2024年11月12日火曜日

がんのママと集う

  昨日は、今年最後の「がんママカフェ」に行ってきました。このカフェは子育て中のがんのママが月に一度、集う場。昨日は7人が参加し、様々な思いを共有しました。

 子育て真っ最中にがんと診断されることは、がん治療そのものよりも、子どもをどうするかーが一番の心配ごとです。

 協力的なご主人がいる場合やご実家を頼れるなら良いのですが、シングルマザーだったり、協力的ではないご主人の場合は、ママの負担はさらに重くなります。自分が入院中の子どものご飯はどうすればいいの? 塾や習い事のお迎えは? 出費が多い中自分の治療費の負担が家計を圧迫している、どうしよう? その上に自分の治療の決断をしなければなりません。

 昨日は妊娠中にがんに罹患し余命宣告され、病院を変えて、生き残った40代のママさんが参加していました。必死の思いで産んだ子は今小学生だそうです。「生きていることに感謝する日々」と語っていました。

 また、子供が小さいため、最初は伝えることが出来なかったという40代のママさんは、「伝えたら、予想に反して子供はちゃんと受け止めてくれた」と嬉しそうに語っていました。

 また、保険会社に勤めていたというママさんは、自分ががん保険に入っていなかったため、若い女性たちに保険の重要性を伝えたいと語っていました。確かに、分子標的薬など高額な薬を使い続ける場合は、保険からお金が下りると助かります。私の場合は普通の保険ですが、患っていたのが血液がんと自己免疫疾患で入院期間が長いために、1日5千円支給という普通の保険でもとても助かりました。

 昨日、来る予定でしたが、キャンセルになったママさんがいました。ホスピスにいます。昨日は体調が戻らず、参加できませんでした。そのママさんには何度もこの会で会い、いろいろとおしゃべりしました。だから、お会いするのを楽しみにしていたので、残念でした。

 心配なのは息子さんのご飯なのだそうです。ご主人は非協力的でかつ料理もできないので連日お弁当を買ってくるにも関わらず、「こども食堂」などからの支援も受け付けないらしい。ママさんはホスピスで、どれほどお子さんのことを心配しているかと思うと、涙が出てきます。

 集いの後、主宰者のママさんとランチをしました。このママさんは私ととても境遇が似ていて、30代でがんを罹患し、子供を死産しています。私の天国の息子が今月20歳、このママさんの天国の娘さんは来年20歳です。

 私が恐山に息子の供養に行った話をしたところ、早速、ご主人と「来年、恐山に行こう」と計画していると話してくれました。

 このママさんは慈愛に満ちた人で、がんのママさんを助け、赤ちゃんを死産で亡くした方々の支援もしています。私より若いですが、心から尊敬し、私も見習おうといつも思っています。

 元気だったママさんが体調を崩したり、再発を告げられたり、は本当に辛いです。でも、私たちは今は病気が落ち着いているのだから、家族を最優先にして、一日一日を大切に生きようねーと語り合ったのでした。

2024年11月11日月曜日

現地到着は最低30分前に

  昨日、娘が通っていたインターナショナルスクールのママさんコーラスのカラオケパーティがありました。卒業しても、「むつみちゃん、カラオケパーティ来ない?」と誘ってくれるのが、本当に嬉しい。

 参加したのは、日本、イギリス、チェコ、インド、中国、シンガポールなど各国からのママ。コーラスママは皆、当然ですが歌が上手で、ステージが大好き。それぞれ母国語の曲を歌ったり、英語の曲を歌うだけでなく、イギリス人ママがいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌ったり、若いママが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をこぶしを振り上げながら熱唱したり、すごいパワフル。

 ピンクレディーの曲は2人の日本人ママが持参した衣装と振り付きです。皆で、歌って、踊って、で盛り上がりました。私はカラオケがあまり得意ではないので、取り合えず1曲は歌い、あとは皆の歌を一緒に歌って、楽しみました。4時間はあっという間でした。誘ってくれたコーラスママたちに感謝!

 さて、ここからが今日2つ目の話題です。昨日、パーティが開かれたカラオケ店は横浜の元町・中華街にあり、スタートは16時でした。で、実は私が現地に着いたのは15時15分。店の真ん前まで行き、店の名前と携帯電話のメールの中に書いてある店の名前を照合してから一旦店を離れ、中華街をぶらぶらして、5分前にまた店に戻りました。

 というのも、先週の金曜日、五反田駅近くで開かれた会合の会場にたどり着けないという、とんでもない出来事があったからでした。楽しみにしていた「ほっかいどうの会」でした。北海道生まれ・育ちの人か北海道にゆかりがある人が参加する会で、主宰者の友人から「久しぶりに『ほっかいどうの会』を開くので、参加しませんか? 鈴木宗男さんが来るんだよ」と誘われて、早々に参加表明をしていたのです。

 「一人一品、北海道の食べ物か飲み物を持ってくること!」という参加要件にも、ちゃんと「余市ワイン」を事前購入して準備し、当日は研究室の冷蔵庫で冷やして、持っていったのにも関わらず、です。

 会場は五反田駅から徒歩4分の場所でした。私が駅に着いたのは開始時間の15分前の18時45分。そこからグーグルマップを使って歩きましたが、どうしてもたどり着けません。30分ぐらい行ったり来たりし、地図を見たり、ビルの横に貼ってある住所を確認しましたが、たどり着けません。

 五反田駅周辺はこれまでほとんど行ったことがないため土地勘が全くなく、あの街はとにかく広い。友人は主宰者ですので、連絡をすることも出来ません。で、「諦めない」性格だった私も、いろいろあって最近は「人生は諦めも必要」という境地に達してきていましたので、19時半、「これは縁がなかったのかも」と受け止めて帰宅したのでした。

 そこから学んだのは、初めての場所に行くときは、最寄り駅ではなく、現地に少なくとも30分前に到着して場所を確認してから、他の場所で時間をつぶすぐらいの余裕を持つこと、です。昨日は、それを試してみて、気持ちに余裕を持って参加することが出来たのでした。

 これからは、「現地到着は最低30分前に」をモットーに生きることにします。

 

 

 

2024年11月10日日曜日

娘と居酒屋へ

  この1週間、家族全員が体調を崩していました。息子の高熱と咳に始まり、娘も同様に高熱と咳、次に体調を崩した私も38度の熱と咳で外出が出来ませんでした。一番症状が重かった娘はインフルエンザもコロナも陰性だったため、風邪だろうということで、薬を飲んで何とか乗り切りました。最後にうつったのが夫でしたが、比較的症状が軽く済みました。

 私は3週間前にマイコプラズマ肺炎を患いましたが、家族にはうつりませんでしたので、今回のはいったい何だったのでしょう? 

  体調が回復したため、昨日、娘と買い物に行きました。行ったのはユニクロ。娘は身長183㌢で、かつオーストラリアに行って少しぽっちゃりして帰国しましたので、合う服があるか心配でしたが、さすがユニクロ。娘に合うサイズがありました。ダウンコートとセーター、ヒートテックのインナーを買いました。

 娘が小さいころはZARAやGAPなどで娘の服を買うのが本当に楽しかったのですが、どんどん大きくなってしまい、まず、靴が買えなくなりました。そして、服もなかなか合うものがなくなり、残念な思いをしていたので、本当にユニクロ、有難いです。ヒートテックのスパッツも買ってあげたかったのですが、普通は足首ぐらいの長さが、娘はひざ下ぐらいになるので、買えませんでした。大きい人は、本当に大変です。

 夕ご飯の時間でしたので、娘に「何が食べたい?」と聞くと、「豚串が食べたい!」と言います。私も豚串が大好き。「今日は豚串を食べよう!」と盛り上がったのですが、ネットで調べても、串焼きのお店は大体が鶏肉。以前、娘と二人で行って豚串がとても美味しかった居酒屋に行ってみると、何と餃子の店に変わっていて、がっくり。

 こうなると、もう、妥協できないんですね。もう、豚串が食べたくて食べたくて、仕方ない。あちこち歩き回ってやっと見つけたのが小さな炭火焼きの居酒屋でした。外に置いてあるメニューに豚串がありました。「やったぁ、豚串あった!」と勇んで暖簾をくぐりました。

 人気の店らしく、空いていたのはカウンターのみ。でも、いい感じのカウンターです。まずは、豚串、鶏串、カマンベールチーズ、シシトウなどを注文。娘は今月20歳なので、もう飲んでもいいよ!ということで、ジンジャーエールで割ったハイボール、私はサッポロ生ビール。

 娘は家では夫と私が飲むワインや日本酒の味見をしたことはありましたが、グラス1杯という量は飲んだことがありません。が、18歳以上が飲酒が認められているオーストラリアではお友達と飲んだことがあるようです。「私、ママに似て顔が真っ赤になるんだよ」とのこと。

 娘と居酒屋で美味しい炭火焼きの串焼きを食べながら、飲んで、おしゃべりできるなんて、幸せでした。夫からは、息子にタコスを作って、美味しく食べたという写真付きメッセージが届きました。夫も私も、父息子、母娘のゆっくりした時間を楽しんだのでした。



 

2024年11月4日月曜日

恐山へ ⑧ 続・番外編

  無事、東京の家に戻り、夫と息子との日常に戻ると、恐山での2日間がどれほど日常とかけ離れたものであったか、実感します。

 私が恐山に行ったのは10月23、24日の平日でしたので、夫に24日の朝の息子のお弁当作りを頼んでいきました。おかずの下準備をして冷蔵庫には入れてありましたが、夫が苦笑いをして答えました。

「君が作ってくれていた蒸し鶏と冷凍の枝豆をお弁当箱に入れたよ。紅鮭をほぐしてくれていたのをおにぎりの具にした。でも、おにぎりはうまく出来なかった。難しかったよ」

 夫が息子に作ったおにぎり…。その話を聞いて、父のおにぎりを思い出しました。父のおにぎりを思い出したのは久しぶりでした。

 父は私が小さいころ、何度かおにぎりを作ってくれたことがありました。父のおにぎりは丸くて、ソフトボールのように大きかった。その丸い、ソフトボールのようなおにぎりが私は好きだった。懐かしくて、懐かしくて、涙が出ました。

 恐山への旅で、父の懐かしい思い出が一つ増えました。そして、息子にも「ダディが作ってくれたおにぎり」という思い出が出来たと思います。

 楽しい、心地良い旅ではなかったけれど、納得できた、良い旅だったと思っています。

2024年11月3日日曜日

恐山へ ⑦ 番外編

  霊場・恐山で一泊した翌朝、私は10時10分恐山発のバスに乗り、下北駅へ向かいました。そこからJR大湊線、青い森鉄道に乗り換え、八戸へ。そこからタクシーで、死者の魂を降ろすと言われるイタコさんの家に向かいました。

 指定された午後2時数分前に到着しました。ベルを鳴らすと、玄関ドアから年配の女性が出てきて、「すみません、前の方が長引いているので、少し外でお待ちいただけますか?」と言います。その方と雑談をしながら、10分ほど待ちました。

 間もなく、中年の女性が玄関ドアを開け、外に出てきました。そして、私たちに会釈をして足早に去っていきました。

 家に入ると、イタコさんがいました。私より少し若い女性です。お部屋に入りました。申し込み書に、私の名前、降ろしてほしい人(亡父)の名前と命日、死因を書きました。

 「では、始めます」という言葉で、イタコさんは独特の節回しで経文を読んでいきます。しばらくしてから、イタコさんが語り始めました。

 イタコさんは10分ほど語ったでしょうか? 語りが終わったとき、父に聞きたかったことを聞きました。聞きたいことはいくつもありましたが、一つだけ、どうしても聞いておきたかったことだけ、聞きました。

 答えを聞いて、私はこれは父ではないーと思いました。父がこのようなことを言うはずがないと。でも、父の魂を降ろしてくれたイタコさんに心から「ありがとうございました」とお礼を言いました。お代5千円を支払い、タクシーを呼んでもらって、家を出ました。イタコさんの家の中での滞在時間は20分でした。

 私をイタコさんの家に送ってくださったタクシーの運転手さんが迎えに来てくれました。「もう終わったのですか?」と聞きます。「はい」とだけ、短く答えて、駅まで送ってもらいました。

 イタコさんが降ろしてくれた魂が父かどうか、イタコさんが本当にあの世にいる死者の魂を降ろすことができるのかーはこの世の人間は誰も証明できません。ですので、大切なのは、依頼した本人が納得したかどうかではないだろうか?と思いました。

 父が亡くなってしばらくしてから、イタコさんに父の魂を降ろしてもらいたいと願ってきました。イタコさんのことは本を読んだり、雑誌で記事を読んだりしていましたが、青森県までは遠く、子供が小さかったことから、実現への一歩は踏み出せませんでした。でも、来春父の13回忌を迎えること、今月娘が20歳になる節目で一緒に生まれるはずたった息子の死産から20年経つことから、霊場恐山への供養の旅を計画し、長い間考えてきたイタコさんにお会いすることにしました。

 イタコさんにお会いしてから、一週間以上経ちます。そうすると、もしかしたら、あれは父だったかもしれない。父もあの世に行ってずいぶん経つから、穏やかな仏様になって、生前の父とは違うことを言うかもしれないーとも思い始めました。

 でも、たぶん、あれが父でも父でなくても、どちらでもいい。大切なのは私がイタコさんに会って、父の魂を降ろしてもらって、父と”会話をした”ことで納得できたことなのでしょう。いや、あれは、父だったと信じ、私がこれからの自分の残りの人生を生き切ることが大切なのではないかーそんなことを思う日々です。

2024年11月2日土曜日

グッドバイ、プレドニン

  昨日、恐山から帰ってきたら運気が少しずつ上がってきたという話をしました。もう一つ、私にとってのビッグニュースがありました。なんと、18年間服用し続けた薬を10月30日、やめることが決まったのです!

 プレドニンというステロイド剤で、「自己免疫性溶血性貧血」という病気に罹患した2006年から服用し続けていました。その後、2010年に「特発性血小板減少性紫斑病」という病気にも用い、この2つの病気を抑えるためにずっと飲み続けていたのです。

 これまで何度もやめることを検討したのですが、赤血球に対する自己抗体の有無を調べるテストでいつも陽性が出てしまい、断念。でも、昨年秋に行った検査でようやく陰性の結果が出ました。が、12月に胃がんに罹患。まずは胃がんの治療を優先するため、プレドニンの服用は続けるという診断でした。ですので、一年間様子を見ていたのです。

 薬の量は微量でしたので副作用もなく、前の主治医は「微量を服用することで病気が落ち着いたままなら、リスクを取るより、飲み続けるほうを勧める」との判断。今の主治医は「やめても良い。病院に来る頻度も少なくなり、精神的な負担も減る」との判断。いずれの判断も恐らく正しいのでしょうが、私はやめることを選びました。

 21年間、ずっと国立がん研究センター中央病院に通い続けていました。3ヶ月以上間隔が開いたことはありません。あの病院に行けば、救ってもらえるという信頼感と、「ここは私の居場所」という安心感さえ持っていました。

 でも、もう一度、病院に行かない、薬を飲まない暮らしをしたいなと思いました。もちろん、半年か1年に一度は検査で訪れるとは思いますが、薬を飲まず、通院も半年に一度になれば、きっと「自分は本当に健康なんだ」と思えるようになると思います。

 グッドバイ、プレドニン。今まで長い間、私を救ってくれてありがとう。でも、もう、あなたを卒業するね。



2024年11月1日金曜日

2024 Halloween 娘が帰ってきた

  昨日、娘がオーストラリアから帰ってきました。長い夏休みをこちらで過ごします。昨日はハロウイーンでしたので、パンプキンカービングも一緒に出来ました。やっぱり、娘がいると家に笑いが広がり、いいなとつくづく思いました。

 息子が夕方、学校から帰宅すると、2人は玄関でがっしりとハグ。息子はそれは嬉しそうでした。普段はあまり話さない息子も、娘がいるとおしゃべりになります。息子は身長が168㌢と、183㌢の娘よりまだ小さいので、娘は息子が小さかったころのように息子をおんぶしたり、抱っこしたりして、大騒ぎ。私はきょうだいがいないので、きょうだいっていいなぁと羨ましくなるぐらいでした。

 今年のパンプキンは私が築地の花屋さんで見つけ、重かったですが、抱えて持ち帰りました。毎年軽井沢の農協で購入するのですが、今年は不作ということで売っていず、また、東京のスーパーですと高いので、夫と「今年はパンプキンカービングできないね」と話していたところでした。

 実は恐山から帰宅した後は、私の運気が少しずつ上がってきているようで、幸運にも子どもたち用に形の良いパンプキンを2つ買うことが出来ました。

 とても、幸せな、楽しいハロウイーンでした。

子どもたちのために、パンプキンを2つ準備。パンプキンパイも作りました

玄関でハグする娘と息子

娘のリクエストで夕ご飯は餃子

パンプキンにまずは絵を描く2人

息子のパンプキン

娘のパンプキン

今年のコスチュームはハリー・ポッターのマント

ロウソクを入れて…

息子の今年の道具はコブラ