体調が良くなってから、自分が長らく病人だったことを意識することが少なくなりました。それでも数カ月に一度の定期検診の日は、自分はがん患者であることを思い出します。先日、”かかりつけ医”である、国立がん研究センター中央病院に行きました。様々な思いが蘇ってきました。
私がかかっているのは「血液腫瘍科」。昨年初めて場所が変わりました。が、15年近い習慣とは恐ろしいもので、受付を済まして当然のようにエスカレーターで2階に行き、血液・尿検査を済ませ、同科のあった「B外来」へ。待合室の椅子の空きまでチェックして、自動受付機へ。そこで、はたと気付いたのです。血液腫瘍科は1階に移ったことを。
心の中で苦笑しながら、エスカレーターで1階へ。同科がある場所に向かうと、入り口近くに展示されている「書き初め展」が目に飛び込んできました。小児病棟に入院する子供たちの作品です。
同病院の小児病棟には、入院中でも子供たちが学校生活を続けることが出来るように、東京都立墨東特別支援学校の分教室が開設されています。「いるか分教室」といいます。小学校1年生から高校3年生までの子供たちが対象です。
展示されていた書き初めは15点。どれも伸びやかで、堂々とした筆遣いでした。左側の小学生の作品から1点1点をじっくりと見ていきました。中・高校生になると、言葉の意味と、その言葉を選んだ理由が添えられています。
一番右の作品は「力戦奮闘」です。作品の下に添えられた「言葉の意味」は「力を尽くし、勇気を奮って、戦うこと」。ここで学ぶ生徒の中で一番年長なのでしょう。字も立派でした。その横に書かれた「この言葉を選んだ理由」を読んだとき、思わず目がしらが熱くなりました。
「勇気をもってどんな治療にも挑戦しようと思ったから」
抗がん剤、手術、放射線、造血幹細胞移植・・・。大人にとっても、たいへんな治療です。ましてや、本来なら学校で学び、校庭を走り回り、運動に汗を流し、友人とのおしゃべりを楽しんでいるはずの子供たちにとって、本当に辛いものに違いありません。しかし、その境遇を前向きに受け止めようとしている。その真っ直ぐな心に、ただただ頭が下がりました。
この子供たちの親に思いをはせました。治療する我が子を見守るのは、どれほど辛いことかと。私はこの病院で治療する子供たちの姿を見るたびに、心の中で手を合わせてきました。子供たちの治療が軽いものであること、子供たちのがんが消えることを願うとともに、ここで治療するのが家族ではなく自分であることに心から感謝をしました。
私が38歳で最初の抗がん剤治療をしたとき、母はよく「代われるものなら、代わってあげたい」と言っていました。中年に差し掛かっている子供の親でさえそう思うのですから、この書き初め展に出展している子供たちの親ならその思いは尚更でしょう。「私が代わってあげたい」と心の中で泣きながら、でも、その思いなどおくびにも出さずに、「大丈夫。お薬は効くから(手術はうまくいくから)」と明るく子供を励ましていることでしょう。
そのようなことを思いながら、作品に見入っていると、中年の女性が声をかけてきました。
「すばらしいですね」
「本当に」
短い言葉を交わしました。自分か、家族か、もしくは友人がこの病院に通っているのでしょうか。その女性のひと言には、私と似たような心の動きが感じ取れました。
健康な人たちに囲まれて生活し、自分もつつがなく日常生活が送れるようになっている今、そのことを当然のように勘違いしてしまいます。がん専門病院に通う子供たちの書き初め展は、感謝の気持ちを忘れずに暮らすことの大切さを、改めて私に思い出させてくれたのでした。
2018年1月26日金曜日
2018年1月23日火曜日
雪遊び
昨日の大雪、子供たちは大喜びでした。雪の影響で、今日の娘の登校時間は10時、息子の登園時間は10時半と遅めでしたので、朝から外遊びを楽しみました。
年に1、2回しかない東京での雪の日は、私も気持ちがワクワクします。子供たちが帽子や手袋をつけて外に飛び出していくと、私もカメラを持って一緒に飛び出しました。
地面が雪で覆われている様子をめったに見ない子供たちは、雪の上に仰向けに寝てみたり、雪投げをしたりして大はしゃぎ。
降園後は、私が息子と一緒に遊びました。どんどん雪が溶けていくのを惜しみながら、雪だるまを作ったり、雪投げをしたりして楽しみました。
「ママ、雪投げるの上手だね」と息子にほめられ、「そうだよ、ママは雪国育ちだからね」と自慢。
年に1、2回しかない東京での雪の日は、私も気持ちがワクワクします。子供たちが帽子や手袋をつけて外に飛び出していくと、私もカメラを持って一緒に飛び出しました。
地面が雪で覆われている様子をめったに見ない子供たちは、雪の上に仰向けに寝てみたり、雪投げをしたりして大はしゃぎ。
降園後は、私が息子と一緒に遊びました。どんどん雪が溶けていくのを惜しみながら、雪だるまを作ったり、雪投げをしたりして楽しみました。
「ママ、雪投げるの上手だね」と息子にほめられ、「そうだよ、ママは雪国育ちだからね」と自慢。
2018年1月22日月曜日
おもち vs. ピーナッツ
「ダディに、おもちをもう食べちゃ駄目だって言われたの」
夕方、学校帰りの娘を最寄り駅まで迎えに行く車の中、息子がぽつりとつぶやきました。息子は続けます。「英語で、You've got to stop eating Mochi って」
つつがなく一日を終えつつある、幸せな気分が吹き飛びました。
「いったい、おもちのどこが悪いっていうのよ」。私は、心の中でつぶやきました。
夫が息子におもちを止めるように言った理由は分かります。「太る」という理由です。私は、心の中とは裏腹に、一応は穏やかに息子に言いました。「そうだね、おもちは食べ過ぎると太るからね。きっと、ダディは子供たちが太ることを気にしているのよ」と。
日本の伝統的食べ物であり、かつ、生粋の日本人の私と半分日本人の子供たちが愛するおもちを「肥満の元」と目の敵にする夫。夫は、元旦から毎朝おもちを食べ続けている子供たちを見ることに耐えられず、つい息子に文句を言ったらしいのです。もちろん、私には遠回しな表現で「子供たちのもちの量を、少なくしたほうが良いと思う」と言っていましたが、息子には「have got to stop」という強い表現を使っていたのです。
折しも前夜、夫は「Movie Night」と称して、夕食後、ソファに座って子供たちと一緒に映画を見ながらコーンチップス1袋とピーナッツ1袋、りんご2個を食べていました。私は、キッチンに置いてあった空のピーナッツの袋に書かれたカロリーを見て、卒倒しそうになったばかり。
そこには「100グラム当たり624㌔カロリー」と書かれていました。その袋には185グラムのピーナッツが入っていますので、つまり3人は1,154㌔カロリーのピーナッツを夕食の後に食べたのです。304㌔カロリーのコーンチップスと、健康的ではありますが、リンゴ2個も一緒に。
北京出張の前夜に、子供たちと一緒に映画を見ようと会社帰りにスーパーに立ち寄りスナックを買ってきた子煩悩な夫に、 私は「目をつぶってあげた」つもりです。にも関わらず、翌日の朝食のおもちに文句を言うとは。
ここは謙虚な気持ちを忘れず、そのおもちには「こしあん」が乗っかり、少々カロリーが高めだったことは認めましょう。が、就寝前のピーナッツとコーンチップスよりましでしょう、と私は心の中で憮然とします。
日本人であることを、何よりも誇りに思っている私。おもちをけなされて黙っているわけにはいきません。夫に”宣戦布告”をしようと思いました。私は携帯電話を取り出し、メールを開いてアルファベットを打ち始めました。
「ハーイ! 無事北京に着いた? ところで、おもちを食べるなって子供たちに注意をしたらしいんだけど、昨夜あなたが子供たちと食べたピーナッツ、1袋1、154㌔カロリーだったのよ。夕食をお腹一杯食べた後、ソファに座って映画を見ながら、チップスやピーナッツを食べるのが、アメリカの”文化”であることは認めるし、それを尊重するわ。でも、これから一日の活動を始める前の朝食として食べるおもちと、夕食後、寝る前に食べるピーナッツとどちらが太るか、しっかりと考えてみて」
勢いに任せて書いた文章を読み返し、私は熟考しました。そして自分に言い聞かせました。「私は分別のある大人の女性。おもちをけなされたぐらいで平常心を失ってはいけない」と。国際結婚をした夫婦円満の秘訣は、相手の国を尊重すること。愛国心を前面に出さないこと。それを忘れてはいけない、と。
そうです。私は、「カロリーゼロ」のダイエットコークを飲みながら、高カロリーのチップスやピーナッツをほおばるという、矛盾した行動を取るアメリカ人を尊重しなければなりません。私は、「このほとばしる愛国心を抑えなければ」と自分に言い聞かせたのです。
が、そのメール。結局、送信しました。文章に説得力を持たせるため、カロリーの表示されたピーナッツの空の袋の写真を添付して。
夫からは返信はありませんでした。が、翌日、何事もなかったように事務的な連絡をすると、夫からはすぐ、何事もなかったように連絡が来ました。
相手の国の文化・慣習を否定する発言は喧嘩の元と、一応はわきまえている夫。「地雷を踏んでしまった」と思っていたのかもしれません。いや、「ここは、黙っているほうが得策だ」と考えたのでしょうか? 返信なしの真意は、謎です。
夕方、学校帰りの娘を最寄り駅まで迎えに行く車の中、息子がぽつりとつぶやきました。息子は続けます。「英語で、You've got to stop eating Mochi って」
つつがなく一日を終えつつある、幸せな気分が吹き飛びました。
「いったい、おもちのどこが悪いっていうのよ」。私は、心の中でつぶやきました。
夫が息子におもちを止めるように言った理由は分かります。「太る」という理由です。私は、心の中とは裏腹に、一応は穏やかに息子に言いました。「そうだね、おもちは食べ過ぎると太るからね。きっと、ダディは子供たちが太ることを気にしているのよ」と。
日本の伝統的食べ物であり、かつ、生粋の日本人の私と半分日本人の子供たちが愛するおもちを「肥満の元」と目の敵にする夫。夫は、元旦から毎朝おもちを食べ続けている子供たちを見ることに耐えられず、つい息子に文句を言ったらしいのです。もちろん、私には遠回しな表現で「子供たちのもちの量を、少なくしたほうが良いと思う」と言っていましたが、息子には「have got to stop」という強い表現を使っていたのです。
折しも前夜、夫は「Movie Night」と称して、夕食後、ソファに座って子供たちと一緒に映画を見ながらコーンチップス1袋とピーナッツ1袋、りんご2個を食べていました。私は、キッチンに置いてあった空のピーナッツの袋に書かれたカロリーを見て、卒倒しそうになったばかり。
そこには「100グラム当たり624㌔カロリー」と書かれていました。その袋には185グラムのピーナッツが入っていますので、つまり3人は1,154㌔カロリーのピーナッツを夕食の後に食べたのです。304㌔カロリーのコーンチップスと、健康的ではありますが、リンゴ2個も一緒に。
北京出張の前夜に、子供たちと一緒に映画を見ようと会社帰りにスーパーに立ち寄りスナックを買ってきた子煩悩な夫に、 私は「目をつぶってあげた」つもりです。にも関わらず、翌日の朝食のおもちに文句を言うとは。
ここは謙虚な気持ちを忘れず、そのおもちには「こしあん」が乗っかり、少々カロリーが高めだったことは認めましょう。が、就寝前のピーナッツとコーンチップスよりましでしょう、と私は心の中で憮然とします。
日本人であることを、何よりも誇りに思っている私。おもちをけなされて黙っているわけにはいきません。夫に”宣戦布告”をしようと思いました。私は携帯電話を取り出し、メールを開いてアルファベットを打ち始めました。
「ハーイ! 無事北京に着いた? ところで、おもちを食べるなって子供たちに注意をしたらしいんだけど、昨夜あなたが子供たちと食べたピーナッツ、1袋1、154㌔カロリーだったのよ。夕食をお腹一杯食べた後、ソファに座って映画を見ながら、チップスやピーナッツを食べるのが、アメリカの”文化”であることは認めるし、それを尊重するわ。でも、これから一日の活動を始める前の朝食として食べるおもちと、夕食後、寝る前に食べるピーナッツとどちらが太るか、しっかりと考えてみて」
勢いに任せて書いた文章を読み返し、私は熟考しました。そして自分に言い聞かせました。「私は分別のある大人の女性。おもちをけなされたぐらいで平常心を失ってはいけない」と。国際結婚をした夫婦円満の秘訣は、相手の国を尊重すること。愛国心を前面に出さないこと。それを忘れてはいけない、と。
そうです。私は、「カロリーゼロ」のダイエットコークを飲みながら、高カロリーのチップスやピーナッツをほおばるという、矛盾した行動を取るアメリカ人を尊重しなければなりません。私は、「このほとばしる愛国心を抑えなければ」と自分に言い聞かせたのです。
が、そのメール。結局、送信しました。文章に説得力を持たせるため、カロリーの表示されたピーナッツの空の袋の写真を添付して。
夫からは返信はありませんでした。が、翌日、何事もなかったように事務的な連絡をすると、夫からはすぐ、何事もなかったように連絡が来ました。
相手の国の文化・慣習を否定する発言は喧嘩の元と、一応はわきまえている夫。「地雷を踏んでしまった」と思っていたのかもしれません。いや、「ここは、黙っているほうが得策だ」と考えたのでしょうか? 返信なしの真意は、謎です。
2018年1月18日木曜日
ヘアドネーション
娘には、アメリカ人のいとこが6人います。そのうち5人が女子。活発で明るい、このマイヤー家の女子たちの間で、あるボランティア活動が受け継がれています。ヘアドネーションです。
ヘアドネーションは、病気や治療で髪を失った人たちに医療用ウィグ(かつら)を提供する目的で、自分の髪を寄付すること。現在テキサス州の大学院に通う姪が中学生のとき、「がん治療で髪を亡くした子供のために役に立ちたい」と美しいブロンドの髪をばっさりと切って寄付したのが最初でした。続いてイリノイ州シカゴに住む高校生と小学生の姪も数年前、それぞれ茶色とブロンドの髪を寄付しました。
昨年末、たまたまテレビのスイッチを入れたところ、日本でのヘアドネーションの活動を紹介する番組が目に飛び込んできました。娘を呼び、一緒に見ました。番組を見終わった後、娘が「私もいとこたちみたいに、髪を寄付したい」と言い出したのです。
さっそく、インターネットで調べてみました。「ヘアドネーション」で検索すると、日本ではNPO法人を中心にいくつか活動を行っている団体がありました。NPO法人のサイトによると、寄付に必要な髪の長さは31センチ以上。長さ31センチの髪を寄付するためには、かなり伸ばさなければなりません。娘は小さなころからストレートのロングヘアですが、長さがまだ十分ではなく、今切れば寄付した後の髪型はショートカットになります。かといって、これ以上伸ばすのも日常の手入れが大変です。
もう少し短い長さはないかと調べると、ありました。長さ15センチでも良い寄付が。帽子の下から髪の毛が出ているウィグ用です。サイトに掲載されている写真は、毛糸の帽子を被った女の子でした。帽子から出ている髪は自然で、とても可愛らしいウィグでした。その長さで寄付をすることにしました。
娘も私もすっかり乗り気になっていたとき。夫が口を挟みました。「髪は切ると印象が変わるから慎重に考えたほうがいいぞ」「切った後、後悔しても元の長さになるのに1年半や2年はかかるぞ」、などなど。要するに、娘には長い髪をしていてほしいと思っているのです。
私は夫を説得します。
「まずは娘の気持ちを大切にしましょうよ。どうせ、髪は伸びるんだから。それに、切ると頭は軽いし、髪を洗うのも簡単なの。それに早く乾くのよ」
娘も夫を説得します。
「髪は切ったら、捨てられるんだよ。もったいないよ。必要な人がいるのなら、寄付したい」
その言葉を聞き、夫はしぶしぶ了承しました。夫は合理性を尊ぶアメリカ人ですが、娘の髪となると、割り切れないものがあるでしょう。
娘は、幼稚園生のときに初めて行ったキティちゃんの美容室で、今も髪を切っています。年明け早々、そこに電話をしてヘアドネーション用に髪を切ってもらえるか、聞いてみました。すると、間髪を入れず「はい、承りますよ」とのこと。これまで、同様に髪を寄付する子供が幾人かいたようで、慣れているようです。
美容室によっては、切った髪を団体への送ってくれるところもあるようですが、その美容室の担当者は「送るのは、ご本人にお願いしています」とのこと。もちろん、それで十分。指定された方法で、私が娘の髪を切るのは不安でしたので。
絡まっている娘の髪を丁寧にとかして、さっそく美容室に向かいました。椅子の背もたれにかかるほど長くなっていた娘の髪を、美容師さんが4つに分けて、定規で毛先から15センチを測りながら、ゴムで縛りました。そのゴムの1センチ上をじょきじょきと切り、最後に1つにまとめてゴムで縛り、紙袋に入れて渡してくれました。
フルウィグを1つ作るのには、2、30人分の髪の毛が必要だそうです。初めは、1人の人間の髪を全部切るのに、なぜ2、30人分も?と不思議に思いました。が、切ってゴムでまとめた娘の髪の毛の量は、想像していたよりずっと少なかった。2、30人分の髪が必要だということに合点がいきました。
切った後は、毛先をそろえてもらいました。肩に触れるぐらいの長さになりました。活発な女の子という感じに見えて、よく似合いました。本人も満足そうでした。
「困っている人のために、自分が出来ることをする」という活動で、2018年をスタートさせた娘。私も2度、髪が全部抜けて、辛い思いをした経験があります。それを知っている娘がヘアドネーションをしてくれたことをとても嬉しく思うとともに、娘の髪が病気や治療で苦しむ子供の助けになると思うと、私も温かな気持ちで新しい年をスタート出来たのでした。
ヘアドネーションは、病気や治療で髪を失った人たちに医療用ウィグ(かつら)を提供する目的で、自分の髪を寄付すること。現在テキサス州の大学院に通う姪が中学生のとき、「がん治療で髪を亡くした子供のために役に立ちたい」と美しいブロンドの髪をばっさりと切って寄付したのが最初でした。続いてイリノイ州シカゴに住む高校生と小学生の姪も数年前、それぞれ茶色とブロンドの髪を寄付しました。
昨年末、たまたまテレビのスイッチを入れたところ、日本でのヘアドネーションの活動を紹介する番組が目に飛び込んできました。娘を呼び、一緒に見ました。番組を見終わった後、娘が「私もいとこたちみたいに、髪を寄付したい」と言い出したのです。
さっそく、インターネットで調べてみました。「ヘアドネーション」で検索すると、日本ではNPO法人を中心にいくつか活動を行っている団体がありました。NPO法人のサイトによると、寄付に必要な髪の長さは31センチ以上。長さ31センチの髪を寄付するためには、かなり伸ばさなければなりません。娘は小さなころからストレートのロングヘアですが、長さがまだ十分ではなく、今切れば寄付した後の髪型はショートカットになります。かといって、これ以上伸ばすのも日常の手入れが大変です。
もう少し短い長さはないかと調べると、ありました。長さ15センチでも良い寄付が。帽子の下から髪の毛が出ているウィグ用です。サイトに掲載されている写真は、毛糸の帽子を被った女の子でした。帽子から出ている髪は自然で、とても可愛らしいウィグでした。その長さで寄付をすることにしました。
娘も私もすっかり乗り気になっていたとき。夫が口を挟みました。「髪は切ると印象が変わるから慎重に考えたほうがいいぞ」「切った後、後悔しても元の長さになるのに1年半や2年はかかるぞ」、などなど。要するに、娘には長い髪をしていてほしいと思っているのです。
私は夫を説得します。
「まずは娘の気持ちを大切にしましょうよ。どうせ、髪は伸びるんだから。それに、切ると頭は軽いし、髪を洗うのも簡単なの。それに早く乾くのよ」
娘も夫を説得します。
「髪は切ったら、捨てられるんだよ。もったいないよ。必要な人がいるのなら、寄付したい」
その言葉を聞き、夫はしぶしぶ了承しました。夫は合理性を尊ぶアメリカ人ですが、娘の髪となると、割り切れないものがあるでしょう。
娘は、幼稚園生のときに初めて行ったキティちゃんの美容室で、今も髪を切っています。年明け早々、そこに電話をしてヘアドネーション用に髪を切ってもらえるか、聞いてみました。すると、間髪を入れず「はい、承りますよ」とのこと。これまで、同様に髪を寄付する子供が幾人かいたようで、慣れているようです。
美容室によっては、切った髪を団体への送ってくれるところもあるようですが、その美容室の担当者は「送るのは、ご本人にお願いしています」とのこと。もちろん、それで十分。指定された方法で、私が娘の髪を切るのは不安でしたので。
絡まっている娘の髪を丁寧にとかして、さっそく美容室に向かいました。椅子の背もたれにかかるほど長くなっていた娘の髪を、美容師さんが4つに分けて、定規で毛先から15センチを測りながら、ゴムで縛りました。そのゴムの1センチ上をじょきじょきと切り、最後に1つにまとめてゴムで縛り、紙袋に入れて渡してくれました。
フルウィグを1つ作るのには、2、30人分の髪の毛が必要だそうです。初めは、1人の人間の髪を全部切るのに、なぜ2、30人分も?と不思議に思いました。が、切ってゴムでまとめた娘の髪の毛の量は、想像していたよりずっと少なかった。2、30人分の髪が必要だということに合点がいきました。
切った後は、毛先をそろえてもらいました。肩に触れるぐらいの長さになりました。活発な女の子という感じに見えて、よく似合いました。本人も満足そうでした。
「困っている人のために、自分が出来ることをする」という活動で、2018年をスタートさせた娘。私も2度、髪が全部抜けて、辛い思いをした経験があります。それを知っている娘がヘアドネーションをしてくれたことをとても嬉しく思うとともに、娘の髪が病気や治療で苦しむ子供の助けになると思うと、私も温かな気持ちで新しい年をスタート出来たのでした。
2018年1月7日日曜日
日本人母の悩み
年が明けました。ありがたいことに、我が家は穏やかで良いお正月を迎えることができました。しかし、今年は「おせち料理」を巡り、深く考えさせられる出来事がありました。
大晦日と元旦に食卓に並べた「うま煮」(煮しめ)。10種類の食材を別々に下煮してから、煮含めるこの手間のかかる料理を、私は母から受け継いだおせち料理の1つとして毎年作っています。元旦には出汁を取ったお雑煮も作ります。
が、今年のお正月は娘からはっきりと言われてしまったのです。「お正月は好きじゃない。嫌いなお料理を食べなければならないから」と。そして、夫にも言われました。「来年のお正月は、子供たちには別の料理を用意したほうが良いかもね」と。
私は平然とした表情で子供たちに、「これがお正月に食べる日本の伝統料理なの。あなたたちは半分日本人なんだから、和食をおいしく食べられるようでなきゃ駄目」と諭します。が、心の中でうなだれました。こうなったのは、私の責任だーと。
我が家では、クリスマスやイースター(復活祭)、サンクスギビング(感謝祭)などアメリカの行事の日は夫が、お正月や節分、子供の日など日本の行事の日は私が料理を作ります。
私はおせち料理やちらし寿司など母が作る「ハレの日」の料理が大好きでした。が、残念なことに子供たちはアメリカの行事のときに食べる料理は好きですが、日本の行事のときの料理は好きではないのです。日本人だったら、気持ちが華やぐであろうこれらの料理を、半分は日本人の血が流れる子供たちが嫌がるなんて、寂し過ぎます。
行事の日だけでなく、普段の料理でも、子供たちは夫が作る料理が大好き。ピザ(クラストから作ります)、スペアリブ、リゾットなどです。子供たちは私が作るマカロニチーズやラザニア、ブイヤベースなど欧米の料理も大好きですが、和食のほとんどは「美味しくない」と言い、少量だけしか食べません。喜んで食べるのは、納豆巻きとジャガイモのお味噌汁、焼き鳥・焼き魚、サツマイモの天ぷら、生姜焼き肉、かぼちゃの煮付け、きりたんぽ鍋ぐらいでしょうか?
なぜ、こうなったのか? 調理の仕方が悪いかも?とも考え工夫したこともありました。が、煮物やちらし寿司などは誰が作っても大差はないでしょう。ついに私は、母にこれまでも何度か指摘され、認めたくなかった理由を受け入れることにしたのです。子供たちが幼いころに食べ慣れなかったからだ、という理由を。
そうです。私は、アメリカ人の夫への遠慮から、あまり和食を作らなかったのです。夫は納豆はもちろんのこと海藻や魚のすり身、小魚、魚卵、鰹節、こんにゃくなどの食材が嫌いです。また、しょうゆ・みりん・酒・砂糖という和食の基本の味付けの中の砂糖を好みません。日本人だったら冬に恋しいおでんは嫌いです。私が愛するさつま揚げやひじきは大嫌いです。お味噌汁も好みません。ですので、私は夫が嫌いな料理は作らず、苦手な食材は使わず、煮物など作るときは砂糖をほとんど入れません。ですので、私が食べたい料理や味ではなくなるため、段々と作らなくなったのです。
そして、私が和食を食べたいとき(頻繁にあります)は、一人分だけ作ったり、総菜屋さんで買ってきたり、冬はコンビニエンスストアでおでんを買ったりして、昼間など家族がいないときに食べていたのです。
それが、子供たちに影響したに違いありません。娘が和食嫌いになったことを反省した私は、息子のときは少し努力しました。その母親としての当たり前の努力が実り、息子はワカメのお味噌汁やきんぴらごぼう、肉じゃが、豚汁、ひじき入りご飯などは好んで食べるようになりました。そう、赤ちゃんのころから、食べ慣れた味だからです。
ちなみに、2人とも納豆が好きなのは「日本の食材の代表である納豆を食べないのは許されない」という私の強い思いから、夫に「匂いが耐えられない」と文句を言われつつも子供たちに食べさせていたからに他なりません。
さて、12月に1泊2日で母の様子を見に帰省した時、母は私の大好物のうま煮を作って待っていてくれました。
本当に美味しかった。これぞ、母の味です。でも、将来娘や息子が独立し、久しぶりに帰省するときは絶対作らない料理でしょう。おそらく私が作る料理は、少なくとも日本人母としての矜持を保つため、コロッケなど「日本の洋食」ぐらいに落ち着くんだろうなと思っています。
このうま煮。今年の元旦は娘に文句を言われましたが、私はあきらめるつもりはありません。今年の年末も作ります。もちろん、元旦までは夫の好みの砂糖をほとんど使わず作ったものを食卓に出し、2日に砂糖を加えて自分の好みの味(つまり母の味)にして食べるーという工夫は続けますが。
しつこく作っているうちに、子供たちが「美味しいね」と食べてくれるようになることを願っています。
大晦日と元旦に食卓に並べた「うま煮」(煮しめ)。10種類の食材を別々に下煮してから、煮含めるこの手間のかかる料理を、私は母から受け継いだおせち料理の1つとして毎年作っています。元旦には出汁を取ったお雑煮も作ります。
が、今年のお正月は娘からはっきりと言われてしまったのです。「お正月は好きじゃない。嫌いなお料理を食べなければならないから」と。そして、夫にも言われました。「来年のお正月は、子供たちには別の料理を用意したほうが良いかもね」と。
私は平然とした表情で子供たちに、「これがお正月に食べる日本の伝統料理なの。あなたたちは半分日本人なんだから、和食をおいしく食べられるようでなきゃ駄目」と諭します。が、心の中でうなだれました。こうなったのは、私の責任だーと。
我が家では、クリスマスやイースター(復活祭)、サンクスギビング(感謝祭)などアメリカの行事の日は夫が、お正月や節分、子供の日など日本の行事の日は私が料理を作ります。
私はおせち料理やちらし寿司など母が作る「ハレの日」の料理が大好きでした。が、残念なことに子供たちはアメリカの行事のときに食べる料理は好きですが、日本の行事のときの料理は好きではないのです。日本人だったら、気持ちが華やぐであろうこれらの料理を、半分は日本人の血が流れる子供たちが嫌がるなんて、寂し過ぎます。
行事の日だけでなく、普段の料理でも、子供たちは夫が作る料理が大好き。ピザ(クラストから作ります)、スペアリブ、リゾットなどです。子供たちは私が作るマカロニチーズやラザニア、ブイヤベースなど欧米の料理も大好きですが、和食のほとんどは「美味しくない」と言い、少量だけしか食べません。喜んで食べるのは、納豆巻きとジャガイモのお味噌汁、焼き鳥・焼き魚、サツマイモの天ぷら、生姜焼き肉、かぼちゃの煮付け、きりたんぽ鍋ぐらいでしょうか?
なぜ、こうなったのか? 調理の仕方が悪いかも?とも考え工夫したこともありました。が、煮物やちらし寿司などは誰が作っても大差はないでしょう。ついに私は、母にこれまでも何度か指摘され、認めたくなかった理由を受け入れることにしたのです。子供たちが幼いころに食べ慣れなかったからだ、という理由を。
そうです。私は、アメリカ人の夫への遠慮から、あまり和食を作らなかったのです。夫は納豆はもちろんのこと海藻や魚のすり身、小魚、魚卵、鰹節、こんにゃくなどの食材が嫌いです。また、しょうゆ・みりん・酒・砂糖という和食の基本の味付けの中の砂糖を好みません。日本人だったら冬に恋しいおでんは嫌いです。私が愛するさつま揚げやひじきは大嫌いです。お味噌汁も好みません。ですので、私は夫が嫌いな料理は作らず、苦手な食材は使わず、煮物など作るときは砂糖をほとんど入れません。ですので、私が食べたい料理や味ではなくなるため、段々と作らなくなったのです。
そして、私が和食を食べたいとき(頻繁にあります)は、一人分だけ作ったり、総菜屋さんで買ってきたり、冬はコンビニエンスストアでおでんを買ったりして、昼間など家族がいないときに食べていたのです。
それが、子供たちに影響したに違いありません。娘が和食嫌いになったことを反省した私は、息子のときは少し努力しました。その母親としての当たり前の努力が実り、息子はワカメのお味噌汁やきんぴらごぼう、肉じゃが、豚汁、ひじき入りご飯などは好んで食べるようになりました。そう、赤ちゃんのころから、食べ慣れた味だからです。
ちなみに、2人とも納豆が好きなのは「日本の食材の代表である納豆を食べないのは許されない」という私の強い思いから、夫に「匂いが耐えられない」と文句を言われつつも子供たちに食べさせていたからに他なりません。
さて、12月に1泊2日で母の様子を見に帰省した時、母は私の大好物のうま煮を作って待っていてくれました。
本当に美味しかった。これぞ、母の味です。でも、将来娘や息子が独立し、久しぶりに帰省するときは絶対作らない料理でしょう。おそらく私が作る料理は、少なくとも日本人母としての矜持を保つため、コロッケなど「日本の洋食」ぐらいに落ち着くんだろうなと思っています。
このうま煮。今年の元旦は娘に文句を言われましたが、私はあきらめるつもりはありません。今年の年末も作ります。もちろん、元旦までは夫の好みの砂糖をほとんど使わず作ったものを食卓に出し、2日に砂糖を加えて自分の好みの味(つまり母の味)にして食べるーという工夫は続けますが。
しつこく作っているうちに、子供たちが「美味しいね」と食べてくれるようになることを願っています。
2017年12月31日日曜日
2017年、私の挑戦② 仕事を再開
2017年の最も大きな挑戦は、仕事を再開したことです。今夏から、ニュースサイトで医療記事を書いています。きっかけは、ある出会いでした。
春、久しぶりに何か学びたいと思い立ち、都内の大学の社会人講座に申し込みました。新聞広告が、たまたま目に留まったのです。「面白そう」と思い、夫に許可を得て、申し込んだ口座は2つ。1つは「今、ジャーナリズムを考える」(10回コース)、もう1つは「人体の神秘に迫る~がんと日本人~」(5回コース)でした。
いずれも土曜日開催のため、夫に子供たちの世話を頼みました。夫は、私が仕事を辞めたことをとても悔しく残念に思っていることを、十分知っています。ですので、体調が良くなってきた私が社会復帰に向けて一歩踏み出すことを、とても喜んでくれます。そのときも毎回、気持ち良く私を送り出してくれました。
「今、ジャーナリズムを考える」は、大学のメディア社会学科の教授を中心に、元新聞記者やジャーナリストらが講座を受け持っていました。どれも濃い内容でしたが、一番良かったのが、戦争を長く取材してきたジャーナリストによる講座でした。
テーマは、「ロシア政治の闇」でした。とても迫力のある、興味深い内容でした。講座が終わった後は、参加者から質問が相次ぎました。私も、質問しました。その数日前にニュースになった北方領土に関するプーチン大統領の発言についてどう考えるか、という質問でした。
講座が終わった後も、ジャーナリストを囲んで、参加者が意見交換しました。次の講座があるため、講義室を開けなければならず、「皆さん、もしよろしければ、続きを構内のカフェでしませんか?」と彼が呼び掛けました。その呼び掛けに、「ぜひ、お願いします!」と手を挙げたのが、私と若い女性の2人でした。
カフェで、コーヒーを飲みながら話は盛り上がりました。彼は元新聞記者だったころから、親近感もわきました。私ともう1人の女性が自己紹介をしました。私は元新聞記者であること、厚生労働省担当だったこと、がんや自己免疫疾患などを患いその闘病記を出版社のノンフィクション賞に応募して最終候補に残ったことなどを話しました。私は、次の「がんと日本人」の講座があったため、彼のメールアドレスを聞いて、途中で退席しました。
帰宅後、お礼のメールを送ったところ、すぐ返信が来ました。「新しいニュースサイトを開設予定です。ご興味があれば、デモサイトをのぞいてみてください」という内容でした。そして、何度かのメールのやり取りの後、「医療記事を書ける人をちょうど探していたところです。ニュースサイトの代表も交えて、ぜひお会いしましょう」との誘いを受けました。3人で会いました。代表は、民放テレビで解説委員をしているジャーナリストでした。
ニュースサイトの概要を聞いた後、「医療記事を1本書いてください。2000字、写真付きで」と頼まれました。もちろん、「ぜひ、書かせてください」と即答しました。取材など、10年以上もしていませんので、自信はありませんでした。が、書く機会を逃すわけにはいきませんでした。
会合の帰り、紹介をしてくれたジャーナリストに「2000字はどれくらいの長さですか?」という初歩的な質問をしました。新聞記事は「●行」と数えるため、「●字」と言われても大まかな長さが分からなかったのです。その後も、メールで「取材のため名刺を作ります。肩書きはどうしたらよいでしょう?」という間の抜けた相談までしました。彼は、いつでも迅速に、丁寧に、誠実に答えてくれました。
書くテーマは迷いました。新聞や雑誌・書籍で医療関係のニュースは追っていたつもりですが、ブランクが長過ぎて、何をテーマにしてもしっかりとした記事を書ける自信がなかったのです。夫に相談しました。夫はネットで海外ニュースを日々読んでいます。英米を中心にローマ法王やトランプ米大統領までコメントを出すほど大きな話題になっているニュースはどうだろうか?と提案してくれました。新聞のデータベースで調べると、日本ではほとんど記事になっていませんでした。人工呼吸器をつけて生きている、進行性の難病を患う乳児の話です。
テーマをそれに決めました。インターネットで英米の新聞・雑誌記事を探してプリントアウトして読み込み、英国の病院や裁判所、大学などのサイトを調べて関連資料を探して読み、日本での取材先を探して(困難を伴いました)取材をして、1週間家にこもって記事を書きました。
家族で他県の保養地でのんびりとする予定でしたが、私は行かずに、家で資料の読み込みと記事執筆に集中しました。夫はそのときも快く、子供たちを連れて行ってくれました。
そして、ようやく記事が出来上がり、投稿したのは8月2日。その後は、取材すると次のテーマが見つかるーという良い循環の中で、1カ月に1本程度ですが、家事・育児をやり繰りしながら下調べや取材・執筆をして、出稿しています。現在は、少し長めの原稿に取り組んでいる最中です。
ブランクの長さにも関わらず、ジャーナリズムの世界に再び呼び戻してくれた2人のジャーナリストには感謝の気持ちでいっぱいです。また、全面的に協力してくれる夫にもとても感謝をしています。
先日、「お茶を一緒にした女性とは連絡を取っているのですか」とジャーナリストに聞いてみました。その女性は熱心に彼に質問し、自分の意見も持っている人でした。彼によると、その女性はあの後会社を辞め、アメリカに留学したそうです。彼女も、あの講座で何かきっかけを掴んだことが、人生の転機となったのかもしれません。
考えているだけでなく実際に行動することで何かに出会えたり、きっかけがつかめる。その出会いやきっかけを大切にすることで、前に進むことが出来る。今年はそんなことを学んだ1年でした。
春、久しぶりに何か学びたいと思い立ち、都内の大学の社会人講座に申し込みました。新聞広告が、たまたま目に留まったのです。「面白そう」と思い、夫に許可を得て、申し込んだ口座は2つ。1つは「今、ジャーナリズムを考える」(10回コース)、もう1つは「人体の神秘に迫る~がんと日本人~」(5回コース)でした。
いずれも土曜日開催のため、夫に子供たちの世話を頼みました。夫は、私が仕事を辞めたことをとても悔しく残念に思っていることを、十分知っています。ですので、体調が良くなってきた私が社会復帰に向けて一歩踏み出すことを、とても喜んでくれます。そのときも毎回、気持ち良く私を送り出してくれました。
「今、ジャーナリズムを考える」は、大学のメディア社会学科の教授を中心に、元新聞記者やジャーナリストらが講座を受け持っていました。どれも濃い内容でしたが、一番良かったのが、戦争を長く取材してきたジャーナリストによる講座でした。
テーマは、「ロシア政治の闇」でした。とても迫力のある、興味深い内容でした。講座が終わった後は、参加者から質問が相次ぎました。私も、質問しました。その数日前にニュースになった北方領土に関するプーチン大統領の発言についてどう考えるか、という質問でした。
講座が終わった後も、ジャーナリストを囲んで、参加者が意見交換しました。次の講座があるため、講義室を開けなければならず、「皆さん、もしよろしければ、続きを構内のカフェでしませんか?」と彼が呼び掛けました。その呼び掛けに、「ぜひ、お願いします!」と手を挙げたのが、私と若い女性の2人でした。
カフェで、コーヒーを飲みながら話は盛り上がりました。彼は元新聞記者だったころから、親近感もわきました。私ともう1人の女性が自己紹介をしました。私は元新聞記者であること、厚生労働省担当だったこと、がんや自己免疫疾患などを患いその闘病記を出版社のノンフィクション賞に応募して最終候補に残ったことなどを話しました。私は、次の「がんと日本人」の講座があったため、彼のメールアドレスを聞いて、途中で退席しました。
帰宅後、お礼のメールを送ったところ、すぐ返信が来ました。「新しいニュースサイトを開設予定です。ご興味があれば、デモサイトをのぞいてみてください」という内容でした。そして、何度かのメールのやり取りの後、「医療記事を書ける人をちょうど探していたところです。ニュースサイトの代表も交えて、ぜひお会いしましょう」との誘いを受けました。3人で会いました。代表は、民放テレビで解説委員をしているジャーナリストでした。
ニュースサイトの概要を聞いた後、「医療記事を1本書いてください。2000字、写真付きで」と頼まれました。もちろん、「ぜひ、書かせてください」と即答しました。取材など、10年以上もしていませんので、自信はありませんでした。が、書く機会を逃すわけにはいきませんでした。
会合の帰り、紹介をしてくれたジャーナリストに「2000字はどれくらいの長さですか?」という初歩的な質問をしました。新聞記事は「●行」と数えるため、「●字」と言われても大まかな長さが分からなかったのです。その後も、メールで「取材のため名刺を作ります。肩書きはどうしたらよいでしょう?」という間の抜けた相談までしました。彼は、いつでも迅速に、丁寧に、誠実に答えてくれました。
書くテーマは迷いました。新聞や雑誌・書籍で医療関係のニュースは追っていたつもりですが、ブランクが長過ぎて、何をテーマにしてもしっかりとした記事を書ける自信がなかったのです。夫に相談しました。夫はネットで海外ニュースを日々読んでいます。英米を中心にローマ法王やトランプ米大統領までコメントを出すほど大きな話題になっているニュースはどうだろうか?と提案してくれました。新聞のデータベースで調べると、日本ではほとんど記事になっていませんでした。人工呼吸器をつけて生きている、進行性の難病を患う乳児の話です。
テーマをそれに決めました。インターネットで英米の新聞・雑誌記事を探してプリントアウトして読み込み、英国の病院や裁判所、大学などのサイトを調べて関連資料を探して読み、日本での取材先を探して(困難を伴いました)取材をして、1週間家にこもって記事を書きました。
家族で他県の保養地でのんびりとする予定でしたが、私は行かずに、家で資料の読み込みと記事執筆に集中しました。夫はそのときも快く、子供たちを連れて行ってくれました。
そして、ようやく記事が出来上がり、投稿したのは8月2日。その後は、取材すると次のテーマが見つかるーという良い循環の中で、1カ月に1本程度ですが、家事・育児をやり繰りしながら下調べや取材・執筆をして、出稿しています。現在は、少し長めの原稿に取り組んでいる最中です。
ブランクの長さにも関わらず、ジャーナリズムの世界に再び呼び戻してくれた2人のジャーナリストには感謝の気持ちでいっぱいです。また、全面的に協力してくれる夫にもとても感謝をしています。
先日、「お茶を一緒にした女性とは連絡を取っているのですか」とジャーナリストに聞いてみました。その女性は熱心に彼に質問し、自分の意見も持っている人でした。彼によると、その女性はあの後会社を辞め、アメリカに留学したそうです。彼女も、あの講座で何かきっかけを掴んだことが、人生の転機となったのかもしれません。
考えているだけでなく実際に行動することで何かに出会えたり、きっかけがつかめる。その出会いやきっかけを大切にすることで、前に進むことが出来る。今年はそんなことを学んだ1年でした。
2017年、私の挑戦① トゥシューズを履く
2017年は、2つの新しいことに挑戦しました。1つは念願のトゥシューズを履いたことです。そうです。あのバレエのトゥシューズです。
私がバレエを始めたのは、49歳のときです。40代にそれまで躊躇して出来なかったことを思い切ってやってみようと挑戦したことの1つでした。気になっていた近所のバレエスタジオの門を叩きました。体験レッスンを申し込むための、教室の主宰者へのメールには「バレエは初めてです。40代です」と書きました。
「今年、50歳になります」なんて、書きませんでした。何せ、「40代に始める」というところに、意味があるのですから。
ちなみに、40代最後の年にした、それまで躊躇して出来なかった、もしくは機会を逸して出来なかったほかの2つは、①コンバースのスニーカーを履く②ダッフルコートを着るーです。いずれも、”若い人”の装いです。これらもハードルが高いと感じていましたが、バレエと同様、「挑戦してみたら、意外と普段の生活にすんなりと馴染む」ものでした。
そのスタジオの主宰者は、かつてイギリスのバレエ団に所属し、後進を育成するために帰国してスタジオを開いたという容姿の美しい30代の女性でした。もちろん、子供のレッスンが主ですが、大人向けのレッスンも行っています。
午前中のレッスンを体験し、さっそく入会を申し込みました。午前9時半から始まるレッスンに参加していたのは主婦やパートタイムで働いている人がほとんど。子供のころにバレエを習っていたという人も幾人もいました。
1年ほど週1回のレッスンをこの時間帯に受けていましたが、途中で夜のレッスンに切り替えました。夜のレッスンにはフルタイムで働いてへとへとの状態のワーキングウーマンが来ます。レッスン中の、「うちの上司、使えなくてさぁ」「最近の若い新入社員は・・・」「今度こそ、部署替えだと思う」などという、話を聞くのが面白い。
私は主婦ですのでこれらの話には参加できませんが、ワーキングウーマンの話を聞くとほっとするのです。夜のレッスンに切り替えた理由は、これです。場に馴染みやすかったのです。
週1回、夫が早く帰って来られるときに子供たちを頼み、午後7時半から8時45分までのレッスンに参加します。スタジオは自転車で数分の場所にありますので、「雨が降ったら、行かない」という”緩い”感じで、3年間続けました。そして、3年を過ぎた今夏、恐る恐る先生に聞いてみました。
「入会して3年経つのですけれど、そろそろトゥシューズを履いてもよろしいでしょうか」、と。
勇気が要りました。何せ、普通のバレエシューズででさえ、きちんと踊れないのですから。ですので、策を練りました。同時期に入会した女性を誘ったのです。彼女も、私より少し若いぐらいの”すっかり大人”の女性です。
「いいですよ。今度、シルビア(バレエ用品を売る店)さんがスタジオにトゥシューズを販売に来てくれるんですよ。そのときにフィッティングしてもらったらどうですか?」
意外にもすんなり「OK」が出ました。でも、側で会話を聞いていた入会2年の女性の、「先生、私も始めていいですか? 私、来年還暦なんです。それまでにトゥシューズ履きたいんです!」という切なる願いは聞き入れられませんでした。先生曰く、「今の状態で履くと怪我をするかもしれない。危ないのでもう少しレッスンに慣れてから」ということでした。
「還暦」という言葉を持ち出して、先生の情に訴えたその女性の度胸には感心しました。私も50代に入りずいぶん図々しくなったと思いますが、上には上がいるものです。
さて、トゥシューズを履いた感触はというと、やはり「痛い」のが一番の感想。でも、うまく立てたときに鏡に映った自分は、少し普段より綺麗に見えるような気がします。首と背筋がすっと伸びていて、足もトゥシューズ分だけ長くなるからです。つま先だけで立つためにお腹に力を入れますので、普段はたるんでいるお腹も一瞬だけ引き締まります。フロアに降りた瞬間、お腹はまた緩みますが。
ぼちぼちと続けているバレエ。数年後には発表会に出られるように、頑張ります。
私がバレエを始めたのは、49歳のときです。40代にそれまで躊躇して出来なかったことを思い切ってやってみようと挑戦したことの1つでした。気になっていた近所のバレエスタジオの門を叩きました。体験レッスンを申し込むための、教室の主宰者へのメールには「バレエは初めてです。40代です」と書きました。
「今年、50歳になります」なんて、書きませんでした。何せ、「40代に始める」というところに、意味があるのですから。
ちなみに、40代最後の年にした、それまで躊躇して出来なかった、もしくは機会を逸して出来なかったほかの2つは、①コンバースのスニーカーを履く②ダッフルコートを着るーです。いずれも、”若い人”の装いです。これらもハードルが高いと感じていましたが、バレエと同様、「挑戦してみたら、意外と普段の生活にすんなりと馴染む」ものでした。
そのスタジオの主宰者は、かつてイギリスのバレエ団に所属し、後進を育成するために帰国してスタジオを開いたという容姿の美しい30代の女性でした。もちろん、子供のレッスンが主ですが、大人向けのレッスンも行っています。
午前中のレッスンを体験し、さっそく入会を申し込みました。午前9時半から始まるレッスンに参加していたのは主婦やパートタイムで働いている人がほとんど。子供のころにバレエを習っていたという人も幾人もいました。
1年ほど週1回のレッスンをこの時間帯に受けていましたが、途中で夜のレッスンに切り替えました。夜のレッスンにはフルタイムで働いてへとへとの状態のワーキングウーマンが来ます。レッスン中の、「うちの上司、使えなくてさぁ」「最近の若い新入社員は・・・」「今度こそ、部署替えだと思う」などという、話を聞くのが面白い。
私は主婦ですのでこれらの話には参加できませんが、ワーキングウーマンの話を聞くとほっとするのです。夜のレッスンに切り替えた理由は、これです。場に馴染みやすかったのです。
週1回、夫が早く帰って来られるときに子供たちを頼み、午後7時半から8時45分までのレッスンに参加します。スタジオは自転車で数分の場所にありますので、「雨が降ったら、行かない」という”緩い”感じで、3年間続けました。そして、3年を過ぎた今夏、恐る恐る先生に聞いてみました。
「入会して3年経つのですけれど、そろそろトゥシューズを履いてもよろしいでしょうか」、と。
勇気が要りました。何せ、普通のバレエシューズででさえ、きちんと踊れないのですから。ですので、策を練りました。同時期に入会した女性を誘ったのです。彼女も、私より少し若いぐらいの”すっかり大人”の女性です。
「いいですよ。今度、シルビア(バレエ用品を売る店)さんがスタジオにトゥシューズを販売に来てくれるんですよ。そのときにフィッティングしてもらったらどうですか?」
意外にもすんなり「OK」が出ました。でも、側で会話を聞いていた入会2年の女性の、「先生、私も始めていいですか? 私、来年還暦なんです。それまでにトゥシューズ履きたいんです!」という切なる願いは聞き入れられませんでした。先生曰く、「今の状態で履くと怪我をするかもしれない。危ないのでもう少しレッスンに慣れてから」ということでした。
「還暦」という言葉を持ち出して、先生の情に訴えたその女性の度胸には感心しました。私も50代に入りずいぶん図々しくなったと思いますが、上には上がいるものです。
さて、トゥシューズを履いた感触はというと、やはり「痛い」のが一番の感想。でも、うまく立てたときに鏡に映った自分は、少し普段より綺麗に見えるような気がします。首と背筋がすっと伸びていて、足もトゥシューズ分だけ長くなるからです。つま先だけで立つためにお腹に力を入れますので、普段はたるんでいるお腹も一瞬だけ引き締まります。フロアに降りた瞬間、お腹はまた緩みますが。
ぼちぼちと続けているバレエ。数年後には発表会に出られるように、頑張ります。
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