2016年3月28日月曜日

Japanese Culture Day(日本文化の日)①

   小5の娘が通うインターナショナルスクールで、「Japanese Culture Day」がありました。日本人ママが結集し、企画、準備、実行する毎年恒例の一大イベントです。私は、太巻き寿司をアレンジした「デコ巻き」の作り方を子供たちに教えるという、”大役”を仰せつかり、久しぶりに緊張した時間を過ごしました。

  娘が昨春、地元の公立小から転校したため、娘にとっても私にとっても、「Japanese Culture Day」は初めてです。学年ごとにプログラムを決めるということで、イベントのコーディネーターを務める2人のママから、私を含めて8人の小5のママにメールが来たのは、約1ヶ月前。「ネタは尽きています。思い浮かぶネタはほとんどやってきました。つきましては、新しい日本人ママも増えたので、集まってアイディアを出し合いましょう」。いきなりのプレッシャーで、気が引き締まりました。

   私は、幹事役を務める息子の幼稚園の「母の会」総会が重なり打ち合わせに参加出来ず、まず、出遅れました。恐らく、皆で知恵を絞ったのでしょう。その1回の打ち合わせでイベントの概要が決まったと数日後にメールがありました。
  メールによると、 各40分のプログラムを4コマ実施する計画。そのうち1つが、私の得意な太巻きの作り方を子供たちに実演し、子供たちにも1人1本作ってもらおうというものです。とにかく、何かの役に立たねば、と「太巻き作りを、私に手伝わせてください!」と返信しました。

   普通の太巻きでは芸がないということで、ママの1人が、「デコ巻き」のレシピをネットで探してくれました。切り口がカエルの顔の太巻きです。6人のママで「デコ巻き」チームを結成。リーダー役のママが「LINEでグループ作るね。やり取りが楽だから」と、LINEのグループを作ってくれました。LINEの会話が始まったその日に、「私が買ったのはこれ」と材料の1つの「チーズかまぼこ」の画像が続々と添付されます。早速、試作品の画像を添付するママもいて、そのスピード感に、アラフィフママはついていくので精一杯。

   1歩出遅れたアラフィフママは、さらに、焦ります。試作品のための材料調達が難航したのです。「カエル」の目に使うチーズかまぼこが、最寄りのスーパーで売ってなかったのです。チーズかまぼこなど、51年生きてきて買ったこともないし、食べたこともない(と思う)。その風貌は、かろうじて画像で見て分かったものの、「かまぼこコーナー」にあるのか、「チーズコーナー」にあるのかも分からない。焦ってチームのママに電話をすると、「私は、珍味コーナーで見つけたわ」という回答を得て、さらに混乱。「なんで、チーズかまぼこなんて、レシピに使うのよぉ」とムッとしながら、別のスーパーへ。店内を探し回り、ソーセージの棚の魚肉ソーセージの横に並んだ、1袋4本入りを5袋発見。ほっと胸をなで下ろし、それらを全部、むんずとつかんで、レジに向かったのでした。

 そして、自宅に戻り、LINEに添付されたレシピを見ながら、「カエル」を作製。スマホで写真を撮り、その画像をLINEに添付し、「遅ればせながら・・・」とメッセージも付け、ようやく皆に追いついたのでした。

 そうこうするうちに、「Japanese Culture Day」のランチはポットラック(持ち寄り)なので、持参するものをスプレッドシートに記入して下さいとのメール。このメールは英語でクラスの親全員に送信されました。読んでいくと、「日本人の親はなるべく日本の料理でお願いします」との軽い"しばり"も。メールに添付されたスプレッドシートを開くと、すでに4人の日本人ママが記入していました。ポットラックは、2クラス約30人の子供たちプラス先生と親の分で、多からず少なからずの量という判断の難しい量です。

    ここで遅れてはメニューが限られてしまうので、得意のポテトコロッケにしようと即断。言うまでもなく、スプレッドシートに記入するのも、何やら難しい名前のアプリをインストールしてからの作業となり、ひと手間かかりました。ちなみに、他の日本人ママが持参したのは、豚汁、出汁巻き卵、焼き鳥、唐揚げ、枝豆、ソバ、さつま揚げです。

   さて、「デコ巻き」チームは、打ち合わせの機会を1度だけ設けました。リーダー役のママに、「子供たちの前で説明する役やって!」と頼まれ、断わる理由も探せず、一応快諾。しかし、前日は緊張のあまり胃がキリキリと痛み、胃痛薬「ガスター10」を買いに、近所のドラッグストアまで自転車を走らせました。厚手の紙に、ステップ1、ステップ2、と英語で箇条書きし、夫に添削してもらい、子供たちを前に何度も練習しました。

    当日は、子供が手早く「デコ巻き」を作れるよう、ママたちが手分けして材料をあらかじめ量ったり、切ったりしてサランラップでくるんで持参。子供たちを4グループに分け、机の上に材料を並べました。私は、「ママ、頑張って!」と浴衣を着た娘に応援されながら、黒板の前に立って、身振り手振りを交えて説明。横で、もう1人のママが実演してくれ、助かりました。子供たちは各グループに付いたママたちに助けられながら、サランラップの上にノリを載せ、ご飯を広げ、「チーズかまぼこ」とキュウリを重ねて、ぐるぐる巻きます。「ご飯、広がらないよ!」「ノリがくっつかないよ!」という声や、「出来た!」という歓声も上がります。最後は巻き簀でしっかり固めて、ナイフでカット。

 皆、上手な「カエル」の顔が出来ました。私も役割を終え、ほっとひと安心しました。

 
              
 娘が作った「カエル」。「キュウリもかまぼこも食べられない!」ため、私が全部いただきました。
 

 

 

2016年3月19日土曜日

チョコのお返しは・・・

 バレンタインデーにいただいたチョコのお返しに、息子がクッキーを作りました。作ったのは「スノーボール」というクッキー。私が大好きなお菓子で、レシピを探して試作を重ね、ようやく納得できる味になったものです。息子の担当は材料をコネコネして、その出来たタネを2センチほどのボールに丸める作業です。

 手の大きい私が丸めるより、小さな息子が丸めたほうが、とてもかわいらしく、上手に仕上がりました。低めの温度で焼き上げ、粉砂糖をまぶして出来上がりです。

 息子がチョコをもらったのは、同じ幼稚園に通う4人の女の子です。そのうち3人は、ハート型のブラウニーやクッキーなど、お母さんと一緒に作ったもの。で、お返しに、手作りのクッキーをプレゼントすることにしたのです。

 水玉やクマの模様がついた袋に、8個ずつ入れました。もちろん、手作りチョコをくれたママとおねぇねぇにも3つずつ。そして、「僕も食べたい!」と、自分の分もちゃんとラッピングしました。

 娘のお下がりのアンパンマンエプロンをした息子とのクッキーづくりは、楽しい時間でした。娘が幼稚園生のころ、1㎏の小麦粉と500gの砂糖と卵を数個、私が目を離した隙に勝手にボウルに入れてぐちゃぐちゃに混ぜてしまったことを、懐かしく思い出しました。

 

2016年3月15日火曜日

私のランチ

 夫が子供たちを連れて、日曜礼拝に行きました。ランチは3人で食べてくると言います。ゆったりと過ごせる日曜日のランチタイム。子供と夫と一緒のときは食べられないものを、自分のために作ることにしました。

 夫がアメリカ人で、子供がまだ小さいと、食卓に並ぶのは洋食が多くなります。洋食といっても、オムライスやカツカレーなど、私が大好きな洋食ではなく、イタリアンやアメリカンやメキシカンなど。そういうものを常に作ったり、食べたりしていると、無性に和食が食べたくなります。それでなくても、あっさりとした和食が恋しくなる年代。でも、家族の食事を作り、かつ、自分の分だけ和食を作ると、手間も時間もかかります。ですので、いつもはあきらめて、どうしても食べたいときは近所のデリで買うことにしています。

 家族の前では言わないようにしていますが、私が食べたいのはソーセージではなく、「さつま揚げ」です。ピクルスではなく「ワカメとキュウリの酢の物」です。ポトフではなく「おでん」です。プライドポテトではなく、夫と子供たちが大嫌いなマヨネーズで和えた昔ながらの「ポテトサラダ」です。白身魚のソテーではなく、「タラの西京焼き」です。ピザじゃなくて、「お好み焼き」です。ラザニアではなく、「押し寿司」です。シンプルなペペロンチーノではなく、「かけそば」です。煮込んだラタトゥユではなく「筑前煮」です。私が食べたいのは、私が食べたいのは・・・。

 夫と子供たちを送り出した後、冷蔵庫の中を見て、いくつかの野菜を使って自分の食べたいものを自分のために、作りました。いずれも本当にシンプルな料理です。ホウレンソウのおひたし、ダイコンと厚揚げの含め煮、ナスとピーマン焼き(七味唐辛子とお醤油をかけて)、母が送ってくれた煮豆とタラコ。タラコは玄米でいただきました。美味しかったです。やはり、私は日本人。和食は心が落ち着きます。

 ほどなく、夫と子供たちが帰宅しました。アメリカのファミリーレストランのチェーン店「Big Boy」で、ハンバーガーを食べてきたと楽しそうにおしえてくれました。 「ランチはママも合流するわ」と言わなくて良かったです。

 

2016年3月13日日曜日

雨の日には・・・

 東京はこの1週間、雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気が続いています。雨の日で一番困るのは、「ママチャリ」で息子を幼稚園に送れないこと。でも、実際に傘をさしてのんびり歩いて幼稚園に向かうと、普段、自転車で通り過ぎてしまうものにも目を向けることが出来、息子との会話を楽しめることに気が付きました。

 先日の雨の日は、傘を持って家を出た瞬間に息子がこう言いました。
「ママ、知ってる? 雨は神様のおしっこなんだよ」
「えっ? 本当? 誰が教えてくれたの?」
「自分で考えたの」
 
 ユニークな表現でしたので、てっきり娘が教えたものだとばかり思いましたが、違ったようです。「神様のおしっこねぇ・・・」と改めて、神様がおしっこをしている様子を想像しましたが、なんとなく、無防備で、威厳が損なわれる感じもして、ちょっと違うような気がしました。まあ、4歳の子供の考えることですから、笑って聞き流すことにしました。

 手をつないで道を歩いていると、おもしろいものを発見しました。第一発見者は息子。駐車場の前を通り過ぎようとしたときです。
 「ママ、見て! 時計だよ」。横を見ると、大型の車のバンパーの上に時計が置いてあったのです。紳士用のスポーツウオッチです。
 足早に歩く大人なら、決して気が付かないでしょう。それにしても、どうして、車のバンパーの上に時計を置き忘れるのでしょう? 不思議な人もいるものです。
 時計はすっかり雨に濡れていました。スポーツウォッチなので、おそらく防水加工が施されていると思いますが、それにしても、です。
 「きっと、気が付いて取りに来ると思うから、そのままにしてあげようね」と私。忘れた人は、こんなところに置いたことを思い出すでしょうか?

 また、2人で話をしながら歩いていると、息子が、テープの貼られた空地を指さして、言いました。
「ママ、ここにまだ、お家が建たないんだね。きっと、お家を作る人が、休んでばっかりなんだね」
 言われてみれば、ここは古い家が取り壊されて更地になったところ。子供はこういう変化に目ざとく、そして忘れないのだな、と感心。「休んでばっかり」という表現に思わず、くすりと笑います。

 さらにてくてく歩くと、今度は石材屋さんの前を通り過ぎました。入り口が、珍しく開いていました。見てみると、間口が狭いのに、ずいぶん奥までブロック石が積まれていました。息子が言います。
「ここは、石ばっかり屋さんだね」。最近、「ばっかり」という言葉を覚えた息子。石材屋さんのことを、石ばっかり屋さんとは、楽しい表現です。

  息子と傘をさして歩いていると、母と歩いた田舎の風景を思い出しました。父の仕事の関係で、札幌を離れて、田舎町に住んでいたときのことです。浮かんでくるのは、霧が立ち込めた風景。当たりは建物も人もなく、林に向かって細い砂利道が続いています。その砂利道を母と歩いていたら、雨が降ってきました。母は、道端にうっそうと生えている、葉が丸くて大きいフキの茎を折って、私にくれました。私はその茎を持ち、葉を傘にして、歩きました。私が、息子と同じくらいの年齢だったと思います。珍しくて楽しい出来事だったので、記憶してるのでしょう。今、思い返しても、母に守られていた、愛されていたと思える、幸せな思い出です。

 大らかな北海道の風景とは違い、家が立て込んでいて、新旧の小さな商店が立ち並ぶ、私たちの住宅街から駅に向かう風景。ターコイズブルーの自転車でビューンと走り去った記憶だけでなく、雨の日は一緒にのんびりと歩いたことを、息子が記憶してくれれば良いなと、と雨の日を待ち遠しく思う今日このごろです。
 

2016年3月10日木曜日

Mom's Deli(ママのデリ)

 最近の我が家のブームは、「Mom’s Deli(ママのデリ」です。カウンターに料理を並べ、家族に選んでもらうのです。ルールは、野菜を1種類入れること、そして、オーダーする数を自分で決めること。子供たちが、喜んで食べてくれます。

 昨夜のメニューは、カキフライ、スズキのソテー、フライドポテト、ルッコラのサラダ・バルサミコ酢風味、ガーリックチーズのカナッペ、キュウリ、ミニトマト、ブドウです。ブドウは季節外れですが、先日息子にリクエストされたので、オーストラリア産を購入し、この日のメニューに加えました。

 「今日は僕が最初!」と息子が張り切って、踏み台の上に立って、カウンターの前に並びます。
 大皿を持った私が、「今日は何種類になさいますか?」と聞きます。
料理を品定めし、「5種類でお願いします」と息子。息子が選んだのは、スズキのソテー1つ、フライドポテト4つ、カナッペ2つ、キュウリとブドウです。「やった!ブドウだ!」と喜んでくれました。「フライドポテトは4つ。僕4歳だから」と、個数にも一応、意味があったようです。

 次に娘。
 「何種類になさいますか?」
 「4.5種類でお願いします」と、いつもの娘特有のユニークな表現です。
 「4.5種類ってどういう意味?」と聞くと、「キュウリとトマトが同じ皿によそってあるでしょう。私はキュウリはいらないから、4.5種類ってこと」。「ああ、そういうことね」と一旦は納得したものの、「普通は5種類って言うよなあ」と、独特の言い回しをする娘を不思議に思います。

 娘が選んだのは、スズキのソテー2つ、「フライドポテトたくさん」、カナッペ3つ、ミニトマトとブドウです。娘はキュウリが大嫌いで息子は大好き、息子はトマトが大嫌いで娘は大好き。きょうだいでも、やはり好き嫌いは違います。

 さて、選ばれなかった料理は、大人たちが食べます。「カキフライ、こんなに美味しいのにねえ」と夫と私。ルッコラのサラダは、もう十数年も前にイタリアンレストランで食べておいしかったものを自宅で作ってみて、改良を重ね、今は我が家の定番メニューの1つです。子供たちには食べてもらえませんが・・・。

 たまに、和食のデリをしますが、子供たちには不人気です。でも、先日、きんぴらごぼうを出したら、意外にも息子がオーダーし、「美味しいね」と食べてくれました。気長に食卓に出し続けるのが、子供に食べてもらう秘訣でしょうか。

            

2016年3月8日火曜日

ママの秘密

  日曜日、夫が子供たちを連れて外出したので、久しぶりに美容室に行ってきました。いつも行っている青山の美容室のスタイリストが原宿店に移ったというので、原宿まで足を伸ばしました。髪をカットしてもらい軽やかな気分で、周辺を散策。そして、以前夫と行ったことがあるレストランで昼食を取りました。

 髪が整っていると、何となく自分に自信が持てます。「おひとり様ですか?」という店員の質問にも、気後れすることなく、堂々と「はい」と答えることが出来ました。店内に入るとほぼ満員。おそらく、客の3分の1は外国人でしょう。外国人の好む店では、その雰囲気に合わせたものを注文しようと、チキンバーガーとコーラをオーダーしました。缶ごと渡されたコーラを氷の入ったグラスに注ぎ、ぐびぐびと飲みます。ボリュームのあるバーガーをぱくぱくと食べます。そして、本を読みながら、ゆったりとした時間を過ごしました。

 でも、ひとりの時間はそこまでです。夫と子供たちが帰宅する前に自宅に帰らなければと、お会計を済ませて、足早に駅まで歩きました。天気予報が当たって、空は曇天。今にも雨が降りそうです。電車で自宅の最寄り駅まで行き、駐輪場に止めてあった「ママチャリ」に乗って、自宅を目指しました。
 
 帰宅を急いだのは、外に干した洗濯物が気になったからではありません。自宅には、家族に秘密の楽しみが待っているからです。夫と子供たちが帰るまで、少なくとも30分はあるでしょう。その30分で、その秘密の楽しみを満喫できると考えると、自転車をこぐ足の動きもリズミカルになります。

 さて、帰宅して、コートをかけて、私がまっすく向かったのは、冷凍庫です。冷凍肉など食材をより分けると、目指すものがありました。「ニューヨークチーズケーキ」が入った箱です。それも、1ホール。数日前、スーパーの「冷凍食品30%OFF」クーポンを使って、”ゲット”したのものです。アイスクリームを探す子供たちに見つからないように、食材を幾重にも重ねて隠しているのです。

 直径20センチはあるチーズケーキは、1ホールを12個に切ってあります。それを、毎日おやつにいただきます。買った翌日はあまりに嬉しくて、午前と午後、1日2回いただきました。チーズケーキを皿によそって、コーヒーを入れている間に、少しだけケーキが溶けます。少し固めのチーズケーキをフォークで差して一口分をすくい、口に入れるあの瞬間・・・。甘い物好きの私にとって、至福のひとときです。

  チーズケーキを1ホールを独り占めできるー。こんな幸せはあるでしょうか?これは、私だけの秘密。子供たちにはもちろん、話しません。昨日はあまりの嬉しさに、つい、口を滑らせ、娘に「チーズケーキ食べる?」と聞いてしまいましたが、慌てて、ごまかしました。

 明日も、明後日も、チーズケーキは冷凍庫にあります。やっぱり、この幸せは子供たちと共有すべきかしら?と思いつつ、まだ、子供たちに言えないでいます。

                     

 
 

2016年3月7日月曜日

ひな人形を仕舞う

 昨日、やっと雛人形を仕舞いました。翌日の4日に片付けるはずが、2日も延びてしまいました。時間がなかったわけではありません。親王飾りと、玄関のミニチュア人形しかないのに、何となく面倒で、つい先延ばしにしてしまったのです。

 母からは4日に、「これから片付けます!」と7段飾りの写メールが届きました。7段飾りなど、飾っても仕舞っても、気の遠くなる時間がかかります。それでも、母は毎年、欠かさず飾ります。「お雛様は1年に1度出してもらうのを、楽しみにしているの。だから、必ず、毎年出すの」と言います。本当に我が母親ながら、頭が下がります。

 私もその言いつけを守り、毎年必ず飾っています。が、飾るのは、早くて1週間前。仕舞うのは数日後です。 周りのママ友達に聞いても似たようなもので、中には、「今年は出さなかったわ」という強者も。昔から、「いつまでも片付けないと、娘の婚期が遅れる」と言いますが、出さなかったママ友達は娘3人。嫁に行っても行かなくても、早く行っても遅れて行っても、どちらでもよいと腹が据わっているのでしょう。私の場合、母は毎年4日に必ず仕舞っていましたが、私が結婚したのは36歳。あの言い伝えは迷信だと、自ら証明しましたので、私も一種、開き直っています。

 そのようなことを言いつつも、やはり、桃の節句は心が華やぎます。今年は桃の花を活けました。キッチンがパッと明るくなりました。子供たちが嫌いなので、ちらし寿司は作りませんでしたが、「私も一応、女の子だし」と、自分一人分だけ買いました。母からは娘に、「サーティワンアイスクリーム」のギフト券が届きましたので、家族で雛人形がついたアイスクリームを美味しくいただきました。

 「お雛様、また、来年ね」-。母が毎年、そう言葉を掛けながら雛人形を仕舞っていたことを思い出し、昨日は、私も「お雛様、また、来年ね」と声をかけながら、仕舞いました。やはり、母の言いつけや習慣の一部は、子供の心の中に刻まれているということでしょう。

              
 
      玄関に飾った、ミニチュアのひな人形

2016年3月3日木曜日

片付けの極意

 朝、洗濯機が置いてある家事室に行くと、洗濯物を入れるピンクの大型バスケットの中に山のように服が入っていました。洗濯機は毎日2、3回回します。昨日もバスケットを空にしたばかり。「またーっ」とうんざりとした気持ちで、洗濯物を見ると、娘の物が多い。通りで一気に洗濯物が増えたはずです。

 グレーのセーターを引っ張り上げ、良く見ると、一回着ただけのセーターです。私は「ホントにもう・・・」と心の中でつぶやき、セーターをたたんで、カウンターの上に置きます。そして、ピンクのセーターを引っ張り上げ、点検します。全く、汚れていません。私はまた、それもきれいにたたんで、グレーのセーターの上に乗せて、娘の部屋に行きました。

 娘は帰宅後制服から着替え、パジャマに着替えるまで着た服を、翌朝簡単に洗濯機横のバスケットに入れます。「2日ぐらいは着なさい!」という言いつけは、何度言っても、守りません。ですので、全く汚れていない服をたたんで、娘の部屋に戻すのは私の役目。当然、娘はそのことを知りません。

 さて、3段のカラーボックスが並ぶ収納エリアのドアを開けて、まるで洗濯したばかりの服を入れるようにセーターを戻すと、ジーンズとスパッツが入れてあるカラーボックスの一番上の段のジーンズだけが、きれいにたたんでしまわれています。

 「片付けたの?」と娘に聞くと、
 「うん。1日1段って決めて片付けることにしたの」と娘は答えます。

 「うーん、明日も続けばいいけど・・・」と心の中で思いながらも、私は「それって、片付けの本でアドバイスされている方法だよ。今日はこの部屋を片付けよう!と意気込むからうんざりして出来ない。一日引き出し1つとか小さい目標のほうが長く続くらしいよ。すごいね。そのことを気付いたんだね」と大げさに娘をほめます。
 娘はわざわざ私のところまで来て、「1日1段片づけたら、1週間でだいたい片付くでしょ」と得意げに語ります。

 ほめる子育て。これは最近の子育ての主流です。その効果のほどは分かりませんが、おそらく、良い面もあるのでしょう。しかし、あまりほめられないで育った私の世代では、これがなかなか難しい。意識しないと、叱ってばかりで終わってしまうのです。で、気が付いたときに、”意識して”ほめるようにしています。このときも、「これはほめるチャンスかも」と一応トライしてみました。

 さて、翌日の夜。宿題をやったかどうかのチェックをしに娘の部屋に行ってみると、昨日の片づけは三日坊主ならぬ、一日坊主だったらしく、見慣れた光景が目に飛び込んできました。

 勉強道具が入ったリュックサックが乱雑に床に置かれ、コートも床に脱ぎっぱなし。前日の工作の紙類が床に散らばり、机の上にも物が無秩序に積み上げられていました。私はうんざりしながら、娘に言います。おそらく、子供を持つ、多くの家庭で繰り広げられている母子の会話でしょう。

 「どうして、学校から帰ってきたら、コートをかけないの? 工作が終わったら、紙屑はゴミ箱に捨てなさい!何で、お菓子の袋がここに散らかっているの? 食べ終わったら、ゴミ箱に捨てなさい!あらっ、これはバスタオルでしょ? どうして、使い終わったバスタオルはバスルームのタオルかけにかけないの?」

 私の小言は、右の耳から入り、頭の中にいっときも止まらず、左の耳から抜けていく娘は私に言います。
 「ママ、私はこういう状態が、とっても心が落ち着くの。だから、このままでいいの」

 散らかった状態が落ち着く・・・。私は、返す言葉がありませんでした。きちんと育てようと努力はしましたが、散らかった状態で心落ち着く娘を育ててしまったのは、私の責任です。

 一瞬、「片付けられない症候群」という言葉が頭をよぎりましたが、私は小言をたたみかける代わりに、「濡れたバスタオルを、布団の上に置いたままにするのはやめなさい」と力なく言い、布団の上の濡れたバスタオルを取り上げ、娘の部屋のドアを静かに閉めたのでした。

 そして、娘が小学校低学年のころにした、会話を思い出しました。
 「どうして、先生やママやダディに言われたことを、頭の中に留めておかないの!」
 「だって、頭、つまっちゃうんだもん」

 その風通しの良い頭で、あの独創的なアイディアが生まれるのでしょう。でも、それとこれとは・・・。娘を育てる母としては、悩ましいところです。