2020年5月6日水曜日

軽井沢の山荘から

 ゴールデンウイークは軽井沢の山荘で過ごしています。散歩しても、家の前でサッカーボールをけっても、誰にも会わない人里離れたところです。出窓の横で本を読んでいると、時折、同じ別荘地に住んでいる人がゆったりと散歩しながら通り過ぎます。そんな場所で、気持ちを癒しています。

 新型コロナウイルス対策で他県への移動の自粛を求められていますので、迷いました。が、休校措置と外出が出来ない暮らしが2カ月以上続く子どもたちの心身の健康を考え、また、不要不急の外出を避けて家族だけで”自宅”で過ごすのは東京も軽井沢も同じと判断しました。生協の宅配で仕入れた食料品を車のトランクに詰めて、1日夜に東京を出ました。今日で5日目。子どもたちの楽しそうな顔を見て、ほっと胸をなでおろしています。

 この山荘を買ったのは12年前、娘が幼稚園に入園したときです。当時、私の体調はそれまでで最も悪い状態でした。

 娘の出産時に双子のもう一人を死産し、その1年半後に悪性リンパ腫も再発。また、「自己免疫性溶血性貧血」というやっかいな病気も併発し、体調は悪化するばかり。どこか空気の良いところで週末だけでも過ごせば、体調も回復するのではと考え、軽井沢で家を探し始めました。

 軽井沢に決めたのは、息子の遺骨を持って行った小旅行でこの地が気に入ったからです。息子が天国に旅立った日に合わせて最初に行ったのは伊豆高原、2年目は京都、そして3年目が軽井沢でした。毎年、あちこちに行くよりも、一か所にしたほうが息子も落ち着くだろうと考え始めたころでもありました。

 新築は買えないので、中古物件を探すためにまずは駅近くの不動産屋さんに行きました。「軽井沢で家を買うんでしたら、最低●●●円ぐらいご用意いただかなければ」という高飛車な態度で応対され、萎縮してしまい、その場を去りました。次に行ったのが駅から離れた小さな不動産屋さんです。そこの担当者は「ご予算に合う良い物件は必ずあります。それをお探しするのが我々の仕事です」という感じの良い方でした。

 その方を通じて、築20年のこの家を紹介してもらいました。山荘と呼ぶのがふさわしい家には、当時70歳代のご夫婦が住んでいました。夏は軽井沢で、冬は神奈川県の葉山で暮らすという生活を長くされていました。軽井沢での暮らしをとても楽しんでいらしたようですが、年を重ね、以前のように家の手入れができなくなったのが手離す理由だと聞きました。ご夫婦は息子2人に家を譲りたかったようですが、「維持に手間がかかるから、いらない」と断られたそうです。まだ気力のあるうちに処分しようと決めたときに現れたのが、私と夫でした。

 まだ雪の残る3月、家を内見しました。一目で、持ち主に愛されているのが分かる、手入れの行き届いた家でした。その家がまとう”気”のようなものが気に入りました。外に出たとき、娘が楽しそうに庭を走り回りました。ふと気が付くと、私の着ていたコートの襟もとから、息子の遺骨が入っているネックレスが出ていました。「ああ、息子も気に入ったんだな」と気持ちがほっこりとし、購入を決めました。当時、東京では賃貸マンション暮らしでしたが、そういう選択もいいかなと思えました。

 さて、東京に帰り銀行の手続きに入ろうとしたまさにそのときに、悪性リンパ腫の再々発を主治医に告げられました。「今回は厳しい治療になる。週末に山荘に行って、療養するどころではない」と逡巡しました。が、「今買わなければ、もうこのような機会はないだろうな」と考え、思い切って決めました。

 ご夫婦が大切にしてきた家ですので、一切値引きはお願いしませんでした。その代わりでしょうか。ご夫婦は全部の部屋の壁紙を替え、畳も張り替えて私たちに家を引き渡してくれました。

 あれから12年。私たち家族はこの家でかけがえのない時間を紡いでいます。私の体調も少しずつ回復し、息子も生まれました。娘は「この家は私たちが引き継ぐよ。子どもが生まれたら、私たちがここで過ごしたように、楽しく過ごすの」と言ってくれています。

あの世とこの世の息子の成長を願い、軽井沢の山荘では毎年小さなこいのぼりを飾ります
 この家を譲ってくれたご夫婦は残念ながら息子さんたちに引き継げませんでしたが、愛情を込めて住んでいらしたこの家を私たち家族が大切にしていることを喜んでくれていると思っています。

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