2016年12月14日水曜日

捨てられない! ②

 クリスマスを前に、夫の両親から大きな段ボール箱2箱分のクリスマスプレゼントが届きました。アメリカ人のプレゼントの流儀は、厳選した良い物を1つ、というのではなく、大小取り交ぜいくつも、というもの。ですので、その段ボール箱の中には個別に袋詰めされたプレゼントがたくさん詰まっているのです。開ければ、物が多い我が家がさらに物で溢れるため、クリスマスの日まで玄関に置いたままです。

 義父母から送られる段ボール箱には毎回、プレゼントと一緒に、夫が子供のころに使っていたものが入っています。娘が小さいころは、クマさんのぬいぐるみ、マグカップ、絵本などを送ってくれました。「おさるのジョージ」などの絵本をめくると、義母の字で夫の名前が書かれてあり、今や老眼鏡なしで本が読めない夫にも、こんな本を親に読んでもらった時代があったのだと、ほほえましく思います。

 息子が生まれてからはミニカーや恐竜のおもちゃなどが送られてきました。前回送られてきたのは、「バットマン」や「スパイダーマン」などが載った雑誌。夫によると、「ダッドが教会のバザーでよく古本を買ってきてくれたんだ。これらもダッドが安く仕入れてくれたもの」といい、物にまつわるエピソードもあり、聞いている私までわくわくします。義父母は、息子4人を育てながら、よく、ここまできちんと取っておいたものだと感心します。
義母が「私は、物を取っておくほうなの」という通り、きっと、屋根裏部屋には、それぞれの息子が使ったものがたくさん保管されているのでしょう。義母はその屋根裏部屋に一度も行ったことがないらしく、物の上げ下ろしはずっと義父の仕事だったというのもほほえましいエピソードです。

 親子は似るもので、捨てられない私のために夫が用意してくれたのも屋根裏部屋。ホームセンターで板を購入し、日曜大工で作ってくれました。長い間病気が途切れず塞ぎ込み物をため込む私に、「捨てたら?」と言う代わりに、「居住空間に物があると邪魔だから、とりあえず、屋根裏部屋に入れておいたら?」と提案することにしたのです。

 夫が屋根裏部屋を作ってくれてから、私は、せっせとそこに娘のおもちゃや衣類を運び入れました。娘の描いた絵や工作品、小学校の教科書やノートもすべて、捨てずにそこに入れています。あまりに増え過ぎたので、さすがの私も反省し、時折、箱の中身を見て「今なら、捨てられる」というものを選び出し、少しずつ処分しています。たとえば、テストやプリントなど。

 さて、このように捨てられない私の気持ちを理解する夫も、時に耐え兼ねて、強硬手段に出ます。私は自分の物は本や衣類などどんどん捨てられるのですが、子供のものが捨てられないため、子供部屋がたいへんなことになってしまうのです。そのあまりの惨状に夫が時に”キレて”しまい、大きなゴミ袋にどんどんとガラクタを放り込み、家の外に出してしまうのです。それを後でこっそり開いては、「これを捨てることはないでしょう?」とブツブツ心の中でつぶやきながら夫に気付かれないように、元に戻すのは私。

 先日は、遊びに来ていた母が強硬手段に出ました。娘のぬいぐるみを無断で捨ててしまったのです。キッチンの物がいくつかなくなっていることに気付き、母を問い質しているうちに、ふと、気になって娘の部屋に行ってみて分かったのです。娘のベッドからキティちゃんのクッションとクジラのぬいぐるみが消えていることが。慌てて外に出してあるごみ袋を開いてみると、娘の誕生祝いにいただいたそのクジラのぬいぐるみが小ぶりなビニール袋の中に詰め込まれていました。他のゴミとは一緒にせず、少なくとも個別包装?されていたことがまだ、救いでした。

 母が娘にプレゼントしたキティちゃんのクッションは”時すでに遅し”で、その前のごみ収集日に私に気付かれることなく捨てられてしまったのでした。

 クジラのぬいぐるみを救い出した私は、「お母さん、一応、ここは人の家なんだから。人の家の物を勝手に捨てちゃだめだよ」と苦言を呈しました。母は平然とした顔で、「それ、ずいぶん古いよ。中はダニでいっぱいかもしれないよ。私は孫の健康が心配で・・・」。私は黙って、それを手洗いし、ベランダに干したのでした。

  干しながら、まじまじとこのクジラを見ると、何とも味のあるかわいい顔をしています。このかわいいぬいぐるみ、しかも、孫が生まれてからずっと一緒だったものを捨てられるとは・・・。やはり、私の母は只者ではないと改めて思ったのでした。

 子供たちが使い、袖を通したものは捨てられない私と、物は物として愛着を持たずに処分できる夫と母。世の中の流れは、夫と母のほうなんだろうなと分かりつつ、やはり捨てられない私なのです。


 

 

 

 

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