楽しませてもらったイベントでした。

 「ママ、エチケット袋必要なんだけど、買ってくれる?」 まず、2週間ほど前に息子に聞かれたのが、酔ったときに使う袋のことです。「ママ、僕バスに酔うかな」。「酔わないよ。おねぇねぇはよく吐いたけど」。「そうだよね。僕、具合が悪くなった記憶がないもん。でも、エチケット袋が持ち物リストに入っているんだ」

 息子によると、先生から説明を受けた「エチケット袋」は、吐いたものが袋の中で固まって匂いもしない作りなのだそうです。私は、飛行機の座席のポケットに入っている袋を想像していましたが、もっと進化しているようです。

 息子と一緒に地元のドラッグストアに行きました。息子が店員さんに聞きます。「エチケット袋ありますか?」「エチケット袋?」「はい、車で酔ったときに吐いたものを入れる袋です」「あぁ、ちょっと待ってくださいね」

 店員さんはしばし店内を探してくれましたが、申し訳なさそうな顔で戻ってきました。「すみません、以前は置いていたのですが、今はないようです」

 他のドラッグストアへ。そこには置いてありました。店員さんが「これ、すごくいいんですよ!」と力説しながら、手渡してくれました。

 3日前になると、息子は自分の部屋からリュックサックを持ってきて、リストを見ながらお弁当など当日入れるもの以外のものを詰めました。レジャーシートはどれを持っていくか、など話し合いながら「お弁当のおかず、何がいい?」と聞くと、息子は間髪を入れず「粉チキン」と答えました。子どもたちは私が味付けする「トリ肉のから揚げ」より、日清の「から揚げ粉」をまぶしたものを好みます。それを「粉チキン」と呼んでいます。ちょっぴり残念ですが、まぁ、そんなものでしょう。

 そして、当日。「粉チキン」を心を込めて揚げて、お弁当箱に詰めました。このお弁当箱は息子が幼稚園のときに毎日持っていった「オラフ」のお弁当箱。これを機会に「新しいお弁当箱を買ってあげる」と言いましたが、「お弁当はたまにしか持っていかないから、もったいないよ。オラフで大丈夫」と言います。息子とお弁当箱を選びに行く楽しいひとときを想像していましたが、「あら、そう」と受け止めました。まぁ、こんなものでしょう。

 荷物の点検を終えてリュックサックを背負った息子を、いつものように玄関前の通りで姿が見えなくなるまで見送りました。

 で、考えました。「息子の社会科見学は、一生のうちで今日しかないんだ。嫌がられてもいい。見送ろう」。自宅に戻って、マスクをして、学校に向かいました。まだ、登校時間中なので、生徒たちが次々と校舎に入っていきます。私は校門前で目立たないように立っていましたが、先生たちが次々と私に会釈してくれます。子どもの心配をしている母親というオーラが出ていたのでしょうか。

 校門の前では、一年生の黄色の帽子を被った男の子が「ママ~」と泣いています。校長先生が子どもを抱いて、説得しています。お母さんが何か子どもに言い聞かせながら、きびすを返して校門から離れていきます。「いいなぁ。こんなに求められて」と羨ましく思いながらも、「お母さん、大丈夫ですよ。もう少ししたら、ちゃんと登校できますから」と声を掛けたい気持ちになりました。

 そこで待つこと約20分。少しずつ不安になり、作業をしていた先生に「3年生の社会科見学の見送りに来ました。生徒たちが出てくるのはこの門ですか?」と聞いてみました。先生はにこやかに「ちょっと待ってください」と答え、校舎の中に入り戻ってきてこう言いました。「東門から出てくるようです」。

 慌てて、東門へ。まもなく、息子が元気よく出てきました。先頭の担任の先生が私に気付き、にっこりとほほ笑んで会釈してくれました。息子も笑顔で私に手を振ってくれました。子どもたちを見送ったのは、私と小さな子連れのお母さんの2人だけ。バス停まで歩く息子を見守りながら、「息子はまだ私に笑顔で手を振ってくれるんだ」と嬉しくなりました。生徒たちはこの日、区内の海苔博物館や羽田飛行場などを見学しに行きました。

 見送りが終わり、すぐ帰るのも何となく寂しいので、朝早くから開いている駅近くのカフェに行くことにしました。カフェには人はあまりいず、2階には誰もいませんでした。窓際のテーブルに座り、淹れ立てのコーヒーとイチジクのマフィンを味わいながら、久しぶりに朝のゆったりとした時間を過ごしました。

広々としたカフェでの朝のひとときは最高でした

 

息子に愛されている?オラフのお弁当箱

 息子の笑顔を思い出しながら過ごすカフェでのひととき。ほんわかとした幸せを感じた朝でした。

2020年10月10日土曜日

日経コラム2回目掲載 読者からのハガキ

 日経新聞のコラムの2回目が9月28日掲載されました。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64236200V20C20A9945M00/ 記事を読んだという読者から、ハガキが届きました。

「私は現在、54歳。これまでも特に病気もせず、家族にも、仕事にもめぐまれ暮らしています。その中でも、自分なりにこれまでの生き方を考えるときをむかえており、つまり、これからどう生きたいか考える中、日経の村上さんの記事を拝見し、本を購入しました。葛とうの内容は全く比になりませんが、どう生きたいかを求める私に与えられた本だと思い、一気に読みました。すでにあるものを大切に、愛情を持って生きたいと思いが強くなりました」

 

読者からのハガキは私にとって宝物です

 10月1日に書いたブログにたまたま、「50代半ばになると、来し方行く末をしみじみと考えることが多くなります」と書いたばかり。この方の職業は「会社役員」とありましたので、日々責任の重い仕事に取り組みながら、一方で定年を見据え、これからどう生き方をシフトしていこうか考えているのだろうと推察しました。

 私は体調が安定しないときが10年ほど続きましたが、現在は健康になり、フリーランスで記事を書く仕事をし、大学院で学んでいます。大学院は3年コースを選びましたので、再来年春に修了予定です。でも、いま娘はまだ高1、息子は小3です。来年からは、娘の大学受験と息子の中学受験に向けてのサポートをしっかりできるよう、生活時間の配分を子どもたちによりシフトしなければ、と考えています。

 若いころは仕事だけしていれば良かった。また、1つのことに全力投球すれば、成果は出ます。でも、今は家事・育児と仕事と、健康維持のための努力と親の世話など「しなければならないこと」「したいこと」はどれも大切なものばかり。一つでもおろそかにすれば、他に大きな影響が出るほどの事態になるでしょう。

 さらに、いずれは巣立つであろう子どもたちと楽しく過ごす時間を大切にし、また、今取り組まなければ間に合わない自身のための学びや、60代を充実して過ごすための準備にも時間を使いたい。

 抱えているものをバランスよくこなしていく。それしか方法がないような気がします。多くの人にとって、50代はそういう年代なのでしょう。読者からのハガキを読みながら、そんなことを考えました。

 

2020年10月1日木曜日

室蘭に行きたい

 50代半ばになると、来し方行く末をしみじみと考えることが多くなります。さらにコロナ禍、行動が長らく制限されて環境も変わり、前向きに生活し続けるのも難しくなってきています。そんな中、私が今一番思いを寄せているのは室蘭です。

 以前勤めていた新聞社の初任地で、20代後半の3年間を過ごした場所です。右も左も分からず、ただただ走り回るだけの若者を、室蘭の人たちはとてもあたたかく受け入れてくれました。

 室蘭には新日本製鉄(現・日本製鉄)の高炉があり、赴任して一番最初に上司に連れて行ってもらったのが工場でした。その後、「工場で事故」という連絡が会社に入り、取材に行きました。そのとき私が着ていたのはサーモンピンクのコート。ピンクのコートにヘルメットを被り、カメラを肩から下げたチンプンカンプンな格好の新人記者に工場の担当者は丁寧に応対してくれました。

 厳寒期、タクシーで取材現場に向かう途中、高速道路の渋滞車両が衝突事故を起こした場面に遭遇しました。「まずは写真を」とタクシーを降りた瞬間、硬く凍った氷の上で滑って転んでしまいました。高速道路のど真ん中での転倒で慌てましたが、運転手さんに助けられました。その「金星ハイヤー」の運転手さんたちには、町の情報もたくさんもらいました。

 娯楽が少ない町でしたが、文化活動は盛んでした。伝統工芸品の職人たちが町おこしのグループを立ち上げたり、高校の先生が劇団を率いて定期的に舞台を開いたり。その方たちに話を聞くのが、何より楽しかった。

 地元には室蘭民報という新聞社があります。そこに、私と同い年の優秀な女性記者がいました。なおみちゃんといいます。先輩に「なおみちゃんを見倣うように」とアドバイスされるほどの存在でした。私がいた会社の室蘭支社の記者はすべて男性。だから、なおみちゃんの存在はとてもありがたかった。

 なおみちゃんは室蘭民報を退社後、結婚して女の子をもうけました。そして、再び「タウン記者」として室蘭民報に記事を書いています。

 なおみちゃんとは今も手紙やメールで近況を報告し合っています。先日、手紙と一緒に葉書を送ってくれました。室蘭港をまたぐ、美しいつり橋「白鳥大橋」が写っている葉書です。私の机の前に飾りました。これを時折見ながら、市内にある「測量山」から白鳥大橋を眺めたいという思いを募らせています。

室蘭の友達が送ってくれた絵葉書

 「測量山」は私が住んでいた賃貸アパートの裏側にありました。仕事がうまくいかないとき、先輩記者にいじめられて辛いときは、そこまで車で登って誰も来ない中腹に車を停めて大泣きしました。その車は同僚記者から10万円で譲り受けた日産車。その小さな車の中でハンドルに頭をゴンゴンぶつけながら大声で泣き叫んだのも、週末に気分転換しに一人あちこちに行ったのも、今となっては懐かしい思い出です。

 なおみちゃんは9月1日、「がん征圧月間」に合わせて私の本のことを紙面で紹介してくれました。記事の横に「タウン記者」からのコメントを書く欄があり、そこにこう記していました。 

 「彼女とは同い年で、30年前、共に記者として取材に走り、悩み、時に恋バナもして20代を過ごした良き友人である。本を読み、涙が止まらなかった。どれだけの苦痛と悲しみに耐え抜いてきたのだろう。母の愛は強い。多くの人に読んでもらいたい」

友達が私の本について書いてくれた「室蘭民報」の紙面

 コメントを読んで、私も涙が止まらなかった。お互いに年を取り過ぎないうちに、なおみちゃんに会ってたくさんおしゃべりしようー。そう心に決めました。