2016年3月13日日曜日

雨の日には・・・

 東京はこの1週間、雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気が続いています。雨の日で一番困るのは、「ママチャリ」で息子を幼稚園に送れないこと。でも、実際に傘をさしてのんびり歩いて幼稚園に向かうと、普段、自転車で通り過ぎてしまうものにも目を向けることが出来、息子との会話を楽しめることに気が付きました。

 先日の雨の日は、傘を持って家を出た瞬間に息子がこう言いました。
「ママ、知ってる? 雨は神様のおしっこなんだよ」
「えっ? 本当? 誰が教えてくれたの?」
「自分で考えたの」
 
 ユニークな表現でしたので、てっきり娘が教えたものだとばかり思いましたが、違ったようです。「神様のおしっこねぇ・・・」と改めて、神様がおしっこをしている様子を想像しましたが、なんとなく、無防備で、威厳が損なわれる感じもして、ちょっと違うような気がしました。まあ、4歳の子供の考えることですから、笑って聞き流すことにしました。

 手をつないで道を歩いていると、おもしろいものを発見しました。第一発見者は息子。駐車場の前を通り過ぎようとしたときです。
 「ママ、見て! 時計だよ」。横を見ると、大型の車のバンパーの上に時計が置いてあったのです。紳士用のスポーツウオッチです。
 足早に歩く大人なら、決して気が付かないでしょう。それにしても、どうして、車のバンパーの上に時計を置き忘れるのでしょう? 不思議な人もいるものです。
 時計はすっかり雨に濡れていました。スポーツウォッチなので、おそらく防水加工が施されていると思いますが、それにしても、です。
 「きっと、気が付いて取りに来ると思うから、そのままにしてあげようね」と私。忘れた人は、こんなところに置いたことを思い出すでしょうか?

 また、2人で話をしながら歩いていると、息子が、テープの貼られた空地を指さして、言いました。
「ママ、ここにまだ、お家が建たないんだね。きっと、お家を作る人が、休んでばっかりなんだね」
 言われてみれば、ここは古い家が取り壊されて更地になったところ。子供はこういう変化に目ざとく、そして忘れないのだな、と感心。「休んでばっかり」という表現に思わず、くすりと笑います。

 さらにてくてく歩くと、今度は石材屋さんの前を通り過ぎました。入り口が、珍しく開いていました。見てみると、間口が狭いのに、ずいぶん奥までブロック石が積まれていました。息子が言います。
「ここは、石ばっかり屋さんだね」。最近、「ばっかり」という言葉を覚えた息子。石材屋さんのことを、石ばっかり屋さんとは、楽しい表現です。

  息子と傘をさして歩いていると、母と歩いた田舎の風景を思い出しました。父の仕事の関係で、札幌を離れて、田舎町に住んでいたときのことです。浮かんでくるのは、霧が立ち込めた風景。当たりは建物も人もなく、林に向かって細い砂利道が続いています。その砂利道を母と歩いていたら、雨が降ってきました。母は、道端にうっそうと生えている、葉が丸くて大きいフキの茎を折って、私にくれました。私はその茎を持ち、葉を傘にして、歩きました。私が、息子と同じくらいの年齢だったと思います。珍しくて楽しい出来事だったので、記憶してるのでしょう。今、思い返しても、母に守られていた、愛されていたと思える、幸せな思い出です。

 大らかな北海道の風景とは違い、家が立て込んでいて、新旧の小さな商店が立ち並ぶ、私たちの住宅街から駅に向かう風景。ターコイズブルーの自転車でビューンと走り去った記憶だけでなく、雨の日は一緒にのんびりと歩いたことを、息子が記憶してくれれば良いなと、と雨の日を待ち遠しく思う今日このごろです。
 

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