2016年12月30日金曜日

2016年 私の挑戦 ① 

 2016年、私は昨年に続き、いくつかの新しいことに挑戦しました。体調不良が続いた40代に出来なかったことをしようと挑戦した昨年より、少しハードルを上げました。それらを振り返りたいと思います。

 一番大きな挑戦は、「開高健ノンフィクション賞」に応募したことです。血液がんや自己免疫疾患と闘いながら子供2人を産んだ10年間を振り返った手記で、応募総数139作のうち最終候補3作に残りました。

    この闘病記を書き始めたのは7年前。医師の診たても悪く、私自身も「自分はもう長くないな」と実感する中で、「娘に、何か残したい」という一心で書き始めました。

 体調が悪い期間が長く、また、46歳で息子を出産したため、家事・育児をしながら日記とメモを頼りに執筆するのは簡単ではありませんでした。ですので、ついつい先延ばしにしていました。しかし、頭の片隅にはいつも「仕上げなければ」という気持ちもあった。そこで、「締め切りが必要かもしれない」と思いつき、ノンフィクション賞に応募したのです。

 仕上げた後は、「同じような境遇の人や、その家族の方々の参考になれば」と出版を希望しました。私もたくさんの闘病記を参考にさせてもらったので、「お返しに」という気持ちがあったのです。が、「売れない」という理由で、出版は見送られました。

 第4稿まで書き直した「原稿」と、本の体裁で印刷された「ゲラ」は、段ボール箱に詰めて納戸に仕舞いました。日記やメモ、資料などもまとめて机の引き出しに入れてあります。
 
 出版社とのやり取りは、難しいこともありましたが、良い経験になりました。何より、仕上げることが出来たことが良かった。段ボール箱に詰めた原稿やゲラの表紙には、「娘へ」と手書きで書き添えました。いつか娘が成長し、この手記を読んで人生の参考にしてくれればと願っています。

 今日、年末年始に読む本を買いに大型書店に行ったとき、大賞受賞者の本が平積みになっているのを偶然見かけました。それを見て、「私の手記は出版されなくてよかったんだ」と改めて思いました。子供たちや夫、母の顔を思い浮かべました。闘病記には家族のことも多く触れているため、編集者や友人らから「家族への影響」を心配する声も上がり、私自身も「誰かの役に立ちたい」という願いと「家族への悪影響」の心配の間で揺れていたからです。

 あの手記は世に出るべきではなかった。今はその結論に納得しています。そして、あの手記のことはすっかり忘れて、日々を送っています。
 
 
 
 

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