2023年9月16日土曜日

ブログ名を変更しました

  ブログ名を変更しました。このブログは2015年に「アラフィフママの育児日記」に始まり、筆者のマイヤー睦美が年齢を重ねたため、「アラフィフママの育児(育自)日記~ミッドフィフティーズ編」に変更。さらに年齢を重ね、今度は「アラ還編かなぁ?」とも考えましたが、これからもずっと続けていくことを考え、このタイミングで思い切って変えることにしました。

 私は38歳でがんを患い、治療後39歳で双子を出産・死産、その後がんの再発・再々発を経て46歳で再び出産。その後は社会復帰への”険しい”道を歩んでいます。その楽しくも一筋縄ではいかない日々を、時には笑い飛ばし、時には涙しながらつづっているのがこのブログ。「人生100年時代を元気に生きるがんサバイバー」として発信するために、ブログ名でその点をはっきり表そうーと思いました。それが、変更の理由です。

 ブログを開始した2015年は、おそるおそる社会復帰の一歩を踏み出した年でした。当時、娘はまだ11歳、息子は4歳。翌年、自身のがんと関連疾患の治療や46歳での長男の出産についてつづった闘病記を開高健ノンフィクション賞に応募。最終候補に残りましたが出版に至らず、合同会社「まりん書房」を立ち上げ、出版。現在は、東大大学院医学系研究科博士課程の院生として国立がん研究センターが運営するWebサイト「がん情報サービス」の改訂に向けての調査研究に携わっています。

 こうして、目まぐるしい日々を送っていますが、目指しているのは「がん患者さんとご家族のお役に立つこと」。家族との暮らしを大切にし、育児も自分なりに一生懸命やりながら、何とか社会の一員としてお役に立ちたいと願っています。

 ブログ名をこのタイミングで変えたのは、私が運営する”ひとり出版社”「まりん書房」の2冊目の出版に向け、ホームページを全面的に変えることにしたからです。まりん書房のホームページとこのブログを互いにリンクさせようと考えました。2冊目はがんのお母さんを取材します。ホームページももう少しで出来ますので、そのときはご紹介させていただきます。

 ブログのイラストは、東京都大田区のデザイン会社「pamz.」の宮嶋さんと北條さんに作っていただきました。ありがとうございました。 

2023年9月15日金曜日

娘がおじやを作ってくれた

  娘が茨木に行く前日、体調不良でダウンしてしまいました。38度の熱が出て、体もだるく、何もする気になれずにベッドに潜り込みました。

 そのときに娘が作ってくれたのは、おじやです。豚肉のしゃぶしゃぶで残ったスープを使い、味噌で味付けしてくれました。フルーツと薬も添えてくれました。

娘が作ってくれた夕食。薬も添えてくれました

 このおじやは、私が夕食にしゃぶしゃぶをした翌朝に必ず作ってきたレシピ。この日も準備していましたが、体調が悪く、作れませんでした。私の代わりに娘が家族のために作ってくれ、私にはおじやも作ってくれました。娘のおじやは、とてもやさしい味がしました。

2023年9月14日木曜日

娘の入寮手続き

  今日、娘が大学の入寮手続きをしに1泊2日の日程で、大阪府茨木市に行きました。娘が入学する立命館大学は関西圏にいくつかキャンパスがあり、娘の学部があるキャンパスは茨木市にあります。京都駅から電車で30分ほどのまちです。

 今朝は家族4人で、駅まで行きました。「4人で朝、一緒に歩くのはもうあまりないかもね」と言いながら、ちょっぴり寂しい気持ちにもなりながら、歩きました。途中何度か、携帯電話で自撮り。まずは息子を小学校に送り、次は駅へ。娘は東京駅へ、夫は大手町へ向かう電車に乗りました。在宅の私は駅前のスターバックスへ。

 1時間ほどして娘から電話がありました。「新幹線に乗ったけど、自由席がいっぱいで座れなかった」とのこと。これから、京都往復は頻繁にあるでしょうから、指定席ではなく、自由席を買っていたのです。

「隣の座席に荷物置いていた人がいて、ここ、空いていますか?って聞いたけど、荷物を置いているからダメって言われたの」と娘。

「他に荷物置いている席はなかったの?」

「いくつかあったけど、聞くのは勇気がいるし、断られるのはさらに嫌だし。そんなことに1日の限られたエネルギーは使いたくなかったの」

「そういう考えって、いいね。確かに人のエネルギー量は決まっているよね。じゃあ、次回は1人に聞いてダメだったら、2人目に聞くことにしたら? それでダメだったら、諦めて、その次のときに3人目に聞いてみるの。それなら、できるでしょ?」

「うん、そうするね。私、今出入り口の扉の前にスーツケースを置いて、その上に座っているの。いい感じだよ。窓は大きくて、景色が良く見えるの」

 娘から、窓の近くで機嫌良くしている自撮り写真が送られてきました。「じゃあ、寮に着いたら電話するね」

 次に電話があったのは12時半。ビデオ電話「フェイスタイム」で部屋の中を見せてくれました。4畳半ぐらいのこぢんまりとした、いい部屋でした。小さな洗面台と冷蔵庫(冷凍庫付き)があり、机とベッド、布団や毛布も完備。寝具は2週間に1度、取り換えることができるそうです。キッチンとシャワーが共用。寮は男女が分かれていますが、吹き抜けになった場所を境に分かれており、それぞれが向こう側も見え、ちょうど良い距離感です。

「見て、見て、ママ。ここから空が眺められるの。空が見える部屋でありますようにってずっと祈っていたから、とても嬉しい」と言い、窓からの眺めも見せてくれました。広々としたテニスコートが下に見え、遠くにスーパーの「イオン」の看板が見えました。とても開放的な眺めでした。

 寮の手続きを終え、少し仮眠を取った後、娘はイオンモールまで行ったようです。帰宅後、また電話をくれました。

「無印やGAP、ダイソー(100円ショップ)もあったんだよ。サーティンワン(アイスクリーム)もママの大好きなミスタードーナッツも」と嬉しそう。

「無印とGAPにダイソー? その上にサーティンワンにミスド!!最強じゃない。良かったね。ところで夕ご飯は何食べたの?」

「ラーメン。でも、京都の麺って変わっていた。食べた後に、スーパーに行ったの。スーパーは2つあって、1つは高級スーパーでもう1つは安いスーパー。安い方のお肉を見てみたけど、脂が多い感じだった。でも、高級スーパーに比べて、結構安かったよ。品物の種類は少なかったけど」

 娘の学費は私の父が遺してくれた教育資金で賄います。そのほかについては、「寮費はダディとママが払うけど、食費やお小遣いはアルバイトをして稼いだお金で賄ってね」と伝えてあります。夏休みにスーパーでバイトをして貯めたお金は食費に充てるそうです。先日は娘に頼まれて一緒に文房具屋さんに行き、「家計簿」を買いました。無駄遣いをしていないかどうか、振り返るためにつけるそうです。

 娘はゆっくりですが、一歩一歩自立への道を歩んでいます。

2023年9月11日月曜日

母の日常

  昨日は母の好物のカボチャの春巻きを作ったので、差し入れようと、母のマンションに行きました。夕ご飯の時間を目掛けて行きましたが、残念ながら不在でしたので、合い鍵を使って入りました。

 母の家は私の家と違い、どんなときも整理整頓が出来ています。テーブルの上にあったのは読みかけの本と漢字を練習している途中の紙。本の中身をちらっと見ると、樋口恵子さんが書いた本でした。タイトルは「90歳になっても楽しく生きる」。

 そうかぁ、母は楽しく生きようと努力しているんだ。きっと本を読みながら、忘れがちな漢字を拾っては、練習しているんだろうなぁ。

 85歳になる母がいつもシャープでいるのは、きっと日常的にこんな努力をしているからなのでしょう。私は袋の中から、春巻きが入った容器を取り出しテーブルの上に載せました。枝豆2袋は冷凍庫に。和菓子は仏壇にお供えしました。しばらく待ちましたが、母は帰宅しないので、帰ることにしました。

 マンションを出て自転車に乗ろうとしたところで、母が戻ってきました。

「あらっ、来てくれたの? ごめんね。私、今散歩していたの」

「カボチャの春巻き作ったから、持ってきたの」

「ありがとう。ちょうどこれから夕ご飯食べようと思っていたの。少し、寄っていく?」

「うん」

 再び、マンションへ。母は冷蔵庫の中の作り置きのお惣菜をいくつか出して、「これ食べる?」と聞き、小鉢に入れながら言います。

「ねぇねぇ、このTシャツいいでしょ? この前、ユニクロで買ったの。1500円ぐらいで、こんなに素敵なTシャツ買えるんだよ」

 薄いピンクの可愛いらしいTシャツでした。年を重ねても、こうしてお手頃価格の新しいTシャツを買い、それを着て散歩する母は、偉いなぁと思いました。こういうところは見習わなければ、ですね。


 

2023年9月10日日曜日

娘の絵を家に~マイヤーギャラリー①

  我が家の娘は小さいころから絵を描くことが好きでした。何時間でも飽きずに絵を描いていました。幼稚園生のときにクレヨンで描いた絵も、小学生の時に水彩絵の具で描いた絵も、上手に仕上がった作品はフレームに入れて、家のあちこちに飾っています。

 6月に卒業したインターナショナルスクールで描いた絵も、飾り始めました。まずは、1点1点、娘と相談しながら、近所の額縁屋さんで額装してもらいます。夫も交えて飾る場所を考えます。高校時代の作品の1点目は玄関に飾ることにしました。

 私が娘と息子を抱いている絵。これは円形なので、枠をオーダーしました。グスタフ・クリムトの絵から着想を得て描いているこの作品には、金が多用されています。ですので、選んだのは渋い金色の枠。マット紙は作品が引き立つ黒を選びました。黒のマット紙の下にほんの5㎜ほど、金のマットも入れました。


我が家の玄関ドアは青色の木のドア。このドアは春のリフォームのときに迷いに迷い、最後は納得して選んだドアです。このドアを開けると、娘の絵が目に飛び込んできます。




2023年9月9日土曜日

行くべきか行かぬべきか

  昨日の私は、心が不安定でした。昼間、大泣きしました。でも、夜は自分の判断はあれでよかったのだと納得し、心穏やかに眠ることができました。昨日の私の心の動きを皆さんと共有したいと思います。

 ”事件”の発端は水曜日のグループ会議。これは私の指導教員である教授と研究者、IT担当、秘書が集まり、自分の仕事の進捗を話し合う場です。

 そこで気付いたのは昨日から金沢市内で開かれている「がん予防学会」にほとんどの研究者が参加するという事実。私もその学会のことはぼんやりとは知っていましたが、私は10月末に開かれる別の学会で研究発表をすることになっており、そちらに注力していたため、すっかり失念していました。

 私の指導教員の専門は「がん疫学」。私は昨年春に大学院博士課程に入学し、別の指導教員についていましたが、いろいろ事情があり、今年から今の指導教員の下研究しています(顛末はこのブログにも書いています)。指導教員の専門は私の研究の分野と違いましたが、私の研究テーマと似ている研究班に私を割り当ててくれ、現在、私はそちらの研究に集中しています。

 でも、私としてはせっかくその指導教員に引き受けていただいたので、その専門について学びたいという気持ちを持っています。さらに、研究室のほとんどの研究者がその学会に参加している。その仲間に入りたいーという気持ちもありました。

 で、急ではありますが、その学会に行くことにしました。指導教員に聞くと、「いいですよ。じゃあ、●●費から出張費は出します」と秘書の方にその旨伝えてくれました。そして、秘書の女性から送られてきたエクセルのファイル。そこには、その学会への貢献度をパーセンテージで記すことになっていたのです。ガーン! 私は他の研究に携わっていますので、こちらの学会への貢献度はゼロ。で、その女性に「私は貢献していないので、自費で行きます!」と返信しました。

 調べると学生の参加費は無料。あとはホテル代と交通費負担だけです。娘と一緒に軽井沢にいる夫に電話で相談すると、「行ったほうがいいと思う。先生の専門分野について君も学べるし、他の研究者と交流もできる」と理解を示してくれました。学会は金・土の2日間の日程。今月末から娘が京都の大学(キャンパスは茨木市にある)に行くので、その前に軽井沢で過ごしたいと火曜日から向こうの家に行っている夫と娘に、本来なら土曜日に戻る予定を一日早めてもらい、金曜日の夜に戻ってもらうことにしました。

 息子は学校から3時半過ぎに帰宅しますので、1時間だけ一人で過ごしますが、午後4時半に家を出て塾へ向かう。で、夫と娘が、午後6時か7時くらいに自宅に着き、午後8時45分に夫が塾に息子を迎えに行くー。そんなスケジュールを立ててもらいました。

 学会の前日の木曜日に、金沢駅近くのホテルを予約し、新幹線の切符は当日朝に買うことにしました。そして木曜日の夜。台風が近づいているというニュースが流れ、息子の小学校からは「天気予報を見て、明日7時に対応を決めます」とのメールが。

 そして昨日金曜日の朝7時。学校からは特に連絡がなかったので、雨足が強まっていましたが、8時過ぎに息子と一緒に家を出て、そのまま東京駅に向かいました。学会は午前9時から始まっていましたが、「子育て中は全部参加は無理」と割り切り、午後から参加することに決めていました。あとは、息子の「塾行きたくない」が始まり、親がいないことをいいことに、塾を休むことがなければ順調に行きます。私は息子に釘を刺しました。

「ママ、学会に行ってくるから、今日は『塾行きたくない』は止めてね」

「学会? うわっ、プロフェッショナルぅ!分かったよ。今日はちゃんと塾に行くから」

 息子は私とバトルを繰り返しますが、自分が我儘を言ってはいけない重要な局面は判断できるらしく、一応は納得してくれました。

 そして、東京駅についたのが午前9時過ぎ。ものすごい人です。台風の影響で運転見合わせになっている新幹線もあったのでしょうか。乗車券売り場は大混雑。券売機の前にも人が並んでいます。私は9時20分発の「かがやき」で金沢に向かう予定でした。駅員さんを捕まえて、「ギリギリの時間なのですが、車内で乗車券を買うことは出来ませんか?」と聞きましたが、「入れるのは事前に乗車券を買った方だけです。券売機で買ってください」とにべもない。

 気を取り直して、券売機の前に並びました。ラッキーなことにすぐ私の順番が来ました。画面で金沢・自由席のボタンを押すと、何と片道13,850 円。ガーン! ここで、私は運賃を調べていたときに乗車券代約7,000円だけを見て、特急券を見ていなかったことに気付きました。でも、ここまで来たんだから、と自分を納得させて、購入。そして、改札を通り、電光掲示板で「かがやき」が発車するホームを確認し、エスカレーターを上りました。発車5分前のギリギリでしたが、間に合いそうです。

 ホームに出ると、たくさんの人がいました。「台風でも、こんなに大勢の人が移動するんだ」と感心しながら、自由席の乗り口を探していると、「『かがやき』は全席指定席です。自由席の券をお持ちの方は、35分発の『はくたか』にご乗車ください」というアナウンスが流れました。ガーン!

 ここで、私の気持ちは揺れ始めました。「何で、全てがうまくいかないんだろう? これは、行くなという意味だろうか」と。でも、行きたい!学びたい!他の研究者らの仲間入りしたい!という切実な思いがこみ上げてきます。

 再び、気を取り直して、「はくたか」の発車するホームへ。のどが渇いてきましたが、飲み物を買う余裕もなく、自由席の乗り口を探して、発車2分前に乗ることが出来ました。比較的空いていたので、座席に座ることが出来ました。ほっとしたのも束の間。「本当に金沢に行っていいのだろうか?」という気持ちがむくむく湧いてきました。

 「かがやき」は2時間半ぐらいで金沢に着きますが、「はくたか」は3時間。現地に着くのが12時半過ぎで、そこから迷いながら移動して、学会の会場に向かい、おそらく午後1時から始まるシンポジウムにギリギリ間に合うかどうかです。そこで、夕方まで聞いて、夜、一人でホテルに帰り(研究者仲間から食事のお誘いがあれば嬉しいですが、ないかもしれない)、翌朝また会場に向かい、研究者らの発表を聞く。そして、夕方3時間かけて東京に戻り、東京駅からまた1時間かけて自宅に戻るのです。 

 台風の行方もまだ分からない。もしかしたら、天候が荒れて、学校が早めに終わることになり、息子が集団下校で帰ってくる可能性もある。大荒れの天気で、一人で家にいるなんて、きっと不安に違いない。夫と娘は猛烈な雨の中、軽井沢から無事帰宅できるだろうか? 夫と娘が万が一東京に戻れなくなったら、最悪、母に連絡をして息子を母のマンションに泊めてもらえるか聞いてみよう。でも、そこまでするほど、この学会に参加することは私にとって意味のある、重要なことだろうか? 自問自答しました。

 カバンの中には新幹線の中で読もうと考えていた論文が何本も入っていました。パソコンも持ってきて、自分の論文にもすぐ取り組めるようにしてきていました。でも、この精神状態だと、有効に使えるはずの新幹線内の3時間もおそらく無駄になってしまうに違いないと考えました。

 現地に行けば、気持ちは切り替えられるだろうけど、学びたい!他の研究者の仲間に入りたいという自分の欲のために、交通費と宿泊費、食事も入れると4万円近くを使うのは正しいことなのだろうか? このお金があれば、子どもたちと美味しい食事が何度も食べられるし、ディズニーランドにも連れていけるのに。

 私は何をやっているんだろう? がんの闘病期間が長く、社会復帰がずいぶん遅れたため、しゃにむに頑張ってきた。でも、どこにも自分の居場所を探せず、そのことが辛くて、もがいている。ああ、バカだな、私は何てバカなんだろう。

 ぐるぐると考え、気持ちが定まりませんでした。そして、私は意を決して立ち上がり、次の「上野」駅で降りました。上野を出てしまうと、次の駅までずいぶん距離を走ってしまうので、ここで決断するしかありませんでした。東京駅で新幹線に乗り込み、数分後に上野駅で降りる人は、よほどの急用が出来た人しかいないでしょう。ドアが開くと、ホームには乗り込む人がたくさん並んでいました。私は彼らが入る前に、ドアから出ました。彼らが乗り込み、新幹線が発車してしまうと、ホームには私一人しかいませんでした。大きなホームはがらんとしていました。

 心の中は、決断できたという納得感より、敗北感で一杯でした。その気持ちを抱えたまま、東京行きの新幹線に乗り換えました。乗降口から乗ると、そこにはすでに、東京駅で降りる人達が待っていました。私は体を小さくしながら、そこに立ち、数分後に終点の東京駅で降りました。

 東京駅の窓口で、切符の払い戻しをしてもらいました。「台風の状況か不安定なので、乗車は止めました」と言うと、おそらくそういう方々も沢山いたのでしょう。すんなりと払い戻しが出来ました。宿泊費は、払い戻しのきかない安いホテルを予約していましたので、その五千円は「人生の勉強代」を支払ったと考えることにしました。

 気持ちを落ち着かせるために、自宅に戻る電車の乗り換えの駅で降り、タリーズに入りました。コーヒーを飲み、自分が取った行動をノートに記して、自分の心の在り様を整理するつもりでした。それも、途中でやる気がうせ、ただ、ぼんやりとコーヒーを飲みました。そして、再び電車に乗り、自宅に戻りました。

 雨足は弱くなっていました。おそらく、台風は東京をよけてくれたのでしょう。私はベッドに寝転がりました。涙が流れてきました。この無駄な時間と行動を反省するつもりが、心は悲しさと悔しさ、切なさが入り混じった気持ちでいっぱいでした。 

 誰かに話をしたかった。私のこの右往左往について、恥じることなく、正直に話せる人と話したかった。私は、大先輩のイワサキさんに電話をしました。イワサキさんは母と同い年の85歳。私が留学していたときに、国費留学生として大学院に入学してきた方です。そのとき、イワサキさんは50代。帰国後は大学の教員として働き、60代で博士号を取得し、教授に。もうかれこれ30年以上も親しくしていただいています。

 いつものように、「あらっ、睦美?」と明るい声で電話に出てくれました。イワサキさんはどんなときも、私を受け入れてくれます。私は顛末を説明しました。イワサキさんはじっくりと私の説明に耳を傾けながら、私がなぜこのような行動をとったのか、適格に分析してくれました。私が自分なりに考えていたのとほぼ同じ考えでした。イワサキさんはその後、こういう風に私を慰めてくれました。

「睦美、帰ってきたのは正解だったよ。あなたの子どもを守れるのはあなただけだから。子育てしながら仕事をしていると、どちらかを犠牲にしなければならない場面がいくつもある。そして子どもを犠牲にしてしまう女性は少なくない。私もそうだった。でも、それではだめ。仕事や学業より子どもは優先されるべきなの」

 1時間以上話をして、後半、私は泣きっぱなしでした。自分が情けなくて、情けなくて仕方なかった。でも、心は少し軽くなっていました。

 その後は仕事をしました。私が研究発表する学会に向け、発表の抄録を書き直し、メールで提出しました。これは2度修正依頼が来ていて、一緒に研究しているもう一人の研究者の女性と何度もやり取りをして、修正をしたのです。

 グループチャットには、金沢にいる研究者から「●●さんと●●さんと、金沢にいます!」という元気なテキストが届きました。この研究者は20代の男性。とても優秀で親切な若者です。私と同じくこちらに残った研究者の女性が、テキストを返します。

 「お疲れ様です! 金沢で美味しいもの食べてきてください。私たちも行きたかった!」

「私たち」という言葉が胸に沁みました。もし、私があちらに行っていたとして、このグループチャットを読んで、そこに「私も行きたかった」と書いてあったら、私は罪悪感に苛まれていたでしょう。彼女も中学生、小学生の子どもを育てる母親。「週末にかかる学会は、諦めることにしている」と以前話していたことがありました。

 そのチャットの「私たちも行きたかった!」の言葉をかみしめながら、やっぱり、行かなくて良かったんだと納得しました。 

 午後3時半過ぎ、息子が帰宅しました。「あれ、ママ、どうしたの?」「台風がひどくなりそうだったから、帰ってきたの。心配だったから」「そうなんだ、でも、雨やみそうだね」「アイスクリーム食べる?」「うん!」。

 息子と一緒に食べるアイスクリームは格別美味しかった。夜7時過ぎ、夫と娘が帰宅しました。娘はいつものようににこにこして、「ママ~、会いたかったよ」。「ママもとっても会いたかったよ」とハグ。夕ご飯は子どもたちが大好きな餃子と納豆巻き、お味噌汁を作りました。子どもたちに夕ご飯を食べさせた後は、夫と一緒にいつも行く近所の日本酒のバーへ。

 バーで日本酒を飲みながら、夫が聞きます。「明日は授業参観行くんだろう?」。そうでした。息子の授業参観に出られないので、夫に行ってもらうよう頼んでいたのでした。「もう小学校も終わりの年だから、授業参観楽しんだほうが良いね」と夫。そうだな、と思いました。明日は、息子の授業参観を楽しんでこようと思いました。そして、この数日間の自分の行動と心の揺れを振り返りながら、今回はやっぱり行かないほうが良かったんだと、納得しました。

 こうして、私の気持ちは少しずつ和らいでいきました。夜ベッドに横になるころには、自分の心に満ちていた敗北感や自己否定感がなくなっていました。そして、穏やかな気持ちで眠ることが出来たのでした。


2023年9月4日月曜日

夏仕舞い

  8月26日に子ども用プールを仕舞いました。夫と二人で、無言で行いました。今年も楽しかったプール。娘は1回しか、それも、足を付けるしかしなかったけど、息子はプールの中でぐるぐる泳いでいました。来年は入ってくれるかなぁ、と思いつつ、仕舞いました。

 作業をしながらふと思い出したのは、私が学生時代に読んだ本。その本は、アメリカの女性雑誌の編集長によって書かれた本で、私が多いに触発された本です。その中には、仕事を持つ女性への励ましの言葉がつづられていました。当時は、アメリカでもそのような先輩女性たちによる励ましが必要だったのですね。

 その中にあったのが、自宅で開かれた賑やかなパーティの後、夫婦がそれぞれ片付けをするシーン。著者がそこで言いたかったのは、表向きは華やかでも、その後には、黙々と片付けるという地味な仕事が必要なんだよというメッセージだったと思います。

 私がなぜ、そのシーンを覚えているのかというと、「そうなんだ、男の人も片付けをするんだ。家の片付けは女性だけの役割ではないんだ」というシンプルな感動。

 我が家の子供用プールは夫が出し、メンテナンスし、そして、綺麗に洗って外に干しました。この日、「手伝ってくれる?」と声を掛けられたのは、プールを小さく織り込む作業が出来ないので手伝ってほしいという理由。

 段ボールの中には、さらに段ボールが2つあり、その1つにまずはプールを支える鉄の棒約20本と、強固なプラスチックの支えを入れます。そして、もう1つに折りたたんだプールを入れます。

プールを片付ける夫

 土曜日の朝の夫との無言の作業。あのシンプルな感動を覚えたときから何十年もの時を経て、私は夫婦間での家事の分担を成し得たのだなぁとしみじみと思ったのでした。ひと昔前のフェミニズムの旗手の発言のようですが…。