2016年12月25日日曜日

雪の札幌へ

  20日から3日間の予定で札幌に帰省し、雪の影響でその後2日間も足止めとなり、昨日東京に戻りました。24日朝に新千歳空港に出直したとき、空港内は毛布をかぶって寝る人や空席待ちをしている人が溢れており、改めて雪国の交通事情のもろさを実感しました。長い列に並んでカウンターで搭乗券を発行してもらい、セキュリティを通り、飛行機に乗り込み、1時間遅れで離陸したときは心から安堵しました。
 私は札幌生まれ札幌育ちにもかかわらず、寒さで発症する持病を抱えてしまったため、長い間冬期は帰省出来ませんでした。が、今年の1月、一人暮らしの母が体調を崩したため、様子を見るために恐る恐る1泊2日で帰省。私の体調に変化がなかったため自信をつけ、今回、母の顔を見に子供たちを連れて、帰省しました。

 年に1、2度しか雪が降らない東京で生まれ育った子供たちは、夏と同じぐらいに帰省を喜びました。滞在中は連日外に出て、雪投げや雪だるまづくりを満喫。実家の横の駐車場に出来ている雪山で、何度も何度も飽きずにそり滑りをしました。子供たちの歓声を聞いたご近所の人も外に出てきて、「雪でこんなに楽しそうに遊ぶ子供たちを見るのは久しぶり。札幌の子供は雪遊びなんかしないから」と目を細めてくれたほどの、はしゃぎぶりでした。
 
一方、私は忘れていた札幌の雪かきの大変さを再認識しました。帰京予定の22日午後に降り始めた雪は止まず、予約していた便が欠航となったため、空港から”出戻って”からは雪かきに追われました。翌23日はニュースで「50年ぶりの大雪」と報じられるほどの雪で、当然、午後の便のほとんどが欠航に。この日は数時間おきに、雪かきをしました。しんしんと降り積もる雪を、もくもくとかく。1回の雪かきは3、40分かかります。母がよく、「さんざん降っても止まぬ雪を窓から見ると、涙が出てくる」と言いますが、体のあちこちが痛んでいる年配者にとっては、辛い作業に違いありません。雪をかきながら、「大雪の今日、普段出来ない親孝行が少しでも出来て良かった」と心から思いました。私の便の欠航は、天国の父の采配かもしれない、と。

 私は札幌を離れて15年になりますが、その間に、実家の周辺の除雪事情も変わりました。以前はほとんど除雪車が通りませんでしたが、今は頻繁に除雪車が通っています。住民が空き地に雪を積み上げていましたが、空き地がなくなってきたため、除雪を業者に依頼するようになったからです。母も数年前からご近所数件と一緒に除雪業者と契約をし、定期的に除雪してもらっています。母が契約している業者はひと冬に10回来てくれ、契約料は3万6千円。日程は事前に決められており、雪が降っても降らなくても、その決められた日に除雪車が来ることになっているようです。

 今回はタイミングが良く、大雪が降った23日に来るはずでした。が、夕方その業者から「あまりに雪が多くて、行けません。2日後に行きます」と連絡が。私は、「除雪業者が大雪を理由に予定変更しちゃだめだよ」と心の中でぶつぶつつぶやきながら、来ることを期待して積めるだけ積み、私の背丈ほどになった門前の雪山の上に刺した、目印の旗を抜いたのでした。
夜、結局その上に雪を積み上げることは出来ず、スコップで雪をかいてはとことこ歩いて横の駐車場に積み上がっている雪山の上に捨てるという、気の遠くなるような作業を黙々と続けました。でも、気分はなぜかさわやかでした。東京にはない静けさと、澄んだ空気の中で作業していることが、気持ち良く感じられたからです。

 ご近所の人も入れ替わり立ち替わりで、雪かきに出てきます。
 「除雪屋さん、今日来られないんだよね。まあ、こんなに雪が多かったら仕方ないよねえ。あさって来てくれるっていうから助かるわぁ」
 北海道人らしい、おおらかなコメントを聞いて、私は「心の中で愚痴った私、人間、小さいよ」と反省したのでした。

 24日朝、雪に覆われた新千歳空港を飛び立ちました。飛行機の窓から見える雪景色はやはり、きれいでした。
1時間半後、路面の乾いた羽田空港に降り立たったときは、何とも味気ない、つまらない気分になりました。やっぱり、私は雪国育ちの人間なんだなあと実感した旅でした。
 

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