2022年8月3日水曜日

ヘルシンキからの報告

  約12時間のFINNAIRでのフライトを終え、フィンランド・ヘルシンキ空港に着きました。到着時刻は、予定より45分早い2日午前4時15分。ヘルシンキ空港はそれは美しく、どこもここも清潔感にあふれていました。

 6時にラウンジが開くまで、広々としたロビーの椅子に座ってこのブログを書いています。息子はさっそくipadをインターネットにつないで、アニメを見ています。イマドキの子は、他国の空港でも軽々とネットにつないでしまうのですね。

 夫はクロスワードパズルに取り組んでいます。弁護士だった義父はいつもクロスワードパズルをしていました。年を重ねても知的なチャレンジが好きだった義父に、夫は似て来たなぁと思って眺めています。

 私はというと、iphoneの充電が切れそうになり、ちょっと慌てました。自宅を出る直前に夫にアドバイスされて、重たい一眼レフカメラを置いてくる決断をしたことを後悔していました。旅行に行くときはいつも持ち歩いていましたが、最近、この重さが辛くなってきていました。また、iphone のカメラ機能が格段に良くなり、画像の整理もし易いことから、一眼レフカメラを使う頻度が少なくなっていました。ですので、置いてくることにしたのですが、肝心のiphone が充電切れになることをすっかり失念していました。

 12時間のフライトは長く、寝られず、かといって映画は日本語の字幕があるものがなく、iphoneの中にある電子書籍を読んでいました。それで充電切れになってしまったのです。

 海外では国により電圧やプラグの形が違いますので、電化製品や充電器を使うときは変圧器を使わなければなりなせん。海外旅行を頻繁にしていた若いときは、いくつもの変圧器を持っていたのに、それを持ってくるのをすっかり忘れてしまいました。

 英語で映画を観るのが億劫になり、変圧器も忘れてしまうなんて、年を取ったなぁとつくづく思います。

「パソコンの充電量はまだ十分あるの? パソコンから充電したら?」と夫がiphoneのコードをくれました。そうか、その手があったのか!パソコンからコードをつないで、iponeを充電する方法です。で、今、このブログを書きながら、充電しています。「セーフ!」というところでしょうか。

 さて、娘がヘルシンキ空港から電話をくれたとき、「ママ、ヘルシンキの空港のトイレのサインは女性も水色なんだよ。日本では女性がピンク、男性が水色でしょう。おもしろいよね」と報告してくれたことを思い出しました。見てみると、確かに水色でした。

 トイレもそれはシンプルで、ウオシュレットなどの余分な機能がついていなく、日本のトイレのように、使用方法などの細かな説明書きがなく、実にスタイリッシュ。「タバコを吸わないでください」「流すものはトイレットぺーだけにしてください」「綺麗にお使いいただきありがとうございます」などという指示やお願いの張り紙もありません。

 あれにすっかり慣れていた私ですが、細かな文字が書かれた張り紙がないと、こんなにトイレはすっきりするんだと感心。洗面台もシンプルで機能的で清潔。空港内も広々としておしゃれで、関心しました。海外に行っても「やっぱり日本がいい」と思ってしまう私ですが、ヘルシンキ空港の素敵さには感動しました。

フィンランドはムーミンの故郷。空港内にあるムーミンカフェ

 

清潔な空港内のトイレ。水量によって選べるボタンもシンプル。

 午前6時。ようやく、FINNAIRのラウンジがオープンしました。機内食を全く食べなかった息子は「お腹ペコペコ!」といい、カフェテリアに直行しました。卵料理、ベーコン、ハム、チーズ、オートミールなど美味しそうな朝食が並んでいました。息子も大喜び。

FINNAIRのラウンジ。未来空間みたいです

ラウンジでの朝食

 息子はラウンジ内のプラグを観察し、自分のipadと私のiphoneの充電器のUSBが使えることを発見し、さっそく充電を始めました。持参したミニ扇風機も充電できるよう。私には思い付きもしませんでしたが、さすがです。電子機器の扱いは、海外旅行経験の豊富なオジサン・オバサンよりも、海外を知らない子どもに軍配が上がりました。

息子が見つけた充電コードを差し込む場所
 
 8時過ぎに、イギリス・ヒースロー空港行きに乗ります。

 

 

 

 





2022年8月1日月曜日

ケンブリッジからの報告 ④

  2週間の日程だった、娘のサマープログラムが7月29日金曜日に終わりました。現金が使えないなど、予想外のハプニングに対処しなければならなかったですが、無事にプログラムを終えることが出来、私たちもほっとしています。

 このプログラムの間、娘は「フェイスタイム」で何度も授業について報告してくれました。私が一番楽しみにしていたのは、娘が描いたスケッチブック。私には絶対描けない、それは美しい建物のデッサンを何枚も描いていました。娘は建物のスケッチを重ねることで、今後の目標が出来たようでした。

「このプログラムに参加して、将来の目標がはっきりしたの。私、建築家になりたい」

 成長のゆっくりだった娘がこうして、将来の目標を持ってくれた。これから山あり谷ありでしょうが、まずは、娘が真っすぐ前を向いて歩き出したことを喜びたいと思います。

 このプログラムに応募したのは、コロナ以前。娘はまだ高1でした。ぼんやりと「建築」に興味を持ち出した娘を、私も夫も全面的にサポートしました。娘と一緒に書店に行き、建築に関する本を一緒に選びました。夫も、インターネットで建築デザインに関するリサーチをしました。

 提出要件の1つだったエッセイが進まないときは、「結果はどうであれ、とにかく応募してみようよ」と励ましました。私が文章の構成をチェックし、夫は文章のチェック。こうして仕上げたエッセイを提出したのは締め切りの前日でした。努力が実り、娘が費用の25%の「奨学金」を得たときは、本当に嬉しかった。

 娘は土曜日に学校の寮を出て、3日間だけ一人でホテルで過ごします。夫と息子、私は2日火曜日に娘に合流します。

 イギリスでWi-Fiが順調につながりましたら、あちらからブログを更新します。これから、ヘルシンキ行きの飛行機に乗ります。

 



2022年7月31日日曜日

家庭科と体育と道徳と

  先週、息子の担任の先生との面談がありました。前回の授業参観のとき、クラスメートが皆手を挙げて発表する中、ノートを取ってばかりでしたので少し心配でしたが、心配は無用でした。

 まずは先生に先日の家庭科の授業での息子の様子を報告しました。

「家庭科の授業のお手伝いをしながら、息子の様子を見ました。勉強で冴えない息子ですが、ジャガイモの調理では手際が良く、クラスで一番早かったんです。後片付けも率先してやっていました。輝いていました」

「そうですか。輝いていましたか。お母さん、どうぞたくさん褒めてあげてください。教室でも気が利きますよ。何かしますか?といつも聞いてくれますので、助かっています。クラスに一人はほしいタイプの子です」

 先生が豪快に笑いました。息子は1年生から4年生まで女性の先生でしたが、今年度初めて男性の先生です。

「そう言ってくださると安心します。勉強があまり得意でないものですから。先日の授業参観のときはひと言も発していなかったので、少し心配しました」

「そうですか? 心配ありませんよ。たとえば、道徳では、しっかり考えいるなと感じさせる文章を書いています」

 先生が、息子が書いた文章を見せてくれました。

「自分には長所がないと思っていた。でも、自分には長所がないと思っていたから見当たらなかったと分かった」

 なかなかやるではないか。我が息子。

「お母さん、手を挙げて発表するだけが理解しているということではないんです。息子さんは理解が深いですよ。道徳で締めの発表をしてもらうこともあります」

 そうなんですね。授業で積極的に発言しないからといって、息子にマイナスの評価をしてはいけないんですね。

「体育委員として仕事をきちんとしてくれますし、運動はよくできます。家庭科と体育と道徳と日々の生活で輝いている。十分じゃないですか。私は全く心配していません」

 息子の良いところを評価してくれて、嬉しかった。中学受験のことを考えると心配は尽きないですが、息子なりに学校で頑張っているんだからよしとしよう!と思えた日だったのでした。 

2022年7月24日日曜日

ケンブリッジからの報告 ③

  ケンブリッジ大学の高校生向けサマープログラムで「建築」を学ぶ娘のクラスには、8人のクラスメートがいるようです。出身はエクアドル、トルコ、アメリカ、中国、韓国、ブラジル、イギリス、そして日本から来た我が娘です。先生はギリシャ人だそうです。

 教室で建築に関する勉強をするほか、街に出て建物のデッサンをすると言います。これまでずっと自分に自信がなかなか持てなかった娘は、「ママ、私、けっこうデッサンうまいほうだと思う」と少し自信を持ったようです。

 幼稚園ではお絵描き教室に通い、インターナショナルスクールでもアートのクラスに力を入れてきた娘。親の私から見て、娘には絵の才能があると常々思っていたので、日本から一歩出てみることで自分の好きなこと、得意なことに気付いてくれたことが嬉しい。

 一方で、娘は自分のアイデンティティも意識したようです。「私は、日本人だなってつくづく思ったの。こうして外国に来てみると、日本の方がいいなって思う」と言います。私が学生のころ、アメリカで感じたことと同じ感覚を持ったようです。

「日本人って丁寧だし、がさつじゃないでしょう。そこがいいなって思うの」

 これはおそらく、外国に住んでみないと分からない感覚かもしれません。私は自由と可能性の国アメリカに憧れましたが、住んでみたら、日本の良さがしみじみと感じられた。レジに並ぶ女子学生が、買い物かごをフロアに置き、それを足でつついてレジの方に進むのを見て、『信じられない!』と驚いたこと。今でも大学の購買のレジと前に並んだ女子学生のことを鮮明に覚えているくらいです。

 逆に、留学生の中にはアメリカで水を得た魚のように生き生きとして、アメリカで暮らし続けることを選んだ日本人もたくさんいました。

 シカゴ育ちの夫は日本で暮らして20年経ちますが、アメリカより日本のほうが暮らしやすいと言います。私と出会う前は、外国に住むことなど考えたこともなかったそうですし、世間に馴染めないという感覚も持ったことがないと言います。それでも、外国に住んで違和感を持つこともなく、暮らしている。不思議なものです

 娘の「日本人」としての”気付き”についての話は続きます。

「女の子たちがね、これ下着?と思うような服を着ているの。とにかく露出が多い。服より肌の出ている割合が多いの。マジ、文化の違いを感じる。日本ではありえないし、私は絶対したくない服装」

 うん、うん。分かる、分かる。

「私が日本人だから日本料理屋さんに行こう!ということになって、お友達と行ったの。アボガドとマヨネーズをお米で巻いて、海苔で巻くこともしないで、『お寿司』として売っているんだよ。お米だって、日本のお米じゃない。パサパサしたタイ米?かな。恥ずかしかったよ、日本人として。こんなのはお寿司じゃない!って」

「お米にパクチーが入っているのが、最近の『お寿司』のトレンドらしい。ママ、パクチーだよ!パクチー! パクチーは何も悪くないけど、日本料理屋さんでお寿司として売るのは間違っているでしょう?」

 あぁ、分かるなぁ。その感覚。私が「日本人」としての誇りを持ったのも、日本人としてのアイデンティティをしっかりと意識したのもアメリカ暮らしがあったから。昨年の東京オリンピックの競泳女子200㍍個人メドレーで大橋悠依さんが金メダルを取り、日本の国旗が一番上に上がり、その下にアメリカの国旗が上がるのを見たときは、感極まって涙が流れたくらいです。まぁ、ここまでの感覚はどうかな?と自分自身に苦笑しましたが。

 こうして、日々貴重な経験をしている娘。2週間のサマープログラムもあと1週間を残すのみ。たくさん学んで、たくさん友達を作ってほしい。 

娘が送ってくれた、寮の部屋の窓からが見える風景の写真

2022年7月23日土曜日

親の私は…

  子どもたちがどんどん成長している中、親の私は低迷を続けています。正直に言うと、どん底にいます。昨日は大学院の教室のゼミがあり、発表をしましたが、指導教員にも他の研究者たちにも苦笑されてしまいました。

 前回の発表のときはメッタ刺し。今回の発表では苦笑の嵐。皆、おそらく指導教員も私より年下でしょう。年下の優秀な人達にあきれた笑いをされるって、辛いんですよ。本当に。

 このブログで以前、現在の指導教員(女性)の対応について書きました。打開策を求め、大学の他の教室のゼミに参加させてもらうようにお願いし、7月から週に1度参加しています。この教室は私の教室の親教室のような位置づけです。

 驚きました。このゼミでは毎回、学生たちが発表するのですが、とにかく伸び伸びとしているのですよ。修士課程の学生も博士課程の学生も。私ぐらいの年齢の学生もいます。皆、活発に意見交換をしている。先生たちからも厳しい指摘もありますが、建設的だし、最後には救いの一言がある。

 「まだ、時間があるから大丈夫」「これを仕上げると、君はこの分野の第一人者だね」。こういう言葉掛けって大事だよなぁとゼミの教室の片隅に座って、議論を聞きながら、私は羨ましく思いました。

 鋭利なナイフであちこち刺され、血を流し、その血を自分で止めて、傷口を何とか塞いで、自力での回復を目指す自分とは違うなぁと、羨ましかった。まぁ、こんなオバサンがそもそも学び舎にいることが変で、指導を受けたり、励まされている学生たちを羨ましく思うのが間違っているのかもしれません。

 でも、人生の折り返し前に様々な出来事が重なり、仕事も学びも再開が遅れてしまったことは事実。人生において、私がいまこのような状況にあるということは、ここで何かを学びなさいという天からのメッセージだと受け止めるようにはしています。

 3回このゼミに参加し、私は決意をしました。これから4年間、今の指導教員の下、博士論文を仕上げることは出来ないな。それまで精神が持たないだろうなとずっと考えていました。たぶん、精神よりも身体に影響が出るだろうな。そうすると家族にまた迷惑がかかる。

 人生は短い。私はたぶん同年代の人達よりもっと短いかもしれない。だから、せっかくもらった機会だけど、ここは潔く撤退しようーと。でも、大学院を辞める決断をする前に、ダメ元で指導教員の変更を願い出てみようと考えました。

 大学院での指導教員の変更はかなり難易度が高い。私と同じ私立大の大学院修士課程から国立の大学院博士課程に進んだ先輩にも、「どこで、どのような情報が洩れるか分からないし、手続きする前には慎重にステップを踏んだ方が良い」とアドバイスを受けていました。

 リスクは十分承知していました。が、もう、限界にきていました。指導教員の変更の手続きはまず、自分の指導教員の許可を得なければなりません。それ相応の理由がなければもちろん出来ません。でも、私にはもう指導教員と面と向かって話は出来ませんでした。

 親教室の教授の秘書に、教授と面談したい旨をメールで伝えました。教授への連絡はすべて秘書を通すことになっています。秘書からは丁寧な返信をいただき、日時も指定してくれました。そのメールには、stuffという一斉メールのアドレスが、ccに付いていました。つまり、その教室の教員たちに、私が教授と面談することが分かってしまいました。その一斉メールのアドレスに、私の指導教員が入っていることも考えられました。でも、もうここまで来たら、仕方ないなと覚悟を決めました。

 教授との面談は、会議室で行われました。会議室は大きくドアが開いていました。コロナ禍の今ですので、ドアが開いたまま話をするのかなぁと思っていましたが、教授はドアを閉めてくれました。

 私は単刀直入に、その先生の教室に移りたいとお願いしました。今の指導教員への文句ではなく、あくまでも、その先生の教室で指導を受けたいと訴えました。その教授は話を聞いてくれましたが、「指導教員を変えるのは手続きがかなり面倒なんだよね。まずは、今の指導教員の了承を得てから、指導教員の間で話し合い、かつ、上にも届け出なければならない。まだ、始まったばかりだから、今、指導教員を替えたいというと、あなたが変だと思われるよ。1年頑張ってみたら」

「…」

「●●先生には今日のこと話したの?」

「いいえ」

「僕も先生には何も言っていないよ。だから、来年の春まで頑張ってみなさい。それから考えたらどう?」

 いい先生でした。ゼミでの学生たちへの対応を見ていると、懐の深さを感じさせる人でした。でも、やはり、Noだった。それはきちんと受け止めなければいけません。

 そして昨日の私の教室でのゼミ。ここで学生は私だけ。他はすべてプロの、博士号を持つ研究者らです。私の指導教員も実務の人であって、教育者ではありません。私の発表と質疑応答への指導教員の苦笑を受け止めながら、なんとか1時間を終えました。

 帰りは、駅近くにあるたい焼き屋さんに寄って、一人でたい焼きをほおばりました。母に2枚、息子と夫に2枚買って、電車に乗りました。自宅最寄り駅に停めてある自転車に乗って、母にたい焼きを届け、帰宅しました。

 夫に今日のことを伝えました。毎日、話を聞いてくれる夫が言いました。

「君の話を聞いてあげたいけど、僕も疲れているんだ。僕たちは50代なんだよ。もう若くない。昨日覚えたこともすぐ忘れてしまう。若くても難しいことに、君は挑戦しているんだよ。それも、指導をしてくれない教員の下で、気軽に聞いたり相談できる学生もいない場所で。君の人生は長くない。もちろん僕の人生もだ。そんな中、ここ数カ月の苦しみをあと4年間も続ける意味があるのかな?」

 今日の夕飯のメニューは餃子でした。夫も子どもたちも私の作る餃子が大好きです。餃子を作るときだけ、無心になれました。

2022年7月22日金曜日

ケンブリッジからの報告 ②

 「ママ~、具合が悪くて吐きそうなの」

 今朝の3時ごろ、イギリス・ケンブリッジ大学のサマープログラムに参加している娘からFacdTimeを使った電話がありました。連日40度近い気温で、かつ、エアコンもないので、当然と言えば当然です。

 「しっかりと水分を取って、冷たい水に浸したタオルを絞って、顔や頭に当てて」

 「うん、分かった」

 しばらく話をしていましたが、私は睡魔に勝てず、寝てしまったのでした。そして6時にはっと目覚め、娘にFaceTimeをしてみると、先ほどよりずっと顔色が良くなりました。具合も良くなったようです。やはり、暑すぎたのですね。

 体調が良くなった娘から、楽しい報告をたくさんしてもらいました。

 まずは、娘が受講している「建築」の授業が充実しているということ。午前9時半から11時半まで、そして午後1時半から3時半まで授業があり、「一日4時間なんだけど、すごい情報量なの」と娘。ノートに描いたたくさんのデッサンを見せてくれます。

 「私、将来建築家になりたい」ー。娘が夢を語ってくれました。娘は小さなころから絵が上手でしたので、デザインなどの分野に進むと良いかなぁとは思っていました。こうしてサマースクールで自分の興味のある分野の学びを深めることが出来、それが将来の目標になったことはとても良かったと思います。

 次に教えてくれたのが、イギリスは現金が使えない国だということ。レストランやお店だけでなく、なんと、コインランドリーまでカードらしい。コインランドリーの洗濯機はコインを入れて、動かすものでしたが…。

「だからね、お友達にカードで払ってもらって、現金をお友達に支払うの。コインランドリーもレストランもカフェも」

 念のためにドル紙幣を持たせる私は、なんと、遅れているのでしょう。念のために持たせるのはカードなんですね。私が留学したときは、「トラベラーズチェック」と現金を持って行きましたが、今もトラベラーズチェックは存在しているのでしょうか?

「カードを使う人が半分、スマホで支払う人が半分という感じ。カードだってもう古いんだよ」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。時代はカードではなくスマホ」

 同じケンブリッジ大学のサマースクールに行っている、娘の同級生もカードで払っているそうです。

「レイコはね、お兄ちゃんがイギリスに住んでいたから、イギリスがカード社会だって分かっていたの。それで、カードが必要だってお母さんにアドバイスしていたみたいなの。それでレイコはカード持ってきたんだって」

「そうなんだね。ママ、気が付かなくてごめんね」

「大丈夫だよ。お友達がいるから」

 仲良くなったゾラちゃん、本当にありがとう。

「それとね、ママ、物が何でも本当に高いの。昨日ハンバーガー食べている写真送ったでしょ。あれ、千円ぐらいするんだよ。高いものなんて選んでないの。ちょっとしたものでも、本当に高いの。改めて、日本って物が安くていいなぁって思ったよ」

「イギリスは物価が高いって聞いていたけど、円安で拍車がかかっているんだね。現金だけど十分持たせたと思うから、ちゃんと美味しいもの食べて、必要なものがあったら買うんだよ」

「ありがとう。そういえば、サンダル買わせてもらったよ。バスルームが共同なの。バスルームに行くたびにスニーカーの紐を結ぶの面倒だから、買ったの。無駄遣いはしていないからね」

 我が子ながら、無駄遣いをしないで偉いよなぁと感心する私。娘は前日にケンブリッジの街をボートに乗って周ったツアーの様子も話してくれました。これはサマースクールのプログラムの一環です。

「ママ、ケンブリッジの名前の由来知っている? オックスフォード大学はケンブリッジより100年ぐらい前に建てられたみたいなの。で、オックスフォードからきた人がCAMという川を渡るときに、Bridge(橋)を作ったから、Cambridge という名前になったんだって」

そうなんですね。初めて知りました。それから、前々日に行ったケンブリッジの街中での「宝探しゲーム」についても話してくれました。学生たち皆で、「赤いドレスの人と写真を撮ってください」「●●●というレストランの前で写真を撮ってください」などという指示に従って、街中を探すのだそうです。証拠として示すために、自撮りをするそう。狙いは学生同士で協力し合うことだそう。

 「皆で協力しながら、街中で宝を探すの。お友達もたくさんできるんだよ」

 娘は高3の夏に、得難い経験をしています。

2022年7月21日木曜日

息子の成長

  17歳の娘がイギリスでひと回りもふた回りも成長しているとき、10歳の息子も着実に成長しています。先日は、家庭科の授業でカッコいい姿を見せてくれました。そして、先週末には立て続けに良いニュースがありました。

 まず、英検の準一級の合格通知が来ました。筆記試験では良い点数を取ったのですが、面接試験があまり出来なかったと言っていた息子。それでも、ちゃんと結果を出してくれました。次は目指せ1級です。

 もう一つは塾でクラスが上がったこと。先月まではずっと12クラス中12番目か11番目というポジションだったのですが、なんとか8番目まで上がりました。国算理社の中で、算数と理科で何とか点数を稼ぎました。

「ご褒美に何か買ってあげる!」とすっかり機嫌が良くなった私。息子は大喜びで、携帯用のミニ扇風機をリクエストしてきました。さっそくアマゾンで注文。頑張ったので、息子の大好きな焼き肉屋さんに連れていきました。

 受験まであと1年半。頑張れ!息子よ

ビビンバを食べる息子と、焼肉を焼く夫