フェイスタイムでつながっていた、先輩から連絡がありました。詳細は分からず、ただ、コロナで亡くなったという情報だけでした。同期の友人に電話で知らせると、絶句していました。「あの、K君が・・・」と。
K君は都内の有名大学を卒業し、その会社に入社しました。身長が180㌢以上あり、ハンサムで爽やかな青年でした。一方で、仕事も出来、将来を嘱望される人でした。私がその会社に入社したのはバブルのころで、よく同期でテニスやスキーなどを楽しみました。私が覚えているのは、そのころの眩しいくらいに格好良かったK君です。
K君は早々に大学時代に付き合っていた女性と結婚しました。30代で会社を辞め、独立。お子さんも生まれ、順調な人生でした。私は20代でその会社を辞めましたので、同期の人たちの話は風の便りに聞くぐらいでした。皆、それぞれに幸せに暮らしていると思っていました。
K君が退社した後も会っていたという先輩の話によると、独立した後のK君の人生は苦労の連続だったようです。その苦労の多かった人生の後半、K君はあのときのように爽やかに笑えるときがあったのだろうか。小さな幸せに浸れるときがあったのだろうか。なぜ、その人生の最期がコロナなの?
体調がどんどん悪化する中、K君は何を思ったのだろう。自分は死ぬかもしれないなと覚悟した瞬間、せめて、自分の人生は幸せだったと思えたのだろうか。そう思って目をつぶってくれたらと願わずにはいられませんでした。
娘がジョギングの途中で摘んできてくれた野の花。K君に捧げます |
「K君のことを考えて、寝られませんでした。さぞ、無念だったろうと」と。先輩から、すぐ返事が来ました。
「私もです。こんなに呆気なく、誰にも見送られることなく、人生に幕を閉じるとは…」
ただただ、悲しい。
K君のご冥福を心からお祈りします。合掌。
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